ボクは点と点を線で結ぶ――1




 やがて近所の交番から警官が訪れた。


 室内を一望するや顔をしかめ、所轄の捜査一課に出動を要請する。


 事件現場で生の警察を拝めるなんてめったにないから、ボクはおぞましさと同時に妙な感動も味わったよ。


 へー、こうやって警察は動くんだなぁ。


 こうして警察署から『強行犯係』――変死体や殺人事件などを扱う捜査班――が、ぞろぞろと訪問した。


 校長を始めとする教職員らに会釈を交わした彼らは、相談室の前に立っていたナミダ先生にも挨拶を投げる。


「あっれぇ? 湯島さんじゃないですか!」


 強行犯係を率いた中年の刑事が、親身な口ぶりで話しかけた。


 何だろう、と思ったらナミダ先生も軽く手を振って応じる始末。


 そう言えば以前、警察に知人が居るって豪語していたっけ、ナミダ先生。


「お久し振りです、浜里はまざと主任」


「最近全く連絡が取れなくて申し訳ない! 不肖、この浜里漁助りょうすけ、湯島さんの犯罪心理に関する講演会や相談で何度助けられたことか!」


 なるほど、そういう経緯で懇意なのか。


 警察が捜査協力や後学のために大学を見聞することは少なくないからね。


 おどけた仕草で敬礼した主任は、儀礼的に警察手帳を提示した。


 階級は警部。


 主任と呼ばれていることから、どうやら捜査班のリーダーらしい。


 この人もどちらかと言うと小兵で、屈強には見えないけど、場数を踏んだ『現場の叩き上げ』を忍ばせる風格が感じられた。足の動かし方や目線の移動が、一般人と明らかに違う。


「浜里主任、警部に昇格したんですね」


「そうなんですよ実は! さすがに主任として部下を引き連れる手前、いつまでも警部補のままじゃ格好が付かないってんで、必死に昇進試験を受けました! ノンキャリアだとこの辺りが出世の限界ですからね、何とか面目は保った形です!」


 本当にナミダ先生と親しげだ。


 そうじゃなきゃ事件現場でこんな雑談を交わすはずがない。


 とはいえ、すぐに気を引き締め直して「さっそく捜査にかからなくては!」なんて部下に命令を下しているから、頭の切り替えは早いようだ。


 強行犯係だけでなく、鑑識課の面々も大挙して雪崩れ込んで、まずは室内の洗い出しが始まった。特に死体の検分はとても手際が良い。


「首筋は、さすがに一発では頸動脈を切れなかったのか、ためらい傷らしき跡もありました。それでも、かなり思い切って切断していますね。普通、失意の自殺は手首を切ることが多いんですが、まるでホトケの死角から寝首を掻くような切り口です」


 自殺っぽいけど、そうとも言い切れないのか? 刑事たちはそんな報告をしながら、死体発見者や目撃者、現場に居合わせたボクたちから聞き込みを行なう。


「……滝村先生は死ぬ直前まで、湯島氏への相談を後悔していた……言ってみれば彼の型破りなカウンセリングが、彼女を間接的に傷付け、殺したようなものだ……」


 あっ、霜原の奴!


 ナミダ先生をなじる発言ばかり繰り返している。刑事さんも一言一句聞き取っているじゃないか。あの野郎、ナミダ先生を何が何でも失脚させたいんだな。


「あのままじゃナミダ先生の責任にされちゃいますよ?」


 ボクがナミダ先生に寄り添って耳打ちする。


 しかし当人はわずかに眉根を寄せただけで、あまり焦っていない様子だった。


 それよりもボクがナミダ先生に肉迫したことで、泪先生から嫉妬の殺意を感じてしまった。今はそれ所じゃないのにっ。


「あれが霜原さんなりの『真実』なんだろう。人の心の数だけ真実はあるからね。うん、あるある」


「そんな悠長なことを言っている場合ですかっ?」


「それよりも大学のポスドクが心配だよ。電話によれば一命を取り留め、病院で手術を受けているようだ。僕も病院へ行きたいけど、ここを離れるわけにもいかないし」


 ナミダ先生は心ここにあらず、だった。


 それもそうか、大学の同僚が傷害事件に遭ったんだ。不安に決まっている。


「ああそれ!」手を叩く浜里警部。「その傷害事件も、うちの別チームが調べに行ってますよ! ポスドクさんが他人から恨まれるような出来事って、ありましたかね?」


「僕の知る限り、心当たりはありません。研究室は和気藹々で、仕事も真面目でしたし、研究一筋でプライベートな衝突もなかったようです。従って、怨恨を持たれる可能性は到底考えられませ――――……ん……?」


 ナミダ先生が、喋りながら徐々に表情をこわばらせた。


 どうしたんだろう?


 今の会話は、現場の相談室とは関係ない、として浜里警部が振っただけだ。なのに先生はあたかも天啓でも授かったかのように、彼岸の事件について思索を巡らせたじゃないか。


 天井を見上げて、何かを検証している。ボクも見上げたけど、天井には何もない。


 ナミダ先生の長考が続く。そばにはヒラメ顔の清田も突っ立って「いきなりどうしたんですかぁ?」なんて尋ねるけど、ナミダ先生は一切いらえを寄越さない。


 代わりに、それまで黙っていた泪先生が一喝した。


「あんた! お兄ちゃんの邪魔すんじゃないわよ。すり潰されたいの?」


 低音の唸り声で威嚇する泪先生が新鮮だ。


 怖いけど、ちょっと可愛い。


 浜里警部が泪先生に「相変わらずお兄ちゃん子ですね!」なんて茶化しているけど、それは無視された。


 泪先生のブラコンまで熟知している刑事……一体どんな関係なんだ、この人たち。


「――解明したよ。あるある」


 天啓は下った。


 結論が出たんだ。


「飽くまで僕の推論ですが」目線を元に戻すナミダ先生。「スクール・ソーシャルワーカーの霜原さんは、滝村先生を救いたかったんですよね?」


「……当たり前だろう……それがどうした……」


「カメリア・コンプレックスですもんね。女性と見れば放っておけない、歪んだフェミニストです。あなたには彼女を殺す。ゆえに、これは状況にあった。あるある」


「……何が言いたいんだ?」


「仮に自殺でない場合、犯人は霜原さんしかあり得ません。他に相談室を出入りした人物が皆無ですからね」


「……何だと貴様……!」


 やにわ怒りの拳を振り上げた霜原だけど、素早く浜里警部が制止に入った。


 ナミダ先生のご高説を最後まで拝聴する意向のようだ。プロの刑事までもが耳を澄ませるなんて、ナミダ先生って信用され過ぎ。


「となると、やはり霜原さんが怪しい。あなたの話だと、滝村先生は化粧道具をひけらかしてたそうですね。トイレから戻ったあなたは、化粧道具の中にあったカミソリを奪い、返り血を浴びるのも構わず彼女の頸動脈を掻き切った……部屋中が血みどろになる中、第一発見者を装って派手に驚き、血の海に転んで衣服を血で染めれば、返り血も目立たずに済みますよね?」


 ああ、霜原はいくら第一発見者とはいえ、大袈裟に驚愕していたっけ。


 相談室から這い出るように逃げ、駆け付けたボクたちに一一〇番通報を促したんだ。


 今も、霜原の衣服には滝村先生の血がこびり付いている。殺害時の返り血をごまかすための演技だったのか。


「……滝村先生を殺す理由がない……」首を横に振る霜原。「……女性を救いたいと願う者が……女性の息の根を止めるわけがないだろう……」


「理由ならありますよ――ねぇ、清田さん?」


「んなっ?」


 唐突に話を振られて、ヒラメ顔の清田はさらに顔面をぐにゃりとひん曲げた。


 言っちゃ悪いけど、気持ち悪い人相だなぁ。いかにも悪役って感じだよ。


「なぜ自分が槍玉に上がるんですかねぇ? 自分は、この事件には関係ないですよ? 滝村先生が死んだ頃、湯島さんと同じ大学に居たじゃないですか!」


「あなたには滝村先生を殺す動機があります。あるある」


「はへ?」


「あなたはオレステス・コンプレックスです。渦海教授の命令で滝村先生を始末し、僕のせいにしようとした……さっき話してましたよね。それが期せずして叶ったと」


「ま、まぁそうだけども、自分に殺人は無理ですよ。だって滝村先生の死亡時刻には、ここに居なかったんですから――」


「だから清田さんは、代わりにポスドクを襲撃したんですね」


 …………。


 …………。


 え?


「はぁ?」


 話が飛びまくっているぞ、ナミダ先生。


 ポスドクと滝村先生に、どんな関連があるんだ?


 あちこち跳弾する講釈に、ボクたちは頭の回転が追い付かないよ。


 何が言いたいんだ、このカウンセラーは。


「清田さんは大学から高校へ移動する際、帰宅中のポスドクを闇討ちしたんです。恨みなんてありません。ただ、そう頼まれて代行した。そうですよね?」


「代行って?」


 浜里警部が我慢できずに問い詰めた。


 別の場所で発生した二つの事件が、一つの線で結ばれようとしている。



「――これは、ですよ」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る