ボクはカウンセラーに魅入られる――1




 相談室で、ボクはカウンセラーにあらましを語り終えた。


「洸ちゃんは夜中、どうしても重治と話がしたくて、隣家の窓へ飛び移ろうとしたか、あるいは重治の窓を叩こうと身を乗り出した際、誤って転落したようです」


「隣家との隙間はどれくらいあるんだい?」


「一メートルくらいです。だから窓から目一杯手を伸ばせば、重治の部屋の窓を叩けるし、窓が開いていれば飛び移ることも出来ます」


「なるほど。つまり洸ちゃんは重治くんの部屋へ窓から入ろうとしたんだね。けど、窓は閉ざされたままだったので、何度もアプローチするうちに、バランスを崩して転落してしまった。ありがちと言えばありがちだなぁ」


「ありがちなんですか?」


「追い詰められた人の心は、突拍子もないことを平気でやらかすものさ。窓をひょいと渡れば、彼に会って釈明できると短絡的な考えが浮かんだのかも知れないよ。うん、あるある」


 そ、そんなものかなぁ……。


「それで警察はどう処理したんだい?」


「警察は事故死と断定しました。今説明した通り、窓へ手を出そうとして落下したと」


「重治くんは何も覚えがないのかな?」


「はい。夜はぐっすり眠っていたそうです。物音一つ気付かなかったと。あ、でも――」


「でも何だい?」


「翌朝、重治の右手の爪に、うっすらと血の跡が付いていたような。ボクが指摘すると、指先をドアに挟んだとか言って、慌てて手を洗いに行ってしまいましたけど」


「へぇ……指先に血痕か。あるある」


 このカウンセラー、いちいち思わせぶりな相槌を打つし、発言にも含みを持たせてばかりだから、どうもスッキリしない。


 この人には、何が見えているんだろう?


 ボクが述懐した通りの内容ではなく、全く別の光景が浮かんでいるんじゃないかって、ときどき不安になる。


「君のお話で『性同一性障害』が登場したけど、それは本当かい?」


「あ、はい。洸ちゃん本人がそう名乗っていました」


「興味あるなぁ。あるある。心理学や精神疾病でも、性同一性障害は関心の高い分野だ。それはフロイトやユングも提唱していた心理属性『アニマ・アニムス』にも密接な関わりがあると僕は考えてる」


「アニマ・アニムス……?」


 知らない単語なので、ボクは思わず聞き返してしまった。


 カウンセラーはまるでボクがそう呟くのを予想していたように、深く頷いてから滔々とうとうと解説を始めるのが悔しい。


 あたかもボクの反応を先読みして、誘導しているかのようだ。


「アニマ・アニムスは、各人の心に秘めた『女性像アニマ男性像アニムス』という意味だよ。人が誰しも胸中に思い描く、模範的な異性像……理想の異性とでも言えば判りやすいかな」


「理想の異性……」


「人はみんな好みがあり、それによって浮かべる異性像もさまざまだ。理想像に最も近い人物と交際したがるし、異性に自分の願望を押し付けようとする心理がある」


「アニマ・アニムスは、洸ちゃんの中にもあったんですか? あの子が思い描く理想像を自分に投影して、可愛い女の子になりきろうとしたとか?」


「君は賢いね。その子は、肉体的には男だった。男から見た異性像は女性像アニマだ。彼は理想の女性像を自らに課した。同時に、それは重治くんの好みにも合致してたんだ。ありがちな話さ」


 洸ちゃんは気立てが良く、線も細くて、放っておけない女の子を装っていた。


 もともと骨格も華奢だったんだろう。食生活にも気を遣っていたと思う。


「性同一性障害も、今では『性別違和』と呼ぶ意向があったりして、取り巻く環境が変わりつつある。染色体の性分化疾患の症例で、心と体の性認識が必ずしも一致しないことが科学的に判明してるし、いろいろ根が深いんだよ。性転換手術や同性愛者の結婚など、世界各地で法整備が物議をかもしてるね」


「ボクは洸ちゃんの個性を認めて、受け入れていましたよ? 重治も、最初はショックだったかも知れないけど、時間が経てばきっと判ってくれるはず――」


「君たちの場合、それはまた別の感情かも知れないね」


「別の感情?」


 ボクが眉をひそめると、カウンセラーは言葉を慎重に選ぶように、思案げに天井を見上げた。


 つられてボクも天井を仰いだものの、特に何もありはしない。


「君たち三人は、昔からの幼馴染で、実の兄弟のように親しかったそうだね?」


「はい。それが何か」


「ブラザー・コンプレックスやシスター・コンプレックスという俗語がある」


「え?」


「有名な言葉だから聞いたことはあるだろう? うん、あるある」


「いわゆるブラコン、シスコンですよね? 兄妹や姉妹に劣情を抱くっていう」


「重治くんの感情はそれに近いんじゃないかな」


 確かにボクたちは、兄弟さながらに仲睦まじかった。


 ボクたちが重治を慕っていたのも、頼れる『兄貴』分としての一面が大きいのは否定できない。同い年だけど。


 つまり重治も、洸ちゃんを想う気持ちは、可愛い『妹分』の面倒を見るような感覚だったのかも知れない。


 となると、いささか話が変わって来る。


 洸ちゃんが女ではないと判明した以上、重治は『妹分』への気持ちを抱けない。騙されていたという恨みだけが残存しかねない――。


「実際、この手の報告はよくあるんだよ。僕の身近にも一人、ブラコンと異性像を倒錯してしまった実例が居るからね」


「身近にも?」


 誰だろう、それは。


 ボクの知らないことを話されても困る。


 とにかく、カウンセラーの能書きは簡略的ではあったけど、大筋は理解できた。


 重治は、洸ちゃんへの恋心を裏切られたことに衝撃を受けたのではなく――。



 ――重治の心理的欲求だった異性像とシスコンという『』ことに傷付いたんだ。



 それによって洸ちゃんもまた傷付くという、負の連鎖が発生した。


 はぁ……やっぱり鬱だ。


 結局、気分は晴れないままだよ。ボクの胸は締め付けられるほどに痛い。


「ボクは、どうすれば良いんですか」


 だからボクは訴えるんだ。


 さぁ、このカウンセラーはどう癒してくれる?


 泪先生の肝いりで雇われたカウンセラーなら、ボクの悩みなんてお茶の子さいさいに解消できるんだろう?


「性別誤認や詐称って、推理小説ミステリーではよくあるトリックだよ。あるある」


「え?」


 このカウンセラー、突然あらぬ方向から話を切り出した。


 小説の話なんてどうでも良いんだけど……?


「男キャラだと思わせて実は女だったとか、その逆もしかりだね。いわゆる叙述トリックの一種だけど、そうやって読者を騙し、勘違いさせて、真相を隠す手法だ」


「あの、それが何か?」


「近年パッと思い付くだけでも――内容に抵触するから嫌な人は耳を塞いで――殊能将之のハ○○○とか、本多孝好のチェ○○○○○○とか。反対に、最初から性別誤認を明言した逆トリックもあるね、麻耶雄嵩の『螢』はいきなりバラしてるから問題ないだろう」


「だから、それがどうしたって言うんですかっ」


「君は、真実を求めてるだろう? 君は警察の見解に納得できないから、今も心を痛めてるんだ。ならば、警察とは『別の真実』を導き出すしかない」


「べ、別の真実ぅ? そんなもの、あるんですか?」


「あるよ、あるある。真実が一つだなんて誰が決めた? 真実は。解釈次第で、いくらでも真実なんて出来上がる。だったら、君の溜飲が下る『真実』を探そうじゃないか。僕のカウンセリングは、そうやって相談者を治すんだ」


「…………!」


 どきりとした。


 心臓を握られたような衝撃だった。


 こんなカウンセラー、見たことない。


 カウンセラーは人によって手段も語り口も異なると言われるけど、ここまで型破りなことをぬかす輩は、他に居ないんじゃないか?


「ある意味で、重治くんは、性別誤認の被害者と言えるかも知れない。それが引き金となって、一転して洸ちゃんを拒絶し、忌避するようになったんだ」


「重治が、洸ちゃんを憎むようになったと言うんですか?」


 嫌な予感がする。


 何を言うつもりだ、この人は?


 この人は全くもって破天荒だ。支離滅裂すぎる。


 ボクの頭が悪いのか? それとも、ボクがこの人を認めたくないだけなのか――?



「この件は事故死じゃない。だよ」



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