ボクはお仕事の軋轢を目撃する――2




「いいんですか泪先生、保健室を空けっ放しにしてて」


「今日は君以外に来訪がなかったし、平気でしょ」


 そんなんでいいのか……?


 まぁ養護教諭が保健室に不在なことって案外多いけどさ。


 ともあれ、ズンズンと廊下を踏み荒らす勢いで猛進した泪先生は、まっしぐらに相談室へ飛び込んだ。


 面会中の立て札があったのに、お構いなしだよ……。


 中では、応接テーブルを挟んでソファに腰を下ろしたナミダ先生と、相談者である滝村先生が向かい合っていた。


 ナミダ先生は穏やかに笑っていたけど、乱入したボクと泪先生に顔を凍り付かせる。


 あ、やっぱり邪魔ですよね。


 滝村先生も頬を引きつらせ、ずり落ちたメガネをしきりに指で持ち上げて動揺を隠していた。もう片方の手には、常に小物入れ《ポシェット》を握りしめている。


 派手な赤いスーツに身を包んだ妙齢の女教師は、泪先生とは正反対のとっつきにくい美人だ。ツンツンとした外見は人を寄せ付けないし、言動も辛辣……のはずだった。


「な、え、あ、渋沢さん?」


 滝村先生、呂律が回っていない。


 こんな担任教師のうろたえっぷり、初めて見たぞ。いつもは無表情のくせに、今だけぎくしゃくと頬骨が歪み、眉を吊り上げ、まぶたをぱちくりさせている。


 どうやら相談中の姿を、他人に見られたくなかったようだ。


「やれやれ。立て札を無視して入室する人って、よくあるけども」


 仏頂面をかたどるナミダ先生が恐ろしい。じっとりと睨まれて、ボクも泪先生も立ちすくんでしまった。


「あう~、ごめんなさい」目をそらす泪先生。「でも、私だってお兄ちゃんと話したい」


「ここは職場だぞ、ルイ」


「だって~」


「今は滝村先生の先約があるから……あれ? 滝村先生?」


 ナミダ先生がふと気付く。


 つられて見てみると、滝村先生はゆでだこよろしく顔を赤面させて、石化のごとく硬直していた。耳まで真っ赤だ。え、何この反応。


「わ、わたくしの、こんな醜態を見られてしまうなんて……イメージが崩れてしまうじゃありませんか……!」


 ……何やらブツブツほざいているぞ。


 滝村先生の意外な一面だった。クールビューティで通った鉄面皮はどこへやら、相談室で弱みをさらした彼女は等身大の若輩らしい挙措だった。


「ルイ、早く出てって」ナミダ先生の苦言。「相談者のプライバシーを穢す行為は、メンタル・ヘルスにおいて最も忌むべき悪行だ。沁ちゃんもだよ」


 叱られてしまった。


 無理もないか。すごすごと踵を返す泪先生に続き、ボクも制服のすそを翻す――。


「待ちなさい、渋沢さん……」


 ――はずだったんだけど。


 他でもない滝村先生から、名指しで呼び止められた。


 これにはボクも足を止めてしまう。ナミダ先生も何事かと滝村先生を瞠目した。


 唯一、泪先生だけが放心して「お兄ちゃんに叱られた……もう生きてけない……でも冷たくあしらわれるのもそれはそれで快感……」などと呟きながら退室して行く。


 滝村先生が面映おもはゆそうに、ソファから上目遣いでボクに告げた。


「あなたは、わたくしのクラスの教え子ですから……その、お話を聞いて下さらない?」


「え?」


「わたくしの悩みは、生徒たちとうまく接触できないことですの。評判悪いでしょう?」


「ええ、ツンツンしていますからね」


「ですから、生徒のあなたも交えて解決方法を模索したいのですわ」


 とんでもない提案が持ちかけられた。


(というかこの人、評判が悪いこと気にしていたのか)


 実際の生徒であるボクを加えることで、より具体的な欠点を洗い出せれば一石二鳥なのだろう。


「ナミダ先生、ボクも居て良いですか?」


「相談者じきじきの申し出だから、構わないよ」


 ソファに体重を預けていたナミダ先生が、仕方なくボクをソファに手招きした。


 泪先生を呼び戻さず、三人で対話を再開する。泪先生……きっと今頃はゾンビみたいに廊下を徘徊しているんだろうな。


「わたくしは生徒に舐められないよう、冷たく振る舞っていたのですが」メガネを押し上げる滝村先生。「それが逆に距離を置かれてしまい、コミュニケーションが取れなくなったのです……こんなはずじゃなかったのに。心身ともに疲れてしまって」


 理想に燃え過ぎて、ことごとく空回りしてしまったんだな。


「あるある、気張り過ぎて的を外した挙句、当初の情熱が志半ばで燃え尽きてしまう……これはそのまま『燃え尽き症候群』という呼称で有名ですね」


「もえつき……?」


「理想に手が届かず、文字通り心が燃え尽きるんです。達成感も何もない、あるのは徒労感や無気力、ストレスによるヒステリー、精神疾患の諸症状ばかりです。あるある」


「もう、どうしたら良いのか……! 今さら改心して教え子に媚びを売っても『馴れ馴れしい』と後ろ指さされるのがオチですし――」


 まぁそうなるよね。


 突然イメチェンしても、逆に気味悪がられるのは当然の帰結だ。


「滝村先生はピシッとした身なりからも想像できる通り、とても人に厳しい性格ですね」


「あ、はい……」


「あえて気丈に、気高くあろうとする完璧主義者……だからこそ、ちょっとでも失敗すると挫折し、心に溜め込んで、僕を頼らざるを得なくなった。よくあることです」


「はい……お恥ずかしい限りです」


「恥じる必要はありませんよ。あなたは外面を気にし過ぎです。まずは徐々に衣服やお化粧をカジュアルで馴染みやすい格好にすれば、次第に空気も変わりますよ。人は見た目の雰囲気に左右される生き物でもありますからね、あるある」


「ですが、他に服の持ち合わせはありませんし、生徒たちに受け入れられるかどうか」


 心配性だな、この人。


 もう二度と失敗したくないらしい。慎重になり過ぎて、何も行動できないんだ。


 これを治すのは手間がかかりそうだなぁ――。



「お困りのようですな!」



 ――その矢先だった。


 誰の声だと思って辺りを見回せば、ガチャリと入口のドアが押し開かれ、見知らぬ顔が二つも入り込んで来た。


 いずれも男性だ。ナミダ先生と同年代――むしろ年下かも――の若い青年ばかり。


 中肉中背の短髪と、長身の長髪。


 中背の方はお世辞にも美形とは言いがたいヒラメみたいな平面顔で、目をギョロギョロと動かしている。


 長身の方はどこか間の抜けたノッポさんで、ボーッとボクらを見下ろす一方だ。


「今日は乱入が多いな」苛立たしげに立ち上がるナミダ先生。「どちら様ですか?」


「自分たちは本日付けで校長に雇われた、相談要員ですとも!」


 中背のヒラメ顔が返答した。


 おどけたような、ひょうきんな口調だ。さっきの一声も、この人が発したようだ。


 ……って、相談要員?


「学校にはスクール・カウンセラーの他にも、悩み相談を受け付ける職業があるのをご存じですかな? 人手不足を解消すべく、自分たち二名が追加採用されたんですよ!」


 人手不足の解消だって?


 さっき泪先生もぼやいていた件だ。まさか実現するなんて思わなかった。


「自分は清田きよだ浄志きよし。湯島さんと同じ実ヶ丘大学の精神医学部から派遣されました! 心理学部とは犬猿の仲ですけどね。専門分野がかぶってて対立していますから!」


「!」


 中肉のヒラメ顔がいけしゃあしゃあと名乗った。


 ナミダ先生の顔が険しくなる。犬猿の仲という文言が、特にこめかみをうずかせた。


 続いてノッポも、言葉を選んでいるのか途切れ途切れに唇を動かす。


「……霜原しもはらわたるだ……普段は社会福祉士をやっている……当校へは、スクール・ソーシャルワーカーとしてやって来た……以後よろしく」


 そーしゃるわーかー?


「自分はスクール・アドバイザーですね!」


 あどばいざー?


「カウンセラーが心の悩みを引き受ける『個人対応』なのに対し、ソーシャルワーカーは社会的な環境、仕組みの改善と言った外的要因から悩みを取り除く相談業務ですね! 自分のアドバイザーは教員の相談・支援を専門とする職業ですぞ! そこの女性教師、あなたの悩みはカウンセラーよりも自分の方がうってつけですよ?」


「そ、そうなんですか?」


「……先日あったという母子家庭の学費滞納問題も……ソーシャルワーカーの方が社会的な支援を提示できたはずだ……」


 浅谷家の学費問題を知っているのか。社会支援できれば、あの悲劇は回避できたと?


「というわけで、湯島さん!」握手を求めるヒラメ男。「もう、あなたに出番はありません。自分たちが得意分野に応じて相談者を振り分けますのでね! はっはっは!」


 似たような職業、似たような相談業務員が一堂に会した格好だった。


(これって、商売敵みたいなウザさを感じる……)


 人手不足の解消どころか、新たな茶々入れが増えただけなのは、ボクの錯覚かな……。




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