ボクは公衆電話を使わない――1




「行きずりの強盗事件に巻き込まれた、か……ありがちと言えばありがちだけど」


 ナミダ先生が独り言を呟いている。


 まぁ、よくある事件と言えばそうかも知れないけど、遭遇した本人たちにとってはたまったものじゃない。


「台所の包丁で、父は刺されていました……」肩を抱きすくめる水河ちゃん。「父は工場で夜勤が多いらしくて、昼間は家で寝てるそうです……きっと強盗は、空き巣狙いで侵入したものの、父が在宅中で鉢合わせ、咄嗟に台所の包丁を手に取ったんじゃないかって、警察が言ってました……」


 あまつさえその日は、浅谷親子が訪問する予定もあったから、父は起きていたという不運も重なった。寝ていれば殺されずに済んだかも知れないのに。


「なるほど」ポンと膝を叩くナミダ先生。「あなた方は、養育費の悩みだけでなく『死体を目の当たりにしたトラウマ』も新たに植え付けられたんですね」


「ええ……元・夫の家から紛失した金品などからも、強盗と見て間違いなさそうだと警察に言われました」


 母親がやる瀬なく唇を噛みしめた。


 途方に暮れるのをこらえている挙動だ。ギリギリで自我を保っている。


 本当は気が滅入って寝込みたいだろうに――。


「……死体発見後、すぐに一一〇番通報したんですけど、みんな携帯電話が圏外なので、やむを得ず家の電話を借りました」


「仕方ないですね。指紋が付いてしまいますが、警察もそこは了承してくれるでしょう」


「ええ……田舎なので駐在の警官が駆け付けるまで、結構な時間がかかりました。所轄の捜査一課が来るのも遅かったと記憶しています」


 初動捜査の遅れか……のどかな田舎町だからこその落ち度だなぁ。


「通報は弁護士さんがしてくれました」胸をキュンキュンさせる水河ちゃん。「怯える私たちの代わりに、全て弁護士さんがやってくれました。頼りになる人です……素敵」


「じゃあ家の電話には弁護士さんの指紋が付いたんだね。普通のプッシュホンかい?」


「はい……どこにでもあるコードレスホンです」


 水河ちゃんってば、血の気を引いたり恋する乙女の顔色になったりと、ころころ表情を様変わりさせている。感情豊かで忙しいなぁ。百面相かよ。


「その後も、警察の捜査に協力して……弁護士さんのおかげで、目撃証言とかもスムーズに済みました」


「電話は他になかったのかい?」


「父のケータイが、死体のそばに落ちてましたけど……さすがにそれを手に取って通報するのは、弁護士さんも避けてましたね……」


「そばに落ちてた、か。屋内でも常に持ち歩き、殺された拍子に転がり落ちたのかな」


 ナミダ先生が物思いにふけった。ぼーっと天井を眺めている。


 どうしたんだろう? 何か引っかかるのか?


「水河さんが無人駅で公衆電話を使ったとき、父親の自宅に電話したんだよね?」


 ナミダ先生、やたら電話にこだわっているな。


「そうです……父の自宅にかけるよう、弁護士さんから頼まれてたんで……」


「ケータイを肌身離さず持ってる人なのに、自宅の電話へ?」


「そんなに不思議ですか……? 家に居るから家の電話にかける、普通のことだと思いますけど……」


 水河ちゃんがにわかに警戒の色を濃くした。


 あたかもナミダ先生に詮索されているようで、気分を害したのかも知れない。


 悩み相談から一転して、殺人事件の聞き取りみたいになっているのも空気が悪い。


「現場検証もやりましたよ……警察と一緒に、公衆電話も確認しましたし……」


「異状はなかったのかい?」


「特には何も……ねぇ、ママ?」


「そうね……あ、でも」


 母親がポンと手を叩き合わせたので、ナミダ先生が視線を細めた。そんな熱視線に母親は頬をゆるませ、ついペラペラを饒舌に語り出す。イケメンって便利だな。


「わたしの勘違いかも知れませんけど、公衆電話のプッシュボタンの並びが初見と違っていたような……上段が①②③、中段が④⑤⑥、下段が⑦⑧⑨でした」


「え? 逆じゃなかった?」


 水河ちゃんが母親に反論した。


 おいおい、記憶違いが生じているぞ。


「わたしの見間違いかしら。大して気にしなかったから、警察には言わなかったけど……気が動転して混乱しているだけかも知れないわね」


「そうですか。では、父親の死亡推定時刻は?」


「え……なんでそんなこと」


「電話したときは生きていらしたんですよね?」


「はい……無人駅に着いたのが午後〇時で、娘が公衆電話を使ったのも同時刻……そのとき元・夫と通話したので、彼が殺されたのはそれ以降ですね……弁護士との合流が一時過ぎ。昼食をとり、車で夫の家へ向かったのが二時半頃でしょうか……」


「つまり午後〇時~二時半の間。死斑が浮かんだことも考えると二時前まで絞れるか」


 またもや天井を見上げるナミダ先生は、心ここにあらずだった。


 脳内でめまぐるしい思考が展開しているんだろうけど、ボクには理解が追い付かない。


「水河さんが公衆電話をかけたとき、弁護士は車で移動中だったんですよね?」


「はい……用事を終えて田舎へ向かう途中だったようです」


「証明できるものってありましたか?」


「あります!」挙手する水河ちゃん。「弁護士さんは〇時頃、田舎に向かう途中の国道沿いにあるコンビニで、飲み物を購入したそうです……レシートが警察に提出されました」


「別の場所に居て、田舎に行く最中だった、と。アリバイ成立か」


 アリバイって、不在証明とかいう意味だっけ?


 これまた物騒な単語が出て来たな。


 事件と違う場所に居たので、犯行とは無関係だと立証できるわけだ。


「怪しいなぁ」


 ところがナミダ先生は、丸っきり信じていなかった。


 ボクも、水河ちゃんも、母親も、思いがけない発言に耳を疑ったよ。


「先生、私の弁護士さんを疑ってるんですか…………あっ」


 RRRR。


 そのとき、水河ちゃんのポケットからスマホが着信音を奏でた。


 抗議を邪魔されて機嫌を損ねた彼女だったけど、面倒臭そうに通話へ応じる。


「もしもし……え、警察の方ですか? 強盗事件のことで質問? ……はい、私は公衆電話から父の自宅にかけましたが……は、違う? 、ですって?」


「え?」


 母親が娘を二度見した。


 水河ちゃんも混乱のあまり、目をぐるぐる回している。


「私は父の自宅にかけたつもりでした……え? 着信履歴ではケータイにつながってたんですか? じゃあ私、見間違えたのかも。父の自宅とケータイ番号、並べてメモしてたんで……どのみち父にはつながったので、気にしてませんでした……はい、失礼します」


 通話を切った。


 意外な情報が飛び込んで来た。


 折しもこんなタイミングで、はかられたように。


 ナミダ先生が口角を持ち上げた。


「心理学において、人の記憶は全て『普遍的無意識ふへんてきむいしき』に貯蔵されると言われてる。その無意識に精神を接続すれば、そこに蓄積された記憶や情報が『共有』され、計ったようなタイミングで提供されるよう働きかけることも可能となる……」


「は? ナミダ先生、突然どうしたんですか?」


 ボクは思わず突っ込んじゃったよ。


 何言ってんだ、この人?


「その結果、こうして新情報がもたらされた。、ということにされた。でも、果たしてそれは本当だろうか?」


「一体、何を疑っているんですかナミダ先生?」


 ボクがしびれを切らして問う。


「電話に細工がされてたようだね。あるある――」


 ところがナミダ先生は聞く耳すら持たず、相変わらずしれっとした面相で持論をのたまうんだ。



「――僕の仮説だけど、加害者は弁護士だと思うよ」




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