よん。



 食堂に戻って、明日の仕込みを始める。


 和食一本で生きてきた寿には意外だったのだが、最近は朝はパン党の方が多いらしい。確かにパンは米より遥かに手軽に調理できるし、忙しい者にとってはいいのだろう。


 朝のメニューだけは寿が勝手に決めているので、できれば和食にこだわりたいが、パン食の手軽さは認めざるを得ない。「面倒だし明日はパンでいいや」というパターンがズルズルと続いている。

 基本的に調達した食材の中でやりくりしないといけないので、寿ではどうしても限度はあるのだが、それでももう少し工夫――と、そこまで考えた辺りで不穏な気配に気づく。


(なんだ……?)


 食堂の片隅に山と積まれた物資から、何かを削るような音が聞こえてくる。


 ネズミか? このフロアは高さ345mの位置にある。そんなところにまで登ってこられるものなのだろうか。物資に紛れて入ってきた、という可能性もあるが。

 ともあれ、ネズミに食われてはせっかくの食材が台無しだ。フライパンを両手で構えて近づいて――


「見ていてください私の変身!」

「くゥがっ!?」


 物資の入っていたダンボールが内側から蹴破られ、それが見事に寿の鳩尾に入る。頓狂な悲鳴と共に崩れ落ちる寿の前で、物資の中から迷彩柄のズボンと頑強なブーツ、アニメキャラのTシャツという違和感しかない組み合わせの格好をした夢が現れた。


「かっ……! げはっ……!?」

「あれ、いいとこに入っちゃった? ごめんごめん、わざとじゃないのよ。マジで」

「こふッ……ぜ、ぜんぱ……ひゅふぅ……」

「まぁ、それくらいは我慢してよ。私も物資に紛れてカッコよく潜入するはずが、やたらと人目のあるところに運び込まれて身動きができないわ、人気が無くなったと思ったら上に物置かれてて出れなくなるわで、ちょっと泣きそうだったんだから」

「はーひー……はーひー……」

「んで、仕方無いから中からカッターで穴を開けて外に出ようと思ったら、ちょうど蹴り飛ばしたところに君がいたわけ。ほらほら、女の子に蹴られた程度で涙と涎と鼻水と脂汗と胃液であちこち汚さない。男の子でしょ」


 濡らしたタオルで夢に介抱してもらって、ようやく痛みが引いてくる。寿が落ち着いたのを見計らい、夢は笑顔でサムズアップなどしてみせた。


「いぇ~い☆ 寿ことぶきくん、元気してた? 私は父さんにボコられて大変だったのよ、俺の娘が民間人を見捨てるとは何事だ~って。でも私だって民間人だと思うのよね扱い的には」

「それはまぁ、なんというかお疲れ様です。でもなんだってここに?」

「辺りには誰も……いないわよね。実はね、明日子供の国攻略作戦が実行されるのよ」


 すっと身を寄せ、意味があるのか無いのか手の甲を口元に宛がう“ちょっと奥さん聞きまして?”のポーズで夢が言う。相変わらずアクティブな少女である。


「で、一人くらいは作戦の流れを知っている人間がここにいた方がよかろ~もん、ということで派遣されました。決行の時まで適当に隠れるか人質に紛れてるからヨロシクね☆」

「ちょっと待ってくださいよ、それこそどうして先輩が? 専門家の出番なんじゃ……」

「こっそり代わってもらったのよ、物理的に説得して。人間って脆いわね寿ことぶきくん」

「うわぁ」

「君にも大まかに説明しておこう。私だってどうなるか分からないからね」


 取り出した地図を広げて、指の間に三個の碁石を挟んで見せてくる。


「夢想童子を倒せるのは、やっぱり夢想童子だけよ。集められるだけ集めた味方側の夢想童子を3班に分けて、子供の国を攻略する。それぞれ1班、2班、3班としておくわね」

「味方側……規制委員会側っスか。何人いるんスか?」

「十五人」

「それだけ? 子供の国側は三十人近くいるんスよ!?」


「分かるけど、いつまでも待っていられないのよ。電波の問題、人質の問題、政府の面子の問題。あと、もうしょうちゃんが我慢できそうになくてさ。一人で突っ込ませるよりはね」

「それは……その、しょうが迷惑かけてるみたいですんませんっス」

しょうちゃんが無茶しようとしてるのが“俺のため”って自覚はあるんだ、やらし~い♪」

「勘弁してくださいよ……それで?」


 東京スカイツリーの北から西南へと流れる隅田川。その周辺地図における北限の位置に一つ目の碁石を置く。


「まず1班が陽動を仕掛ける。隅田川を南下してスカイツリーに肉薄、子供の国側の夢想童子を可能な限り引きずり出す。欲を言えばスカイツリーの西にある、隅田公園の辺りに誘い出せればベストだね」

「隅田川の上を飛んで、ってことっスか? 川の上にこだわる理由は?」

「一つ目は夢想童子同士の戦いによる被害を可能な限り抑えるため。二つ目は、ナントカ通りをどっちに向かって~、なんていうより川に沿って進んで公園の辺りで迎え撃って、って言う方が分かりやすいでしょ? ほら、いくら強くても夢想童子って子供だし」


 二つ目の碁石を、隅田川の下流に置く。


「2班は川下に待機して、誘き出した子供の国側の夢想童子を1班と共に挟撃。包囲戦術で数的不利を補う。で、これが本命。1班と2班が戦闘中に、東側を流れる北十間川方面から3班がスカイツリーに乗り込み、人質を救出。その後隅田公園付近に誘い出した子供の国側の夢想童子の退路を塞ぎ、包囲殲滅でトドメを刺す」


 スカイツリーの真下を流れ東に伸びていく細い川に最後の碁石を滑らせ、最終的に隅田公園上空で三つの石が合流。カチャッと軽い音が響いた。


「……これ上手くいくんスか?」

「ぶっちゃけ無理☆ 作戦自体机上の空論、こんなにうまくいったら戦術教本はいらないわよ。しかもそれを夢想童子に、子供にやらせるのよ? 上手くいくわけないじゃない」

「だったらやめさせてくださいよ! 怪我をすることがないとしても、川の上でやられて気を失ったまま落ちでもしたら……」


「同感だけど、ごめんなさい。私に言われてもどうにもできない。いろいろ無茶してここに忍び込むのが精いっぱいだった。でもね、勝算が無いわけじゃないのよ」

「数が倍近く違うってのに?」

「その代わり士気は委員会側が遥かに上よ。人質なんか取ってる悪い連中、ってイメージが強くてさ。“悪者を退治するんだ~”ってみんなノリがいいのよ」


「それはそれでいいのか悪いのか微妙っス」

「子供の国側の夢想童子は、士気がそれほど高いようには思えない。数の多さは油断にも繋がるし、歴史上、寡兵が大軍を打ち破った例は少なからず存在する。そもそも夢想童子自体が非常識の塊みたいなものだもの、何が起きても不思議だとは思わないわ」


「……しょうはどの班に入ってるんスか? それぞれの班の人数は」

しょうちゃんを含めた、いわゆる虹色童子隊の七人が全員1班。2班は五人、3班が三人。智実アップルちゃんも3班に入ってる」

智実アップルも?」

「ええ。お義兄ちゃんを助けるんだって張り切ってたわよ、このロリキラーめ♪」

「妙な呼び方はやめてください。あ、でも俺以外の人質は解放してもいいって話ですよ」


 先ほどナゴミの口から出たばかりの新情報である。夢が固まり、言葉の意味を反芻するように軽く頷き、しばらくして少し大きめに頷き、次いで寿の鳩尾に貫手を叩き込んだ。


「…………っ!?」


 息ができない声が出ない。夢に胸倉を絞り上げられ、強引に引き寄せられる。


「な・ん・で、そんな重要な情報を先に言わないのよおおおおお!」 (小声)

「す、すんませんついさっき聞いたばっかりだったんで」 (小声)

「その情報があれば戦闘を回避できたかもなのに! しょうちゃんたちに無駄に危ない橋渡らせずにすんだのにいいいいっ!」 (小声)

「い、いやでも確定した話でもないっス! 言ったのは代表だけど、アイツら一応総意で物事決めてるから、必ずそうなると決まったわけじゃ……」 (小声)


 わなわなと震えつつ、夢が寿の服を放す。瞑目して天を仰いで頭を抱え、小声で何事かブツブツと呟いた。


「私は何も聞いてない、何も聞いてない、今は忘れろ不確定情報、集中、集中……!」


 ややあってクワッと目を開き、頬に人差し指を添えてウインクした。


「ええ。お義兄ちゃんを助けるんだって張り切ってたわよ、このロリキラーめ♪」

「そこに戻るんスか……」

「で、こっちの状況は? 人質からの電話である程度は情報が伝わってるけどさ」


 若干後ろめたいものを感じながら、子供の国の現状と人質たちの様子を語る。ナゴミのことを説明した時、腕組みしていた夢が顔にしょっぱいものを浮かべた。


「つまり東京スカイツリーがこんな風になっちゃった理由の半分くらいは君にある、と」

「まさかこんなことになるとは思わなかったんスよ!」

「君も大概罪作りな男の子だね。まぁ、それはそれとして……ナゴミか。ナゴミねぇ」


 夢がカバンから書類を取り出す。ナゴミの写真が添付されていた。


「親から虐待されてて、かなりひどいこともされてたっぽいっス」

「そう書いてあるねぇ。神崎七五三なごみ、死因は両親による虐待……まだ七つだったのか」

「……え?」


 妙な単語を聞いた気がする。“死因”ってなんだ?


「あの子の本当の名前は神崎一十三ひとみ。死んだ七五三なごみちゃんの、双子のお姉さん。で、ここ重要なんだけど両親も死んでて、死因は刃物で体中滅多刺しにされたことによる失血死」


 差し出された書類に並ぶ、ナゴミの顔写真と部外秘の文字。


「未成年だから公表されてないけど……あの子、両親殺して指名手配されてるわよ?」

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