ボクは春休みに男の娘と泊まる――2
「やっほー沁、来ちゃったよー」
夕刻になって、洸ちゃんが我が家を訪れた。
背中にかかる黒髪を後ろで結び、ノンスリーブのセーターにアームウォーマー、風になびくロングスカートをまとった春らしい装いが、ボクの目を癒してくれる。
玄関口に立った背丈はとても小さく、肩も細い。腰なんて、今にも折れそうだ。
あとで気付いたけど、華奢な雰囲気が泪先生に似ている。
ボクがあの先生に魅かれるのは、洸ちゃんの面影を見出しているから――?
「おう、お前ら早ぇな」
隣家の垣根越しに声をかける重治が、かろうじて見えた。
そりゃあ近所だからね、ものの数分で集まれるさ。
重治に食料の仕入れを頼み、お金を渡してから、ボクと洸ちゃんは二階へ上がった。
二階は三部屋あり、一つは親の寝室、一つはボクの個室で、残り一つは空き部屋になっている。昔はこの空き部屋を客間代わりにして、洸ちゃんを泊めていたっけ。
「あたしの荷物、ここに置かせてもらうね」
洸ちゃんは、着替えやコスメ用品を詰め込んだバッグを両手で抱えながら、勝手知ったる所作で客間に滑り込んだ。
客間はベッドと文机が置いてあるばかりの簡素な内装だ。
窓の外は、隣に建つ水城家がすぐそこまで迫っている。
向かい合う窓も、重治の個室だ。今はカーテンが引かれて室内を拝めないけど、重治らしい武骨かつ殺風景な内装なんだろうな。
なんてことを考えていると、階下から重治の
「うーっす! お邪魔しまっす、水城重治でーっす! あっどうもオバサン、俺のことはお構いなく! 沁は二階っすかね? 上がらせてもらうっす!」
ずかずかと階段を登って来る気配が察せられた。
重治はいつも賑やかだなぁ。そんな直情的な率直さが、好漢の理由なんだけどさ。
「ほーら飯買って来てやったぞ! 騒ごうぜ!」
両手いっぱいのコンビニ袋を掲げた重治が、宴の開催を宣言した。
洸ちゃんも「おーっ」と手を挙げると、ボクの部屋に移動してお菓子を開封する。
ボクの部屋は、重治から笑われるほど少女趣味で、宝塚のポスターが貼ってあったり、本棚の漫画も『リボンの騎士』とか『桜蘭高校ホスト部』とか『花盛りの君たちへ』と言った少女漫画が所狭しと並べられていたりする。
テレビゲームやトランプ、ボードゲームなどでひとしきり盛り上がったあと、テレビ番組を観たり、雑誌を読んだりして思い思いの時間を過ごした。好きなようにダラダラ過ごせるこの距離感が、三人のパーソナル・スペースなんだ。
「あ。あたしそろそろお風呂借りてもいいかな?」
洸ちゃんがふと、体のあちこちをポリポリと指で掻きながら尋ねた。
見れば、さっきからしきりに肌へ爪を立てている。
場所によっては掻きむしりすぎて、うっすらと引っ掻き傷が残っているほどだ。
「ああ、いいけど」眉をひそめるボク。「どうしたの、それ?」
「んー。最近、体がかゆいのよねー。別にアレルギーだとかハウスダストとかじゃないんだけど。心因性のストレスかな。ムズムズして、落ち着かなくて」
体がかゆい?
「引っ越しのストレスとかか?」
「判んない。でも、そうかも」
ああ、やはり洸ちゃんも、本心ではこの町に
ストレスが原因で体を掻きむしってしまう例は、聞いたことがある。落ち着かずに体がうずいたり、
「おいおい、大丈夫なのかよ!」目くじらを立てる重治。「本当にアレルギーじゃねぇのか? さっき食べた菓子ん中に変なもん入ってなかったか?」
「それは平気よ。その程度はあたしも心得てるし」
「な、ならいいけどよ。気が気じゃねぇな、洸ちゃんに万が一のことがあったら――」
重治の奴、思い詰めた顔をしている。
へぇ……もしかして重治って、洸ちゃんのことを……?
いや、だとしたら、幼馴染でありながら一線を越えることになるし、ちょっと重大な問題点を抱えることにもなるけど――。
洸ちゃんが着替えを携えて風呂場へ降りて行くと、重治はボクに弱音を吐いた。
「あーくそ。やっぱ辛ぇわ。表面上は笑って送り出してぇのに、別れたくねぇよ……」
「重治、やっぱり君は洸ちゃんを――」
「好きだぜ。あんなに可愛いし、昔から俺になついてたら、惚れるに決まってるじゃん」
うわ……やっぱりそうなのか……それはマズイな……。
「重治、そのことなんだけどさ」
「あぁん? 何だよ?」
「洸ちゃんは確かに、そこら辺の女子より女の子らしい外見しているよね。身なりやお化粧にも気を遣っているし、言葉遣いも垢ぬけた女の子っぽく振る舞おうとしているし」
「? 何が言いてぇんだ沁? そんなの、女の子なら当たり前――」
女の子なら。
――でもボクは、一度も洸ちゃんが女性だとは描写していない。
「女の子じゃないからこそ、女の子らしく振る舞って、コーディネートして、化粧して、補おうとしていたらどうする? 今は女装用メイクだって発達しているんだ」
「はぁ? お前、何言って――……」
……重治の台詞が途切れた。
ざわつく予感。ボクのさり気ない助言で気付いた事実。
「ヒカルって名前は、男性にも女性にも名付けられることの多い、中性的な響きだよね」
「ま、さ、か!」
重治が部屋を飛び出した。
しまった、速い。ボクが止める暇さえなかった。
重治が階段を駆け下りる音。
風呂場の脱衣所から轟く、叫び声。
「洸って男だったのかよーっ!」
我が家を、重治の絶叫がつんざいた。
(洸ちゃんは『性同一性障害』で、性別を偽る『男の
だから洸ちゃんは、学区外の学校に進んだ。男女を明確に区別される制服がない、私服の学校を探していたらしい。そういう所はジェンダーにも理解があるしね。
お泊まり会は一変して、辛気臭くなった。
重治は逃げるように隣家へ撤退し、電話にすら出てくれない。
相当ショックだったようだ。
まぁ、無理もないか……ボクのせいかなとも省みたけど、二人の幼馴染として言わずには居られなかったんだ。
洸ちゃんだって勘違いされたまま過ごすのは嫌だろうし、重治だって性別を誤認したまま恋心を引きずるのは、禍根を残すに決まっている。
「沁、どうしよう。あたし重くんに嫌われちゃった?」
廊下の片隅で、泣き腫らして真っ赤になった瞳をこすりつつ、洸ちゃんはボクに助けを求めた。風呂上がりの寝巻き姿も、本物の女の子みたいで可愛らしい。
「洸ちゃん、今日はもう寝よう。明日になれば、重治もいくらか落ち着くだろうし」
「でも――」
「冷却期間が大事だよ、今は」
ボクは洸ちゃんを客間に連れて行く。不服そうにしかめ面をかたどる洸ちゃんだけど、今はどうしようもないことを悟ったのか、おずおずと室内へ引っ込んだ。
「この部屋の向かいの窓って、重くんの個室よね?」
「そうだけど、呼びかけても無駄だと思うよ。無論、窓伝いに押しかけるのもね」
「わ、判ってるよぉ……聞いてみただけ……お休みなさい」
「お休み」
ボクは客間を出た。静かにドアを閉める。
そして僕も、自室にこもって溜息をついた。
(ボクも寝よう……もう疲れた)
――その後、事件は起こったんだ。
夜は更け、やがて明けて、日が昇る。
ボクは雀の鳴き声で目を覚まし、自室から出ると、迷わず客間をノックした。
……返事がない。
「洸ちゃん?」
ドアを押し開けると、中はすでに無人だった。
バッグは置いてあるけど、ベッドから洸ちゃんの姿が消えている。
びゅうっと風が吹き込んだので、ボクはそっちを振り向いた。
(窓が開いている!)
重治の部屋に面した窓だ!
妙な胸騒ぎに見舞われたボクは、窓際へ飛び付いた。
重治の部屋の窓は閉まったままだけど――。
ごくり、と息を呑み、窓の下を覗き込む。
「洸ちゃんが転落している!」
隣り合う水城家と我が家との隙間――敷地の
窓から真っ逆さまに。ゆうべの寝巻き姿のままで。
頭を強打し、首の骨を折って、出血を地面ににじませながら。
大急ぎでボクは廊下へ戻り、階段を駆け下り、裸足のまま側庭へ回り込む。
洸ちゃんはすでに息を引き取り、死体は硬直し、肌には
*
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