に。



 東京スカイツリーの展望デッキは、三つのフロアからできている。


 下から340、345、350。この内、下層である340が人質たちの、上層である350が夢想童子たちの生活する場となっていた。

 中層の345には元々レストランがあり、ナゴミの攻撃を角度的に免れたため各種設備がまだ活きていた。そこで寿は、ここを勝手に厨房&食堂として使わせてもらっている。


 水と電気を止められて兵糧攻めが始まったらヤバイんじゃねえかなぁと危ぶんでいたのだが、人質の安全のためか、夢想童子が略奪の範囲を広げることを危惧してか、あるいは子供相手にそこまでするのはどうよ、と誰かがストップでもかけているのか、今のところその兆候は無い。いつまでもこの状態が続くと決まったわけでもないだろうが。


 ともあれ子供の国の建国以来、中層フロアはそういった使われ方をしており、食事の時以外は子供たちも人質たちも基本的には足を踏み入れなかった……のだが。


「おいご飯係! まだできないのかよ?」

「うるっせええええ! 百人分以上作んのがどんだけ大変だと思ってんだ、文句あんなら野菜切るのくらい手伝えクソガキが! あ、指を切らないように変身しとけよ!」


 といったことがあり、


「お~い、少年。そろそろ腹が減って来たんだが……」

「やかましい! 人にばっか作らせてんじゃねえぞ、こちとらただのボランティアだ! 急かすならボサッとしてねえでちったぁ協力しろ! 料理したことくらいあんだろ!」


 といったこともあったため、現在は非常に不思議な光景が見られるようになっていた。





「ゆで卵の殻、剥いた~」

「海苔、ハサミでジャキジャキしたよ!」

「チャーシュー切っておいたぞ」

「肉と野菜、下ごしらえできたわ」

「……よし、スープもこんなモンだろ。皿を持ってこい! ゆで卵は半分に切って、麺はこの網に入れてこの鍋の縁に引っかけて四分だ! 上に乗っける肉野菜炒めは任せろ!」


 テキパキと周りに指示を出す。茹でた麺を水に晒し、皿に盛り、スープを注ぎ、チャーシューとメンマと肉野菜炒めを乗せて海苔を差し込み、夢想童子たちに運ばせる。

 世にも珍しい、犯人と人質の和気あいあいとした共同作業。まだ料理はできないのかと食堂に顔を出す者を、子供も人質も関係無く寿が怒鳴って引き込み手伝わせ、それを繰り返す内に気がついたらこうなっていた。効率化のためであって他意は無い。


「「いただきま~す」」

「おう。汗水流して知恵絞って作ってやったんだ、好き嫌い言って残すんじゃねえぞ」

「ご飯係のくせに生意気~」

「下に運んでやる時に落としちゃおうか?」

「聞こえてんぞ、ガキ。飯の量減らされてえならやってみやがれ」

「お~い少年、足らないんだが……」

「この状況下で豪勢に食うなよ! お代わりは一人一杯までだからな!」


 食事も食事で、暖かいものを提供するにも後片付けのためにも時間差をつけるのはよろしくないので子供も人質も一緒くたである。効率化のためであってこれまた他意は無い。


「こ、これがラーメンか。カツ丼の次くらいには美味いじゃねえか」

「お姉さん、チャーシュー一枚ちょーだい」

「じゃあ、君が残してる海苔と交換だ」

「Oh、ソイソース……トンコツではナイのデスカ、残念」


 面白外人のふりをしてちゃっかりラーメン食ってるサンジェルマンがムカつく。


 子供たちの大半は夢想童子に変身した姿のままだ。食料の調達などで頻繁にここと地上を行き来しているため、いちいち変身を解除するのが面倒らしい。長時間変身状態でいることの心身への負担は特に無いようで、まったくインチキな道具としか言いようがない。

 その手の子供たちも、一頃は人質に対してかなり威張っていたのだが「ケンカすんならお前らには飯作ってやんねえぞ」という寿の恫喝に屈して今では大人しくなった。


 しかし改めて食堂を見回すと――夢想玩具を使いスカイツリーを占拠した子供たちと、彼らに人質にされた大人たちが協力して料理を作り、座席の数の問題でテーブルを囲み、文字通り同じ釜の飯を食べているのは、よく分からない状況である。


「どうかしたの?」

「いやぁ、コイツらなんでこんな仲良さそうに飯食ってんのかなぁと思って」


 調理を手伝ってくれた老婦人に話しかけられる。正直に心情を口にすると、何を言っているのやらとでもいうように呆れた顔を向けられた。


「あなたのせいじゃない。やれ手伝えだの、やれ一緒に食えだのって大騒ぎして」

「だってこの後夕飯の支度もあるんスよ? ちんたら食わせてたら間に合わねえし」

「みんなその通りだと思ったから、こういう風になったんじゃない? ……でも、大したものね。正直感心してるのよ」

「まぁ、親父の手伝いなんかは時々やらされてたんで」


 一人分の料理を作れる者なら人質の中にもかなりいるのだが、数十人分の料理を一気に作るというのはもはや別の技能である。それができるのは寿だけだった。


「それもあるけど、そうじゃなくてね。夢想童子相手によくあそこまで言えるなぁと」

「中身はただのガキですよ。そう思って相手してるだけっス」

「そうね、よくよく考えればただの子供なのよね。テレビで見て、閉じ込められて、人質にされて……化け物みたいなモノって勝手に思い込んでたけど、違ったわ」

「ごちそうさま! 美味しかった! ありがとう!」


 夢想童子から空の食器を渡され、どういたしましてと老婦人が笑む。子供たちから敵意が、人質たちからは怯えが薄れ、まぁこれはこれで悪いことではないよな……と寿は一人で悦に浸っていた。

 ラーメンをリクエストした天女風の女の子がまだ来ていないことに気付き、手近な子供に問いかける。


「おい。姫佳璃っつったか? 天女のカッコしてる女の子、どこで何やってんだ」

「大臣のこと? 大臣なら、多分上でお仕事してるよ」

「……は?」


 いつの間にやら、そんな役職まで決まっていたらしい。





 上層に上がってフロアの中を探すと、大臣こと姫佳璃はすぐに見つかった。


 座禅を組んで、目を閉じて、時間ごと停止したかの如く微動だにしない。これのどこが仕事なのかと感じる一方で、声をかけるのを躊躇してしまうような静謐さがあった。

 どうしたものかと眺めていると、音か気配か直感か、ともあれ何かの方法で寿の存在に気付いたらしく、座禅をしたまま向こうから話しかけてきた。


「何用じゃ、ご飯係」

「おう。ご所望のラーメンできてるから早く来い。何やってんだか知らねえけどよ」

「無礼者め。見ての通り世界を愛でておるのじゃ、神である我の務めである」


 ジロリとこちらを睨んでくる。この姫佳璃という少女、年頃はしょうと同じか少し上くらいに見えるのだが、自分が本当に“神様”だと信じ込んでいるらしい。

 ナゴミの声明を聞いて、最初にやってきたのがこの子だという話である。彼女の両親も一緒だったのだが、寿が気を失っている間にナゴミが追い出してしまったそうだ。


 理由を尋ねるに、「嫌な感じがした」とかで……他の人質から聞いた話も合わせると、ナゴミの呼び掛けに応じて集まった夢想童子たちを手懐けようとしていたようだった。

 具体的に何をしようとしていたのかは分からないが、姫佳璃の言動から察するに真っ当な親とも思えない。乱暴な対応ではあるが、ナゴミの判断は正解だったのかもしれない。


「我が愛でる故に世界はある。我が願う限り世界は続く。人の子よ、感謝するがいい」

「へいへい……ところでお前、親のこと心配じゃないのか?」

「痴れ者め、我は神であるぞ! 人の言葉でいう親などというものは存在せぬ!」

「ここに一緒に来たんだろうが。ナゴミの口振りだとかなり派手にやったみたいだし」

「む~……あの者らは信心が足らぬ」


 口を尖らせて、姫佳璃がプイッとそっぽを向く。こういうところは普通に子供だ。


「前に一度、神託の儀に参じた小さき者と話をしたことがある。その時にチョコレートを捧げられたのじゃ。だがあの者らは小さき者と交わるのもチョコレートを食べるのもダメという……神に大してなんたる無礼! 我も時には神饌以外のものが食べたいのじゃ!」


「小さき者……子供のことか? お前、学校で誰かと話したりしないのかよ」

「ふん。神である我が、何故に俗人の集まる場所に自ら赴かねばならぬのじゃ」

「学校に行ってないのか? じゃ、歳の近いヤツと遊んだり話したりしたのは……」

「うむ、子供の国に来てからが初めてじゃ。我はここが気に入ったぞ。ナゴミたちと言葉を交わすのは愉快だし、チョコレートも食べれるし……ご飯係の作る食べ物も実に良い」


 本当に嬉しそうに姫佳璃が微笑む。特殊な環境で育ち、不意に親の束縛から離れ、生まれて初めて年齢相応の自分を解放できて――楽しくて仕方が無いのだろう。


「……褒めたって何も出ねえぞ。お前のリクエストでラーメン作っってやったんだ、早く仕事だか瞑想だか終わらせて食いに来いよ。夕飯の支度もしなきゃならねえんだからな」


 そう伝えて踵を返す。昼食を終えたらしい子供たちが入れ替わりでやってきて、姫佳璃と何やら談笑を始めるのを背後に聞きつつ、その場を後にする。


 初めての友達。初めての自由。欲し続けたそれを、姫佳璃は心から満喫している。

 親に言われるままに振る舞う一方で、心のどこかはずっと悲鳴を上げていたのだろう。彼女にとって子供の国は、本当の自分を取り戻すための安息の場所なのかもしれない。


(だからって、ここに……子供の国にいて、何か解決すんのか?)


 きっと誰も救われない。今は大きな問題も無く回ってはいるが、この状態がいつまでも維持できるとは到底思えない。間違いなく、状況は少しずつ悪化していくだろう。


 子供の国が崩壊したら、あの子たちはどうなる。少なくとも、社会的には無事では済むまい。それは仕方無いことなのかもしれないが、救いを求めて、藁にもすがるようにして集まってきた子供たちが救われないなんて、そんなことがあっていいのか?


 あの子たちはただの子供だ。ただ力を得てしまっただけの、気紛れな魔法使いにそれを与えられてしまっただけの、まだ善悪も右も左も分からないどこにでもいる子供なのだ。

 だからといって自分に何ができる? こうして捕まって、飯を用意してやるくらいしかできない今の自分が、夢想玩具という超常の力に対して、何が――


(これが世界の変革か? 悪趣味過ぎるぞ、サンジェルマン)


 寿にできるのは、胸中で毒づくことくらいだった。

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