第2話
午前の座学を終え、昼食を取りに部屋に戻る。知っていることを淡々と繰り返すのみである。いくらバカな私でもここまで繰り返さなくてもできるようになる。今日も完璧な礼儀作法を繰り出し、乾いた褒め言葉をもらい、そして終わる。午後は自由時間だと聞いたので裏庭に出て斧の鍛錬でもしようか。
部屋に戻り、昼食をとろうとしたその時だった。部屋に、屋敷に警報が鳴り響く。慌てて立ち上がる。警報と共に無機質な声が響く。
「これは訓練ではありません。繰り返します。これは訓練ではありません。何者かが屋敷内に侵入。魔力を感知。屋敷全体を閉鎖します。至急、屋敷内にいる者は脱出を図ってください。繰り返します。屋敷全体を閉鎖します。屋敷内にいる者は脱出を図ってください」
何事だろうか。六年近くこの家に住むが、訓練以外の警報を聞くのはこれが初めてだった。何やら魔力を感知だとか言っていたが。
問題はそこではなかった。部屋の扉が開かなくなってしまった。さっそく閉鎖がはじまったようだ。このままでは私も脱出が困難になってしまう。しかし逆に考えるとここにこのまま引きこもっていれば安全なのではないか。
あたふたと五分ほど色々考えていると、部屋の扉を蹴り破り、メイドのアスカが突撃してくる。
「ラナン様! 脱出いたしましょう。ここに長居は危険です」
「そうなのですか?」
「はい。正面玄関から何者かが侵入してきたと聞きます。狙いが何かはわかりませんが、ラナン様を含め、この屋敷の跡取りを拉致し、身代金を要求してくる可能性もあります。貴女様はすでに結婚が決まっており、身代金を要求するに値する女となりました。ここは私と共に逃げるべきです」
「そ、そうなのですか。わかりました。準備します」
「扉の外は警備用のゴーレムが徘徊していてとても危険です。こっそり武術の練習をしていた貴女ならこの部屋のどこかに戦闘用の装備を隠しているのではないでしょうか。それを身につけてください」
隠すも何も、残念ながらそんな能はない。クローゼットに放り込んであった革製の鎧と盾、村の鍛冶屋に指導を受けつつ自分で作った小さな斧を取り出す。
「本当に隠されていなかったのですね。その装備たち、流通しているものではありませんね。お手製ですか?」
「斧は、そうですね。鍛冶屋の娘と仲が良かったので作り方を教えてもらいながら自分で作りました。鎧と盾はこの家の倉庫からこっそり拝借した物ですね。案外いい素材らしく、そこそこ頼りになるものですよ」
一つくらいなくなってもバレやしないだろうという、なんとも甘い採算ではある。
「斧のデザイン、私は好きですよ」
アスカに褒められ、素直に礼を述べる。遠い異国の古事成語からとったとされるデザインで、蟷螂の斧をモチーフとした小さな斧である。重さに任せた力業はできないが、軽く、取り回しのいい頼れる武器である。
アスカが眼前にいるが、一応このメイドも高身長ながら女性ではある。とりあえず動きやすいズボンに履き替えてから鎧を身につけるべきである。さっと履き替え、鎧を身に纏う。盾と斧を持ち、準備は整った。
「行きましょう、ラナン様」
「えぇ、行きましょう、アスカ」
メイスを持ち、彼女が先導してくれる。
「アスカ、逃走ルートは決めてあるのですか?」
「地下に庭へ出る扉があります。表の庭に出てしまえば正門から出られるはずです。そこから脱出します」
「つまり、地下に向かうわけですね?」
「そういうことになります。行きましょう」
「私、この館の地下は全く知らないので、道案内をお願いします」
「お任せください。私が責任を持ってラナン様を案内いたします」
アスカが進む。ここは二階だ。地下まで降りるとなると1階をなんとかして抜けなければならない。彼女が何の魔法を使うかはわからないが、それはいずれわかるだろう。
部屋を出て、通路を東へ進む。一階へ行ける階段は真ん中のエントランスへ続く階段しかないからだ。しかし、階段付近は大きなゴーレムが道を塞いでいる。
「これでは進むに進めませんね。他に一階へ進む階段はなかったと記憶しています。ラナン様の部屋の北に位置している小部屋から裏庭に降りましょう。倉庫に縄の1本や2本はあるかと思います。まずはそれを回収しましょう」
「わかりました。それにしてもアスカ、とても手慣れていますね。昔にもこのような経験を?」
このような脱出劇をするのは、私にとって初めての経験である。このメイドにも、おそらく初めての経験であると、私は思ったわけで。
「いえ、私も初めてでございます。しかし、この屋敷のメイドは皆、緊急時に何をするのか、決められています。私はラナン様のお付きですので、ラナン様を脱出させることのみを考えればいい、というわけです。先週ラナン様が稽古の最中で数時間手が余ることがあったので、倉庫の在庫確認をしていました。そのため倉庫の中身を熟知していた、それだけでございます。元々あまり動じない性分ですので、顔に出ていないだけですよ。内心とても緊張しています。さぁ倉庫に向かいましょう」
アスカに手を引かれ、南の廊下へ続く通路を進む。手袋越しに伝わってくる手の温かみが今はとても頼りになる。南の廊下は一階の玄関ホールが見える吹き抜けがある。一階をちらりと見るが、たしかに玄関ホールは大きなゴーレム達で塞がっていた。
「五分ほど逃げ遅れただけでこんなに……」
「私が駆けつけるのが遅れたばかりにこんなことになってしまいました。申し訳ありません、ラナン様。これは始末書ものですね」
「いいのですよ、アスカ。他のメイドは私のためにここまで協力してくれなかったと思います。私も今頃部屋の中でビクビク震えていただけでしょう。それでもこうして脱出のチャンスを頂けた、それだけでもありがたいお話です。それに、」
「それに?」
「こうして、普段の稽古以外に、屋敷を自由に動き回るのは、なんだかとてもワクワクするのです。私、普段はあまり自由な時間がありませんので」
正直、いや、かなりの本音であった。不自由な生活を強いられ、嫁ぐための道具として育てられ、とても自由とは言えない生活を続けてきた。大きな屋敷に拾われただけあって実の両親に育てられるよりもかなり裕福な生活をしている。それでも、やはり、以前のような自由な生活を、私は求めているのかもしれない。
「私も、メイドをする前は実は冒険者を夢見て、しばらく冒険者として生活をしてきました。それなりに稼ぎましたが、将来のことを考え、自由を捨て、この屋敷のメイドとして働くことにしたわけです。それでも、たまにあの頃の自由な生活が恋しくなることは、あります。ラナン様の生まれを考えると、やはり自由な姿の方がお似合いだと私は思います」
いつもの営業スマイルではなく本心と思われる微笑みを見せるアスカ。それは一目惚れしてしまいそうな、大きな夏の花のような、そんな微笑みであった。いけない。お付きのメイドに惚れている場合ではない。まずはこの屋敷を脱出しなければ。
「いきましょう、アスカ。倉庫はもうすぐです」
「えぇ、いきましょう、ラナン様」
二人で廊下を駆ける。
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