に。



 店の残り物をタッパーに詰めて、ちょっと散歩してくると告げて家を出る。


 そのまま町外れの廃屋へ向かう。よく見つけたもので周囲の民家とは付かず離れずの絶妙な距離にあり、不法占拠されていることは未だ自分以外にバレていないようだった。


「おう。ナゴミ、入るぞ」


 小声で名を呼んでから家に上がる。日焼けと雨水とでボロボロになった畳に寝転がっていたナゴミが、むくりと体を起こした。


「食い物は?」

「お前はちょっとは挨拶をだな……まぁいいや。今日はカツ丼だぞ」


 タッパーを差し出すと、獣のようにそれを奪い取る。蓋を開けて手を突っ込んで、ご飯の熱さに悲鳴を上げる。落ち着きの無いガキだと呆れつつ、割り箸を差し出した。

 よほど空腹なのか、箸がうまく使えないのか、それを割りもせずに握り箸の形で使う。注意しようかと思ったが、これくらいの年頃ならそういうものだろうと黙って見守る。


 水筒に詰めてきた麦茶を用意してやると、素早くひったくるようにしてガブ飲みする。今の日本に飲食という行為にここまで真摯な子供もなかなかいないだろう。


「はぁ、はぁ、はぁ……ああ、美味かった。こんなの初めて食った」

「そりゃ良かったな。そしたらホレ、教えただろうが。ちゃんとやることやれ」

「……ごちそうさまでした」

「よしよし。挨拶は人間関係の基本だ、覚えとけよ」


 ナゴミを見る。まだ痩せているが、最初に出会った頃の“骨と皮だけ”といった雰囲気と比べれば、それなりにましになってきた。果たして今まで何を食べていたのやら。


「お前の持ってくる食い物、すげぇ美味い。どこで拾ってきてるんだ?」

「拾ったんじゃねえよ、作ったんだ。まぁ、残り物に手を加えただけだけど」

「食い物作れるのか!? すげぇ! いくらでも食い放題だ!」

「……料理作るのにも材料が必要なんだぞ。分かるか?」


 こうしてナゴミに食べ物を届け始めてから二週間。この年頃の少女の家出にしては相当に期間が長い。学校の問題もあるだろうし、そろそろ帰るよう勧めた方がいいだろうか?

 そう思う一方で、自分で決めたことを軽々しく覆すのは嫌だという気持ちもある。その相反する感情の拮抗が、寿とナゴミの奇妙な関係を持続させていた。


「そっちのはなんだ? それも食い物か?」


 寿が持ってきたもう一つの包みに気づき、ナゴミが身を乗り出す。一頃に比べて、ずいぶんと懐いてくれたものである。少し得意な気分になりつつ、寿はその中身を披露した。


「……なんだこれ?」

「見りゃ分かんだろ、靴だよ靴! 俺がガキの頃使ってたヤツなんだが、この間物置きを整理してたらたまたま見つけてな。いつまでも裸足じゃつらいだろ」


 ナゴミの足に宛がう……ちょうどサイズも良さそうだ。履かせてやると、不思議そうにそれを撫でたり叩いたりした後、縁側から外に出てしばらく歩いて、顔を輝かせ始めた。


「痛くない! いいなこれ!」

「はっはっは、感謝して敬えよ」

「すげぇ! 足が冷たくない! ちょっと、その辺走ってくる!」


 言うが早いか夜の町へと駆け出していく。放っておくわけにもいかず、寿も靴を履いて後を追う。すぐに追いつけるだろうと思っていたのだが、甘かった。


(な、なんだアイツ……!?)


 まず、小学生低学年とは思えぬほどの俊足である。さすがに直線距離なら寿の方が速いだろうが、その上でフェンスを乗り越えたり塀に登ったり、パルクールのように縦横無尽に駆け回るのだ。普通に地上を走るだけでは到底追いつけない。

 向こうも寿が追ってきたことに気付いて、どうやら少し速度を落としてくれたらしい。なんとか見失わずについていったが、年上のプライドが木端微塵である。


 駆けて走って跳んで回って下りて登って、寿が疲れ果てて動けなくなるまで、ナゴミは楽しそうに夜の町を駆け回っていた。


「ぜぃ、ぜぃ、はぁ、ふぅ……」

「ンだよ、もう動けねえのか。体デカイくせに弱っちいのな」

「無茶言うな! あんなのついていけるヤツがそうそういるか!」


 歩道に腰を下ろして息を整える。見れば、どうやら町外れから駅前にまで移動してきたらしい。しょう智実アップルの戦いの爪痕が、まだあちこちに残っていた。


 夢想童子による破壊の損害は、まずはその両親の資産から払い、両親の総資産の半分を超えた残りは国が払う。ただし、暴れる夢想童子を止めるために戦った夢想童子に限り、全額を国が負担することになっている。

 智実アップルの場合はどうなるのだろうか。親権を持つ母は失踪し、父は離婚済みで祖父母とも絶縁。夢想童子自身への請求は無い(というか無理)し、騒動が終わった後での養子縁組なのだから、寿の両親がそれを払うことにもならないはず。そうなると全額国の負担……税金泥棒なんて言われてイジメられる原因にならなければいいのだが。


(……あのガキが、義妹にねぇ)


 正直なことをいえば、ピンと来ないというのが本音だ。両親にとってはともかく寿からすればあまりに唐突な話だし、智実アップルに対しても我がままなガキという印象しかない。

 だがよくよく考えれば、こうしてナゴミの面倒を見てやっているのは、智実アップルに何もしてやれなかったのがきっかけだったのだ。その智実アップルが家族になるというのに今のような態度では、本末転倒ではないか。せめてナゴミにしているくらいは面倒を見てやらねば。


 理屈ではそう分かっている。分かっているが、うまく割り切れない。幸と恵に我がままばかり言う智実アップルを見ると、どうにも苛立ちが募る。八つ当たりのようなものだ。

 では自分が何にそんなに怒りを感じているのかというと、これが良く分からない。


 深く大きく息を吐く。その傍らで淡い笑みを浮かべて夢想童子の破壊の爪痕を見詰めていたナゴミが、珍しく年齢相応にはしゃいで話しかけてきた。


「店のテレビで見た。あれ、夢想童子ってのがやったんだろ? すげぇよなぁ」

「駅前の電気屋か? まぁ、確かに尋常じゃねえな。実際に見てたけど正直ビビった」

「夢想玩具ってのがありゃ、子供なら誰でもなれるんだってな。どこに落ちてんだろ?」

「落ちてねえよ。なりきり玩具の中に何十個かに一個くらいの割り合いで入ってる。法案ができたから、持ったままでいると怒られるけどな。ちゃんと警察に届けろよ」


「なんでだよ。そんなヤツ夢想童子になって殺せばいいだろ」

「物騒なこと言ってんじゃねえ。そもそも、夢想童子ってのはどうがんばっても生き物を殺せねえんだよ。車とか建物とかはガンガン潰せるくせにな、ワケ分かんねえ」


 立ち上がる。ナゴミを廃屋まで送って別れを告げると、彼女はなんだが戸惑った様子で寿の周りをグルグルと駆け回った。


「なぁ、おい。あたしはナゴミって呼ばれてんだ」

「知ってる。それがどうかしたのかよ」

「その、だからだな……お前はなんて呼ばれてるんだ?」


 そういえばまだ名乗っていなかった。名前一つ聞くのに大仰なことだと苦笑しながら、寿は自分の名をナゴミに教えた。


「寿寿だ。“ことぶき”が名字で“ひさし”が名前な」

「ふ~ん……変な呼び方するんだな。まぁ、いっか。じゃあな、寿!」


 靴をもらったのが余程嬉しかったらしい。初めて見る笑顔を残して、ナゴミは廃屋の中へと入っていった。

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