さん。



「ささやまあっぷるっていうの。五歳だよ」


 翁警察署の資料室で、元コスプレ少女……佐々山“智実アップル”はそう名乗った。


「……この字を並べてどこをどう読めばアップルになるんだ」

「最近話題だか問題だかになってるキラキラネームってヤツか」

「若い連中の考えることは分からん……」


 それぞれ寿、若い刑事、年配の刑事の発言である。三人が頭を抱える前で、智実アップルは得意そうに自分の名前の由来を語った。


「あのね、食べると頭が良くなるフルーツがあるの。でも神様が食べちゃダメって……」

「ああ、智慧の実か! 聖書の」

「なるほど! それで智実と書いてアップルか、凝った名前だな」

「いや凝ってりゃいいって話じゃねえだろ。名前だぞ? クイズじゃねえんだからよ」

「あのぅ……」


 この場に黙って参加していたしょうがおずおずと手を上げる。何かとそちらを見る刑事二人に驚いて寿の背にススッと隠れつつ、彼女は小さく言葉を続けた。


「キリスト教のことは詳しくないのですが、智慧の実はリンゴではなくイチジクやザクロだっていう人もいて、結局本当はなんなのか分かっていないと聞いたことが……」

「……じゃあ、この名前だと単純に大間違いかもしれねえのか」


 男三人が智実アップルを見る。同情と憐憫の眼差しに、しかしそれを理解できず、少女は無邪気な笑顔で男たちを見詰め返していた。


「……聴取を続けよう。この子の名前で盛り上がるために集まったわけじゃないんだ」

「そうですね、そうしましょう。しょうちゃん、万一この子が暴れた時はよろしく」


 必要以上にテキパキと仕事モードに気分を切り替え、刑事二人が聴取を再開する。傍らのしょうに目を向けると、どうしたものかと視線で問うてきたので、肩を竦めて応えておく。


 しょう智実アップルの激闘が決着した後、駆けつけた警察に、寿は聞かれるまま知っていることを伝えた。あれだけあちこちが壊れたわけで、被害状況をまとめるだけでも気が滅入るような大騒ぎになっていた。その中で一番の問題だったのが、智実アップルの身柄の扱いだった。


 しょうが壊したものも少なくはないが、一連の騒動の実行犯である。未成年どころの話ではないがそれなりに聴取する必要があり、とはいえ変身して暴れられたら抑えようが無い。

 それが可能なのは恐らくしょうだけで、警察が彼女に協力を要請。そのしょうが「ひーちゃんと一緒なら」などと宣ったために、寿も聴取に参加することになったのだった。


 ちなみに、あれほどの破壊が行われたにも関わらず一人の死傷者もでなかったとのことである。特急列所の乗客たちも全員無事……喜ばしいが、不自然に過ぎる。

 破壊の規模と、智実アップルが振るった威力と比較して、人的被害が異様なほどに少ない。寿に至っては直接攻撃されているのに、服はともかく肉体的にはまったくの無傷だったのだ。


 追記すれば悠了寺の住職である空心も、しょうが庫裏を半壊させた時に怪我をしたわけではなく、驚いて逃げ出した彼女を追う中で転倒してギックリ腰になっただけらしい。


 詳しい事情は分からないが、何か尋常ならざる事態が起きていることだけは多くの者が感じていた。幼馴染の妹分が関わっているのだ、寿も他人事だと構えてはいられない。

 智実アップルの聴取に加わるという面倒な話を引き受けたのは、それが大きな理由だった。


「……じゃあ、君はその玩具の力で変身していたわけか」

「うん! アップルはね、特別なんだよ! ママの子だから神様が力をくれたの!」

「その玩具って、これのことかな」


 リンゴの意匠のついたロッド――よくよく見ればしょうの数珠と同じく、『参拾萬工房』の刻印が施されている――の写真を見せられ、智実アップルが素直に頷く。あれを返しさえしなければ、変身して暴れられる心配はしなくていいらしい。


 刑事二人がほっとした様子で息を吐く。となるとお役御免か、などと考える寿の前で、しかし淡々と聴取は続いていった。智実アップルが嘘をついている可能性を考慮したのだろう。


「あの玩具はどこで見つけたの?」

「玩具屋さんで違うのが入ってたから、玩具屋さんに持ってって新しいのをもらったら、また同じのが入ってたの! ママは怒ってたけど、変身できたから褒めてくれたんだよ」

「えっと……?」

「刑事さん、ちょっと話していいスか?」


 智実アップルの話だけでは分かるまいと、挙手してから玩具屋での一件を説明する。恐らく智実アップルは駅前の玩具屋であのロッドを入手した後、それを返品しようと訪れた寿の近所の玩具屋でも、また同じものを……『参拾萬工房』印の夢想玩具を手に入れたのだ。


「そういや聞いてなかったが、しょうが変身したのもその数珠の力か?」

「はい、そうです。変身! ってやってみたら、本当に変身してしまったのです」


 腕にはめたままの数珠――夢想玩具を見せながらしょうが言う。寿の説明を聞いた刑事二人は、難しい顔をしながらロッドの写真としょうの数珠を繁々と見やった。


「夢想玩具ねぇ……こんなとんでもないものが玩具屋で普通に売ってるってのか?」

「違う店でも手に入れたってことは、怪しいのは製造元の方じゃないですかね」

「いずれにしても、まだ同じものが残ってるかもしれん。早い内に回収しないとまずい。手の空いてるヤツを適当に見繕って働かせてこい」

「この忙しい時に手の空いてるヤツがいますかねぇ……?」


 若い刑事が資料室を出ていく。不安そうにきょろきょろと辺りを見回していた智実アップルが、自分から年配の刑事に話しかけた。


「ねぇ、ママはどこ? どうしてママいないの? ママに会いたい」

「お母さんか。お母さんは、ちょっと会わせられないなぁ……」

「なんで? ママのためにがんばったから、たくさん褒めてくれるもん」


 あんな母親でも、智実アップルは純粋に慕っているらしい……頭の痛い話である。現在進行形で反抗期している寿からすれば釈然としない話だが、母親に言われるままあれだけのことをした智実アップルを健気に思うと同時に、それ以上に憐憫を覚えずにはいられなかった。


 先ほど出て行ったばかりの若い刑事が資料室に戻ってきたのはその時だった。


「先輩、急いで応援に来てください! あの女が暴れて……」

「……! ママの声だ!」

「あ……っ! 馬鹿野郎、何やってる!?」


 部屋の外から聞こえてきたクレーマー女の声を耳にして、智実アップルが顔を輝かせる。年配の刑事が慌てて捕まえようとするも一瞬遅く、彼女は資料室を飛び出していった。

 二人の刑事がそれを追い、寿としょうも続く。耳が痛くなるような大音量の金切り声が廊下中に響き渡っていた。見れば、取調室の扉が空いている。


「あはははは! ざまぁ見ろ! 私を犯罪者扱いするからそうなるんだよ! 証拠を捏造して冤罪にするつもりだろう! 私を誰だと思ってるんだ! 弁護士連れてこい!」


 叫び、喚き、手足を振るって暴れるクレーマー女を、刑事たちが数人がかりで抑えようとしている。その近くには額から血を流している婦人警官がうずくまっていた。


「ママ!」


 弾んだ声で母を呼びながら、智実アップルがそこに駆け寄っていって――


「あ! テメエ! テメエのせいで捕まったじゃねえか! ふざけんなクソガキィイ!」


 そんな暴言と共に、クレーマー女は智実アップルを蹴り飛ばした。軽く小突いたなどという話ではなく、本気で、思い切り、全力で、殺意をすら込めて微塵の容赦も無く蹴り飛ばした。


 智実アップルの小さな体が吹き飛んで、壁に激突。頭を打って、ゴンと鈍い音がして、そのままズルズル座り込む。振り返った彼女の額から一筋の血が流れていた。


「何が正義の魔法少女だ! 勝手に負けてんじゃねえよクソガキが! お陰で台無しじゃねえか! 私に恥をかかせやがって! やっぱりお前なんか産むんじゃなかった!」

「マ、ママ……」

「堕ろせない時期だったから仕方なく産んでやったのに、私の足を引っ張りやがって! 役立たずが! 生きてる意味の無いクズ! 死ね! 死んで私に楽をさせろ!」


 聞くに堪えない罵声の嵐。本当にこの女は母親なのかと耳を疑う。

 いろいろと信じがたいものを見させられたこの一日で、もっとも信じられない……いや信じたくなかったのは、この女が人の親だという事実だったかもしれない。


 母親を見上げる智実アップルの顔から表情が消えていく。ヘナヘナと力無く崩れ落ちる。婦警が駆け寄り声をかけるが、まるで反応しない。心が死んでいる。魂が壊れている。


「…………っ!」


 頭の中がカッと熱くなり、クレーマー女に近づき、握り締めた拳を振り上げて――後はよく覚えていない。気づいた時には寿は刑事たちに取り押さえられ、頬を腫らして狂気と憤怒に満ちた眼差しをこちらに向けるクレーマー女を、真っ向から睨み返していた。


「そのガキを捕まえろ! 婦女暴行の現行犯だ! 慰謝料包んで持ってこい!」

「黙れクソババア! 母親が子供に向かって死ねだと!? ふざけんな、言っちゃいけない言葉があるだろうが! テメエに親の資格は無い! あの子に謝れ、今すぐにだ!」


「親になるのに資格? バカじゃないの!? ガキなんてやることやりゃできるわよ!」

「違ぇよ! 違うだろ! あの子があれだけのことをやらかしたのは、お前のせいだ! お前に褒めてもらいたかったからだ! それをなんとも思わねえのか!?」

「失敗しやがった! マジ使えないガキ! もういらない! 二度と顔を見せるな!」

「こ、こ、このババア……ッ!」

「ひーちゃん! ひーちゃんやめて、お願いです!」


 血が沸騰したかのように脳が熱い。握る拳が震え、ギリギリと歯を食い縛る。しょうにまでしがみつかれ、五人がかりで抑えつけられた寿は、警察署のロビーまで運ばれていった。


「気持ちは分かる、言いたいことも同感だ。オレが君の立場なら同じことをしていたかもしれない。だが、それでも暴力はダメだ! 見なかったことにするから帰りなさい!」


 年配の刑事に一方的に告げられ、その場に置き去りにされる。抑えられない激情をそれでもなんとか抑えつつ、手近な長椅子に腰を下ろす。


「ひーちゃん……」


 隣に腰掛けたしょうが、心配そうにこちらの顔を見上げながら手を握ってくる。細く小さく柔らかくて冷たいその感触が、少しずつ寿の頭の中をクールダウンさせていった。


「あの子の聴取の付き添い、終わったの?」


 不意に目の前に人影が立ち止まる。見ればそこに、制服を着たままの姿の夢がいた。


「先輩……まだ居たんスか」

「私も聴取されて、そのまま……だけどね。で、どうなの?」

「あ、はい。ちょっと途中で終わっちゃったというか……帰っていいか聞いてきます」


 しょうが受付へと向かう。それを見送りつつ、寿は不思議な気分で夢を見上げた。


「ひょっとして待っててくれてたんスか? 嬉しいけど、あんま迷惑かけるのも……」

「いや、うん、君としょうちゃんを待つ気持ちが無かったわけじゃないけど……どっちかっていうと、あれが気になって目が離せなかったのよね」


 言って夢が指差したのは、ロビーの一角に備え付けてある大型テレビだった。


『繰り返します。もう何度目になるか分かりませんが、繰り返します。これはCGや特撮映像ではありません。信じがたいことに現実の光景なのです』


 アナウンサーが強張った表情でそう語り、画面が切り替わる。そこに映し出された光景を見て、寿は“目が離せなかった”という夢の気持ちを心の底から理解した。


「……なんなんだ、これ」


 札幌時計台の前で、巨大な熊を引き連れた少年が事故車を壊して人命救助していた。

 東京のビル街を闊歩する巨大怪獣を、幼女騎士とお子様変身ヒーローが攻撃していた。

 京都駅の前で、将棋の駒を引き連れた着物姿の女の子が観光客に対局をせがんでいた。

 富士山を背に、天女風の装束に身を包んだ少女が光を放ちながら空を舞っていた。

 安芸の宮島の鳥居の前で、巨大ロボットがカッコいいポーズの研究をしていた。

 熊本城を鎧武者の人形たちが占拠し、天守では武者姿の男の子が得意そうにしていた。


「日本全国津々浦々でこうなってるみたい。で、分かってる限りではみんな十歳未満の子で、やっぱり持ってるんだってさ」

「持ってるって……まさか」

「『参拾萬工房』印の夢想玩具。しょうちゃんが持ってるのと同じ、あれをね」


 テレビの中では、アナウンサーが目を白黒させながら沖縄でも同様の事件が起きていたという新情報を解説していた。

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