第3話

 ねぐらに戻る。私は結局、この歳になっても番いになることもなく、独りで過ごしている。人間ならばこういう独り身の男がいたところで違和感はないのだろうが、烏ならば話は別だ。子供を残すため、次の世代へ繋げるために、相手を探して番いにならなければならない。しかし私のように人間にばかり興味を示すような、珍妙な烏では女にモテるわけもなく、私も女というよりむしろ人間に興味があるわけで、結局こうして独りでねぐらに住んでいる、というわけだ。

 ねぐらに散らかしてある本を端に寄せ、地図を開く。この国の首都の地図を見、改めて行先を考える。ここからそう遠くもなく、そして、都市化がそこまで進んではいない、そんな街を。何度考えても結論は一つだった。ここから西の地区。尾羽には地方の名前を伝えたが、他の烏に伝えても混乱を招くだけだと思うので、これでいいと思う。おそらくゆっくり向かって二、三日かかるかどうかだろう。尾羽の誘導と指揮を信じよう。彼ならなんとかしてくれるはずだ。

 ねぐらの片付けをしつつ、ふと死神のことを考える。その死神はどのような姿なのだろうか。そして何故死神として、近傍の烏に恐れられているのだろうか。外見の情報すら私の耳には入ってこない。優秀な人間のように、報連相くらい烏もできるようになった方が良いのではないか、とこういうときに思ったりする。しかし、外見の情報が全く伝えられなくても、その死神は死神である、と烏たちはすぐに気づいたのだ。つまり、そいつはなにかしら死神らしさを持っているのだろう。死神らしさとは。手元にある辞書を引っ張り出し意味を調べる。


死神 死を司る神


 碌なことが書いてない。手元にある本で何か死神についての資料がないだろうか。


 一般的に大鎌、あるいは小ぶりな草刈鎌を持ち、黒を基調にした傷んだローブを身にまとった人間の白骨の姿で描かれ、時にミイラ化しているか、あるいは完全に白骨化した馬に乗っていることがある。また、脚が存在せず、常に宙に浮遊している状態のものも多く、黒い翼を生やしている姿も描かれる。その大鎌を一度振り上げると、振り下ろされた鎌は必ず何者かの魂を獲ると言われ、死神の鎌から逃れるためには、他の者の魂を捧げなければならないとされる。

 こうした一般的に想像される禍々しい死神の姿は 一種のアレゴリーであり、死を擬人化したものである。神話や宗教・作品によってその姿は大きく変わる。時には白骨とは違った趣向の不気味なデザインとなる事もある。


 昼食も忘れ、ねぐらに眠る本を漁り続け、ようやく見つけた。つまり、近傍に出没している死神と呼ばれる何かは鎌を持っている、あるいは傷んだローブを身につけている、あるいは白骨化した姿をしている、あるいは常に宙を浮いている、あるいは黒い翼をはやしている。これらのいずれかを満たしていたのだろう。ここまで詳しいことを私は知らなかったが、おそらく他の烏たちもここまでは詳しくなかったはずだ。正直、死神なんて鎌を持って大暴れしている程度の認識であった。そう考えると、死神は鎌を持って、近傍の烏のねぐらを回っていたと思っていいだろう。肝心の本人の見た目が全くわからないままなので、いざ出会った時、人の形をしているのか、していても白骨だけでとてもではないが意思疎通ができないような状態なのか、どう転がるかわからないままではある。

 今更死神がどういう姿かどうこうで悩んでも仕方ないだろう。再び散らかってしまったねぐらの整理をしつつ時間を潰す。結局会議の時間までほぼ死神調査に費やしてしまった。会議の場所、小学校の屋上へ向かおう。

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