さん。
翌日。朝食を食べようと寿が居間へと赴くと、すでに幸は厨房で今日の仕込みを始めていた。恵の姿が見えないことを不思議に思いつつご飯をよそってテレビをつけると、目を疑うような光景がそこに映し出された。
「悠了寺で……爆発事故?」
「そうみたいですよ。昨晩
「大事じゃねえか!
「さっき見たニュースでは調査中って言ってました。他に怪我人が出たという話は聞いていませんが、ショウさんは行方が分からなくなっているそうですね」
「
「そういうことではなくて、爆発があった後に飛び出していってそれっきり、ということらしいです。警察と消防署の人が探し回っているそうですが、まだ見つかっていません」
「家出して無断外泊……それはそれでマズイだろ、どう考えても。俺も探す」
「気持ちは分かりますが、ヒサシさんは学校に行きなさい。それが君の仕事です」
「ンな暇あるか。
「ボクもすごく心配です。檀家で手の空いている人が、ショウさんの捜索に協力することになっています。ここは彼らに任せて、ボクらはボクらの仕事をしましょう」
「けどよぉ……」
礼儀正しい優等生で通っているが、八歳の子供である。一度パニックに陥ったらどんな行動に出るか分からない。山道に入り、暗さで足を踏み外し……なんてこともありうる。
しかし、
「メグミさんが話を聞きに行っているので、詳しいことはそれから……ヒサシさん、どうかしましたか?」
「……あ~。いや、うん。まさか……」
昨日
は……ないよな?
○ ○ ○
翁東高等学校。創立百年を超えるという、歴史ある県立高校である。
家から近いという理由で、寿はこの高校に通っていた。成績は科目によって多少の差はあるが、中の中~下の上といった辺りをウロウロしている。
ともあれその日、寿は悶々たる気分で授業を受けた。あれこれと考えてしまい、教師の話がいつもの半分も入ってこない。
(マジであのなりきり玩具が爆発の原因だとしたら……)
自分が持ち込んだもののせいで父親が怪我をしたとなれば、
昨晩はドタバタしていて調べなかったが、あの数珠は何かのアニメに出てくるアイテムなのだろうか。それを爆弾に改造したのか、それともゼロから作ったものなのか。
結局、自分一人では分かりそうもない、というのが正直なところだ。玩具についてならともかく、あの手の商品の出てくるアニメや特撮番組なんてここ数年見ていない。
となれば知っている者に聞くのが早かろう――放課後、寿がクラスメイトに勧められて東高のアニメ研究部を訪れたのはそんな思惑があってのことだった。
「こんちわ。ちょっと失礼するぞ」
戸をノックして返事も聞かずに中に入る。部室の中にいた制服姿の生徒たちがこちらを振り返り、寿の凶相にビビッて目を逸らす。慣れた反応なのでそれほど気にならない。
長野はアニメ不毛の地である。日曜の朝を除けば、一週間に片手で数え切れるかどうかという程度しかその手の番組は放映しない。アニメに興味がある学生も多くはなく、この高校にアニメ研究部は存在しない……と聞いていたのだが、去年新設されたらしい。
「え~と、だな……アニメとか、特撮とか、そういうのに詳しいヤツいないか? 知恵を貸してほしいんだが」
努めてフレンドリィに頼んでみるが、誰も視線を合わせようとしない。どうしたものかと寿が考えていると、部室の奥にあるゲームやらマンガやらアニメDVDやらアニメ雑誌やらで築かれた山がガサリと崩れた。
「アニメ“とか”……特撮“とか”……? 挙げ句の果てに“そういうの”……?」
雪崩を起こしたサブカルグッズの中から、一人の少女が起き上がる。
「ちょいと、君。そりゃこの私がアニメ研究部の部長、
背が高く、髪の長い少女だった。ギラリと輝く瞳には、しかしどうにもおっとりとした優しげな雰囲気がある。学校指定のシックなセーラー服がよく似合っていた。
「マンガ! アニメ! 特撮! それは日本が世界に誇る偉大な文化! 古典文学やハリウッド映画にも引けを取らない、歴史上稀に見る規模のビビッドなミームなのよ!」
寿の目は少女の胸に釘付けになっていた。でかい。見事なまでにたわわである。リンゴ……いや、小振りなメロンくらいだろうか。それでいて高身長なせいで全体のスタイルはスラッとしていて、腰から尻に掛けても実に女性らしいラインを描いている。
「人生で大切なことは、全部アニメと特撮が教えてくれた! 子供向けなんて言うヤツは子供を正しく導くことがどれだけ大変か知らないバカか、でなきゃ知ろうともしない卑怯者だ! ご飯食べてアニメを見て仲間を作れば、人生それで大勝利!」
不敵で不遜な笑みを浮かべて、寿の眼前にビシッと指を突きつける。そこにはこちらを貶すような色は無く、一緒に楽しくやろうとでもいうような気配に満ちていた。
「さぁ、訂正してもらおうか! 君が今十把一絡げ扱いしたものは最高のエンターテイメントであると! 拒否するなら平成カイザーシリーズ全部見るまで帰さないぞっと♪」
「すいませんおっぱい揉ませてください!」
「……それは実際に揉みながら言う台詞じゃないと思うなぁ」
苦笑を浮かべた刹那、少女の指が寿の顎の下に食い込む。痛くも無いし苦しくもない。だというのに、寿の意識はほんの数秒で闇の中へと落ちていった。
「あ、起きた?」
見知らぬ光景が視界に移る。それがどこかの教室の天井だと気付いたのとほぼ同時に、アニメ研究部の部長を名乗ったあの少女が顔を覗き込んできた。
「なんで俺は寝てるんだ……」
「頸動脈を押さえたのよ。息はできるけど、脳への血流が阻害されるから数秒で落ちる」
「アンタ柔道でもやってんのか」
「父さんから教わったのよ、自衛官の。試すのは初めてだったけど、まぁ綺麗に失神するもんだねぇ。君も私にセクハラしたし、これでおあいこってことで」
軽く手を上げて謝ってくる。見れば、あのサブカルグッズの山……に埋もれたコタツに寝かされていたようだった。すでに自分たち以外の人影は部室に無く、窓の外には夕闇が広がっている。
「じゃ、改めて。3―Aの巻島夢よ、アニメ研究部の部長をやっているわ」
「ども……2―Cの寿寿っす」
「ねぇねぇ、ジュジュって呼んでいい?」
指を宙に滑らせて説明すると、何やら顔を輝かせてそう言い出す。渋面で断った。
「むう残念……それで、何か聞きたいことがあるって話だったけど?」
「ええ、これ見てほしいんスけど……何かのアニメで見た覚え無いですかね」
スマホで撮影した数珠型のなりきり玩具の写真を見せる。夢が身を乗り出して……目と鼻の先にあるその横顔を見て、頬が火照るのを感じた。そっと視線を逸らす。
「ん~、ちょっと記憶に無いなぁ。これってどこで撮った写真?」
「昨日の夜、悠了寺の近くの街灯の下っす。一緒に写ってるのは住職の娘なんスけど」
「ふむふむ。私が知らないなりきり玩具……ご当地ヒーローの変身アイテムとかかしら。でもそれにしては作りがしっかりしてるし。これがどうかしたの?」
「その、実は……」
失神させた罪悪感もあってか、夢は親身に話に耳を傾けてくる。あの数珠……説明書に書いてあった通りであれば夢想玩具とやらを手に入れた経緯を、寿は丁寧に語った。
「爆弾? これが? う~ん……私も詳しいわけじゃないけど、庫裏って住職さんの一家が住む家のことでしょ? それを半壊させるとなると、相当な量の爆薬が必要になるはずよ。このなりきり玩具の中にそれだけの爆薬を仕込めるとは思えない」
「それならそれでいいんですけどね、こっちも本気で考えてたわけじゃないし」
「でも、妙な話ね。この手の玩具って工場で大量生産されてるから、違う物が混ざる可能性は無いはずなのよ。商品が別物なのに内箱と外箱のサイズが一致したっていうのも謎。そんな本来ありえない物に、君は一日で二度も遭遇した……気楽に考えれば奇跡的な偶然だし、真面目に考えればこれって結構なミステリーよ」
「奇跡でもミステリーでもなんでもいいっスよ。そのせいでクレーマーに怒鳴り込まれるわバイトは首になるわ、ろくなことがねえ」
「あはは、災難だったわね。駅前の玩具屋で買ったってことは、新興住宅地の人かしら」
「そうじゃないですかね、ありゃ。母親の方はパッと見じゃ普通そうに見えたけど、娘の方は幼稚園児くらいなのに髪の毛全部金髪に染めてて、目を疑ったっスよ」
駅の反対側の一等地が開発されて小奇麗な新興住宅地ができたのは、今からほんの四年ほど前のことである。
土地の安さやら田舎ブームやらで都会から人が移り住むようになり、緩やかな人口減少に悩んでいた翁市の市民は喜んだ。だがそれも束の間、今度は古くからこの地で暮らす者たちと移り住んできた者たちとの間で、トラブルが相次ぐようになったのだった。
翁市には翁市なりのご近所の付き合い方であったり、住民同士の距離感であったり……空気とか風習とか、そういったものがある。しかし新しく越して来た者たちがそういったものを知っているはずもなく、彼らは彼らのやり方や流儀を貫こうとした。
当然、摩擦も諍いも起きる。ここまでならどちらが悪いのでもなく相互理解が不足していただけだが、新興住宅地の住人には明らかに問題のある者も存在していたのだった。
古くから翁市に住む者ばかりか新興住宅地の隣近所まで根拠も無く見下し、自分の言葉は絶対に正しいのだと狂信している者。近くの商店から万引きを、知り合いの家から窃盗を繰り返す者。自分の権利は声高に主張するのに、義務を果たそうとしない者。
もちろんそんな連中はごく一部だが、実在することも事実である。今や翁市の古くからの住民は新興住宅地には近づこうともせず、彼らとの接触も控えるようになっていた。
「お力になれず申し訳ない。それで君、これからどうするの? このなりきり玩具のことを調べるなら、クレーマーが最初に買った店で聞いてみるのがいいと思うけれど」
「そうっスね、まずは
「これでもその方面には詳しいつもりでいるからね。少なからず自尊心が傷ついちゃったわけですよ。君の言う通り本当に中身が勝手に入れ替わったのだとしたら、これは立派に超常現象と言えるわ。なかなかおもしろそうな謎だと思わない?」
最終下校時刻を知らせるチャイムが鳴る。夢に促され部室を出て、彼女が戸を施錠したのを見届けて、そのまま雑談を続けつつ連れ立って下駄箱へと向かった。
二年と三年の下駄箱の前で、夢が不意に足を止める。釣られて立ち止まった寿を繁々と見上げて、自分の頭の上に掌を乗せ、それを寿の頭の高さまで動かす。
「……どーしたんスか?」
「ん? いやぁ、同年代の男の子をこんなにはっきり見上げたのは久し振りだなぁと」
「親父がフランス出身のドイツ系移民なんで背はでっかくなったっス。先輩みたいな美人に言われると、ちょっと照れるっスね。時に先輩、今は彼氏とかいるんスか?」
「お、出会ったばかりだっていうのに攻めてくるねぇ。美人なんて言われると正直悪い気はしないけれど、残念ながら生まれてこの方フリーな身の上なのですよ」
寿の頭を軽く叩いて夢が笑う。そこでいったん別れた後、昇降口で待ち構えて例のなりきり玩具を話の種に声をかける。もう少し、いやずっと話をしたいくらいだった。
この高校に、こんなに見事なバストの持ち主がいるとは思わなかった……! お近づきになりたい、できれば揉ませてほしい。性格もあるのだろうが、向こうもこちらを邪険に扱う気は無さそうだ。これは脈ありと見て間違いない、と寿は判断していた。
そうやって連れ立って、校門を通り過ぎたところで――
「ひーちゃん!」
「うわっ!?」
腰に衝撃。突然足下から伸び上がった何かが自分に飛びかかってきた。
「ひーちゃん! ひーちゃあん! 怖かったよおお!」
「な、なんだ?
慌てて見下ろせば、
「ひーちゃんが学校から出てくるのを待っていたんです、わたしどうしたらいいか……」
「あの写真の子じゃない。この子が悠了寺の住職の娘さん?」
夢が横から顔を出す。そこで初めて彼女に気付いたのか、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔にきょとんとした表情を浮かべ、ややあって
「……ひーちゃん、この人誰?」
さっきまで取り乱していたのが嘘のように静かな、底冷えするような声色である。夜叉か天魔か怒気と敵意の塊と化す
どうもなんだかややこしいことになった。とりあえず、寿はそう認識して頭を抱えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます