ボクは板挟みの心を知る――2
その後。
弁護士の証言通り、田舎町の山中にて、父親宅から奪われた財布や通帳、金目の物などが発見された。
強盗の仕業に見せかけただけなので、中身は一切手を付けられていなかった。
もともと弁護士は裕福だから、はした金なんて見向きもしないだろう。
「偽装したボタンカバーも、彼の家から見付かったそうですよ。もう確定ですね」
ボクは保健室に立ち寄って、水河ちゃんから聞きかじった後日談を、うるわしの泪先生に話したものさ。
いつも綺麗だなぁ。特に今日は一段と黒髪ストレートが輝いているよ。ただでさえ天使の泪先生が、蛍光灯の光を浴びて頭髪に天使の輪を描いている。
なのに――。
「あるある、実行犯には必ず物証が付きものだからね。絶対ある」
「その通りよね~お兄ちゃんっ」
――なのに、傍らにはナミダ先生が居座っていた。
放課後、カウンセラーと養護教諭が情報交換のために会談しているんだ。この二人は生徒のケアに近しい職業だから、互いの業務連絡が必須なんだよなぁ。
くっ……ボクは泪先生と二人きりで過ごしたいのに!
「沁ちゃん、ちょうど良かった」
ナミダ先生が、そんなボクを手招きした。
いや、呼ばれても困るんですけど。ボクは泪先生へのほのかな憧憬を満たしたいだけであって、ナミダ先生は眼中にない――。
「君に話があるのさ、あるある」
「……何ですか?」
ボクは近付かずに立ち尽くして、話だけ伺うことにした。せめてもの抵抗だ……ってボクはツンデレかよ。我ながら子供っぽいな。
「君は気にならなかったかい? 弁護士が水河さんの言い付け通りに、まるで罪をかぶせられたかのごとく自首した件について」
「は? だってそれは、弁護士が実際にやったからでしょう? そして、互いに好き合っていた水河ちゃんに諭されて、改悛の念にかられた……」
違うのか?
ボクはてっきりそう思っていたけど。
そのとき、泪先生が薔薇のごとき紅い唇を開閉させた。
「あの子ね~、自首する弁護士の私財を寄付されて、学費を
「へ?」
「弁護士に愛を誓うことで、お金を引き出したみたいね~」
「び、美談じゃないですか。恋人の出所を待つ彼女と、その彼女のために有り金をはたいた彼氏…………って、あ!」
背筋が凍った。
手玉に取られた。
今さらそのことに気付く。
弁護士も、ボクも、母親も、先生たちも。
水河ちゃんのてのひらに――!
「これは僕の仮説だけど」義足で床を踏み鳴らすナミダ先生。「真の黒幕は水河さんだ」
真の黒幕!
言ってしまった。
ナミダ先生が、看破してしまった。
「弁護士に自首を迫ったのも、愛をほのめかせて学費を立て替えさせたのも……そもそも弁護士と仲良くなったのも、水河さんの計算だった。よくある悪女だね」
「ちょっと待って下さい、ボクの理解が追い付きません」
「実行犯は弁護士だけど、立案者は水河さん。弁護士はうら若き恋人のために、全ての罪をかぶったんだよ」
「水河ちゃんが、そんなことを思い付くとは思えませんけど……」
「水河さんは父にネグレクトされ、早々に離婚したため、父性を知らずに育った。暴力を受けた女児は、男性不審や男性恐怖症になりやすいんだけど、彼女は違う症例を発症したのさ」
「違う症例?」
「ユディット・コンプレックスだよ」
あ、それ、以前も聞いたことがあるぞ。
先週の相談室で、ナミダ先生が御託を並べていた心理学用語だ。
「ユディット・コンプレックスは男性へ強い憧憬を抱く反面、その男性を破滅させたくもなる矛盾した心理だ。父性を知らない水河さんは、男性への好奇心が人一倍強かったものの、虐待されたトラウマも根強く残っており、男性への憎悪が潜在してた」
憧憬と憎悪。
相反する感情が同居している。
――まさにユディット・コンプレックスじゃないか!
「男性にすがればすがるほど、彼女の中では憎しみも増す。せめぎ合う複合心理。愛する男性を忌避するという矛盾した心理。まさに水河さんだろう?」
そうだ。
水河ちゃんは弁護士に依存する反面、父殺しの罪をなすり付けて自首を勧め、輝かしい弁護士人生を破滅させた。
見事に符合するじゃないか!
「ちなみに~、ユディットは旧約聖書に登場する女傑の名前よ~」指を立てて補足する泪先生。「ユディットは故郷を捨てて敵将に取り入るんだけど~、結局はその敵将を愛しきれずに抹殺しちゃうの。好きだけど殺しちゃう、複雑な板ばさみの女心よね」
怖いなその人!
あいにく、男性的なボクには共感できない感情だよ……。
「弁護士に愛を囁きつつ、父殺しの汚名を着せて社会的に殺した。水河さんは現代のユディットだね…………そこに居るんだろう、水河さん?」
「!」
やにわ保健室の入口へ声をかけたナミダ先生が、双眸をすがめた。
声色も心なしか険しくなっている。
「ああ……バレてました?」
本当に居た。
戸を開けて入室したのは、紛うことなき浅谷水河その人だった。
「水河ちゃん、立ち聞きしていたの?」
ボクが制服のすそを翻して相対すると、水河ちゃんは肩をすくめてみせた。
「うん……尾行してたの。ごめんね」
「なんで」
「私も保健室の常連だから……」
なんて呟いた後、水河ちゃんはナミダ先生をじっと見つめた。
視線と視線がぶつかり、せめぎ合う。
横から泪先生がムッとした形相で割って入ったせいで、中断されたけど。
「は~いストップ。私のお兄ちゃんを気安く眺め回すんじゃないの!」
そこかよ。
突っ込む所、そこじゃないですよ泪先生……。
ナミダ先生はそんなボクたちを無視して、水河ちゃんにこう語る。
「ここに来たということは、認めるということかい?」
「そうですね……正直、驚きました」もじもじと体をくねらせる水河ちゃん。「父との面会を提案したのも私……溝渕さんにアリバイ・トリックを持ちかけたのも私……田舎の環境を逆手に取って、スマホの変更を発案したのも私です」
「目的を果たせて満足かい」
「はい……けれど、私がやったという証拠はありませんよね? 今のも、単なるおふざけの発言ですって言えば意味ないですし」
「うん。僕は君を裁けないし、弁護士は単独犯を主張し続けるだろう。ありがちだ」
「やっぱりカウンセラーさんって凄い……達観してて素敵です」
水河ちゃんは胸を弾ませて、黄色い声を上げた。
隣で泪先生がみるみる剣幕を彩っているんだけど、大丈夫か? これはボクの知っている泪先生じゃないぞ。
「私、溝渕さんなんか捨てて、カウンセラーさんのこと好きになっちゃいそう……ポッ」
ポッじゃないよ。
何だよこの尻軽女は。
まさに悪女そのものじゃないか……こんな水河ちゃんは見たくなかった。
「ははっ。簡単に男を鞍替えしたね。女心と秋の空とは、よく言ったものだよ」
「えー……私、本気ですよ?」
「遠慮しておくよ。僕の相手は、きっと誰にも務まらない。ましてや、移り気の激しい君ごときには、ね」
ナミダ先生は辛辣に吐き捨てて、憂鬱そうに椅子から立ち上がった。
義足を動かし、ステッキを振ってボクらを払いのける。
悠々と保健室の真ん中を突っ切って、廊下へ退室してしまった。
うわ、置き去りにされた格好だ。
ボク、水河ちゃん、泪先生という非常に気まずい組み合わせなんだけど……。
「浅谷水河さ~ん?」
泪先生が事務的な口調で語りかける。ただし顔が笑っていない。
ボクは泪先生のそんな形相、見たくなかったですってば……。
「はい、何でしょう……?」
「私のお兄ちゃんにツバ付けようとしたら、ただじゃおかないわよ」
私の、をやたら強い語気で主張する泪先生が、実に必死だ。
「はいはい……話が聞けて良かったです。では失礼します……沁ちゃんも、さようなら」
「えっ」
最後に水河ちゃんは、ボクにも会釈をした。
逃げるように彼女は退散してしまう。
お別れの言葉……?
そうか、こんな本性をさらしてしまったら、もうボクとはまともに会話も出来なくなるよね……。
(相反する女心。ころころ変わる女心。ボクたちもまた、変わらざるを得ないのか)
ボクは泪先生と二人きりになった。
でも、それは心に隙間風が
*
――第二幕・了
・使用したよくあるトリック/アリバイ崩し
・心理学用語/被虐待症候群、適応機制、ユディット・コンプレックス、ネグレクト、青い鳥症候群
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます