そのいち。 ぼくらのさいごのにちじょう

いち。



「ちょっとアナタ! いったい何を考えてるのよ! こんな不良品を掴ませるなんて! この変身ペンダントの中身、まるで違うものだったわ! うちの姫がガッカリしちゃったじゃない! まったくなんていいかげんな店なのかしら!」

「いえあのでもお客様、このレシートうちの店のモンじゃないみたいなんスけど……」

「んま~、白々しい! 玩具屋なんてどこも同じでしょう!? ツベコベ言ってないで責任取れよ! こっちは被害者なんだぞ! 裁判起こされたいのかテメエ!」

「ママ~、アップルこれがいい~」

「気に入ったのあった? 良かったわね~、じゃあそれにしましょう」

「今月出たばっかりのなりきり玩具じゃねえか!? あ、ちょっと! せめて差額を……」

「慰謝料代わりにそっちが払え! 社会勉強させてやったんだから感謝しろクソガキ!」

「あ、お客……じゃねえ、待て泥棒~ッ!」



   ○   ○   ○



 長野県おきな市。諏訪地域の一角に位置する、人口五万人ほどの都市である。


 三方を山に囲まれた盆地で夏はそれなりに暑く、冬はそれなりに寒い。その澄んだ空気は時計やカメラなどの精密機械工業に適しており、“極東のスイス”との異名を持つ。

 歴史ある寺や社が点在し、観光業にも力を入れている。名産品として有名なのはウナギだが、信州蕎麦の名店も少なくない。中でも『蕎麦処ことぶき』は店舗こそ小規模なものの、全国の蕎麦食いたちを唸らせる知る人ぞ知る通の店として認知されている。


 そんな蕎麦処ことぶきの跡取り息子であるところの寿ことぶき寿ひさしがどんよりとした顔で帰宅したのは、今日は間もなく閉店……といった時分のことだった。





「……ただいま~」

「おいでなして――って、寿じゃない。入る時は裏の勝手口から……どうしたんけ?」


 戸を開ける。中に入る。母の問いに返事もせず、寿はぐったりとイスに腰を下ろした。

 手にしていた紙袋を隣に置き、カウンターに突っ伏する。ただならぬものを感じ店内に残っていた顔見知りの常連客がこちらに注目し、厨房から父親も顔を出して来た。


「ヒサシさん、どうしましたか。泣きっ面にバチでも食らったような顔してますよ」

「それを言うなら泣きっ面に蜂だ。玩具屋のバイト首になったんだよ! ついさっき!」

「あら、良かったじゃないの。働きたいならウチで働けばいいわ」

「いよいよヒサシさんも本格的に蕎麦打ちの修行を始めるのですねぇ」

「ウチじゃバイト代出ねえだろうが! 高校生にもなるといろいろ物入りなんだよ!」


 激昂し、叫んで怒鳴って立ち上がる。その沸点の低さを目にして、様子を見ていた常連客たちは「なんだ、いつもの若大将じゃないか」と安心してれぞれの席へ戻っていった。


 一言で言って、目付きの悪い少年である。基本的な顔の造作は悪くないが、その目付きの悪さだけでやたらと物騒で凶悪で攻撃的な面構えが完成している。ぶっちゃけ怖い。

 黒目黒髪、同年代の平均を十センチ以上は上回るスマートな長身。と、これはフランス出身のドイツ系移民である父の血の影響で、顔立ちと髪の色の方は祖父から受け継いだ。


「十年も修行すればそれなりにモノになるんじゃないかしら」

「お義父さんから教わった蕎麦打ちの秘伝、ヒサシさんにもしっかり伝えましょう」


 若い頃は美人だったらしいぽっちゃり体型の母の恵と、その母と祖父の蕎麦の味に惚れ込んで弟子入りして婿入りして帰化した父のこうが二人で楽しく盛り上がる。仲が良いのは結構だが、目の前で打ちひしがれている息子の存在も忘れないでいただきたいものだ。


「勝手に人の進路を決めるな! 俺にだってやりたいことがだな……」

「ひーちゃん、お蕎麦屋さん継がないんですか?」


 文句を言おうとしたところで、横合いから涼やかな声がかかる。見ればカウンター席の一番奥、入り口から死角となる位置に、ちんまりとした女の子の姿があった。


 艶やかな黒髪を背の中ほどまで伸ばした、小学校低学年くらいの少女である。その見た目の幼さに似合わぬ落ち着いた佇まいと額のホクロが、知的な雰囲気を感じさせる。

 イスに腰掛けたまま体をこちらに向けて、くりくりとした瞳でまっすぐ見詰め、両手は行儀良く膝の上に。髪や服に染みついた御香の匂いが、周囲にふわりと漂っていた。


「……なんでお前がウチに居んだよ。ガキが出歩く時間じゃねえだろ」

「今日はすごく忙しいから、学校が終わったらひーちゃんの家のお世話になりなさいってお父さんに言われたんです」

「今朝になって住職さんから頼まれちゃってね。言ってなかったっけ?」

「まったくさっぱり、これっぽっちも聞いてねえ」

「ついさっき悠了寺から連絡があって、ようやく一段落ついたとのことです。というわけでヒサシさん、ショウさんを送り届けてきてくださいな」


 どうやらその仕事を任せるために、こちらが帰宅するのを待ち構えていたらしい。母がランドセルを取ってくるのを見て、寿は自然と渋面を浮かべていた。


「俺が? なんでだよ、頼まれたのは親父とお袋じゃねえか」

「これから閉店の準備で忙しいんだよ。それともこっちをやってくれるんけ?」

「ヒサシさんも言ってた通り、もう子供が出歩く時間ではありません。ショウさんを一人で帰らせるわけにはいかないでしょう。君が一肌脱いでくれれば一件落着なのです」


 拒否権は無いと言わんばかりである。別に引き受けてもいいのだが、こうも頭ごなしだと気に障る。どう言い返してやろうかと思案している寿の袖を、誰かが軽く引っ張った。


「ひーちゃん、行きましょうよ。あまり遅くなると、ひーちゃんも帰る時怖いでしょ?」

「誰が怖いか、俺はもう高二だっての。まぁ……しゃあねえか。行くぞ、しょう


 邪気の無い笑顔で見詰められて、なんだかバカらしくなって思考を放棄。年下の幼馴染を連れて、寿は帰ってきたばかりの我が家を再び後にした。

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