《禁》:語
後ろを振り向くと、木々がざわめきゆらめき、木の葉を擦らせているのが見えました。お社の石段が夕焼けに当たって橙色をしています。その先にぽつんと立っている小さな鳥居は今にも空に溶け込むのではと思うほど、暖かな色をしていました。
ぱっ、ぱっ。祖母が口を開きます。開いては閉じてを繰り返します。それから、私に向かって手をぱたぱたと振りました。胸のあたりで交差させて、私に何かを伝えようとします。私はわからなくて、首を傾げました。祖母は今度は右の人差し指を伸ばして遠くを指します。祖母の土の入って取れなくなった爪は、皺の寄った指は、北へ向きました。そちらは私の家のある方です。田んぼの向こうに見える一つの茅葺屋根が私の家です。
もう帰るんですね。
私の両手を包むようにもって、頷く私にゆるく首を横に振りました。にこりと笑います。
節くれだったごつごつの手は土仕事の手です。藁を編む手です。硬い爪は土を触ります。けれど、手のひらは柔らかくて、それは大地の慈しみを写した優しさでした。
私の手を引いて、祖母は歩き出します。田んぼの脇を、私が迷わないように、惑わないように。
なんだかとても物悲しい。
私はちゃんと、笑えていますでしょうか。
私には《音》がありません。
祖母がいうには、ひとは口で《声》を発し、耳で《聞く》のだそうです。《声》というのは、《音》の集まりで、《音》に意味を持たせられたならば、《声》になるのだといいます。祖母のぱっぱっという、口を開いて閉じての動きは《声》。だとすれば、私の見ている全て、例えば木々、あれらにも《音》があって、岩や水や川や田んぼにも、田んぼで育つ稲たちにも、風にも空にも、沢山の《音》があるのだろうなあと、私は思うのです。
こうして私が《考える》のは、祖母が丁寧にいろはを教えてくれたからなのでした。私の家は決して裕福ではありませんが、祖母は昔、物好きなとある人にいろはを教わったのだそうです。私は《音》が聞こえないので、私が《音》を出しているのにも気がつきません。目から涙が出て、喉が熱くなって、震わせても、それが《声》なのか私にはわからないのです。一度試しに祖母の真似をして、ぱっぱっ口を開けたりしたのですが、聞こえないのでは無意味なのではと思い至り、それきりしたことはありません。祖母の考えていることはだいたいわかりますし、祖母も私の考えていることがだいたいわかるようなのですが、村の他の人とはお話できません。したこともありません。話しかけられたことも、話したこともありません。
村の人達は悪い人ではないのです。こんな穀潰しは口減らしにされても構わないのに、特に何をするでもなく放っておいてくれています。何を考えているのかわからない時もありますが、悪い事を考えている節はないようで、石つぶても飛んで来なければ、田を荒らされることもないので、きっと悪い人ではないのです。けれど、もし。
もし祖母がいなくなったら、私はどうなってしまうのでしょうか。誰かと《話す》こともできない私は、生きていくことができるのでしょうか。私一人では、年貢を納めるお手伝いも、借りている田んぼの刈り取りもできません。生きていけません。いいえ、そもそも。なぜ私は、
やけにひんやりとしてきたのは夜になったからでしょうか。やめましょう、こんなのは。つらいことを考えても、苦しくなるだけでちっともいいことありません。草履を作っていたせいで頭がお暇になっていたのでしょう、私はふるふる首を振りました。祖母は口を閉ざして手を動かしています。私も見習おう、とは思うのですが、私は耳がないので祖母が《声》を出しても何も問題ありません。少しは《喋》ってもいいんじゃないかなあなんて。祖母はとても優しいのです。そういうところが、私は好きです。
私は立ち上がって、家から外へ出ました。つまらなくなったわけではありません、つまらないのは私の頭です。変な考え事は忘れてしまうのが一番ですから、私はぽくんと田んぼの側にしゃがみこみました。
こんばんは田んぼさん。今は藁で草履を作ってます。とても嬉しいです。私は田んぼさんのお世話をすることがあまりできませんから、藁を編んでいると、私も何かできているんだなあと思うのです。
そういえば田んぼさんはご存知ですか。最近妙な噂が流行っているそうですよ。祖母が聞かせてくれました、《断鋏》という噂だそうです。なんでも、雲水さんをお見かけするようですよ。でもそれは雲水さんではなく、《断鋏》という怖い妖怪さんらしいのです。その《断鋏》さんは、人と人の縁を断ってしまう妖怪さんで、《断鋏》さんに会ってしまうと、自分とつながる縁を全て断たれてしまい、ひとりぽっちになってしまうのだそうです。だから最近は村の子がお家に入る刻が早くなったのですね。夕焼けにもならないうちに、お家に入っていくものですから、どこかのお家でご不幸でもあったのかそれとも流行り病か何かがでたのかと不安になりました。
と。
おや、なんでしょう。目の前が真っ暗です。それが影なのだと気がついたのは、ほんの少し後のことでした。
顔を上げると、若い総髪のお坊さんが私をとても優しい微笑みで見ていました。頭を下げて拝むと、お坊さんは私の隣に座って同じように手を合わせます。
ごめんなさい、お布施はできないのです。そう伝えようと思い、小石を拾って地面に書きます。すみません、と書いたところで、お坊さんは首を横に振りました。それからぱっぱっ口を動かして、《声》を発します。
わたしは きこえません
書けば、お坊さんはふむと頷き同じように地面に書きました、うまれつきですか、と。首を縦に振れば、お坊さんは口に手を当ててうーんと考える仕草をします。顎を撫でるように触って、どうしたものか思案しているようです。
なんだろう。私はお坊さんの顔を覗き込みます。すると、笑いながらお坊さんは手をひらひらと振りました。丸い目がきゅるり細められ、白い歯を見せて眉を下げ、口角を上げて。なんだか申し訳なさそうな笑い方です。私もこんな風に笑っているのでしょうか。
それからお坊さんは私の頭をぽむぽむと撫で、くしくしかき回し、背中をとむとむ叩きました。励まされているのでしょうか。いいえ、何かが違います。申し訳ないというような感じです。勘違いをした、思い違いをした、しくじった、それに対しての申し訳なさのような、そんな感じがします。撫でる手が離れてから、私はお坊さんをもう一度はっきりと目にしようとしました。
そこにはだれもいませんでした。
その代わり、私の背を触られ慣れた優しい手が叩きます。いつものように目を細め、笑くぼをつくっています。祖母です。遅い私を心配して、来てくれたのでしょう。
私は、断ってほしい縁はありません。だって、私には祖母しかいません。また、《声》を聞きたいとも思いません。祖母の《声》が聞けないのはとても残念ですし、みんなの様に田んぼのお世話ができないのは不便ですが、生まれつきないものは仕方ありませんし、ないものはないのですから、縁もなにもないのです。
私は耳がありません。だから、《声》もきけません。でもきっと、それを嫌に思うことも、聞こえないからと家にこもる事もないでしょう。私にとって、これが当たり前なのです。聞こえない代わりに沢山沢山見ることが出来ます。沢山沢山嗅ぐことも、沢山沢山味わうこともできます。きっと何倍も、私は稲や、田んぼさんに近い。風や、水や、土に近い。これは、私にとって、とってもとっても嬉しいことなのです。
もちろん、私はお坊さんのことは全く喋っていません。《しらなくてもいいことがある》なら、私の心の中に隠しておくのが上等の手段だと思うからです。
《声》は相変わらず私の中に響きません。でも、《声》がどんなものなのか考えること、風の肌を触ること、花の笑顔を見ること、それだけで。
もしまたあの人に会えるなら、
「
《断鋏》の姿などを他の人に語れば、なにかしらの縁を失う。
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