ボクは春休みに男の娘と泊まる――1




「まずは君の氏名から伺おうかな」


「ボクは……渋沢しぶさわしみるです」


「しみる?」


「さんずいに心、と書きます。胸にみるとか、心に訴えかけるという意味です」


「良い名前だ。心の機微を感じ取れる優しい人になりますように、っていう名付け親の気持ちがあるね。あるある」


「そうかな……」


 ボクはあからさまなお世辞に首を傾げた。


 名前の由来という他愛ない日常会話から話を広げて、徐々に打ち解けようとしているに違いない――。


「さっそく本題に入ろうか」


 ――あれっ?


「君は先月の春休みに、心の傷を負ったと聞いてるよ。思い出すのは辛いかも知れないけど、あらましを聞かせてくれるかな? もちろん、出来る範囲で構わない」


「ず、ずいぶんストレートに訊きましたね」


「僕が回りくどく雑談するだろうと君は予測して身構えたので、逆を突いたのさ」


「……ボクの心が読めるんですか?」


「読んでるわけじゃないよ。分析してるんだ。あるある」


 どう違うんだ、それ。


「虚を突かれると、人は心がほぐれるのさ。警戒がゆるんで、思わずポロッと心境を述べやすくなる。だよ」


「ってボクに教えちゃったら意味ないじゃないですか」


「ま、無理に話さなくてもいいよ」あっさり身を引くカウンセラー。「今日中に解決する義務はないからね。雑談でもして過ごそうか? 君のように強情な相談者は珍しくない。そういうときの対処やマニュアルも心理学にはあるのさ。あるある」


「さっきから手の内を暴露しまくっていますけど大丈夫ですか?」


 ペラペラと口が軽い人だな。


 全ては話術、マニュアル通りだなんて、幻滅だよ。


 相談者はもっと親身に話を聞いて欲しいものだ。なのに、マニュアルに書かれた機械的な対応だと言われたら、失望してしまう。


(あるいは……相手がボクだから?)


 ボクのようなひねくれた人間には、逆に手の内をさらした方がフェアなんだろうか。


「普通のカウンセリングは『傾聴けいちょう』と言って、相談者に寄り添って話を伺うんだけど、僕はそんなやり方はしない。相手の心を覗き、さらして、解決策を直接えぐり出すんだ」


 ええー……理解できない。


 このカウンセラーの意図が、素人のボクには理解できない……。


「相談者との距離感や親密度なんて、どうとでもなるからね」


「そうなんですか?」


「そもそも僕は、ルイからすでに君のことをある程度聞きかじってる。正直、だと思ったよ」


「なっ!」


 それはボクの逆鱗に触れるか触れないかの、ギリギリの線を攻めて来る暴言だった。


 ――『よくある不幸』だって?


 ボクにとっては一大事なのに、そんな軽々しく断じるなよ!


 ていうか、泪先生を呼び捨てにするなよ……。


「学校側も、君の春休みに起きた一部始終は知ってたから、情報を提供してくれたよ」


「ぷ、プライバシーとか個人情報の守秘義務とか、ないんですか」


「ある程度の情報共有は容認されるべきだからね。スクール・カウンセラーは週イチしか出勤しないから、普段の様子を知るために担任教師から生徒のことを聞いたり、養護教諭と意見交換したりするのは日常茶飯事よくあることだ。あるある」


「~~~~~~……っ」


 言いくるめられた気がしなくもないけど、言いたいことは理解できた。悔しい。


 判った、判ったよ。


 ボクの負けだよ。


 ボクは肩を落としながら観念した。盛大に溜息をつく。


「仕方ない……話すだけ話しますよ……それで良いんでしょう?」


 この人に従って、本当に胸のつかえが取れればめっけもんだしね。


 駄目で元々だ。今回は泪先生の紹介に免じて、カウンセラーに乗っかってやろう。


「ああ、お願いするよ」


 にっこりと好青年風に破顔したカウンセラーが、ちょっと癪に障った。




   *




「あたし、四月から引っ越すことになったの。親の仕事の都合で」


 ――春休みの、悲しい知らせ。


 近所に住む幼馴染・沼田洸ぬまたひかるちゃんが、突然こんなことを切り出したんだ。


 ボクは心臓が飛び出るかと思った。


 その子とは家族のように仲良しだったから……。


 洸ちゃんは昔から学区外の進学校へ通っていて、学園生活の様子は知らないけど、休日は必ず顔を合わせていたし、よく遊びに出かけていた。


 この子と離れ離れになるなんて、青天の霹靂以外の何物でもない。


「いきなり急すぎるだろう」うろたえるボク。「じゃあ高校はどうするんだ?」


「転校すると思う。実は転入試験も先日、受けて来たばかりなの。で、問題なさそうだから、沁にも教えようと思って――」


「冗談じゃないっ。ボクたちは一心同体だったのに! そうだ、あいつは? 重治しげはるは何て言っているんだ?」


しげくんにも言ったよ。そしたら、家の事情なら仕方ないって理解してくれたわ」


「そんな……あいつめ!」


 ボクは一人で歯噛みした。


 ボクと、洸ちゃんと、重治――水城みずき重治――は、大の仲良しだった。学校も性別もバラバラだったけど、性差なんて関係なかった。


 重治はボクの隣家りんかに住む、同い年の偉丈夫だ。男らしい体格と言動がリーダーにふさわしくて信頼していたし、彼もボクや洸ちゃんに目をかけてくれた。


 重治とボクは、小学校から高校までずっと同じだ。登下校も二人で通学しているし、話題も洸ちゃんのことが多かった。


「じゃあ洸ちゃん、久し振りにウチ来なよ。泊まりにさ」


 ボクは居ても立ってもいられず、口からこぼれた。


 洸ちゃんは一瞬だけまごついたけど、すぐに表情を明るくし、手を叩き合わせる。


「わぁ。沁ん家でお泊まり会、昔はよくやってたよね」


 洸ちゃんも覚えていたようで何よりだ。ボクたちは近所だから、互いの家へ泊まりに行くなんてしょっちゅうやっていた。


 さすがに近年は、みんな部活だのアルバイトだの塾だので都合が付かなかったけど、決してお泊まり会に抵抗があったわけではない……と思う。多分。


となりの重治も呼んで、騒ごう。最後の思い出作り……ってわけじゃないけど」


「あはは、沁ったら大袈裟。別に二度と会えないわけじゃないよ? ちょっと遠くに離れるだけ。夏休みとかの大型連休には、また遊びに来るし」


 洸ちゃんは屈託なく笑い飛ばした。


 その明るい相貌に、ボクや重治は幾度となく救われて来た。この子は三人のムードメーカーだったし、ボクたちの的な役割でもあった。


 帰宅したボクは、さっそく隣人の重治にスマホで電話した。


「もしもし、重治? 実はさ……」


『――あ? 高校生にもなってお泊まり会とかガキかよ』


 電話越しの重治は、とても高校生とは思えない胴間声どうまごえの持ち主だった。


「そう言うなって重治。洸ちゃんの転居は聞いているだろう?」


『聞いてるけどよぉ、今どき男女が同じ屋根の下で寝食をともにするなんて――』


「意識しすぎだってば。ボクらは幼馴染だろ? 親だって気にしないよ」


『そ、そうか……ま、洸ちゃんとは最近あんまり話せてなかったしな。ちょうどいいか』


 お、喰い付いた。


 重治なら判ってくれると思ったよ。


「最近は三人全員の都合が合うことも少なかったからね。改めて親睦を深めておくのも悪くないよ」


『そんじゃあ、コンビニで食いもん調達して来るかぁ。今夜、お前ん家でだよな?』


「うん。待っているよ」


 話の段取りは、呆気なく整った。


 ボクと、洸ちゃんと、重治の、最後のお泊まり会。


 幼馴染の新たな門出。


 ――そうなる予定だったんだ。




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