ボクは他人の過去を掘り下げる――2


 汐田教授。


 この間の交換殺人でも名前が上がった、ナミダ先生の恩師だ。


「心理学の大家・ユングの言葉を借りるなら『フロイトは私の出会った最初の真に重要な人物であった』だね、あるある。僕にとって汐田教授はフロイトにも等しい『真に重要な人物』だったよ。ご本人は放蕩三昧なユングを自称してるけど」


 フロイト級の衝撃かよ。


 それほどまでに運命的な師弟なのか。


 それでいて本人はユングを名乗っているのも滑稽だ。


「そんなに汐田教授ってユングの生き写しなんですか?」


「ところどころは、ね。汐田教授は七月二六日生まれで、ユングと同じ誕生日なんだ。妻が居るのに相談者と不倫してたのも、ユングと同じだよ。あるある」


 いや、あんまりないと思うし、そのせいで霜原しもはらの事件が起きたような……。


「フロイトとユングは一九歳差の師弟だったけど、僕と汐田教授もまた一九歳差なんだ。だから僕にとっては断然、教授がフロイトなんだよなぁ……」


 ユングだのフロイトだの、何とも贅沢な同一視だね。


 どちらも心理学の基礎を築いた偉大な人物だ。とはいえ、双方とも波乱万丈の生涯で、性格がまっとうだったとは言いにくいようだけど。


「大学の頃には~、左足もだいぶ出歩けるようになったわよね」


 泪先生がまたしても間に入った。


 ナミダ先生を自分の方へ向き直らせてから「ね~」って同意を求めている。怖い。


「大学に入ってから、お兄ちゃんの社会復帰が始まったのよ~。もっとも、学内の因縁で次々と事件に巻き込まれたり、尖兵に襲われてステッキが折れたりもしたけど~」


「せ、尖兵?」


 ボクは耳を疑ったよ。


 日常会話ではまず聞かない単語だ。


 え、何、この人たち、物騒な人生を送っているぞ……。


 だとしたら護身術を使えるのも、理解できなくはない……?


「えっと、あの、その」戸惑いを隠せないボク。「今も、その、尖兵っていうのは現れるんですか?」


「うん、出るよ」


 出るのかよ。


 じゃあ現在進行形で命を狙われ続けているってこと?


 この現代日本で?


 平和ボケした法治国家で?


「僕ら兄妹は警察に知り合いも居る。浜里警部のこと、覚えているだろう?」


 浜里警部……先月の相談室で起きた事件の際、所轄の警察署から来た強行犯係の捜査主任だ。


「なぜ彼らと知り合ったのかっていうと、それだけ怪事件に遭遇したり、命のやりとりに出くわしたりしたせいなんだよ。あるある」


 ないよ、普通ないよ。


 あまりに現実離れしていて、ボクはだんだん頭が痛くなって来た。


 この人たちの発言が、どこまで真実なのか読み取れない。


 全て本当だとしたら、ボクには付いて行けない世界だ。


 よもや虚言癖じゃあるまいな?


 それとも、ボクをからかっているんだろうか?


 頭がクラクラする。


 うーん、今日はもう退散するか……。


「じゃあボク、そろそろ帰ります」


 通学鞄を持ち直して、ボクは早々に下校することに決めた。


 続きはまた後日、気持ちの整理が付いてからにしよう。


「なら校門まで見送るよ」


「え」


 ナミダ先生も立ち上がった。


 ボクが目を丸くすると、泪先生まで血相を変える。


「え~っ? お兄ちゃん、私を差し置いてその子に付いてく気~?」


 怒る所、そこですか。


 泪先生ってば、息のかかる距離でナミダ先生に抗議するけど、当の先生はどこ吹く風と言った様相で、ぽんぽんと泪先生の頭を優しく叩いてなだめた。


「いつまでも雑談してられないからね。ルイもそろそろ帰る支度をした方がいい」


「む~。それはそうだけど~」


 再びむくれる泪先生が子供っぽくて可愛いなぁ……ときどきボクを恨みがましく睨んで来るけど、それはそれでご褒美です。


「じゃ、校門まで歩こうか」


 ナミダ先生はボクをエスコートするかのごとく、颯爽と杖を突いて歩き始めた。


 そつがないな、この人。


 上背がないため見栄えはしないけど、物腰や所作が紳士的で威風堂々としている。


 大人の余裕というか、洗練されているのが判る。


 なるほど、確かにこんな兄が居たら惚れるかも……と泪先生の心情を想像してみた。


「妹にはときどき手を焼いてるんだ」


 廊下を進みつつ、ぽつりとナミダ先生が吐露する。


「そうなんですか?」


 ボクはこれまた目を丸くしてしまったよ。


 妹の猛アタックを軽くいなしているように見えたけど。


「兄離れしてくれなくてね。もう結婚適齢期だから良い人を見付けて欲しいのに」


 それを言ったらナミダ先生だってそうじゃないの?


「でも、結婚だけが人生じゃないですよ」だから反論するボク。「独身でも人生を謳歌している人は大勢居ますし。ボクも多分、異性との結婚はしないだろうし――」


「ふぅん。そんなもんかな」


「それに、ナミダ先生のような兄が居たら、妹はそれが男性の基準になっちゃいます。足を欠損してまで妹を救った兄……かっこよすぎて一般男性なんか眼中に入りませんよ」


「それは僕を買いかぶり過ぎだよ」


 困ったように顔をしかめるナミダ先生が面白い。


 妹を心配しつつも手をこまねいている現状が、この上なく複雑だ。


 所詮ボクには他人事だから、話半分で聞いて居られるけど――。


 昇降口で靴を履き替え、中庭に出る。先生も職員用通用口から靴を持って来た。


 すっかり日は落ちて、辺りは一面の闇だった。街灯だけが唯一の採光だ。校門まで無言で歩いた所で、ボクはナミダ先生に体を向けた。制服のすそがふわりと膨らむ。


「じゃあ先生、今日はありがとうございました」


「ああ、気を付けて帰るんだ――……よ?」


 刹那、ナミダ先生が顔をそむけた。


 遠くから駆け足が迫って来たんだ。


 校門の外からだ。それも複数。夜闇に紛れて、黒いジャンパーやらジャージやらで身を包んだ、覆面をかぶった男たちがナミダ先生を取り囲んだ。


 わ、何だこれ。


 校門前には守衛が居ない。警備会社の監視カメラがあるだけだ。それに映らないよう立ち回る覆面連中に、ボクは恐怖を覚えた。


(尖兵……ってやつか?)


 ナミダ先生を待ち伏せしていたのか?


 たまたまボクの下校に同伴したから、ボクも巻き込まれたようだけど……。


「貴様、湯島涙だな?」


 覆面の一人が問いかける。


「だったら何だい?」


 澄まし顔で、ナミダ先生は答えた。


 どうしてそんなに落ち着いて居られるんだこの人は。暴漢どもに囲まれているのに。


 覆面の一人が再び告げる。


「こんな高校で悩み相談を請け負っていたとはな。雲隠れしたつもりか? そんなことをしても無駄だ。我々は必ず貴様の居場所を突き止め、追い詰める」


「やれやれ、こんな所でおっ始める気かい? なりふり構わない無鉄砲だね、あるある」


 大仰に肩をすくめるナミダ先生へ、覆面どもが包囲の輪をじりじりと縮めて行く。


 やばい。やばいってこれ。


「ナミダ先生、警察を呼んだ方が――」


「かかれっ!」


 ボクの提案は、覆面の号令に掻き消された。


 先生めがけて、幾多の毒牙が襲いかかる。




   *




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