そのご。 こどものくに
いち。
「状況はどうなっている」
「確認が取れた人質は全部で八十六人。この手の事件としても相当な数だぞ」
「人質が心配だ。その人数の世話を子供たちでできるのか」
「今のところは不自由させられている様子は無い。人質の中に、子供たちと交渉していろいろと便宜を図っている“ご飯係”という者がいるらしい。未確認の情報だがな」
「それは単にストックホルム症候群なのではないのか?」
「どうでもいい話だ。人質が衰弱していないという情報の方が重要で、貴重な朗報だな」
「しかし、どうする。もう五日にもなるが、解決の目途が立たないぞ」
「そもそも犯人グループの目的はなんだ? 本当に子供たちだけなのか?」
「公安にマークされているカルト団体の関与の噂も聞くぞ」
「それがどうも妙だ。代表者の娘が“子供の国”とやらに参加しているのは確認が取れているが、その代表者夫婦はスカイツリー近辺で倒れていたところを保護されている」
「夢想童子を集めて良からぬことでも企んでいたようだが、逆に追い出されたわけだ」
「お陰で余計にややこしくなった。何かしらの目的を持つ大人なら交渉する手もあるんだが……地上350mの高さに監禁されている数十人の人質をどうやって助ければいい?」
「夢想童子に人質救出は任せられん。SATでは夢想童子に対処できん。八方塞がりだ」
「初動の遅れが痛かったな。もはや迂闊に手を出せる相手ではなくなってしまった」
「人質はなんとかするとして、子供の国の側より多くの夢想童子を送り込めば……」
「夢想童子同士の戦いがどれだけ被害を出すと思っている。墨田区を灰にする気か!」
「アメリカの政府筋から協力したいとのメッセージが届いているが」
「彼らは夢想童子の力を直接確かめたいだけだ、適当に礼を言って追い返せ」
「しょせんは子供のやることだ、首謀者さえ排除すれば瓦解するだろう。変身を解除したところを急襲するとか……例の声明を出した女の子が首謀者でいいんだよな?」
「しかしおもしろい名前だな。一、十、三と書いてヒトミ……神崎
○ ○ ○
「では、本日の議を始めるぞ」
展望回廊には、子供の国に参加した者たちが集結していた。
総勢二十七名、全員が夢想玩具で武装した夢想童子である。やろうと思えば彼らだけで世界の全ての軍隊を相手取るどころか、蹂躙して殲滅することも容易だろう。
途方も無く強大で、無邪気で気紛れな無敵の軍勢。その全員が、非情なまでの緊張感を漂わせながらこの場に参列していた。何しろ国の未来を左右する重要案件なのだ。
「今日のご飯は何が良いか!」
「ハンバーグ!」
「ホットケーキ!」
「タコ焼き!」
「ドーナツがいい!」
「カツ丼! カツ丼ったらカツ丼だ!」
手を上げて口々に叫び始める。この場合は声が大きい方が勝ちである。次第に紛糾して険悪な雰囲気になり始めた。食い物の恨みは恐ろしいのだ。
「みんな同じのじゃなくて、好きな食べ物を作ってもらえばいいんじゃないの?」
「あ、それイイ! 賛成!」
「お前頭いいな~!」
「そうしようよ、それならケンカしないし」
「うん! 賛成賛成!」
「じゃあみんな、ご飯係の人に食べたいものを言ってね!」
「ピザ!」
「アイスクリーム!」
「お菓子のお家!」
「さりげなく贅を尽くした京懐石」
「ふ・ざ・け・ん・なああああッ!」
黙って会議の様子を見ていた寿は、ついに堪忍袋の緒がプッツンしてドッカンした。
「お前らと人質の分の飯を作るのがどんだけ大変だと思ってやがる! ドカスカバカスカ好き放題に食いやがって、俺を殺す気か!? せめてメニューを統一しろおおおおッ!」
「わあああ、ご飯係が怒った!?」
「う、うるさいっ! お前は人質なんだぞ、言うことを聞け!」
「知るかボケ! テメエらこそこっちの言うこと聞かねえなら飯作ってやんねえぞ!」
「あ、またそれ言った! 卑怯だ!」
「大人なのに卑怯だ!」
「どっちが卑怯だクソガキどもが! お前らでメニューを決められねえってんなら、俺がパッと決めてやる! 今日はカレー! はいもう決定!」
「え~、昨日もカレーだったじゃん」
「お前のカレーって、ベタッとして美味しくない! もっとスパイスの香り効かせてよ」
「蕎麦屋のカレーにンな高尚なモンを求めんじゃねえええええッ!」
怒鳴るためなら無限に気力が湧くのが寿の長所……長所? ……訂正、特徴である。
結局ジャンケン大会が始まる。この人数で一斉にジャンケンをして勝負がつくと思っているのだろうか。どれだけ凶悪な戦闘能力を持っていても、中身はお子様なのだった。
「えぇい、ったく! やめろやめろ! お前ら全員と俺でジャンケンしろ! それで最後に残ったヤツの食いたいモンを作ってやる、その方が早い。ほれ行くぞ!」
司会のお兄さんにでもなった気分である。次に何を出すか考えるのも面倒でグーチョキパーの順番で出し続ける。こんな手にも簡単に引っかかるのだが、中には賢い子もいる。
寿が完全に手をローテーションさせていることを見破った二人が残る。一人はナゴミ、もう一人は先ほど会議の開始を宣言した天女風の装束に身を包んだ女の子だ。
「……よし。おいお前、何か食いたいモンを言ってみな。ナゴミは一昨日メニュー決めたから今日は我慢しろ」
「え~? なんでだよ、あたしだってジャンケン残ったじゃねえか。カツ丼食わせろ!」
「我慢しろっつってるだろうが! カツ丼の他にもいろいろと美味いモンはあるんだよ」
「本当かよ? ……おい、姫佳璃、お前何を頼むつもりなんだ?」
「んむ、我はラーメンを所望す」
「……蕎麦じゃダメか?」
「ラーメンが良い。一度食べてみたかったのじゃ」
「努力してみます……」
蕎麦屋の息子としてはラーメンにだけは手を出したくなかったのだが、頼まれた以上は仕方が無い。とにかくやれるだけやってみるしかないだろう。
東京ソラマチにラーメン店があったはず。料理人の息子としては心苦しいが、レシピを見せてもらおう。夢想童子へと変身した子供たちに頼んで、地上まで降ろしてもらう。
「ここもすっかりゴーストタウンだな……」
そんな感想が口から漏れる。目が回るほどの人で溢れていた東京ソラマチは、今や無人の楼閣と化していた。警察の封鎖線はかなり広い範囲に及んでいるらしい。
エレベーターは停止し、非常階段はさらに念入りに瓦礫で封鎖され、展望デッキは陸の孤島と化していた。そこに寿を含めて八十七人が取り残され、人質にされている。
最初は寿もナゴミが何を考えているのかと警戒していたのだが、目を覚ましてから話を聞いて拍子抜けした。要するに好き勝手やりたいとか、美味しい食べ物が食べたいとか、それだけの話だった。夢想玩具なんて超常の道具を手に入れて暴走しているだけだ。
仕方無く飯を作ってやっていたら、続々と集まってきた夢想童子たちから「ご飯係」として認識されてしまったのである。人質たちの分の食事も結局誰かが作らねばならず、他にいない以上は寿がやるしかなく、毎日忙殺されているのだった。
ラーメン店に到着し、レシピを確認。ついでに使えそうな食材をピックアップし、運搬のために一緒に連れてきた夢想童子に運んでもらう。何をどれくらい拝借したかはきちんとメモに記して、レジに置いておいた。それでも足らないものは別個に調達する。
「封鎖線までいってこれ渡してこい。もらうモンもらったらちゃんとお礼を言えよ」
「うん、任せて」
メモを渡して指示を出すと、素直に頷いて夢想童子が飛んでいく。
当たり前だが、放っておくと食材というのは傷むのである。自分と人質たちと子供たちが元気にやっていくには、新鮮な食材をどうにかして手に入れる必要があった。
最初の内こそ悪いこととは知りつつ無人の東京ソラマチで略奪していたのだが、それもそろそろ限界だ。となれば外部にお願いするしかない。
ありがたいことに、世の中には篤志の人がいて、自分と人質たちはおろか子供たちの分まで物資を用意してくれている。足を向けては眠れないとはこのことだ。
ネット上の情報によれば、寿が口酸っぱく言っているのが効いたのか、子供たちも物資を受け取る際にはきちんとお礼を伝えているらしい。
「……なんでこんなことになっちまったんだか」
話してみれば、みんなただの子供だ。乱暴だったり短気だったりといった多少の問題はあるが、決して悪い子たちではない。なのに何故こんなことになってしまったのだろう?
「僕にしてみれば実に順調、といったところなのだがね」
横合いから声がする。視線だけでそちらを見れば、人質生活による憔悴をまったく感じさせない白人男性が、相変わらず小ざっぱりとしたスーツ姿でそこに立っていた。
「サンジェルマン……テメエ、こんなところに何しに出て来やがった」
「何しに出て来た、とはずいぶんだね。これでも君以外の目のあるところでは、無闇に人を驚かせないよう、ただの人質を装っているつもりなのだが」
スカイツリーが占拠された時、人質の中にこの男の姿を見つけた時は大いに呆れたし、因果応報だとも思った。しかしその後の行動を見て、どうやら人質になっているわけではないらしいと考えを改めることとなった。
ある時は無人の東京ソラマチで新聞を手にコーヒーを飲み、またある時はスカイツリーの展望デッキで座禅を組んでいる。神出鬼没という言葉がここまで似合うヤツも珍しい。逃げ出すことができないとは思えない。どうやら何か目的があって留まっているようだ。
左右を見回す。確かに人気は無い。今までは意地になって無視していたが、この男との話は中途半端に終わったままだ。再開するのなら良い機会だろう。
「……退屈凌ぎで夢想玩具を作ったっつってたな。で、次に何をどうする気だ」
「どうすると言われてもな。例えるならば、僕はドミノの最初の一枚を倒しただけなのでね。後はこれがどういった結果に結び付くかを観察したい。そのためには当事者ではなく傍観者であることが望ましい。今回のケースは興味深いので、人質という状況を利用しているが……それが終われば、適当に姿を消すつもりだよ」
「その前に無くしてけよ、夢想玩具! 日本を元に戻せよ! そもそもなんだってあんなモン作りやがったんだ!」
「決まっているだろう。世界の変革に繋がるからさ」
「世界の、変革ぅ……?」
「そうだな、少し長い話になるが……結果の分かっているゲームなどつまらないものだ。魔法を究め、不死の身となり、全ての叡智を手に入れた僕にとって生きるというのはそういうことなのだよ、虚しい話だがね。しかしある時、僕は一つの事実に気付いた。そこに人間という要素を関与させるだけで、この上ない娯楽になりうると」
「ご、娯楽だと? これだけ人様に迷惑かけまくって、お前にとっては娯楽……!?」
「まぁ、最後まで聞きたまえ。怪我で死に、病で死に、欲を捨てられず、同族同士で殺し合う……かつて人間だった僕が言うのもなんだが、まったく愚かな生き物だ。良い方向に導いてやろうとしても、それを拒絶して破滅に進もうとする。だが、そこがおもしろい。人間社会に過度で無い程度に接触して特定の方向性を持たせる、それが僕の趣味なのだ」
「娯楽の次は趣味かよ!」
罵りながら思い出す。かつてヨーロッパに現れたサンジェルマン伯爵は、フランス革命を阻止するように暗躍していた。しかしそれは革命側の勢力を妨害する形ではなく、国王に「このままでは恐ろしいことが起こる」と繰り返し進言するのが主であったという。
もしかしたらサンジェルマン伯爵は革命が起きることを、もっといえばその後の歴史を知っていたのかもしれません……父の母国の物語として、以前に幸が話してくれた。事実だとしたらこの男はその頃から歴史や国家に干渉、あるいは弄んでいたことになる。
魔法を究めて神の如き力を得た超越者――自身で語ったその言葉が本当なら、簡単には思惑通りに動かない他人を通じて世を動かすというのは、なるほど意外と娯楽性を感じるものなのかもしれない。途方もなくスケールが大きく、それ以上に傍迷惑だが。
「ある世界では善神の如く人々を救い、また別の世界では魔王の如く悪の限りを尽くす。そしてこの世界、この時代だ……世界を変革する意志を持たない平和な国の子供たちに、世界を変革する力を与えた。さて、次にどうなると思うね?」
「知るか、ンなモン! とっとと戻せっつってんだろが!」
「思考することさえしないのはいただけないね。夢想玩具は君たちには解析しえない異界の技術で、存在自体を世界法則に固定化してある。この文明が滅びるまでかかっても消滅させることは不可能だ。ところで、こちらも一つ尋ねるが……何故逃げないのかね?」
「逃げるって、ンなことしたら誰がアイツらの飯を作るんだよ」
ふん、と鼻息荒く回答する。飯を作る約束をした以上は、作ってやるのが筋なのだ。
「リマ症候群に端を発する共依存、といったところかな。君の人生に関わるつもりは毛頭無いが、自分は誰かにとって特別な存在だ、などという幻想は程々にしておくことだ」
その答えが気に召さなかったか、サンジェルマンの姿が失望の吐息と共に書き消える。寿の中に燻るやり場の無い怒りだけが、今の邂逅が幻ではなかったことを物語っていた。
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