◯まきぬ
ぐあらぐあらごん。
深い宵闇を切り裂き閃光が走る。轟音は空気を震わせてどしりと地に落ちた。
「ああ?」
目を細め、障子を少し開けてあわいから空を眺める。左の人差し指と親指を合わせ、円を作るようにして眇めて雲の裏側を覗き込んだ。歪められた眉と眉間にできた皺が不快を表す。度々走る金の筋が彼の頬を白く際立たせた。
「……………妻会ならさっさと済ませて娶れよ屁垂れ」
その音はまるで重さを持つかのように、辺りを鋭く突き刺した。鋭利な槍を思わせるが、それだととんでもなく不器用で研がれてない刃の槍である。
後頭部を引っ掻いて、褥の上に転がり欠伸をする。こうも騒がしければ寝るものも寝られない。これは起きるしか無さそうだ、と覚悟を決めて枕元の和本に手を伸ばす。時間つぶしくらいにはなる筈だ、腐ってもあの貸本屋の勧めるものなのだから––––––
「………」
顔を尚更にしかめて立ち上がり、本を褥の上にぽいと投げてずんずんと襖の前まで歩いた。なんの躊躇もなく開ける。と。
こて。
もたれていたのだろう。突然消えた支えをなくし、背中から彼の脛に倒れこんだ。おかっぱの鈴頭が彼の顔を見上げた。体が硬くなり金属のような顔の皮膚に汗が浮き出る。幼い矮躯のどこかから、控えめに、鈴の音が鳴った。
「ちり、ちりん」
薄桃の蓮を思わせる色をしたざんばらの髪の下から、彼の瞳が鈴の付喪神を淡々と見ている。
怒られる、と思ったのだろうか。鈴の付喪は顔を両腕で覆う。必然的にちりりりりん、鈴が鳴った。三角座りをして太腿に腹をつけ体を丸め、ぎゅうと石ころのように固まる。それらを眺めてから、彼は口を開いた。
「怖い夢を見たんだな」
鈴の付喪は首を横に振る。ちりんちりんちりん。
「嘘つけ。音の主が雷に恐る訳ないだろ。そういう風にできている」
「ちり」
それは否定の音ではない。
僅かな肯定を透かして聞くと、彼は付喪に手を伸ばした。後ろ襟を掴みひょいと持ち上げる。ちりんりんりん。されるがままに付喪は彼の腕に収まり、彼は幼い彼岸を抱えて褥の上に胡座をかいた。右太腿の上に座らせ、彼の上半身に凭れさせる。付喪の肩に掛け布団を回した。
「寝たくないなら起きていろ。眠れるのなら寝ろ」
体を揺すり、その小さな手で彼の浴衣を掴む。雷の瞬きから背を向けるように顔を埋め、付喪はしんと動かなくなった。
光る。それから遅れて音が届く。だんだんと弱まる駆け引きを見つめ、彼は腿の上の小さな背を優しく叩くように撫でる。
怖い夢を見たんだな。
「怖い、夢を––––––」
口の中で反芻したのは幼い頃と変わらない。怖い夢を見たんだな。怖い夢を。あの大きな手はもうこの世に存在しない。遠く黄泉に送られ輪廻を巡っているだろう。何も知らず、全て忘れ、新たな生を。
生きて。
生きて地獄をこの目に写せ。
手に握られて渡されたのは紅に染まった白く丸い
「ちりん」
顔を上げ彼を見ていた。
彼は片方の口の端を僅かに上げる。怖い夢を見た。怖い夢を。何度も何度も見る。忘れたことなど一秒たりともない。
「みつ。お前は自由に生きろ」
誰にともなく、彼は呟く。
「地獄など写さずとも良い。自由に、愛せ」
折角の二度目なのだから。
幼く小さなその付喪は、三つで一つの共同体なのだろうが。正しくは、一つと一つと一つ、だろう。けれど。
それでも彼女らは一つを選んだ。その限りある命を投げ打ってでも。打ち捨ててでも。輪廻を割って壊してでも。
雷は止んだ。
夜はまだ開けない。
「ちりんちりんちりんちりんちりんちりん!」
「ちりんちりんちりんちりんちりんちりん!」
「ちりんちりんちりんちりんちりんちりん!」
「ああ喧しい!相良が起きるだろうが少しは歩かせろ!あと三重奏は止めろ耳が割れる!言いたいことがあるなら一人ずつ言え俺は厩戸の皇子じゃねえ!」
全く同じ姿の鈴の付喪が一斉にけたたましく音を鳴らす。年相応にきゃらきゃらと飛び跳ねては走り回り、鈴を鳴らした。額に手を当て大きなため息を漏らし、彼はやれやれと首を振る。廊下には彼女らの足音が響き渡り、打楽器のようだ。ひさしの木組みに隠れた鳴家が目を丸くして三揃いの幼い付喪を眺め、しばらくしてから乗じてぎいぎい鳴き始めた。ほんの二週間前の静けさなどはじめからなかったかのような騒ぎようである。
畜生また社殿に籠るしかないだろうが、とつぶやき彼はよろめきながら廊下を進んだ。
くい、と、彼の袖を小さな手が引っ張る。ちりりと音を鳴らして少女は彼に笑いかけた。
「
するりと彼の袖を離し、己の分身ともいえるかたわれの元へ走っていく。
彼はそれを見送り、ほんの少し目を細めた。
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