第5話 ルビーとゾンビ

                ゾンビ  


「ゴゴゴーッ」 コランダムステーション空港へ行く宇宙船がマンションの上を斜め横断した。低い音は段々小さくなってやがて聞こえなくなった。

 オブシディアンは空気のように気配を消し、睨み合うルチルと月島を面白そうに眺めた。

「はっ? 僕に恩を着せるなんて的外れだよ。椀子蕎麦の早食い競争で勝負を挑んだのは月島だったじゃないか?」

 ルチルは負けじと睨み更にこう言った。

「言っとくけど、『負けた者は三年以内で一つだけ勝者の願いを叶えるんだっ!』て、月島が一方的に賭けた」

「くそっ! あれは大失敗だ。お前を一生恨んでやる」

「何言ってんだよ。僕が月島に恨まれる筋合いはないし大体ここを離れない。それに僕はやることがあるから」

 オブシディアンは両腕を組んで青い瞳をルチルへ向けた。

「くそっ! ここで会うのは気に入らない。職場だけで十分だ!」月島はムカムカした。

「それはこっちのセリフだよ。だったら月島が引っ越せばいいだろ? 全く酷い我がままで年上と思えないよ」そう言いながらルチルはふっとダイヤ王子を思い出した。

「我がまま王子。どこにいらっしゃるんですか……」それからルチルはすっかり溶けたカップアイスを眺め嘆息をもらした。

「あぁ、ヨレヨレだ。何もかも変なロボットのせいだ」

「はっ? っていうか。こ、こいつ何時からここにいた?」月島の驚きは半端なかった。

「そんなの最初からだよ」

「マジ? 何でこいつがいるんだよ」

「僕に分かるわけがない」

 月島がジリジリ後ろへ下がり始めると今まで動かなかったオブシディアンが、「不審者排除する」って、迫った。「待て! 俺は不審者じゃない。不審者はあっちだ」

「何言ってんだよ。僕は不審者じゃない」ルチルは即刻に部屋へ入ろうとしたもののオブシディアンに予想外の速さでひょいと掴まれた。

「はははははっ。ざまぁーみろ!」

 月島はケラケラ笑いながら部屋のドアを開けたのだけれど彼もまた掴まれた。ああ、悲惨だ!

「ククククッ……。月島もだな」とは言え、身動き一つ出来ない二人は、「誰か、どうにかしてくれー!」悲鳴を上げた。

 ルビーはシャワールームから出たばかり。丁度濡れた髪を乾かそうとした時だ。外から男の叫ぶ声がしたからタオルを頭に載せてゆっくりドアを開けた。すると洗濯物を干したようにオブシディアンを挟んで大の男が宙にぶら下がっていた。その姿に思わず、「クスクスッ」と、笑わずにいられなかった。

「オブシディアン。二人を解放して下さいな」ルビーはタオルを首に掛けた。ロボットはルビーの言う通りにしたが明日はどうなることやら……


「お早うございます。清々しい朝ですね」

「ルビーさん、お早うございます。しかし朝から月島に会うとは何て憂鬱……」

 呟くやいなや月島がドアから怪訝な顔を出した。

「月島が登場すると物語が一気に下品になる」ルチルは心で呟いた。


 あれは十カ月前のこと。一つの講義が出会いの始まりだった。ルチルと月島は違う学部だったが、その日ルチルは時間を間違え無関係な講義を後ろの席で受けた。つまり時間をつぶすため誰も座らない隅の席へ座った。すると期せずして男がルチルの横へ座った。忘れもしない、月島だ。

 ルチルは何の気なしに自分の鞄からごっそりラブレターを出して一通読み始めた。月島はルチルの若さに懸念しそのうえ講義を受ける姿勢が気に食わなかった。

「おい。高校生。ここは大学の講義だぞ。ガキはさっさと学校へ戻れ」

 当時十五歳だったルチルは二十二歳の月島に勘違いされた。無理もない。ルチルは優秀な学生でその若さで大学四年生だった。

「確かに僕は高校生の年齢です。が、大学生です」

「ガキが大学生か? しかもモテモテの俺の前でラブレターを広げるとはいい度胸だ」

 月島は手紙を突いた。

「それは失礼しました。あなたの前で自慢するつもりはありませんし、最も僕はあなたのことを知りません」

「俺を知らないだと? お前どこから来た」

「僕はよその星から来た、ただの貧乏学生です」

 ルチルはラブレターを揃えると鞄へ少しずつ仕舞った。ただあっさり返答するルチルに月島はイラっとした。ルチルは平然とし真面目に講義を聞き始めたが月島はそれも気に食わなかった。

 さて、講義が終わるとこぞって月島の周りに女性が集まった。にやけた彼からさっさと離れるためルチルは荷物を持った。

「あら。月島さんの隣へ男が座るなんて、珍しいじゃない。ねえ。可愛いイケメンさんは彼と友達なの?」

「赤の他人です。が、僕は大勢の女性が苦手なので席を外します。ではお姉さま方御機嫌よう!」

 ルチルは立ち上がって背を向けると月島は年甲斐もなく妙なライバル意識を抱き、「お前、名を名乗れ!」と、言った。ルチルはピタッと足を止めて振り向いた。

「僕はルチルと言います。どうぞお見知り置き下さい」ルチルは丁寧にお辞儀をした。

「キャーッ、可愛い!」と言うことでお姉さま方の注目を一気に浴びたのだけれど、月島は明らかに面白くない。この日からルチルは目をつけられた、そんな過去があった……


さて会社へ着いたルビーとオブシディアン。

「二階の事務所掃除をしなくっちゃね」

 ルビーはオブシディアンと事務所へ向かった。社員は一時間遅い出勤だった。

「酷いものね!」ルビーは目に余る汚さに厭きれ引き返したくなった。とは言え、「大丈夫です」と、社長へ啖呵を切った手前、気持ちを奮い立たせた。

「どこからやりましょうか?」

 ルビーはオブシディアンを眺めた。オブシディアンはニヤッと笑い両腕を床と平行にして手を広げた。それから肘を胸へぐいっと引き寄せるとあら不思議。床のゴミは煙のように上がり金色の粒子になって消えた。

 ルビーはそれに唖然とした。事務所は見違えるほど綺麗になった。

「えっと。次の仕事をしましょう」ルビーが入り口に差し掛かると、ブルドック男と対顔した。ルビーはさり気なく通り過ぎようとした。ところが、「何だこれは!」と、ブルドック男が怒鳴ってルビーの腕をギュッと掴み不気味な含み笑いをした。

「不手際がありますか?」ルビーはふっと嫌な予感がしたがその通りだった。ルビーの周りへ奇妙な者がぞろぞろ集まった。

 我先に獲物を狙う飢えた眼はどう見ても人間ではなかった。腐敗した肉体へどうして魂が宿るのか。その不思議さがまた面白い。

 それはさて置きルビーの周りに群れたのは通称「ゾンビ」だった。彼らは人の顔が歪むほど酷く独特な臭いを放ちバランスの悪い姿に世間から嫌われ恐れられた。ルビーは腐った蜜柑の方が全然愛嬌があると思ったのだけれど、いずれにせよ気色悪いのは根本的に受け付けない性分だった。とは言うもののこの時彼らを哀れに思った。

 ルビーは眉間に気を集中させた。見る間にゾンビはバタリバタリと床へ倒れた。

「わぁぁぁぁーっ!」

 ブルドック男が頬に両手を当て叫んだ。ルビーに仕返しするために目論んだことだった。ただざっと二十人越えのゾンビをどうやって男が集めたのか謎だが、その割に男はガタガタ震え真っ青な顔で階段を転がるように逃げ去った。

 さて折り重なったゾンビは頗る通行人の邪魔である。ルビーは小首を傾げオブシディアンを眺めて、「あっ、そうだわ」と、呟いた。オブシディアンの青い瞳がルビーを見下ろした。

 ルビーは両手を、「パンッ」と、叩くと気の力で一体一体を丁寧に事務所の天井へ展示会のごとくくっつけた。はてさてこれを芸術と呼ぶべきか。真に理解に苦しむのだけれど、後に大騒ぎの種になるなんてルビーは微塵も思わなかった。単に仕事の邪魔をしないように配慮しただけだった。オブシディアンはニヤッと笑った。そして両手を広げて次々彼らの姿を隠した。と言ってもタイマー付きガードを張っただけだから、一時間後に彼らが露わになる…… 

 ルビーは廊下掃除をして三階へ上がった。そして数十分後、社員が事務所へ入って来た。皆は綺麗になった事務所に感嘆の声を上げた。それにブルドック男もいない。なんて仕事が捗るかと、この上なく喜んだ。

 ルビーはオブシディアンに乗り八階の窓を磨いた。すると月島がスタスタ寄って来て、「ゴホン」と、咳をした。

「ルビーさん。二階の掃除は終わったのか?」

「はい、終わっています。見違えるほど綺麗になりました」 ルビーは微笑んだ。

「はっ? あの事務所を掃除したのか?」

  月島は信じられない顔ですぐに二階へ下りたのだが、暫くして今にも嘔吐しそうに口を押さえながら戻った。ルビーは手を止めオブシディアンからスッと降りた。

「あの……。酷く具合が悪そうですね」

「あ、ああ、あれ。あれだよ。どうにかしてくれ」

 月島は恰も地獄の淵に落とされた顔だった。

 ルビーはオブシディアンの青い瞳を見つめ、「ふーん」と、少し首を傾げた。

「あれ? あっ、ゾンビのことですか?」

「と、とにかく片づけて欲しいんだ」月島の顔は真っ白だ。何を隠そう。月島はゾンビが何より苦手だった。

「仕方ありません。オブシディアン。もう一度二階へ行きましょう」

 ルビーはオブシディアンの肩に掴まると一瞬でそこへ着いた。確かに事務所は大騒ぎだ。天井のゾンビが全て露わになっていた。そればかりか肉が垂れさがり入れ歯や目玉がぽろぽろ落ちていた。

「あら、大変だわ。この入れ歯はどなたのですか?」頭上から妙な叫び声がした。

「あなたのですね」

 ルビーは気の力で次々落ちた物を持ち主へ返しゾンビを床へ下ろした。そしてこう言った。

「ゾンビ隊。全員整列!」

 ルビーはこの日から社長に特別報酬仕事、つまり宇宙生物退治の命令を下されたのである。

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