結
ボクは板挟みの心を知る――1
「もしもし、
『ああ、もちろんさ! 君の頼みとあらばどこへでも!』
水河ちゃんが電話で呼び出した弁護士――溝渕というらしい――は、実に軽いフットワークだった。
まぁいくら高尚な弁護士といえども、平日は暇な事務所なんてザラにあるからね。日がな一日、相談の電話を待ちぼうけして終わるなんて普通らしいし。
その代わり、ひとたび顧客が来れば着手金やら成功報酬やらで大儲けだそうだけど。
それにしても、二つ返事で送迎に来るなんて、仲が良いにもほどがある。単なる仕事上のクライアントではなく、プライベートでも親密なのがありありと伝わる。
(水河ちゃんが弁護士に惚れているのと同じく、弁護士もまた彼女に惚れているのは間違いない)
なんてことを思いつつ、ボクは水河ちゃんとともに待ち呆けた。
場所は、校門前。
暮れなずむ夕焼けが目に毒だ。何もかも真っ赤で目が痛い。まるで血の色だよ。
そこは、他にも車を待つ生徒がちらほら見受けられた。親の車で習い事に出かけたり、恋人の車でデートに行ったり……なんて人も居る。
水河ちゃんの横には母親と、ナミダ先生も並んでいる。まるで獲物がかかるのを待ち伏せする狩人のように、虎視眈々と遠くを見据えていて少し怖い。
「やぁお待たせ! 少し遅れてしまったよ――」
果たして現れた弁護士は、黒塗りの高級外車に乗って来た。
左ハンドルだ。これ見たことあるぞ。あんまり車は詳しくないけど、ドイツだかどこかの超有名メーカーだ。
(見た感じ、まだ二〇代の男なのに……弁護士って儲かるんだなぁ)
スーツも仕立ての良いブランドものをまとっているし、アクセサリーやカフスボタン、タイピン、腕時計に至るまで、一個何十万円もするような値打ちものばかり身に着けている。
人当たりの良さそうな甘いマスクと上背が、いかにも女性受けしそうだ。そりゃモテるよなぁ。美男子、金持ち、若くて地位もある。完璧超人かよ。
こいつが浅谷親子にご執心なのは、半分くらい水河ちゃん目当てじゃないだろうか。幸薄くて可愛い女子高生なんて、いくらエリートでもそうそう手を出せないからね。
「おや? その人たちは誰だい?」
下車した弁護士は、ボクとナミダ先生をめざとく睨んで、水河ちゃんに向き直った。
ついでに母親にも気付いたようで、戸惑いながらも挨拶する。
「これはこれはお母様まで。俺はてっきり水河さん一人だとばかり……」
ふん。どうせ夕食にでも誘おうとしたんだろうけど、あいにくだったね。
ナミダ先生がステッキを打ち鳴らしながら、義足の音も軽やかに進み出た。
背の高い弁護士を見上げるように凝視すると、校門前から少し位置を外して、路上駐車の近くに陣取った。
「僕は本校のスクール・カウンセラーを勤める湯島涙と申します」
「はぁ」
「今日は、こちらの浅谷さん親子から相談されまして、先週起こった強盗事件の話を聞くことになったんです。よくある事件ですよね、あるある」
「何をおっしゃっているのやら……え、事件のことを他言したんですか?」
弁護士はますます狼狽して、水河ちゃんと母親に苦笑を浴びせた。
「溝渕さん、聞いて」
それでも水河ちゃんは、引くことなく訴えた。おどおどした物腰だけど、精一杯顔を上げて声を喉から絞り出す。
弁護士はそんな彼女をなだめにかかる。腰に手を回したり、肩を抱き寄せたり、頭を撫で回したり……馴れ馴れしいな、こいつ!
「ええと、さっぱり判りませんよ水河さん。どういうことになったんですか?」
「溝渕さんが、父をあやめたんですよね……?」
「なっ」
弁護士の奴、絶句しちゃったよ。
ビックリし過ぎてあごを外しそうになっている。せっかくの美貌が台なしだぞ。
「こ、ここでそれを言う気……あ、いや、どうしてそんな妄言を?」
弁護士がごにょごにょと言葉に詰まっている。
なぜ自分を追い詰めるのか見当も付かない、と言った風采だ。
怪しいな。やっぱりこいつが黒なのか?
「溝渕さんでしたっけ」
ナミダ先生が、横から声をかける。
母親も隣で見守っている。下手な言い逃れは出来ないぞ、弁護士。
「あなたは浅谷親子へ感情移入し、正義感に燃えました。きっと根は品行方正なエリート弁護士なんでしょう。その年齢で事務所を構えてるのは立派ですよ」
「それはどうも。で、どういう了見ですか? カウンセラーだか何だか知らないが、水河さんに変なことを吹き込んだんじゃないでしょうね?」
「人の心は千変万化します。ましてや『女心と秋の空』って言いますよね。あるある、昨日まで濃厚な愛を囁いても、次の日に別れ話を切り出せるのが女心です。よくある」
女心と秋の空……女性の気持ちはころころ変わって
「失礼だな君は! 大体、別れ話なんてそんな、俺は――」
「あなたは浅谷親子に情が移るあまり、水河さんへ懸想した。ずぼらな父親に立腹し、義憤はやがて殺意に変わった……ありそうありそう」
「俺が殺したとでも言うのか? なぁ水河さん、こいつを黙らせ――」
「溝渕さん……そういうことになったんです」
水河ちゃんはなおも断言する。
「!」
「お話、していただけませんか?」
「そんな……馬鹿なことが……」
弁護士がのけぞり、よろめいた。
自分の車に背をぶつけ、もたれかかって、あちこちに視線を泳がせている。
この人、なまじ成功者なだけに、逆境に立たされると打たれ弱いんだな。
ナミダ先生が間合いを詰める。ステッキの音と義足の駆動音が耳に馴染む。
「あなたは父親に養育費を請求しても応じてもらえず、手段を変えましたね? 一転して父親に取り入った振りをして、父親の信頼を勝ち取った」
「お、俺は……」
「父親をそそのかし、ケータイ番号を変更させましたね? また、彼の工場でボタンカバーをこっそり造らせ、公衆電話のプッシュボタンにかぶせる準備も整えたんですね」
「お、俺は、その――」
「溝渕さん……お願いです、認めて下さい」
水河ちゃんがじっと弁護士を見据える。
いつになく強い眼差しだな、水河ちゃん。
好きになった相手に――さっきまでぞっこんだったのに――こうも冷徹な態度を取れるなんて、やはり『女心は秋の空』なんだろうか?
相反する感情が混じり合い、水河ちゃんの心理を揺り動かしている。
「私はずっと待ってますから……諦めて、白状して下さい」
「くっ、判りました……俺が犯人だ」ナミダ先生に告げる弁護士。「あの父親は頭が弱くて、金策をいくつかアドバイスしたら簡単に俺を信じたよ。そのまま奴に取り入って、養育費の請求が来なくなる作戦だと嘘をつき、電話番号の変更とボタンカバーを用意させた……実は貴様を殺すためだとも知らずにね。つくづく馬鹿な父親だった」
「浅谷親子のキャリアを変更させたのも、あなたですね」
ナミダ先生が指摘する。
弁護士は言葉を詰まらせたけど、水河ちゃんに促されて、観念して一回頷いた。
「過疎地で圏外になるキャリアに変えて、公衆電話を使わざるを得ない状況にしたんだ」
予想通りだった。母親が頭を抱えている。
全幅の信頼を寄せていた弁護士が殺人を犯すなんて、絶望感が凄いだろうな。
「だ、だが、これは――」
「溝渕さん!」遮るように抱き着く水河ちゃん。「もう諦めて……全てあなたの独断でやったこと。私たちのためを想ってしてくれた正義感……なんですよね?」
「お、おう……」
「私はそんな溝渕さんが大好きです……どんな罪を犯そうとも……」
「水河さん……」
しばし懊悩していた弁護士だったけど、水河ちゃんが情熱的に密着したため、勢いに呑まれて認めてしまった。
「俺は自首します。すみませんでした」
「私はいつまでも、あなたの帰りを待ってますから……」
外車に寄りかかってうなだれる弁護士に、水河ちゃんがそっと唇を重ねた。
夕暮れの陽光が眩しくて、接吻の瞬間はよく見えなかった。
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