ボクは保健室の先生が好き――2


 スクール・カウンセラーとは、学校におけるメンタル・ヘルス・ケアを担当する、いわゆる『お悩み相談室』だそうだ。


 この高校にそんなものがあったなんて……認知度が低すぎる。


 少なくともボクは知らなかった。他の生徒たちだって似たような認識だろう。


 実際、利用者はまだまだ少ないのが現状のようだ。毎日常駐する養護教諭と違って、スクール・カウンセラーは週に八時間しか出勤義務がないらしい。


 週に一日ぽっきりだ。


 道理で馴染みが薄いわけだ。


 おまけにスクール・カウンセラーの配置は公立校における文部省の方針であって、私立校への配備は後回しにされた歴史がある。


 当然、私立朔間学園は公立校より遅れて導入された。生徒側も不慣れで、他人に悩みを打ち明けるのは勇気がいる。


 どんなに相談内容を守秘すると言っても、スクール・カウンセラーには学校側へ報告義務があるだろう。悩みの原因がイジメや教師のパワハラなど学校問題に直結する場合は、間違いなく報告される。


 プライバシーなんて守られない。


 なおさら利用が億劫になる。


 週イチしか来ないカウンセラーと、信頼関係なんて築けっこない。


 また、泪先生がおっしゃるには、スクール・カウンセラーは非常勤扱いだから本職を他に持っている人が大半らしい。


 本職……精神科医だったり、臨床心理士だったり、大学で心理学を教えたり、各種研究機関に携わったりなど。


 ゆえにカウンセラーは片手間だ。本腰入れて相談に乗ってくれるとは思えない。


「君は運がいいよ~。ちょうど今日は、私と仲良しのスクール・カウンセラーが来訪する日だもん。もはや運命よね~」


 案内する泪先生は、いつもより心なしか声が弾んでいた。歩調もスキップと見まがうほど浮かれている。


 何がそんなに嬉しいんだろう?


 スクール・カウンセラーとやらが、それほどまでに傑物なのか?


「さ、着いたよ~」


 職員室のさらに奥、校舎の片隅にあてがわれたその部屋は、ぽつねんと入口のドアを一つ設けていた。


『心理相談室』


 という表札が、雑な手書きで申し訳程度に提示されている。


 ここか……。


 こんな場末じゃ、一般生徒はまず気付かないよ。大半の人は、手前の職員室までしか足を踏み入れないからね。とにかく存在感が希薄だ。


 ボクは制服のすそを正して、泪先生に向き直った。


「ここに、心の専門家がいらっしゃるんですか?」


「安心して。その人は公認心理師、臨床心理士、心理学博士号まで持ってるから~。いつもは大学で教鞭をとってるんだけど~、私のお願いでここへの派遣を即諾そくだくしたのよ!」


「はぁ」


「即諾って凄くない? 二つ返事よ、二つ返事! 神よね、神神。きゃ~、私のお願いを即座に了承してくれるなんて、これってやっぱり運命だわ~、きゃ~」


 ……な、何を言っているんだ……?


 泪先生、急に一人で舞い上がり始めたぞ。両手で頬を覆うと、くねくねと腰を振っている。


 妖しい匂いがする……。


 もしかして、そのカウンセラーって人は、男……なのか?


 泪先生がここまで惚れ込むほどの人物。


 だとしたら、別の意味でボクの心が病みそうなんだけど……。


「あの人も速攻で校長にかけあって、スクール・カウンセラーの手続きを組んだわ。そしたら今日、さっそく出勤したってわけ! あ~ん、これで週に一度、あの人と同じ職場で同じ空気を吸って暮らせるんだわ~。幸せだよぅ」


 あ……駄目だ。


 泪先生、ここではないどこかを幻視している。み、見なかったことにしよう……。


「失礼しま~す、やっほ~来ちゃった~!」


 泪先生が飛び込んだ相談室内は、六畳ほどの手狭な一室だった。


 応接用のソファとテーブルが中央に置かれ、正面奥にはデスクとアームチェアがあるばかりだ。


 ウッディな本棚もあるにはあったけど、収納されている文献は少ない。あまり利用されないせいか、閑散としているのも合点が行く。


「やぁ、来たね」


 アームチェアが回転し、人が立ち上がった。


 なぜか左手にステッキを持ち、軽やかにこっちへ歩いて来る。


 よく見ると、左足首が機械音の伸縮を伴っていた。


(あれって……義足ぎそくか?)


 その人は案の定、男性だった。ボクは心の中でカチンと来る。ズキンとも痛んだ。


 男性は、泪先生と同じ二〇代後半くらいで、顔立ちの似た眉目秀麗な御仁だった。身長は高くない。その代わり少年のようにしなやかな体躯と、透明感のある声が、ボクを清涼感で満たそうとする。


 何だこれ……油断すると呑まれそうになる。


 彼の庇護下に入れと、空気が訴えている。心を許し、ゆだねろとオーラが出ている。


「君が相談者だね? 僕は湯島ナミダ。普段は大学で心理学講師をやってるよ」


 ――


 とても自然な『僕』。


 堅苦しい『ボク』ではなく、使い慣れた自然な言い回しの発音だ。


(ん? この人も『湯島』って名乗ったぞ……を!)


 苗字が同じってことは、まさか、け、結婚…………しているのかっ……?


(夫婦なのか、この二人?)


「うわ~い、会いたかったよぉ」


 泪先生が、ボクとカウンセラーの合間へ割り込んで来た。カウンセラーの手をギュッと掴んだかと思うと、あまつさえ手繰たぐり寄せて熱い抱擁ハグを交わしたじゃないかっ。


 だ、抱き合っている……!


 ガーン。


 これはもう、決定的なのでは……。


「こらルイ、あまりくっ付くんじゃない」


「だぁって~、私のすすめでカウンセラーを引き受けてくれたことが超絶嬉しくてたまらないの~。私もう興奮しすぎてイキかけちゃったわ。すりすり。えへへ~」


 も、物凄い甘え方だ。


 男性も『ルイ』って気安く呼び捨てているし……。


 間違いない……これは夫婦だ……。


 いけない、ますます気持ちがへこんで来た。


 ボク、もう帰ろうかな……。


「君、どこへ行くんだい?」


 退室しようと制服のすそを翻したボクに、カウンセラーが声をかけた。


 うるさいなぁ……と思った瞬間、今度は泪先生がボクの眼前へ回り込んだ。さっきまで男と抱き合っていたのに、変わり身が早すぎる。


「帰っちゃ駄目よ~? 君に逃げられたら私の面目が立たないでしょ~?」


「心配する所、そこですか」


「あ、つい本音が~……ってのは冗談だけど、とにかくこの人に相談すれば絶対確実に心の闇を払って解決できるから! 私が保証するから! ね?」


「はぁ……」


 盲信的な勧誘に、ボクは内心引いていた。


 何にせよ、言われるままボクは座るしかない。逃げ場はもうない。


 ここまで来たら腹をくくるしかないか……あ、このソファ柔らかい。気持ちいい。


「信用してないみたいだね」


 テーブルを挟んだ向かいのソファに腰かけたカウンセラーが、ボクの思惑を見抜いたようなことを呟く。


 確かに信用してないけど。


 初対面の相手を信用しろっていう方が、普通は無理だと思うけど?


「警戒心が強いのは賢い証拠だ。かと言って、人見知りでもないようだ。君はとても利発だし、思慮深いし、頭の回転も速い方だね。成績は上位で、人付き合いも狭くはない。ただ、運動は苦手かな? 頭で考えるタイプだから、咄嗟に体が動かないし、自制心が強すぎて口調もぎこちない。違うかい?」


「な、なんで判るんですか! ボクの喋りがぎこちないことまで……」


「簡単な心理分析だよ。君の仕草や態度、身振り手振り、視線、口調、語彙……目は口ほどにものを言うけど、目だけじゃない、人は全身で心理を体現する生き物だ。心理学の統計や傾向から推察し得る、最もを選出してみたんだよ。警察はそれを『プロファイリング』として犯罪捜査に利用してるね」


「大体当たっています……でも、ますます怖くなりました。話しづらいな」


「無理もない。悩みを吐露するのは抵抗があるものだ。最初の一言を切り出せず、尻込みしてしまうのはよくあることさ。あるある」


「けど、ボクは――……」


 などとボクが言い淀んでいると。


「じゃ~お二人さんごゆっくり~。ちゅっ」


 泪先生がひらひらと手を振って――ついでにカウンセラーへ投げキッスして――相談室から出て行ってしまった。


 え。じゃあ今から、ボクとカウンセラーの二人っきり?


 ますます居心地が悪いんだけど……。


「遠慮せず話してごらん」身を乗り出すカウンセラー。「君が全てを告白したとき、あらゆる心の負荷が軽減されることを約束しよう」


「ボクは……ボクは……」


「この世の全ては心理学で説明が付く。なぜなら、あらゆる出来事は『人の心』が発信源だからね。当然の帰結だろう? うん、あるある」




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