第四幕・ユングになれなかった男

ボクは他人の過去を掘り下げる――1




「ナミダ先生の義足って結構、年季が入っていますよね」


 ――夏服が当たり前になった梅雨明け、ボクは思い切って尋ねてみた。


 夕闇の校舎。そろそろ下校時刻が差し迫って、居残る生徒には先生方から帰宅を打診される頃だ。


 ボクもご多分に漏れず、カウンセラーの湯島涙ゆしまナミダ先生から下校を勧められた。


 最近は、保健室で湯島兄妹に挨拶してから帰るのが常態化している。部活にも入らず保健室に入り浸るなんて、周囲からはぐーたら学生と思われているに違いない。


 今日もボクは制服のすそを翻し、保健室へ立ち寄ると――不在の場合は相談室にも顔を出す――、ナミダ先生とルイ先生が仲睦まじく談笑していた。


 兄妹とはいえ、見せ付けてくれるなぁ……。


しみるちゃん、僕のことを頻繁に観察するよね。気になるのかい?」


 ナミダ先生がボクの名を呼びながら、やんわりと口角を持ち上げた。


 え、そんなに観察しているかな? 全然自覚ないや。ボクは抗弁しようと思ったけど、ここでツンデレよろしく反駁したらそれこそナミダ先生の思うつぼだと考え直し、どうにか思いとどまった。


 ま、そんなボクの思考も彼は全てお見通しかも知れないけど。


「だってナミダ先生、すごく目立ちますもん。特にその義足! ステッキも常備していますし。決して障碍者差別ではなく、純粋な興味ですけど……気に障ったらすみません」


 ボクはぺこりと頭を下げた。


 制服のすそがひらりと舞う。


 純粋な興味――一応、それが建前だ。


 本当は、理由はもっとある。


 重治しげはるを叩きのめしたとき、ナミダ先生はステッキで杖術を使っていた。


 ステッキは義足の歩行を補う道具だ。


 ならば、気にならないわけがない。


 ――ちなみに、仮にもカウンセラーが暴力を振るったら学校問題にならないかハラハラしたけど、大丈夫だったようだ。重治はあれ以来、ボクとすれ違うことさえない。このまま二度と会わずに暮らしたいね。


 すると、泪先生が複雑そうにほっぺを膨らませた。


「私のお兄ちゃんを詮索するなんて、恐れ多すぎて不愉快なんだけど~」


 泪先生、子供みたいにへそを曲げている。


 えぇ……ここで嫉妬?


 泪先生、本当にナミダ先生のことが好きなんだなぁ……実の兄妹なのに。


 ナミダ先生は、泪先生の心を治そうとはしないんだろうか?


 それとも、すでに治そうとしたけど失敗したのか?


 あるいは……ナミダ先生も泪先生の偏愛を甘受しているとか……?


 きゃー、だとしたら少女漫画的な禁断の兄妹愛が展開してしまうっ。それはそれでオイシイのかも知れない……?


(って、そうじゃない。話がだいぶ横道にそれてしまった)


 ぶんぶんとかぶりを横に振って、ボクは考えを改めた。


 湯島兄妹は今、保健室内のデスクと、診察用の丸椅子に座っている。単に歓談しているだけのようだ。名目上は、養護教諭とカウンセラーが業務上の情報交換をしているんだろうけど。


 ボクもさっさと帰れば良いのに、すっかりナミダ先生に心を許したせいか、気になる点を質問したくてたまらない。


「僕の義足とステッキが気になるかい? 確かによく聞かれるよ」


 ナミダ先生は左足のズボンをめくり上げて、これ見よがしに義足をさらした。


 膝をゆすると、ガションガションと左足の装甲が伸縮する。衝撃を吸収するバネが仕込んであるようだ。かかとや爪先も、足の向きに応じて細かく可動するらしい。


 足首との接続部分も緩衝材で覆われており、それでいて肌色に近い彩色がされているため、機械仕掛けとはいえ遠目には義足だと気付きにくい。駆動音でようやく察しが付くほど、自然な『足』にしか見えない。


「パラリンピックを観れば判るけど、義足でも常人以上に運動できる選手は多い。むしろ技芸に磨きがかかることもあるからね。あるある」


 人は何らかのハンデがあっても、それを克服できるんだ。


 逆に健常なままだと、凡人で終わっていたかも知れない――。


「じゃあナミダ先生も、左足首を失ってから杖術に興味を持ったんですか?」


「そうだね。今はステッキなしでも歩けるけど、ステッキを手放すと手持ち無沙汰でさ。こいつを握ってないと落ち着かない……そんなレベルまで僕の生活に定着してるよ」


「お兄ちゃんの相棒みたいなものよね~。義足になってからの半生を、ずっとそばで見てた愛用のステッキだし」


 泪先生が割り込むように口を挟んだ。


 ボクに対する視線が冷たい。やっぱり女性ボクを敵視している? 怖い怖い。


「そこで~、持て余したステッキを補強して護身術に使えるようにしたのよね~」


 ね~、と兄の顔を上目遣いに覗き込んだ泪先生は、フフンとボクを一瞥した。


 な、なぜ勝ち誇るんです?


 ナミダ先生の来歴に詳しいことを自慢しているんですか?


 そんなことで張り合われてもなぁ……。


 泪先生、めちゃくちゃ嫉妬深い一面があるよね。


「沁ちゃんは、僕がルイを交通事故から助けようとした話は知ってるかい?」


 ナミダ先生が講釈を続ける。


「はい、泪先生から聞きました。そのとき左足首を失ったんですよね」


 確か兄妹が高校生のときだっけ?


「そう。歩けなくなった僕は内にこもり、今後の人生を葛藤した。苦悩し、煩悶し、妄執するうちに、人間とは何か、自己実現とは何か、精神とは何か、心とは何か……って、心理学に興味を持った」


「へぇ……それで心理学を」


「やがて大学の心理学部へ進もうと決意し、義足を履いてリハビリした。そこで人生の転機が訪れた。汐田しおだ教授と出会ったんだ」





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