ボクは公衆電話を使わない――2




「はぁっ?」


 室内の全員が、寝耳に水どころか濃硫酸でもぶちまけられたように飛び跳ねた。


 弁護士が加害者って……犯人ってことだよね、それ?


「浅谷さん。あなた方は、父の死体発見によるショックで精神を痛めてます。ろくでもない男だったとはいえ、彼の養育費を当てにしてたのも事実ですからね、あるある。その心の傷を癒すためには、事件を解決しなければなりません」


 心を癒すために、事件の真相を暴く。


 それが、ナミダ先生のカウンセリング方法。


 心理的な見地から、物事を照らし出す客観視と洞察。


 事件の『真相』とは、心の『深層』でもあるんだ。


(ボクのときも、このカウンセラーは事件を紐解き、解明してくれた。心の在り方を、心理の道筋を示してくれたんだ)


「これは、ありがちなアリバイ・トリックです」


「アリバイ・トリック?」


「推理小説によくある趣向です、あるある。犯行をごまかすために、別の場所に居たという偽証を用意すれば、警察には疑われません。例えば、自分そっくりの肉親に協力してもらい、別の場所で目立った行動を残せば、犯行当時はそこに居たと主張できます。もしくは死体の発見を遅らせたり、化学薬品や冷凍保存で腐敗速度をごまかしたりして死亡推定時刻を狂わせることで、その時刻に他の場所でアクションすればアリバイを作れます」


「き、聞き捨てなりません……!」


 水河ちゃんが立ち上がった。


 激昂している。


 大好きな弁護士を犯人呼ばわりされたから、本気で血相を変えている。般若の面みたいだ。そこまで惚れているのか。


 まぁ母子家庭で辛い状況の中、親身に協力してくれる男手というのは魅力的に映るんだろうけど……。


「水河さん、座りなよ」


 ナミダ先生が命令した。


 でも、彼女は座らない。


 水河ちゃん、完全に怒り心頭だよ。きちんと説明されるまでは収まりそうもない。


 ナミダ先生はやれやれと溜息をついてから、諦めてそのまま話を続けた。水河ちゃんに見下されたまま。


「恐らく、弁護士に別の用事なんてなかったのさ。そう偽って、単独で父親宅に先行したんだと思う。ありがちありがち」


「先行……? なぜですか!」


「そりゃ父親を殺すためさ。死体に死斑が出始めるのは死後数十分からで、徐々に色濃くなって行く。個人差はあるけどね。午後〇時以降に殺されても余裕で発生するけど、少しさかのぼって午前十一時とかに殺されても、死斑の色合いは誤差の範囲だろう」


「そんな……だって私は、生きてる父と電話したんですよ?」


「それが弁護士のトリックなのさ。午前中に、弁護士は車で父親宅をこっそり訪ねた。そして父親を殺害し、強盗の仕業に見せかけるべく家を荒らし、金品を奪った。山中を探索すれば、捨てられた金品が発見されるんじゃないかな。うん、ありそうだ」


「ぜ、全然、私の解答になってませんよ! 弁護士さんはなぜ……」


「弁護士もまた、君にご執心だったんだ。弁護士も母子を見捨てた父親を憎んだのさ。だから殺して、金品とケータイを持ち出した」


「ケータイ? 父のですか?」


「ケータイを奪った弁護士は至急、車で引き返し、午後〇時に国道沿いのコンビニへ駐車した。その時刻は、君たちが電車で無人駅に到着する時間でもあったね」


「弁護士さんは時間を見計らってたんですか……?」


「そうなるね。そして君たちのスマホが圏外で、公衆電話を使うと予測した。いや、そう仕向けたのかな? わざわざ電波の悪いキャリアに変更させたそうじゃないか」


 キャリア変更……! それも仕組まれていたのか!


「そして君は案の定、公衆電話から父に電話した。しかしそれは、弁護士が持ち出した父のケータイにつながった」


「え、意味が判りません……」


「君は自宅に電話したつもりでも、実際はケータイにつながった。弁護士はをして怒鳴り散らし、すぐに電話を切った。長話したらバレる恐れがあるからね」


「えぇ……?」


「君は父親のD・Vにおびえる被虐待症候群だったから、怒声を反射的に父親だと思い込んだ。おかげで父親は午後〇時までは生きてたことになり、弁護士のアリバイも成立する」


「私が電話をかけ間違えたのは、偶然ですよ……?」


「違うね。午前中に弁護士が田舎へ先回りして、公衆電話のボタンに細工したんだ」


「ボタンに細工を……?」


「君は、公衆電話のボタンがパソコンのテンキーと同じだと言った。テンキーは上段が⑦⑧⑨の並びだ……そんな馬鹿な! 公衆電話は家の電話と同じく上段が①②③だよ!」


「ええっ?」


「プッシュボタンの上に、薄いプラスチック製のボタンカバーを造ってかぶせれば、並びのあべこべな電話を偽装できる。使から、ナンバーの並びが逆になってても不思議に思わなかったんだ」


「た、確かに……気付きませんでした」


 水河ちゃんはおろか、母親までもが意気消沈している。


 何しろ初めて使うんだから、公衆電話のボタン配置に疑問を抱く余地すらなかったに違いない。ボクも知らなかった……。


「電話のボタンを細工するのは、昔からなんだよ、あるある」


「そうなんですか?」


「うん。電話機がまだ一般に浸透してなかった時代は、シールなどで数字を上から貼り替えてもバレなかったんだよ。プッシュホンが初登場したときも同様だ」


 そうか。馴染みが薄いものは、疑いようがない。細工に気付かないんだ。


 ちょうど今のボクたちみたいに……。


「ボタンカバーやシールをかぶせて、数字の並びを誤認させるトリックは、当時の推理小説や二時間ドラマで大流行したらしいよ」


「へぇ~……」


「無論、電話が広く認知されてからは一気に廃れたけどね。みんな番号の並びを知るようになれば、配置が違ったら一発でバレる」


「確かに……」


「でも現在、再びこの手のよくあるトリックが通用するようになった。今は携帯電話で事足りるから、んだ。昔の電話機が珍しかった頃と同じ状態さ。時代は繰り返すね、あるある」


 時代を超え、期せずして公衆電話に不慣れな人口が増え始めた。


 つまり……ボタンの誤認トリックがまかり通ってしまう!


「このようにして、水河さんは上段の⑦⑧⑨をプッシュしたつもりでも、実際は①②③を押してたわけだ。同じように、下段の①②③を押したつもりが、実際は⑦⑧⑨を押してたんだ。偽装カバーのせいで、まんまと一杯食わされたんだよ。あるある」


「一体どこからそんなカバーを……」


「君の父が工場で造ってるのは、各種機械のボタンカバーだったよね?」


 ああ!


「そこで密かに電話用のボタンもこしらえた。かぶせるサイズを調整して、こっそりと」


「父が……!」


「弁護士はずっと前から、君の父をそそのかしたんだろう――『あなたの妻と娘が養育費をせびりに来ますよ。でも俺に従えば、訪問されずに済みますよ』ってね。父は弁護士に言われるまま、職場でこっそりボタンカバーを製造した。製造機械の設定をちょっといじれば可能だし、CADキャドオペで製図知識があれば、3Dプリンターでも簡単に造れる」


「父の自宅番号は030・72731・4989……でもボタンの上段と下段が逆さまだったから……」


「そう。君は自宅にかけたつもりでも、実際は①②③と⑦⑧⑨が反対に入力されてた。①は⑦に、②は⑧に、③は⑨に入れ替わる。逆もしかりだ、⑦が①に、⑧は②に、⑨は③を押してたことになる。つまり――」




 030・72731・4989(自宅の番号)

  ↓  ↓↓↓↓↓  ↓↓↓

 090・18197・4323(携帯電話の番号)




 父親のケータイ番号じゃないか!


「だから私、自宅にかけたつもりが、父のケータイにつながったんですね……」


「その後、弁護士は車で無人駅に向かい、公衆電話のボタンカバーを回収し、喫茶店に入った。人の居ない田舎だから、公衆電話の細工なんて誰にも目撃されずに済んだ」


「ううっ……」


「そして君たちと合流し、父親の家に向かった。そこで死体を発見し、混乱に乗じてこっそりケータイを死体のそばに返却した。もちろん指紋などは拭き取ったはずだ」


 うん。つじつまは合う。


 合ってしまう――。


「ですが……自宅とケータイの番号が、プッシュボタンを入れ替えたら一致するなんて偶然、あり得ますか……?」


「もちろん弁護士が父親をそそのかした際、番号を変えるよう打診したんだろう」


「弁護士さんが、そこまで私たちのために動いてくれるなんて……」


「きっと正義感あふれる人なんだろうね。あと、君が弁護士に入れ上げるのと同様、弁護士も若い女の子に慕われて悪い気はしないだろう。君たちを酷い目に遭わせた父親が憎くて、いっそ殺してしまおうと決意したのさ。ありそうありそう」


「信じられません……! 本当にそれが真実なんですか?」


「真実は、人の心の数だけあるよ」胸に手を当てるナミダ先生。「心は全ての源だ。なぜなら、あらゆる物事はものだからね。心理学で説明できないことはないのさ。うん、ないない」


「じゃあ……私はどうすれば」


「弁護士と話をしよう。彼から直接聞くのが一番じゃないかな? 君だってだろう――?」




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