第4話 ルビーとルチルと月島
「チン!」エレベータが一階に着きドアが静かに開いた。ルビーとルチルとオブシディアンの三人が降りた。
ルチルはロボットの視線が妙に気になった。一つはまさに誰かの瞳の色だった。もう一つはルビーでなくルチルを見ていたこと。
「ルビーさん。職場までどうやって行くの? もしかして豪華な車が迎えに来る、とか?」
ルチルはオブシディアンをチラチラ見た。
「どうして豪華な車なの?」ルビーは白い雲を眺めた。「何となくさ」ルチルはさり気なく答えた。
「私は自転車よ」
「それ本当? 僕と同じだ。親近感がわくよ。ところでロボットは?」
「わかりません。走るのかしら……」ルビーはクスクス笑ったが、なぜルビーを追うのか疑問だった。ルビーは駐輪場へ歩きオブシディアンを見つめた。花壇のすみれがそよ風にゆらりと揺れ、小さな薄紫の花はまるでひそひそと囁き合っているようだった。
「ねえ。どうやって私を探したの?」ルビーは首を傾げたが、オブシディアンは相変わらず言葉を発しなかった。
「まあ。いいわ」ルビーが自転車に跨ると、「ルビーさん。また会おう!」ルチルが片手を上げて素通りした。ルビーも自転車のペダルをグッと踏んだ。するとオブシディアンが姿を消した。いや、そうではない。ロボットは空を悠々と飛んだ。それから十分後、ルビーは会社へ着いた。
「掃除機と雑巾とバケツを台車に載せて……。最初は八階の廊下だったわ」
ルビーは業務用エレベータにオブシディアンと乗った。
「困ったものね。私は仕事をするのよ。オブシディアンは何をするつもり?」
「……」ただ青い瞳がルビーを見下ろしていた。
二階に着いてルビーは掃除機のスイッチを入れた。それは自動で動きゴミを吸い始めた。ルビーはバケツに水を汲んで雑巾を絞った。窓の桟を拭いていると事務所のドアから次々物が飛び出した。
「ペン、ファイル、インデックス……。どういうことなの?」
ルビーは事務所入り口の陰から体を斜めにして覗いたものの、うっかりすると顔に物が当たる勢いだ。それに男が騒いでいる。
「何もかも気に入らない。イライラする」今度はペーパーナイフが廊下の床へ、「スパン!」と、刺さった。
「何てこと!」
ルビーは右手に念を込めナイフへ触れず床からじわじわ抜くと、つっと浮かせた。今度は壁へ左手を開いて向け念で室内の様子を察した。そこは足の踏み場もなく物が散乱していた。
「酷く汚れた部屋だわ。それに投げた人は……。残念。私好みじゃない」
ルビーは軽くため息をついた。
「では、ナイフを返さなくっちゃね」
言うが早いか浮かせたナイフを念で投げたから堪らない。手がついたように人をかき分け当事者の椅子へ、「グサッ」と、刺した。さあ、大変だ。よりによって最も厄介な者へ返したわけである。社員の顔色が一変して真っ青になった。中には、「なんまいだ、なんまいだ……」と、両手を擦り合わせ
ルビーは開いた手を閉じ淡々と掃除の続きをした。オブシディアンは廊下へ飛び出た物を拾い集めた。意外と役立つロボットだったがもう一度言っておこう。これは掃除用ロボットではない。
「だれだ! ナイフを投げたやつ、出てこい!」
ブルドック顔の太った男が酷い剣幕で怒鳴った。社員は氷の中へ閉じ込められたようにガチガチだった。怒鳴り声は廊下に十分響いた。
「廊下からナイフを投げたやつがいる。出てこい!」
またもや怒鳴った。ルビーは手を休め入り口で仁王立ちした。
「私よ。掃除の邪魔をしないで下さい!」
「なにを。この俺に
あらあら……。止せばいいものを。ブルドック男はどしどしと、ルビーの傍へ駆け寄った。
勢いとともに男の片手が上がった。そして仰け反り頭の後ろから力の限り振り下ろした、はずだった。ところがルビーは軽くウィービングしながら優しく微笑み、人差し指の先で男の腕を止めてすーっと天井へ向けた。見る見るうちにブルドック男の足が床から一センチ浮き、恰も水の中で溺れたように足をばたつかせたのだけれど、ルビーが人差し指でちょんと押すと男は部屋の端まで吹っ飛び壁に激突した。オブシディアンは廊下で拾った物を上へ投げて突風で飛ばし連続して男の頭へごんごん当てた。男は気絶した。事務所はしーんと静まり返ったが二秒後に、「バンザーイ!」と、お祭り騒ぎだった。
「なんて平和なんだ。仕事に集中できるぞ!」
社員は喜び勇んで仕事に専念した。ルビーも廊下の掃除を終えオブシディアンと上の階へ上がった。
ルビーが八階の廊下掃除をしていた時である。
「はっ? こいつは親父のロボットじゃないか?」
スーツ姿の背の高いすかした男がエレベーターから降りるやいなや、オブシディアンを下から上までじろじろ眺めた。
「おい、お前。お前を動かしたやつはどこにいる?」
オブシディアンは黙って立っていた。男はオブシディアンを睨んで再び質問をした。
「おい、ロボット。お前の管理者は誰なんだ?」
全く返答しないロボットに気の短い男はむかついた。
「誰だと聞いているんだ。答えろ!」傍で聞いていたルビーは呆れた。
「恐れ入ります。私が管理者です」
「これは驚いた。あんたがね。って信じるわけないだろう! ちゃんとした大人がいるはずだ。もう一度尋ねる。誰が管理をしてるんだ?」
「ですから、私です。何か不都合でもありますか?」
「はっ? 俺が黙って信じると思うか?」
「あなたが信じる信じないは勝手です。でも今ここに私とロボットがいるのは事実で他に誰がいるのでしょう」
すかした男は更にむっとした。女の顔は結構気に入ったが生意気な態度が気に入らない。
「あんた。可愛い顔してスパイじゃないのか?」
男はルビーに鎌をかけたつもりがまるで挑発だった。
男は二十三歳。ルビーと六歳の差だ。敢えて言うならルビーが初々しい小学一年生なら男は毒々しい中学一年生。つまりどうでもいいお兄さん。いや、見かけは十分おじさんだが。男にスパイ呼ばれされた上にルビーは襟元を軽く掴まれた。あらら、よせばいいのに……。ルビーは一瞬二の句が継げなかったものの、男の顔を眺め、「クスクスッ」と、笑い始めた。
「何がおかしい」男は手を離さずルビーを睨んだが、ルビーの笑いは止まるどころかますます酷くなった。と言うのもオブシディアンが気配を消し天井へ足を着けまるで糸を吊るした蜘蛛のように静かに頭から床へ降りて男の背後で逆さに立った。その途端オブシディアンは男の脇の下へ手を入れて遠慮なくくすぐったから堪らない。何とも器用に動く指だ。即座にルビーを掴んだ手が離れ男の体が小さく丸まり男は、「ぎゃははははっ」と、目に涙を浮かべ大笑いしていた。
「この変態ロボット。何すんだ!」男はオブシディアンへ文句を言ったがある意味降参したか、ゼイゼイしながらため息をついた。
「あんた。名前は何て言うんだ?」
スーツの埃を払い打って変わって穏やかに尋ねた。
「あら。先にあなたの名前を聞いてからよ」ルビーは男を繁々眺めた。
「はいはい。お嬢さん。俺は『月島』だ。宜しく!」男は大きな手を差し出した。
「私はルビーと言います」ルビーはその手に触れて笑顔で握手した。
「月島……? そう言えばマンションの同じ階にそんな名前があったわ。偶然ね」
ルビーは心で呟いた……
さて全て仕事を終えたルビーは倉庫へ道具を仕舞いながら、今月の予定表へ目を通した。
「あら。明日は二階の事務所掃除があるわ。ブルドック男の仕事場が最初ね」
ルビーは台車を畳むと最後にオブシディアンを倉庫へ入れようと試みたのだけれど、そうは問屋が卸さない。
「困ったロボットだわ。仕方ありませんね。一緒に帰りましょう」
ルビーは自転車でオブシディアンは空からマンションへ戻ったが、ルビーが部屋へ入ってもオブシディアンは門番のようにドアの外へ立っていた。
それから数時間後のこと……
「だから、通して欲しいんだよ。お願いだ、そこをどいてくれよ」
部屋の前でルチルがまたオブシディアンと揉めていた。そんなことは露知らず、ルビーは呑気に鼻歌を歌いシャワーを浴びていた。
「だからさ。僕は歴としたマンションの住民で、僕の部屋は隣なんだよ! 朝会ったばかりなんだけど忘れたか?」
ルチルはパンジーと睨み合った。ルチルの両手にアイスクリームが握られていたが、どれくらいパンジーと言い合ったか。カップアイスが十分よれよれになった。
「ああ。ルビーさんが喜ぶと思って買ったのに、これじゃどろどろだよ」と、ため息をついた。ルチルは無駄と分かってもこう叫ばずにいられなかった。
「どアホの唐変木!」
「チン」偶然エレベーターが止まり背の高い、すかした男が現れた。
「どアホ、唐変木?」男は叫び声の方へ顔を向けルチルはエレベーターの方へ顔を向けた。ああ、何て最悪!
「つ、月島、何しにここへ来たんだよ!」
「お前こそ、何でここにいる!?」今度は男同士の睨みあいだ。
「俺は数日前にここへ引越した。で、お前まさか、ここの住民じゃないよな」
「そのまさかだよ。僕も数日前にここへ来た。だけど月島より前だったから」
オブシディアンはニヤッとして二人の会話を聞いた。
「そうか分かった。じゃあ、お前すぐ引っ越せ!」
「はっ?」聞き捨てならない言葉にルチルは憤慨して、
「僕は引っ越しません。なんで僕が引っ越さなきゃならないんだよ」
すると月島は嫌味っぽくこう言った。
「なあ。ルチル君よ。君に仕事を斡旋した恩を忘れたか?」
何やら訳ありな二人だった……
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