ボクは最後の真実を暴く――2




 そう――だ。


 肩まで伸びた髪もそう。自室に宝塚のポスターを貼るのもそう。の少女漫画ばかり読むのもそう。全ては、ボクが女子でありつつも内なる男性像アニムスを抑えきれず、投影していたからなんだ。


 初対面のナミダ先生に「口調がぎこちない」と指摘されたのも、ボクが無理してからだ。


 実際『ボク』という一人称が慣れず、泪先生に「堅苦しい言い方」だと見抜かれた。


 性別が逆なだけで、洸ちゃんと同じ構造――。


(と言っても、ボクは我慢すればスカートも穿けるし、女だと自覚もしている。障害というほどではなく、単に男っぽいだけなのかも知れない……)


 それに、ボクは洸ちゃんと約束したんだ。


 あの子は男なのに女っぽくて、よくイジメられていた。染色体異常、性別違和。だからボクは、洸ちゃんを守るために――あの子の気持ちを分かち合うために――率先して洸ちゃんを守る『男』になろうと決意したんだ。



 ――沁、あたしっておかしいのかな?


 ――そんなことない! 君が女なら、ボクはよ。誰にも文句は言わせない!



 それが、きっかけ。全ての始まり。


 ボクが『ボク』と自称し、男っぽくなった発端だ。


「沁、俺は好きだぜ? 男勝りな、いいじゃねぇか。中学以降、制服でスカートを穿き始めたときは笑っちまったが、なかなか似合ってるぜ?」


「からかうなよ。ボクは君を見損なった。重治がそんな目でボクたちを見ていたなんて、心の底から見下げ果てた」


「なんでだよ? 思春期に男女が異性を意識するのは当たり前だろ? 俺はお前を可愛がってやったんだぜ?」


 シスター・コンプレックスか。


 結局、カウンセラーの言い分通りに帰結するのか。


「悪いけど、重治との付き合いはこれっきりにさせてもらうよ」


「あぁん?」


「ボクは女だけど、性格は男っぽいし、重治を異性としては見られない。そもそもボクは今、保健室の湯島泪先生が好きなんだ」


 体が女でも、心が男性的アニムスの投影だから。


 ボクは男を好きになれない。


 女を好きになってしまう。


 いや――憧れてしまう?


 自分が女になりきれない分、きちんと女性をまっとうしている姿に、惚れてしまうんだろう。


 ボクは踵を返した。


 制服スカートのすそがはためく。


「おい、待てよ――」


 重治が大股で追いかけて来た。


 床越しにズカズカと振動が伝わり、すぐそこまで迫る。


 ボクが屋上のドアノブを握ろうとしたとき、肩を掴まれた。強引に言い寄られる。


「重治、離せ」


「ふざけんな、逃がすかよ――ふがっ!」


 凄んだ重治が、最後まで言い終えることはなかった。


 眼前のドアが内側から押し開かれ、誰かが屋上へ躍り出たんだ。開いたドアは重治の顔面を痛打して、みっともなく引っくり返らせる。


「やぁ、無事かい?」


「……カウンセラーさん!」


 現れたのはスクール・カウンセラーで、左手のステッキをくるくると振り回しながら、左の義足で重治を踏み付けた。


「おっと、気付かなくて踏んでしまったよ。よくある、よくある」


 いや、わざとでしょ、それ。


 抜群のタイミングで登場してくれたけど、狙っていたのかな?


 というか、ずっとボクらの様子を観察していたのか?


「君の帰りが遅いから、探してたのさ。もう日も暮れて、みんな帰る時間だからね」


「本当ですかぁ?」


 訝るボクの視線も、カウンセラーは涼風のように受け流してしまう。


 足蹴にされていた重治が、ふらふらと上体をひねり起こした。


「こ、この野郎、いきなり何しやがん――んぎゃっ!」


 立ち上がった瞬間、今度はカウンセラーのステッキが重治の足をすくい上げる。


 棒術……いや、杖術じょうじゅつか?


 ステッキを支点に、てこの原理で再び転倒させられた重治は、のたうち回った挙句に今度こそ戦意を失った。がくりと脱力したかと思うと、その場で白目を剥いている。


「か、カウンセラーって強いんですね」


「ちょっとした護身術さ。最近は義足の生活にも慣れて、ステッキが宝の持ち腐れにならないよう、いろいろ試行錯誤してるんだ。あるある」


 いや、ないよ。普通ないよ。


 何なんだこの学校は……。


 ボクは足下の重治と、そばに立つカウンセラーとを交互に眺めて、今後の苦労を思い描いて溜息をついた。




   *




 ――よし。


 事件が一段落した所で、ボクは泪先生に気持ちを告白しようと決心した。


 何せ、屋上で重治と対峙したときに、言ってしまったからね。


 ボクは保健室の湯島泪先生が好きなんだ、って。


 奴のことだから、ボクの秘めたる想いを言いふらすなんて姑息な真似はしないと思うけど、何かの間違いで泪先生の耳に入ってしまう危険がなくはない。


 なら、先手を打つしかない。


 当たって砕けろだ。


 どのみち、もともと勝ち目なんてなかったんだ。まだ泪先生と知り合って一ヶ月も経っていないし、教員と生徒の間柄だし……すっぱりフラれて後腐れをなくした方が良い。


 傷は浅いうちに消しておくべきなんだ。うん。


 それに――。


(それに、恐らく泪先生はノーマルだしなぁ。同性から告白されても嬉しくないだろう)


 そんな負い目も、もちろんある。


 性別の壁。


 ボクも洸ちゃんも、性の不一致に悩んでいた。でも重治はボクたちに目をかけてくれたと信じていた……それはとても幸せだったのに、彼の本音は、ボクを失望させた。


 重治に裏切られ、泪先生にフラれることで、ボクは生まれ変われる気がする。


 過去の自分と、決別できる気がする。


 新しい人生をスタートできると思うんだ。


「失礼します」


 保健室の引き戸を、ガラリと開けた。


 見慣れた保健室、リノリウムの床と薬品の匂い。


 デスクに向かう泪先生。


「ん~? また来たのね、渋沢沁ちゃん?」


 泪先生が、椅子を回転させてボクに向き直った。


 ち、ちゃん付けですか……。


 何か恥ずかしいな……。


 ボクは敷居を恐る恐るまたいで、ゆらめく制服スカートのすそを押さえながら、泪先生の眼前まで一直線に歩く。


「あら?」ただならぬ雰囲気に目を丸くする泪先生。「ど~したの?」


「告白したいことがありますっ」


「ガチガチに固まっちゃってるよ~? 何、何?」


「えっと、あの、その、同性で気持ち悪いと思われるかも知れないんですけど、ボクは体こそ女だけど、心は男っぽくて。だから、泪先生のことが好きなんです。保健室に通い始めた瞬間から、ずっと心を魅かれていました」


「あ~、うん、そういうことかぁ」


 泪先生が苦笑している。


 ああ、やっぱり困っている様子だ。どうしよう、どうしよう……。


「きっと沁ちゃんは『ディアナ・コンプレックス』なのかもね~」


「はい? ディアナ?」


「ディアナはギリシャ神話に登場する、狩猟の女神なの。女性でありながら男性顔負けの腕前だったから『男性的に生きようとする女性の心理』という意味で使われるわね~」


「ボクが……ディアナ……」


「性同一性障害ほど深刻じゃないけど、男勝りな性格だったり、異性に興味がなくて独身を貫いたりと言った事例が多いわね~」


 なるほど。


 確かにボクっぽい。


 そうか……ボクは古の女神ディアナか。それはそれで悪くないかも知れないな。


 泪先生も養護教諭なだけあって、心理学の基礎知識はあるみたいだ。


「じゃあ、ボクの告白は――」


「あいにくだけど~、私は駄目よ」


 案の定、爆死した。


 玉砕完了。


 残念だけど、スッキリしたよ。


「はい……駄目な理由、出来れば教えていただけますか」


「駄目と言っても、それは先生だからとか同性だからとかじゃなくて~……もっと別の理由があるのよね~」


「別の理由?」


「私にはが居るからね~」


 先約?


 ああ……あのカウンセラーか。


のことですか? あのスクール・カウンセラー……苗字が同じ『湯島』でしたもんね。やっぱりご夫婦なんですね」


「ファッ? 夫婦っ? えへへ~、そう見える? ね、やっぱりそう見えちゃう~? きゃっ、夫婦だって。きゃっ」


 唐突に一人で黄色い声を上げ始めた泪先生に、ボクは違和感を覚えた。


 何だ、このリアクション?


「ん? 違うんですか、泪先生?」



「だって私たち、だも~ん」



 …………。


 …………。


「え? ええええええええっ!」


 たまげた。


 ぶっ飛んだ。


 のけぞって、たたらを踏んで、引っくり返りそうになった。


「は? 兄妹? だからだったんですか!」


「そゆこと~」


 ボクの勘違いだったのかよっ。


「で、でも、兄妹にしてはスキンシップが激しかったりして、仲が良すぎませんか?」


「そりゃそ~よ。私は、お兄ちゃん大好きな『ブラザー・コンプレックス』だもん」


 あ、ああ……。


 ここにも居たのか、ブラコンの心理を持つ者が。


 というか、ここの伏線だったのかよ、ブラコンって。


 あのカウンセラーがぽつりとこぼした『身近な例』って、泪先生のことだったのか。


 あの人も、いろいろ背負っているんだな……。


「私ね、高校生の頃、車に轢かれそうになったことがあるのよ~。でもそのとき、お兄ちゃんが身をていして助けてくれたの!」


「へぇ……それで、ナミダ先生に愛情を抱くようになった、と?」


「そ~なの! お兄ちゃんはその事故でしちゃったのよ~。だから、あの義足は私にとって勲章であり象徴なのよ! お兄ちゃん大好き!」


「義足には、そんな秘密があったんですね」


 ボクはようやく納得できた。


 合点が行った、と言うべきか。


 ナミダ先生の義足に秘められた経緯は、泪先生が惚れるに足るものだ。体を張って家族を守る……そんなの、ボクなんかじゃ逆立ちしても勝てっこない。


「だから~、私はお兄ちゃんの正妻にはなれないけど~、内縁の妻って自称してるの!」


「自称、ですか」


 とてつもなく虚しい自己主張に、ボクは憐憫を禁じ得ない。


 でも、そこに宿る『想い』は理解できた。


(――みんな、叶わぬ恋に身をがしている)


 報われぬと知りながら、それでも一途に想いを伝えようとしている。


 世間的には異常でも、それをこいねがう理由がある。重みがあるんだ。あるある。


(心って、複雑だな)


 でも。


 だからこそ、心は面白い。


 なんてことを胸にみつつ、ボクのちょっぴり歪んだ新学期が幕を開けた。




   *




――第一幕・了






・使用したよくあるトリック/性別誤認トリック


・心理学用語/アニマ・アニムス、ブラザー・コンプレックス、シスター・コンプレックス、性同一性障害、ディアナ・コンプレックス






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