承
ボクは職業の競合に辟易する――1
スクール・アドバイザー。
スクール・ソーシャルワーカー。
ちんぷんかんぷんなボクを見た中肉中背のヒラメ顔――清田だったか――が、ふふんと見くびるような笑みを浮かべた。
うわ、こいつムカつく。
様子がおかしいんだよね、この人。
校長に雇われたらしいけど、どこか裏がある印象だ。今だって、明らかにボクたちを挑発したよね?
「自分はスクール・アドバイザーという肩書きでしてね。湯島さん、あなたは文科省が定めたスクール・カウンセラーですが、アドバイザーは地方自治体による人選なんですよ」
「存じてますよ」形だけ握手するナミダ先生。「とはいえ、アドバイザーは地方自治体ごとの設置ですから、全ての都道府県にあるとは限りませんし、予算も少ないのが玉に瑕ですね、あるある」
ナミダ先生、にこやかに皮肉を返してないか?
ヒラメ顔に真っ向から食い下がる格好だ。握手した手に力が入り過ぎている。
清田は薄ら笑いのまま軽く受け流した。
「まぁ母体の違いですからね! と言ってもこの職に就く資格条件は、スクール・カウンセラーと大差ありませんよ。臨床心理士、公認心理師、精神科医、大学教員など……自分はあなたと同じ国立実ヶ丘大学の精神医学部で助手を勤めています。お見知りおきを!」
「精神医学部……
ナミダ先生は苦虫を噛み潰した。
うずみ?
知らない名前が登場したので、ボクはきょとんと呆けてしまう。
「得心が行きました。清田さんが僕に敵愾心を抱える理由」
「何をおっしゃるんですか湯島さん! 確かに自分の精神医学部と、あなたが所属する心理学部の
乾いた笑いが虚しく響いた。うわべだけの友好であることがバレバレだ。
大学内部での対立、か……学部ごとや派閥ごとに競争があるとはよく聞くけど、ここまで露骨に押し出されるとは思わなかったよ。
ナミダ先生の在籍する心理学部と、彼が師事する汐田教授。
清田の在籍する精神医学部と、奴が師事する渦海教授。
――どう見ても、ナミダ先生にスパイを送り込んだ構図じゃないか!
ナミダ先生は露骨に面白くなさそうな態度で、握手をほどいた。
「うちの汐田教授と、あなたの渦海教授は
「それはまた大袈裟な例えですね!」
「大方、僕がカウンセラー業務をきっかけに『准教授』推薦をもらったことで、対立するあなた方が慌てて妨害工作に乗り出した……と言った所でしょう? うん、ありそうだ。ライバル学部の台頭を阻止するために刺客を派遣した、と」
「刺客だなんて人聞きの悪い! 湯島さんの精力的な課外活動が准教授推薦に繋がったので、精神医学部から自分が出向いて湯島さんに横槍――おっと口が滑った――協力したいなぁと思っただけです! あっはっは!」
今、横槍って言ったよね?
こいつの魂胆が丸見えなんだけど。
(ナミダ先生を邪魔して、准教授の推薦を白紙撤回させるつもりなのか!)
姑息な奴らだな。少なくともナミダ先生の活動を監視するつもりなのは確かだ。
ナミダ先生の面相がいよいよ険しくなる。大学のいざこざを外部にまで持ち出されて不機嫌なのと、何より滝村先生を放置してしまっているからだ。
本当は一刻も早く
「さぁ湯島さん、そこの女性教師は自分が診ましょう。スクール・アドバイザーは教職員へのコンサルテーションに特化しています! カウンセラーはすっこんでて下さい!」
「なっ……」
大胆不敵な宣戦布告だった。手柄を横取りする気満々じゃないか。
「……もはや湯島氏はお呼びではない……」
うおっ、ノッポの霜原までナミダ先生に敵対する気か?
二人で共謀していそうだな。清田と同様、実は誰かの差し金なんだろうか?
ナミダ先生は仕方なく霜原に向き直る。
「あなたはスクール・ソーシャルワーカーでしたっけ?」
「……いかにも。ソーシャルワーカーは心理相談ではなく、社会福祉の立場から助言と援助を与える職……就労資格も社会福祉士や精神保健福祉士などが条件となる……」
「観点からして異なりますよね。心理学ではなく、福祉の立場から相談に乗るという」
「……児童相談所を始めとする行政機関との連携や……社会保障および生活保護を提供するなど、カウンセラーにはないパイプを持っている……先日あった学費滞納の件も、ソーシャルワーカーならば役所や行政に働きかけ、誰も傷付かずに解決できただろう……」
要はカウンセラーより優秀だって言いたいのか?
とんだ傲慢だな。ていうか喧嘩売っているだろ、こいつ。
「……それと……汐田教授とは血の繋がった親子でもある……」
「え!」
ナミダ先生がのけぞった。
体勢を崩しかけて、慌ててステッキで重心を支える。あのナミダ先生が意表を突かれるなんて、よっぽどのことだぞ。
「……霜原という苗字は母方の姓だ……汐田とは離婚している……汐田は教え子と浮気して、あっさり母子を捨てたのだ……だから決して汐田を許さない……奴の心理学部が栄えるのを許さない……」
「私怨を職場に持ち込むのって、迷惑ですよ。よくある話ですけど」
「……黙れ……汐田に捨てられ、母子家庭で育ったからこそ……社会保障の重要性を実感したし、先の浅谷親子にも同情できるのだ……」
この人が福祉に従事する理由は、それか。
副業でソーシャルワーカーに就いたのも、そこが原動力なんだな。
(期せずして、ナミダ先生の恩師に敵対する連中が参入して来た。こんな奴らが高校の相談員になるなんて……)
ボクは眩暈が止まらなかったね。
どう考えても足の引っ張り合いになりそうだよ。協力関係なんて嘘っぱちだよ。
「……心理学など下らない……ソーシャルワーカーならではの手法で、女性教師の悩みを解消してみせよう……支援できることがあれば、遠慮なく話していただきたい……」
「え、え? その、わたくしは――」
あちゃー。
滝村先生が困っているぞ。
そりゃそうか。唐突に新しい相談員が出現しても、簡単には信用できない。そのつど説明し直すのも手間がかかるし、悩みを蒸し返されるようで辛いだろう。
「――今日はお開きにしましょう」
ナミダ先生が手を叩いて、場を収めた。
こんなしっちゃかめっちゃかな状況では、相談なんて出来やしないからね。
「僕は明日も半日だけ出勤しますから、そのとき改めて相談に来て下さい」
「は、はい……失礼します」
滝村先生は逃げるようにソファから立つと、携帯していた小物入れ《ポシェット》をギュッと握りしめて退出した。
賢明だね。カウンセラー、アドバイザー、ソーシャルワーカーの三すくみ――いや、三つどもえかな――に囲まれたら、心が押し潰されそうだ。
それを一番おもんぱかれるのは、やっぱりナミダ先生なんだよなぁ……。
「ふふん。うまく相談者を逃がした格好ですな!」にやつく清田。「ですが自分たちも、今日は顔合わせに来ただけです。明日もお邪魔させていただきますよ?」
「本当に邪魔なので来ないで下さい。あるある、存在自体が害悪、よくある」
「またまたご冗談を」
「本気ですけど?」
「……湯島氏は明日、半日しか来ないのだろう……?」含みを持たせる霜原。「……ならば、不在の間に滝村先生の悩みを解決すれば……手柄を横取りできる……何より、困っている女性を救えるのだ……ふふふ……」
「は? 霜原さんまで何を言い出すんですか」
「……母子家庭で育ったから判るんだ……苦労する女性の姿は見て居られない……」
この人も相当ひねくれた育ち方をしたんだな。女性を優遇したい気持ちは判るけど。
「カメリア・コンプレックスですね、あるある」
ナミダ先生が霜原に告げた。
けど、あいにくノッポの霜原は心理学に明るくない。福祉が専門だからだ。コンプレックス名なんか知る由もない。ボクも初耳だった。
「……何だそれは」
「カメリア・コンプレックスは、困っている女性を見捨てられない男の
「……だから何だ……社会福祉士として、社会的弱者である女性を放っておけないのは当然だろうが……! 不愉快だ、失礼する……!」
ノッポは踵を返して、捨て台詞とともに部屋を出て行く。
続いて清田も、大仰な溜息を吐いてからナミダ先生へ手を振った。
「じゃ、自分も今日は退散しますかね。明日からよろしくお願いしますよ?」
正直、二度と来るなってボクは思った。
きっとナミダ先生も同じことを考えたと確信している。
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