Packet 2.人喰い鉄馬

 踏御の住む狐泉こせん市は近年急速な成長を続け、都市の発展を進めた結果。少々特殊な彩を見せてはいるが、地方であるにも関わらず、区域ごとに様々な色で夜を飾っている。

 都心部は未だ火の消えぬ不夜城と化し、日中に工業区域で生産された物品は、海を渡り空を飛び、あらゆる行路を用いて我先にと全国へ出荷される。

 陸には真新しい高速道路が蛇の様に市外へ続いて、今もなお大型車がその上を走っているが、金属と土瀝青どれきせいで出来た長い胴は、都市を囲む様に残された山や森に呑まれていた。


「こっち、早く!」


 都市の夜景を黒く塗りつぶす一角で、少女は息を荒げて友を呼び。女学生とは思えぬ軽快さで暗い山道を駆け走る。

 発展した今でこそ人が増え、都会化が進む狐泉市だが。景観を崩さぬように残された多くの自然や住居の数々は、発展した都市の中に時代錯誤なのどかさを残し、地元民で無ければ知らぬ使わぬ場所を多く残していた。


「ね、ねぇ! やっぱり携帯取りに戻った方が……」


「そんなのとっくに盗られてるか壊されてるわよ!」


「ご、ごめん……」


 苛立ちを押し付ける様に吐き捨てたその言葉に大人しく追従する友人の姿を見て、数分前の自分を思い出しては後悔する。今はもうここに居ない友人は、都会から来た“経験者”であったのに……彼女は未だにここが慣れ親しんだ地元のままだと勘違いしていたのだ。


「……流石に追って来れないみたいね」


「でもこれからどうしよう」


 後ろから感じていた恐怖を置き去りに、少女は通って来た暗闇を覗き見る。無我夢中で走り抜けたが、もはや地元民ですら殆ど使わない獣道と化した山道は息を潜め、森から抜ける事すら困難であることは明白だった。

 息を整え落ち着きを取り戻しつつある脳を回転さた少女は、ここで日が昇るまで野宿する事に決め。同じく隣で息を整えていた友人へと声をかける。


「いま無暗に山を下りるより、朝まで待って警察へ行きましょ。そうすればきっと――」


 少女の声は唐突に終わりを告げる。振り向いた先に居た友人は、闇に掴まれ今まさに吞まれようとしていたからだ。目の前でもがき呻く友の苦悶は、少女の声を奪うには十分で、体は金縛りを受けた様に動かない。

 何時しか眼球から送られる弱々しい光情報を処理する事すら放棄する少女の脳は、後頭部から響く鈍いビープ音を聴覚へ響かせると。主の判断を待たずして、その意識を強制終了させた。





 車内に流れるアナウンスが目的地を伝え、疲れ切った頭を引っ叩く。バスの窓から差し込む黄色い光は、寝不足気味の顔を洗顔し、定間隔で車内に流れる外気は、彼の気だるい体に鞭を打つ。

 都心部行きのバスに乗り、今から学校へ向かう踏御のその姿は、まさに徹夜明けの社会人そのものだった。


「踏御君おはよう。随分眠そうだね」


「お、おはっよう、御座います」


 跳ねる体に上擦り声。踏御の反応に布津巳は不思議な顔で応えるが、彼の反応も当然の事。彼は彼女を避けてバスに乗った筈なのだ。


「昨日はごめんね。なし崩しで勧誘しちゃって」


「あぁいえ、気にしてないです」


「それは?」


「い、いえ! 別に気にしてないですよ」


 とある理由で布津巳を避け、一つ前のバス停で後発するバスに乗車した結果。彼女は彼に挨拶をして、隣の席に腰かける。

 隠れる様に座った窓際の席は途端に牢獄へと変貌し。寝不足の原因ともなった夢の情景が、踏御の体温を跳ね上げる。


 昨日布津巳と別れたその夜に、踏御は奇しくも彼女の夢を見た。

 彼女と話し、彼女と登下校し、彼女と部活する――そんな当たり前で幸せな日常は、突如として露にした夢の本性により二人の距離を零に縮め。豹変した安息の地は、淫夢となって夢の主に牙を剥く。

 囁く言葉は彼女を辱め、痴態を曝け出し、彼女の柔肌に喰らいつく――淫夢に囚われ喰われそうになった彼は辛うじて目を覚まし。脳裏に纏わりつく夢の残滓は、三大欲求の均衡を崩す。

 こうした理由で深夜零時に安眠は失われ。朝早くから懺悔の代わりに悪魔に囁かれる踏御の脳は、ひたすらに新しい空気を欲して麻痺していた。


「――ければ、また放課後に部室に来てね」


「……え? あ、はい」


 気もそぞろに校舎の昇降口で別れ、布津巳の姿を見送る踏御。彼女は持ち前の影の薄さを発揮して、あっという間に生徒の群れに馴染んで消える。


「溜まってるのかなぁ」


 昨日出会ったばかりの女性に好意を寄せ。日も変わらぬうちに穢す愚かな自分に、膜が張った彼の脳は、そんな一言を答えとせざるを得なかった。





「フミフミ~。今日はぁ~、ヒ・マ?」


 何処にでもある授業の終わり。何処にでもあるホームルーム。だが訪れるまでの多くの時間を、巧みに瞼を閉じる事に専念した踏御にとっては、晴れやかな解放感を与えるものになりはしない。


「悪い我妻。今日はちょっと寝不足なんだ……でもその子犬の様な目は止めろ。男にやられても盛大に気持ち悪いだけで嬉しくない」


「そうかぁ~。知り合いの女子が、これで男はイチコロって言ってたんだけどなぁ~」


 連日の断りに然も気に悪くする様も見せず。我妻はホームルームで配られた配布物を互いの間でペラペラ揺らす。何処にでもある再生紙で刷られた何処にでもある連絡事項には、先日起きた誘拐事件に対する注意喚起がなされていた。


「あー、またか?」


「そそ。まぁ今日は一人で動くわ。また都合の良い日に埋め合わせヨロシク」


 二人はまるで熟年夫婦のやり取りで意図を察する。互いの付き合いは決して長い訳ではないが、その一件に関してだけは、誰よりも長い付き合いと強い協力関係を築いていた。


 我妻はそのチンピラの様な姿と裏腹に、顔が広く人望が厚い。故に彼は日常的に人から悩みを聞くと同時に、様々な問題解決も頼まれる。彼の事をよく知らぬ人からは何でも屋・便利屋などと 揶揄されるが、彼の下に来る問題の中には、決して他人には知られたくないものまであるのは、彼が道具として扱われていない証拠であろう。


「でもそれ刑事事件だろ? 俺達がどうこうするには大きすぎないか?」


「まーなー。にもなるたけって事で納得してもらってる」


「わかった。じゃあ明日から空けとく」


 踏御は彼が受けた以上、出来るだけで済ませる様な人物では無い事を知っていた。だからこそ踏御が聞きたかったのは、我妻が依頼として受けたのか否かを確認する為のもので、それは我妻も理解していた。

 情報収集に向かう友を見送った後。家路についた踏御は、事件の内容を把握する為にポケットから携帯を取り出すと、眠い頭を揺さぶって情報社会の海へと舵を切る。


 事の発端は一月ほど前から始まり、女性だけが狙われる車を使った連続誘拐事件。人気の無い場所や街の死角で、白いハイエースに連れ込まれると至ってシンプルな手口だが、警察の捜査や警戒虚しく犯人や犯行車両の特定には至っていない。

 こんな時にこそ彼の思考を掠め取る能力が役立つのだが、残念ながら彼のそれはなのだ。


 彼の体質は個人の倫理観を無視すれば有用で便利なものではあるのだが、現時点で彼自身も全く制御が出来ておらず。条件・対象・時間、あらゆる面で規則性が無い。

 考え事をしている時に別の事が頭を掠める事もあれば、ぼぉっとしている時にふと何かを盗って来る事もあり。対象を意識して読み取ったとしても、実は過去の誰かからだったなんて事も、彼は今までの経験から痛感していた。

 制御の出来る能力ではなく、制御が出来ないからこその体質。今回の依頼も、そんな体質を我妻から買われてという訳ではなく。単純に過去の出来事からの延長によるもので、我妻も他の誰もが、彼の体質を知る者はいない。

 だからこそ踏御は地道な調査を行うほか無く。今もなおSNSでたれ流される、被害者に犯人がどんなプレイをするか論壇に目を通す事になる。


「……これ以上は一度休んでからだな」


 朝の一件をぶり返し、彼女を再び穢す前に、踏御は思考を中断して眠りにつく。幸か不幸か彼の夢に再び彼女が現れることは無く。踏ん切りのつかなかった入部の返事は翌日。事件の被害を考慮した、全部活動の休止通知により更に延期となる。




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