ボクは二つの死体の狭間にさいなむ――1




「嘘でしょ? 滝村先生が自殺?」


 ボクは即座に呑み込めなかったよ。


 だって、担任教師が唐突に死んだと言われても、現実味がなさ過ぎる。


 ボクが呆然と立ち尽くす間、隣の泪先生はやけに落ち着き払った様相で、じっと相談室内を見渡していた。


 凄いな、泪先生。死体発見現場を物怖じせず観察できるなんて。


 こんな血みどろの惨状を目の当たりにしたら、悲鳴の一つくらい上げそうなのに。もしくは青ざめて絶句するとか、膝が笑って動けなくなるとか。


「ふ~ん。戸締まりは万全ね」


 なんてことを冷ややかにこぼしているんだ。


 泪先生、場慣れしているなぁ。もしかして過去にも流血沙汰に遭遇したことがあるのかな? または、ナミダ先生の義足とかで血は見慣れているとか?


「今日は雨だから~、相談室の窓はぴっちり締め切ってるわね~。となると、出入口はドアしかないんだけど、う~ん。自殺かなぁ?」


「……何をブツブツほざいている……! 早く警察に通報を……!」


 ノッポの霜原が、腰の抜けた体を引きずって、必死に訴えた。


 血の臭いでむせ返る中、その声で我に返った他の教師陣が、おぼつかない挙動で一一〇番をかけに職員室へ引っ込む。


「滝村先生って常にポシェットを持ち歩いてたわよね~」


 泪先生が気にせず呟く。


 死体のそばに転がっている小物入れ。


 そこから取り出されたとおぼしきカミソリ。


 他は何の変哲もない化粧道具ばかりだ。携帯用カミソリだって特に異質ではない。さっきも言った通り、ムダ毛やウブ毛を剃るのに常用するからね。


 しかし、そんなものを首筋にあてがって自殺するなんて、衝動的にもほどがある。


 なぜこんな場所で、しかも霜原との相談中に命を絶ったのか、ボクの貧困な想像力では補え切れないよ。


「本当に自殺なのかな~?」


 泪先生が繰り返し、霜原の長身を見上げた。


 一五〇センチくらいしかない小柄な泪先生と、一九〇センチを超えているであろうノッポの霜原とは、実に頭二つ分ほども身長差がある。


 やおら傾けられた嫌疑に、霜原はこめかみをピクリとうずかせた。


 自身の証言にケチを付けられたと思ったんだろう。


「……自殺しか、あり得ない……誰も手を出せる状況では……なかった」


「ふ~ん?」


 泪先生はジト目になって、試すような上目遣いで霜原を眺め続ける。


 あ、いいな。その詮索するような視線。羨ましいぞ霜原。ボクも泪先生から一心不乱に見つめられたい。


「警察が来るまでに情報を整理しておきたいわね~」


 なんて言い出したかと思うと、泪先生はつらつらと状況を再確認し始めた。


 うろたえたのは霜原で、探偵じみたことをぬかす泪先生に腹が立ったようだ。拳を握りしめ、廊下の壁を支えに無理やり起き上がると、彼女の進路を遮った。


「……勝手に……室内へ入るんじゃない……現場が乱れる……」


「何よ~。見られたら困るものでもあるわけ?」


「……そうじゃない、単に現場保存のためだ……滝村先生はで間違いない……なぜなら、相談中にかなり思い詰めていたからだ……」


「やけに断言するじゃない。根拠は?」


「……滝村先生は燃え尽き症候群だったそうだが……アドバイザーやソーシャルワーカーの手で状況を改善すれば、解決できる内容だ……それを知った彼女は少しだけ元気を取り戻したが……その反面、役に立たなかったスクール・カウンセラーに失望し、あんな奴に悩みを打ち明けてしまった自分を恥じた……」


「はぁ? お兄ちゃんのこと馬鹿にしてたわけ?」


 泪先生が筆舌に尽くしがたい形相で霜原をねめつけた。


 ソーシャルワーカーとカウンセラーのアプローチは根本的に異なる。どの手法が相談者に合うのかは人によるし、破天荒なナミダ先生が苦手な人も居るだろう。でも、だからって悪しざまに罵るような言動は、ボクも聞き捨てならないな。


「……本当のことだ……」にべもない霜原。「……滝村先生は今日、カウンセラーの言い付け通り化粧を変えて来たが、たった一日では効果も薄く、ますます鬱を強めていた……化粧道具をひけらかし、何が悪かったのか首をひねっていた……」


「そんなの言いがかりでしょ~。一朝一夕で解決するわけないのに、いきなり自殺なんて飛躍しすぎ!」


「……滝村先生は完璧主義者だ……きっちりと服を着こなし、化粧も決め、厳しい態度で教員を勤めていた……そんな毅然とした彼女が、恥を忍んで悩みを相談したのに、カウンセラーの助言は役に立たず、今日は出勤すらしない……失望するのは当然だろう」


「仕方ないでしょ、大雨でバスが遅れて――」


「……理由など関係ない……高校に奴が現れない、それが全てだ……教師の悩みを、汚点を、勇気を出して相談した結果がこの体たらく……自分の暗部をホイホイ話してしまった彼女はんだ……」


「ふざけんじゃないわよ、お兄ちゃんが無能だって言いたいわけ? あんたこそ横からしゃしゃり出て手柄を盗むなんて、みっともないと思わないの?」


「……論点をずらすな……完璧主義の滝村先生は、湯島涙やくたたずに自分の悩みが知られてしまったことを嫌悪した……クールに教職をこなすイメージが崩れないかと危惧し、鬱をより一層強めたんだ……」


 霜原は、滝村先生が死ぬ寸前まで相談に乗っていた相手だから、きっとそれは本当なのだろう。


 滝村先生は自分の内面を他人に握られている状況をいとい、完璧な自分が壊れると感じ、耐えがたい苦痛を覚えた。


 霜原はボーッとした間抜け面を、初めてニヤリと動かした。


「……このことが広まれば……湯島氏は失脚するだろうな……相談者を救うどころか自殺に追い込んだ……彼のカウンセリングは異端であると糾弾せざるを得ない……彼を准教授に推薦する話もなくなるだろうな……そして、彼が師事する汐田教授の名にも傷が付くだろう……ざまぁみろだ」


 それが本音かよっ。


 そうだった、こいつはナミダ先生の恩師である汐田教授を恨んでいる。自分を捨てた父親が許せないらしい。


 泪先生が噛み付かんばかりの勢いで霜原に詰め寄った。


「あんたカメリア・コンプレックスじゃないの? 助けるはずの女教師が死んで悲しむどころか、お兄ちゃんへの風評被害を垂れ流すなんて、いい度胸じゃないのよ」


「……もちろん悲しいさ……だからこそ、元凶である湯島氏を憎まずには居られん……」


「何ですって~!」


「……全ての女性を救いたい気持ちは変わらない……滝村先生を救済したかった……だから誰よりも早く相談に乗りたかった……!」


 無念そうに吐露する霜原は、嘘をついているようには見えなかった。


(霜原はカメリア・コンプレックスだから、滝村先生を殺す、か?)


 ボクは思考を巡らせる。


 仮に滝村先生が自殺ではなく、実は他殺だったとしたら――犯人はノッポの霜原しかあり得ない。


 この人しか相談室に出入りしていなかったからだ。


 仮に第三者が殺害するとしたら、霜原がトイレに行ったという隙を突いて何者かが入れ替わりに突入し、滝村先生のカミソリを奪って殺したことになる。


「特に怪しい者は見かけませんでしたよ」


 廊下に詰めかけていた教師陣の中から、証言が飛び出した。


 なぁ、と周囲に同意を求めると、先生たちは次々に頷く。


「確かに居なかった」


「職員室の窓から廊下を見通せるけど、不審者が通ったとは思わなかったなぁ」


「相談室へ向かう廊下は、トイレを行き来する霜原さんしか往来してなかったはず」


 どうやら霜原しか目撃されていないらしい。


 第三者の線は途絶えたか……。


 霜原に滝村先生を殺す動機がない以上、やはり自殺なのか?


 無論、これから来る警察がどう判断するかは不明だけど――。



「あれ? 何の騒ぎですか、これ?」



 ――ナミダ先生ご本人が出勤したのは、このときだった。




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