に。



「クレーマーって、お店の中で大騒ぎする人のことですよね。どうしてそれでひーちゃんが辞めさせられちゃったんですか?」

「あの女ヨソで買ったモン持ち込んだ上に、もっと高い商品を差額も払わねえで持ち逃げしていきやがった。クレーマーってかただの泥棒だ」

「泥棒はダメです、五戒に反してます。不偸盗戒ふちゅうとうかいです」


「相変わらず難しい言葉使ってんな……で、捕まえようと追っかけた。赤信号だなんだで結局逃げられちまったんだが、店に戻ったら店長がカンカンでよ」

「泥棒の人を捕まえようとしただけなのに、どうして?」

「……実はそん時、店番が俺一人だったんだよ」

「じゃあ、お店に誰もいなくなっちゃったんですか」


「で、なんだ、その間にまたタチの悪い客がいろいろと悪さしやがってだな」

「それは……南無なむさんです」

「全部俺が悪いってな話になって、その場で首だ。まぁ、仕方ねえっちゃ仕方ねえ」


 ランドセルを一方の肩に掛け、もう一方の袖はしょうに握り締められて、寿はすっかり暗くなった市道を歩いていた。時は四月の上旬、まだまだ夜風はひんやりとしている。


 戦国時代の城の跡地や歴史ある神社など、翁市にはいくつかの名跡がある。中でも悠了寺は全国区で名を知られる古刹であり、毎年多くの観光客が訪れる。


 当然、観光客目当ての商売をしている住民たちからすれば足を向けて眠れない存在だ。長くこの地で暮らす者のほとんどが檀家で、今も熱心な仏教徒が比較的多く残っているという事情もあり、悠了寺の僧たちは地元の者からとても大事にされている。

 住職である天國あまくに空心に至っては、その温厚篤実な人柄もあって並みの有力者以上に敬意を払われている。それは彼の家族も同様で、娘のしょうなどはちょっとしたお姫様扱いだ。


 子供は地域で育てるもの……そんな、今となっては古臭い考えが、高齢者を中心に翁市にはまだ残っている。そのため悠了寺が多忙な時は檀家が持ち回りでしょうを預かったりすることも普通にあり、寿と彼女は歳の離れた幼馴染といった間柄なのだった。


「玩具屋さんじゃなくても、お蕎麦屋さんのお手伝いをすればいいじゃないですか。ひーちゃんのお蕎麦、わたし大好きです。きっとみんなも美味しいって言ってくれますよ」

「今手伝うなんていったら、そのまま跡取り修行になるだろうが。テメエの人生を勝手に決められてたまるか。俺にはやりたいことがあるんだ」


「やりたいことって?」

「それはその……今は考え中というか、まだ見ぬ世界との出会いに期待というかだな」


 高校二年生。将来とか人生設計という言葉が頭の中にチラつき始める年頃である。寿も例外ではなく、自分の今後の進路について、あれこれと考えるようになっていた。


 白状すれば、父の後を継ぐことにそれほど強い拒否感があるわけでもないのだ。ただ、「本当にそれでいいのか」という漠然とした不安や違和感が拭えない。もっと自分に合う仕事が、自分にしかできない何かがあるのではないか?

 そう考えると、どうしても二の足を踏んでしまう。それを知ってか知らずか、とにかく自分を跡取りにしようと画策する両親が鼻につく。といって答えは見出せない。


 悩んだ挙げ句、とりあえず始めてみたのが地元の玩具屋のバイトなのだった。たまたま募集の張り紙を見たというだけで、特に惹かれるものがあったわけでもないのだが。


 夏までに貯金と彼女を作って一緒に東京に遊びに行く……寿が密かに思い描いた当面の目標である。それで何が変わるというわけでもないが、本人は一大決心のつもりだった。今抱えているモヤモヤしたものに、何かしらの答えが得られると無根拠に信じていた。


(つっても、バイトは首になっちまったし、彼女の方はそもそも候補すらいねえし……)


 暗い気分のまま嘆息する。どこかに自分と同年代で、ナイスバディで、今現在は誰とも付き合っていなくて、おっぱいが大きくて、美人でグラマーな女の子はいないだろうか。



「おっと、忘れてた。これやるよ」


 気持ちを切り替えようと、街灯の下で足を止めて手に提げていた紙袋をしょうに渡す。


「なんですか、これ? 誕生日とかじゃないのにいいのかな」

「ンな大したモンじゃねえから気にすんな。例の玩具屋からもらった退職金ってか手切れ金ってか、ぶっちゃけると後始末っていうか……開けていいぞ」


 言われてしょうが紙袋の中身を取り出す。日曜の朝にやっている女児向けアニメに登場する変身アイテムを模した……いわゆる、“なりきり玩具”と呼ばれるものだった。


「……ひーちゃん、わたしもう三年生です。こんなので遊ぶほど子供じゃありません」

「十分子供だろうが、小学校低学年なんざ。さっき話したクレーマーが持ってきた不良品でな。中身が違うモンになってて、売り物にならねえとかで押しつけられた」

「買ったお店に持っていって交換してもらうのはダメなんですか?」

「レシートならあるが、買った本人じゃないと揉めるだけだ。俺が持ってても恥ずいだけだし、お前が持ってた方がまだしっくりするだろ」

「それはそうかもしれないですけど……」


「まぁ、一応は新品なんだし、遠慮しないでもらっとけよ。短いステッキみたいな形の」

数珠じゅず? へぇ、最近はこういう形の玩具があるんですね」

「は?」


 言葉を飲み込み目を見張る。派手な彩色、過剰な装飾、そして安物のプラスチック――しょうが嬉しそうに腕に通しているのは、確かに数珠の形状をした玩具だった。


「タクトとかペンダントとかはあったけど、数珠っていうのは初めて見ました。どんな風に使ってるんだろう、ちょっと見てみようかな……ひーちゃん、どうかしたんですか?」

「え? あ、いや……数珠? ステッキじゃなくて? また入れ替わったのか?」


 しょうの持っている箱を受け取り、再度中身を改める。確かにあのクレーマーが持ち込んだものに見えるが、内箱の窪みが数珠を収めるのにちょうどいい形になっている。


 少し前に自分が見た時のものとは明らかに違っている。間違えて店にあった同じ玩具の違うものを持ってきてしまったのか? その中身までもが別物と入れ替わっていたのか?

 そんな偶然が立て続けに起きるなんてありうるのだろうか。そもそも玩具の中身が入れ替わるなんていうのも、ちょっと聞いたことのない話だ。こういうものは工場で大量生産されているから、普通に考えれば入れ替わる余地なんて無いんじゃないのか?


 様々な疑問が浮かんでは消える。頭を掻きむしりたくなったところで、箱の中から折り畳まれた一枚の紙が舞い落ちた。拾い上げ、街灯の光で目を通す……取扱説明書らしい。


「商品名『夢想玩具むそうがんぐ』、対象年齢十歳未満。製造元は株式会社“参拾萬さんじゅうまん工房”……?」


 後は数字の羅列が続いているだけで、どの番組のどんなアイテム、といった説明がどこにも書かれていない。なりきり玩具としては不親切で、不十分で、不自然だ。

 短い間とはいえ玩具屋で働いた経験があるだけにそう感じる。この手の玩具を作るメーカーならそれなりに詳しくなったが、参拾萬工房なんて名前は聞いた記憶が無い。


 自分が知らないだけか、手の込んだ悪戯か……スマホを取り出してしょうに声をかける。


「おい、しょう。その玩具、ちょっと写真を撮らせてもらっていいか?」

「写真? はい、いいですよ。でも何に使うんですか?」

「いや、ちょっと気になったんでな。調べてみようかと思ってよ」


 しょうの腕ごと数枚ほど、数珠の写真を撮る。後はインターネットでそれらしいものを検索するか、でなければ詳しそうな人間に聞けば何かしら分かるだろう。

 数珠を片付け、悠了寺に向かって歩き出し――五分も経たない内に、しょうにクイクイと袖を引かれて足を止める。彼女の指差す方向を見てみれば、不審な人影がそこにあった。


「ひーちゃん、あれ……」

「あ? ……なんだあのガキ、こんな時間に一人で何やってんだ」


 通りの反対側の歩道に据えてある自販機の前に、小柄な何者かが佇んでいる。体格的にしょうと同年代くらいにしか見えない……つまりどこからどう見ても子供だった。

 この辺りの商店はすっかり店を閉めているような時間帯だというのに、周囲に親の姿も無い。何をするのかと見ていれば、大きな石を両手で抱え上げ、大きく振り被って――


「あっ!」


 ガチャンと派手な音が響く。どこで拾ってきたのかメロンパンほどはある石を、自販機に思い切り叩きつけたのだ。躊躇いもせず、同じことを二度、三度と繰り返す。


「ひーちゃん、どうしよう!? は、早く止めなきゃ……」

「危ないからお前はここにいろ。おい、お前何やってんだ!」


 車が来ていないことを確認して車道を渡り声をかけながら不審者に駆け寄る。首尾良く自販機の鍵を破壊して中身を物色していた謎の人物が、うざったそうに振り返った。


「……誰だ、お前」


 獣に睨まれた、気がした。それほどに尋常でない眼光の持ち主だった。


 しょうとそう歳が変わらないくらいに見える、痩身の女の子である。切れ味の悪いハサミでとりあえず切っておきましたとでもいうように髪はボサボサで、服装もこの季節にしては妙に薄着。足に至っては靴も靴下も履かずに素足の状態だった。


 何より、目だ。真冬の風のように冷たく、月の砂漠のように乾き、それでいて燃え盛る灼熱のような激しさを帯びた――視線というより、叩きつけられる刃の如き代物だ。

 常に誰かを傷つけずにはいられない、暴力を振るえる何かに飢えている、そんな眼差し……だが寿も気性の激しさと目付きの悪さには定評のある少年なので全然怯まなかった。


「誰だじゃねえよ、自販機壊すな! 盗んだモン元に戻せ! それと親はどこだ!?」

「あたしが壊したいから壊した。欲しいから獲った。親ってなんだ」

「親は親だろうが、お前の親父とお袋だ……おい、逃げんな!」


 抱えられるだけジュースを抱えて去ろうとする女の子の肩を掴む。その刹那、素早く身を翻した彼女が蹴り上げた足が、寿の股間に叩き込まれていた。


「おっ……ご、げぇ……っ!?」

「ひーちゃん!?」


 衝撃が脳天を衝く。続いて、激痛が脊髄を駆け上がってきた。


「けっ。バ~カ、バ~カ、死ね」


 腰から下の力が抜けて、無意識にその場にうずくまる。そんな寿を一瞥して、女の子がその場を離れていき……入れ替わるようにしょうが駆け寄ってきた。


「ひーちゃん、ひーちゃん! しっかり!」

「う、ぐ、お、お、お……」


 見事な金的蹴りだった。素敵な身のこなしだった。的確に急所を捉えていた。一切遠慮が無かった。手練の早業だった。全力で蹴り上げてきた。殺されるかと思った。超痛い。

 いろいろと思うところはあったが、筆舌に尽くしがたいまでの痛苦に苛まれる寿には、うずくまったまま呻くことしかできなかったのだった。



   ○   ○   ○



「ふう……」


 自室に戻り、しょうは一つ大きく息を吐いた。蕎麦処ことぶきから悠了寺まで、通い慣れたいつもの道の間にいろいろなことが立て続けに起こり、なんだかとても疲れてしまった。


「ひーちゃん、大丈夫かなぁ」


 男の人は股間を蹴るとものすごく痛がるというのは、知識として知っていた。しかし、まさか自分と同じくらいの子に高校生の寿がやられてしまうほどだとは思わなかった。

 何度呼びかけても脂汗を浮かべ呻くばかりで、もしかしたら寿はこのまま死んでしまうのではないかとさえ思った。悠了寺まで走り父や母に助けを求めるべきか、それともこのまま側にいてあげるべきか、迷って考えて気がついたら悠了寺や蕎麦処ことぶき、警察、消防、友人知人に学校の先生、とにかく思いつく限りの場所に連絡していた。

 パトカーに救急車まで出てくる大騒ぎにはなったが、父が言うには寿は死ぬことはないとのことだった。実際、最後に別れた時には自分で立って歩いていたから、父の言う通りなのだろう。顔が引き攣っていたのと、歩き方がフニャフニャだったのは気になるが。


 結局、自動販売機を壊していたあの女の子は何者だったのだろう。大人たちの話をそれとなく聞いていたが、新興住宅地という言葉が何度も使われていた。


 確か、駅の反対側にある、新しい家がたくさん建てられた場所のことだ。警察の人たちは、自動販売機を壊したあの子はあの辺りの家の子だと考えているみたいだった。

 大人たちがそういうということは、きっとそうなのだ。新興住宅地という場所は、悪い人ばかりが住んでいるのだ。近づかないようにしておこう。


 そういえば、しょうのクラスにこの間転校してきた子は新興住宅地に住んでいるんだった。やっぱり話をしない方がいいのだろうか? 同じ教室にいるのに寂しい気もする。

 まったく、小学三年生にもなると人間関係が大変だ。子供扱いしないでもらいたい。


「子供……」


 その言葉で思い出し、寿からもらった紙袋の中身を取り出す。今放送中のアニメの変身ヒロインと、その変身用アイテムが描かれた箱の中に、カラフルな数珠が入っている。


「……えへへ」


 自然と顔が綻ぶ。こういう、はっきり形として残る贈り物を寿からもらったのは初めてだ。子供向けの玩具というのは考え物だが、これは宝物にしてずっと取っておこう。


 それにしても、数珠で変身するヒロインというのはどんな子なのだろうか? こうして玩具があるのだから、何かのアニメにはそういう子がいるはずだ。少し興味がある。

 思えば、自分も一年生の頃まではこの手のアニメを熱心に見ていた。我ながらあの頃は本当に子供だった。想起するのも恥ずかしい過去である。しかしなんというか、こういうものをもらってしまうとちょっとだけ童心に返ってみたくなる。本当にちょっとだけど。


「…………」


 自分の部屋の中である。誰も見ていない。せっかくもらったものを一度も使わないのももったいない。自分を偽るのは正しい行いではないと、仏様もおっしゃっている。


 箱から取り出した数珠を腕に通し、上から下から眺めてみる。なかなか似合っているのではないだろうか。即興で作った変身ポーズなど取りながら、しょうはビシッと叫んでみた。


「変身!」


 その瞬間、数珠から強烈な閃光が放たれ、彼女の視界は白一色で埋め尽くされた。

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