第5話

 そうだ、私は会社に行く途中に大学生時代のストーカーと出会ったのだ。そして、彼に襲われた。私は何もできずに彼に連れ去られ、体の自由を奪われ、スーツは引き裂かれ、全裸にさせられて装置に入れられた。あの時の彼の顔は絶頂に浸る顔そのものだった。ただひたすらに不愉快だった。私を脱がせて興奮している彼に、私の体の自由を奪って悦ぶ彼に、ただただ嫌悪感を感じた。

 その装置には、安らかな顔で眠る、数多もの管に繋がれた私が入っていた。おそらく、これが現実の私なのだろう。この装置に眠る私がこれからどうなるのかはわからない。もう目覚めることもないかもしれない。それももういいかもしれない。起きた時は彼の不愉快な顔しかないと思うと、この空間でそのまま朽ち果ててしまった方が楽かもしれないとさえ思う。

 力が抜けてぺたんと座り込んでしまった。涙が出る。私は、私の体はどうなってしまうのだろうか。彼の玩具にされてそのまま捨てられてしまうのだろうか。私の精神は、ここに囚われたまま消えてしまうのだろうか。後ろ向きな考えしか出てこない。いっそ楽にしてほしい。思い出したくない。思い出したくない事実が頭から次々と湧いてくる。私を運ぶ時の彼の顔、スーツを引き裂く時の彼の顔、やめて。思い出さないで。考えないようにしたい。

 その時、入り口の方から一羽の烏が現れ、私の前に着地する。烏を見て、私の体は縮んじでいたことを思い出す。

「貴女がリリーですか?」

 その烏は妙にいい声で私に声をかける。なるほど、奇妙な世界で初めて出会ったのは真っ黒な烏か。今の私にお似合いかもしれない。

「うん。私がリリーだけど」

「よかった。現実世界でニアと私の主人が待っています。この世界から脱出しましょう」

 今なんて? ニアちゃん?

「えぇ、そうです。お二人が現実世界で貴女のために教授と戦っています。私は貴女の精神世界に潜り込み、ここにきました。ニアと協力関係にあるハルナの眷属、ポコと言います。よろしく」

「私は……。知ってると思うけど、リリーよ。よろしく」

 どうやら現実は私が思ってる以上に悪い方向には転がっていないらしい。

「そうと決まれば出発です。リリー。貴女はここに来るまでひたすら降り続けてきませんでしたか?」

「言われてみればたしかに」

 穴に落ちたところから始まり、螺旋階段とどんどん下に降りてきた。その旨を彼に伝える。

「ふむ。やはりそうでしたか。おそらくその最初の穴から出られればこの世界から脱出できるはずです。先ほど螺旋階段を見てきましたが、ボロボロに腐っていました。私が貴女を乗せましょう。都合がいいことに私に乗るくらいの大きさと重さになっていますしね。私は仕立屋から侵入に成功したので、その先の道案内は頼みます」

 まさかこんなところで小さくなったことが役に立つとは思わなかった。そういえば、

「ポコちゃん、このドレスって貴方の羽でできているの?」

「えぇ、現実世界のあの仕立屋で私が作ったものですね。なぜここにあるかはわかりませんが、それを素材にこの世界に潜入しました。結果的にこうして貴女の希望の光となったわけですから、私としては嬉しい限りですね」

 やっぱりそうだったのか。最初に彼の羽の綺麗さを見た時に薄々感じてはいたが、このドレスは彼が作ったらしい。様になっているかどうかはわからないが、彼は満足そうな顔をしているのでこれはこれでよかったのかもしれない。

 さぁ無駄話が過ぎましたね、乗ってください、と彼が言う。そうだ、私を待つ人がいるなら、それに賭けてみる価値はある。

 ポコちゃんに乗ると、彼は羽ばたき、宙を舞う。そのまま部屋の入り口を出る。外は私が来た時以上に禍々しくなっていた。階段だった何かは腐臭を放ち始めていて、行きに見た体の破片はカタカタ動いている。そして薄気味悪い呻き声を上げつつこちらに近づいてきている。足などがない体の破片がうねうねこちらに近づいてくる様はただひたすら不快だった。思わず顔をしかめる。

「地獄絵図ですね。しっかりつかまっていてください。捕まる前に一気に駆け上がります」

この不快な生物だった何かに捕まったらどうなるのだろうか。

「黒き旋風よ、私を導く道となれ!」

 妙にかっこいい口上だなぁと感心していると、螺旋階段だった何かの吹き抜けに黒羽根と共に黒い旋風ができる。そのまま彼は旋風に突っ込み、風に乗った。しっかり捕まれと指示があっただけに、すごい揺れる。ドレスの端がパタパタ言っている。そしてすごい勢いで吹き抜けを登っていく。

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