第1話 後編

カンカンカンカン。

自分の靴音が暗闇に響く。ほんのすこし欠けた月は雲で陰り、さっきから見え隠れしている。

この建物に不法侵入して非常階段を登るこの自分を早く見つけて欲しい。


でも、もしも、もしも誰にも気付かれず上まで着いたら飛ぼう。思いっきり飛ぼう。




スッと息を吐いた。何事もなく俺は最期の場所へと辿り着いた。眼窩は光と闇が混ざりあっている。不思議と恐怖はない。寧ろ、風の寒さの方が気になる。


俺は飛べる。もうどうにでもなれ。


あの少女の顔が浮かぶ。チクリと胸が痛む。


もう人生、終わってるんだ。

全てがダメな自分。失うものなど何もない。


鈴のような声が脳内で再生される。

俺は飛べる。そう、飛べるんだ。


あの子は使者かもしれない、俺を踏ん切らせる為の。


飛べ。


強風が吹いた。絶好の追い風だった。











「竹下君、ここなんだけど」


「はい」


上司が俺の元に来て、指示してくれる。上司も同僚もどこか俺に甘い。こんな事を言ってはいけないかもしれないが、許して欲しい。ようやく仕事も見つかり、余裕が出てきた。あの頃の状況が嘘のようだ。


「んっ、大丈夫?」


「はい、大丈夫です」


同僚が自分を気遣って声をかけてくれる。

俺はあの子のようにニコリと笑顔で返した。













車から降りて深呼吸した。

仕事が終わり、夜を待ってここへ来る。人気のない山頂。真っ暗で吸い込まれそうだ。いつものように足元に細心の注意を払う。


周囲に誰もいないのを何度と確認する。見られると面倒だからだ。


俺はそっと手を、いや翼を広げ星空の下へと飛び立った。


ついさっきまで座っていた車椅子から離れ、俺は自由になった。









あの日、俺は飛んだ。


そう、死ぬつもりで。

けれど、俺は死ななかった。普通なら死んで当然の高さにもかかわらず。


俺は自分の手で飛べたのだ。体は風を受けて軽やかに夜空を駆けた。


そして、いつの間にか初めてあの子に出会った場所に倒れていた。飛び降りた建物とは直線距離で車でも一時間はかかるところにだ。


通りがかった方が救急車を呼んでくれ、俺は病院に運ばれた。混濁する意識の中であの子の幻を何度も見た。


「毎日飛べたら歩くのと一緒になるよ」


「いつでも飛べたら価値なんてなくなるかもよ?」


「飛べたら歩く必要なんかなくなるよ。それでもいいの?」



それでもいい。

飛べたら何かが変わりそうだから。変わりたいんだ。












退院した俺は足を失った。脳にも神経にも足自体にも異常は見られないのに、俺の足は全く動かなくなった。

その代わり、別のものを得た。


得たものと失ったもの、その大きさが釣り合うかどうか分からない。


それでも前を向けるなら。







今日も、夜を選んで空を飛ぶ。

あの子を探しながら












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