第三幕・三つどもえのカメリア

ボクはお仕事の軋轢を目撃する――1




 ぶっす~~~~。


 保健室に入ったら、湯島ゆしまルイ先生が悪魔のような面相で不貞腐ふてくされていた。


 な……何だ?


 いつにない悪態だったから、ボクは迂闊に近付くことも出来やしない。


 ――ボクは渋沢沁しぶさわしみる


 私立朔間さくま学園高校の二年生。


 放課後に保健室の泪先生と話すのが日課なんだけど、今日は雰囲気が違っていた。


(泪先生……ものすごいぶーたれているぞ)


 ふくれっ面だ。


 目も据わっている。


 唇を尖らせ、不機嫌そうに頬杖を突き、指先は苛立たしげにコツコツと机を叩き、細長い美脚はしきりに床の上で貧乏ゆすりを繰り返す始末だ。


(でも、ねている仕草も可愛いなぁ)


 泪先生は控えめに見ても美人だ。


 おまけに童顔で華奢と来た。思わず抱きしめたくなる愛くるしさだから、ボクは過去に一度、泪先生へ愛の告白までしてしまった。速攻で断られたけど。


 それでも保健室に通えるのは、泪先生が菩薩のごとき寛大な御心でボクを許容しているから……だったんだけど。


 き、今日の泪先生には話しかけづらいなぁ……。


 制服のすそを正したボクは、おっかなびっくり歩み寄った。


「あのう、何かあったんですか?」


「うっさい」


「ええー……」


「今イライラしてるから黙っててくんない?」


 つっけんどんにもほどがある。


 天使かつ女神かつ妖精である泪先生が、闇に堕ちてしまわれたとでも言うのか。


 ……いや、この人がここまで機嫌を損ねる理由なんて、一つしかない。


 相談室で一風変わったスクール・カウンセラーをやっている彼女の兄・ナミダ先生に関する案件だ。それしかない。


「もしかしてナミダ先生に何かあったんですか?」


「……ふぇえ」


 いきなり泪先生が泣き出した。


 ええー?


 今そんなひどいこと言ったかな、ボク?


 女泣かせなボクを尻目に、泪先生は目頭の雫を拭こうともせず机に突っ伏した。


「うっ、うっ、ぐすん……もうひどいのよ、お兄ちゃんってば」


 愚痴り始めた。


 やっぱり兄絡みか……。


 この人は養護教諭としての評判は良いけど、重度のブラコンなのが玉にきずだよなぁ。


「お兄ちゃん、今日出勤する予定だったのに、午前中は半休を取ってたの!」


「半休ですか」


 そんなことかよ、と喉まで出かかった言葉をかろうじて呑み込む。


「せっかく一日中お兄ちゃんと学校に居られると思ったのに、半休ってひどくない? 休んだ分は明日も来るって弁解してたけど、私のガラスのハートはズタズタよ~!」


 それ防弾用の強化ガラスですよね絶対。


 と言おうと思ったけど、寸前で我慢した。よく耐えたぞボク。


「明日も来るなら良いじゃないですか」


「良くないよ~! 半休の理由が最悪なの! お兄ちゃんの本職である国立実ヶ丘みのりがおか大学で、ついに准教授に推薦されたんだって! カウンセラーの課外活動が評価されたの!」


「推薦?」


「ふぇ~ん……お兄ちゃんが出世しちゃう~」


 なんで泣くんだよ。良いことじゃないですか。


 ボクが言いあぐねていると、泪先生は壊れたスピーカーみたいに詳細を語り続けた。


「お兄ちゃんが准教授になったら、本業が忙しくてスクール・カウンセラーを辞めちゃうかも……!」


 あ、そういうことか。


(確かナミダ先生は、准教授になるまでの副業として相談業務を引き受けたんだよなぁ)


 要は実績作りなんだよね、あの人が高校に来たのって。


「でもナミダ先生って、午後から出勤しているんですよね? 話し合ったらどうです?」


「今は相談者が押しかけてるから無理~……」


 ぐでーと机の上に伸びた泪先生は、起き上がる気力すらないようだ。


 つややかな黒髪が机いっぱいに広がっている。


「相談者?」


「信じられる? お兄ちゃんったら、若い女と密室で二人きりなのよ!」


「二人きりってそんな、妖しい言い方しなくても」


「相談室にこもって出て来ないの! あの女教師、お兄ちゃんをたぶらかしたら○○ピーしてやる……!」


 さり気なく物騒なこと口走らないで下さい。


 って今、女教師って言ったか?


「教師が相談に来ているんですか?」


「そうよ~」机上で頭をゴロゴロ転がす泪先生。「スクール・カウンセラーの相談対象は三種類あるの。一つは生徒。二つ目は保護者。そして三つ目が教職員」


「教師の悩みも守備範囲なんですか」


「教員もストレスや闇を抱えてるからね~……生徒の進路問題に苦慮する先生や、PTAやモンスター・ペアレントに懊悩する先生、イジメや学級崩壊に困窮する先生……それを癒すのも、スクール・カウンセラーの業務なのよ」


 知らなかった。


 複雑化する教育現場において、教員の過労や心労による離職率が高まっているという話はよく聞くけど、まさかカウンセラーを設けるほど深刻だったとは……。


「どの先生が相談しているんですか?」


「君の担任よ~」


「え!」


 担任。


 ボクは容姿を思い浮かべた。


 滝村たきむら涼美すずみ、二五歳。


 去年だか一昨年だかに就任した新米教師だ。シュッとしたシャープな外見で、女性にしては背も高く、いつもピシッとスーツを着て、四角いフレームのとんがったメガネを煌めかせている。切れ長の鋭い視線が冷徹で、他人を寄せ付けない雰囲気だ。


 そのイメージ通り、生徒には厳しい態度で接する。褒めることは少なく、欠点を指摘することが多い。


 そういう教育方針は嫌われるんだよね。今は褒めて伸ばす時代だ。


 うちのクラスでも人気がなくて、先生の言うことを聞かない奴も出始めている。そのつど滝村先生が口うるさく注意を飛ばし、言い合いになることも珍しくなかった。


 だからか。滝村先生のストレスは溜まりまくっているに違いない。


「滝村先生って人に弱みを見せないタイプだけど、そんな人でも相談に行くんですね」


「気丈な人ほど、内面にはストレスを蓄積するものよ~。しかも若くて綺麗系だし。お兄ちゃんがいつ口説き落とされないか心配だわ!」


「どうして悩み相談から口説き落とす話になるんですか先生」


「知らないの? 心理学の権威ユングは、相談者の若い女と浮気しまくってたのよ~……胸襟を開いて相談するうち、異性はコロッと心を奪われちゃうのよ!」


「いや、それにしても気を揉み過ぎですよ」


「む~っ。これもスクール・カウンセラーの勤務時間が短いせいだわっ。もしくはもっと増員して、相談の回転率を上げるべき! 若い女の相談はお兄ちゃん以外に回すとか!」


 上体を起こした泪先生は、自分勝手な力説に拳を握りしめた。


 ああ、ここでもカウンセラーの問題点が蒸し返されたか。


 増員か……確かにそれが一番無難だろうなぁ。


 一人当たりの勤務時間を増やせないなら、数を雇うしかないだろうし。


「も~私、耐えらんないっ」


 椅子を後ろへ蹴倒すように起立した泪先生は、保健室を放置して廊下に出奔した。


 え、どこ行く気ですかっ。ボクも慌てて追いかける。


「どうしたんですか泪先生っ?」


「お兄ちゃんの所に行く!」


 結局行くのかよっ。


 さっきは及び腰だったのに……。


 担任の滝村先生も居るんだよね。はてさて、今回はどんな騒動が起こるのやら……。




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