よん。
警察署を出て夢と別れ、さすがに疲れたのか眠ってしまった
「なんなんだよ、あの母親は……!」
遠慮する相手もいなくなり、今さらながらに怒りを反芻する。うまく反論できなかった自分が、あんな小さな子供の心が蹂躙される様をただ眺めていた己が心底情けなかった。
といってあの時に何ができたのかと考えると、結局のところ大したことはできなかっただろう。警察に迷惑をかけたという意味で、マイナスにしかなっていない。
己の無力を噛み締める。将来も見定められないガキには、どうやらこれが限界らしい。日本中で起きているという同様の事件も気にはなるが、高校生でしかない自分があれこれ考えても仕方無い。今の寿にとってはこちらの方が身近に感じられる話題なのだった。
「……くそっ」
聴取の前に弁当を奢ってもらったが(本当はいけないらしい)、量が中途半端だったので微妙に空腹を感じる。家まで我慢できず、コンビニでクリームパンを購入。
外に出て、歩きながら食べるかと封を空けようとして……小柄な人影を見つける。
「あれは……」
昨日自販機を破壊して自分に金的を食らわせてきた、あの痩せた体躯の女の子だった。
向こうには気づかれていないらしい。そういえば自販機の修理代なんかはどうなったのだろう――そんなことを考えていたら、ほぼ無意識に彼女の後をつけていた。
せめて、何か、したかった。子をあんなに痩せさせる親に一言文句をつけるとか、もう自販機を壊すなと諭すとか、要するにただの自己満足だ。
それでも、
痩せた少女は商店街を越えて、住宅地をも抜けて、町外れへと歩いていった。この辺りに民家なんてあったっけか? などと思っている寿の前で、ある建物へ入っていく。
「……なんだ?」
どう見ても、そこは無人の廃屋だった。
扉の前でしばらく逡巡し、意を決してノブに手を掛ける。
「お邪魔します、と」
鍵はかかっていない……というか、壊れているらしい。これって不法侵入なんだろうかと罪悪感でキョドりつつ、靴を脱いで家の中に上がる。
暗くてはっきりしないが、あちこち傷んでいるのはそれでも分かる。やはり無人の廃屋であるらしい。平屋建ての和風建築で、昔はそれなりに立派だったのだろうが……。
「え~と……どなたかいませんか~」
歩くだけで軋む廊下を進む。手近な部屋を覗いたその刹那、部屋の片隅に置かれた姿見に、三つのギラついた輝きが映っていることに気付く。
「うおわっ!?」
寿がその場を飛び退くのと、入り口からは死角になる位置で待ち構えていた小柄な影が一瞬前まで寿のいた位置に飛びかかるのは、ほとんど同時の出来事だった。
最初の襲撃に失敗した影がスルスルと距離を取る。ギラついた輝きの二つは異様な眼光を宿した瞳、最後の一つは彼女が構える刃のものだった。
「出てけ。殺すぞ」
包丁だろうか、先端の尖った刃物を両手でしっかり保持して短く告げる。冗談を言っているわけでも、言葉の意味を理解していないわけでもなさそうだ。
ちょっと善行を積むだけのつもりが、とんでもない状況に出くわした。
「ま、待て! 落ち着け、危ないから刃物は置け」
「出ていかないなら――」
グゥ~……と大きな音がした。刃物を持つ女の子のおなかの音だった。
「……腹減ってんのか?」
「…………減ってる」
「そっか。ちょうどいいや、ここにクリームパンがあるから」
グゥ~……と、今度は寿の腹の音である。自分で思っていた以上に空腹だったらしい。
「……半分こにしよう」
少しばつが悪い気分で提案する。女の子の放つ敵意と殺意が、少し和らいだ気がした。
「食べるものくれるのか?」
「半分な。ただし、危ないから刃物は下ろせよ?」
クリームパンの封を切り、半分に千切った片方を差し出す。刃物を下ろし、しかし結局手放そうとはせず、女の子は寿の手からパンを奪うとササッと部屋の隅に移動した。
彼女がパンを食べ始めたのを見て、ほっとした気分で寿もクリームパンを頬張る。
「美味い。何これ?」
「クリームパンだよ。食ったことねえのか」
「初めて食べた。もっと」
「……仕方ねえなぁ。俺の食べかけだけど、それでもいいか?」
残りのクリームパンにもガツガツと食らいつく。刃物を突きつけられた時はどうしようかと思ったが、一心不乱に甘いものを食べている姿は他の子供と大して変わらない。
「お前、なんて名前だ?」
「名前ってなんだ」
「そこからかよ……えぇとだな、つまりどう呼ばれてたかってことだよ」
「ナゴミって呼ばれてた」
「そうか。言っちゃ悪いが、名前のわりにゃあんまり和まないな。親は……」
言い掛けて、その先の言葉を飲む。住むは廃屋、体は痩せぎす、服はボロボロ。真っ当な親の下で暮らしているならこうはならないはずだ。
あのクレーマー女が、
「……お前、やっぱ家出か?」
「家出ってなんだ」
「家族と一緒に暮らす家を勝手に出て、一人で暮らすこと……かね」
「じゃ、それだ」
「そうか。あまり深いことまで聞かねえが、親は心配してくれそうにねえのかよ」
「親ってなんだ」
「お前くらいの年頃なら、一緒に暮らしてるだろうが」
「……ああ、あれならもういない」
「そっか。親戚に預けられたりとか、複雑な家庭環境なわけだな」
嘆息する。なかなかどうして、この少女も悩ましい境遇にあるようだ。
知ってしまった以上見ないふりをするわけにもいくまい。そのためにここまで来たのだし、自分の都合しか考えない人間――
「なぁ。お前、今まで飯はどうしてたんだ」
「ゴミ箱から集めたり、買ったりしてた」
「買ったって、金あんのか?」
「いくらでもある。ジュース出すヤツを壊したり、寝てるヤツから獲ったり……」
「普通に犯罪じゃねえか! やめろやめろ、そんなこと。ろくな大人にならねえぞ」
「なんで?」
「自分で考えろ。食い物なら俺が届けてやるよ。もう悪さをしないなら、だけどな」
寿家は蕎麦屋、つまり飲食店である。どれだけ工夫しても、残ってしまう分がいくらか出る。それを都合すれば、このくらいの歳の子供一人くらいは食わせてやれるだろう。
足りないなら自腹を切ってもいい。どうせそう長い期間ではあるまい。ナゴミの家出にとことんまで付き合ってやろうと、実に安易に寿は決心してしまったのだった。
不審そうな、不思議そうな、訝しそうな、見事な疑問符を顔に浮かべて――
「……勝手にしろ」
しかしナゴミは、寿の提案を拒絶しようとはしなかった。
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