《禁》:追
ざっ、ざっ、ざっ、ざっ。
足音、足音、足音、足音。
闇を踏みつけて、足音は確実に近付いている。やけに大きく聞こえるそれは、俺への威嚇だろうか。来るな進むなと、歩むなと。月のない空には星もあらず、ただただ古びたネオンがさもしい光を放つ。幾つかの電球は自己犠牲の果てに力尽き、無様に惨めにコードを垂れ飾らせていた。
喘鳴激しく、しかし止まることもできず––––––ハンドビデオを片手に、逃れようと、もがく。
畜生、やっぱりやめとけばよかった。
あの時素直に先輩の忠告に耳を傾けていれば。
「何も本当にいるなんざ思わねえだろうが………!」
都市伝説、《縁切り寺》。
ちらほらインターネットの掲示板で話題になる都市伝説の類のものだ。概要は様々で禅僧の格好をしているだの顔がないだの姿のない幻影だのなんだのと言われているが、オカルトで食っていかなければならない身としては《ちらほら話題になる》くらいが丁度で。決して妖怪云々は信じていない、神様仏様の信仰にも興味はないが、だいたいの付き合いとして、心得るべき場所があることは確かで。だから、そんなに広まらないが知られているような、霞のようなものが丁度で。だから。だから。だから。
「だって手を出してもいいと思ったから?」
ぞわり。
「ひ、」
耳元で声が
「うわあああ、あぁ、ぁぁぁあああああぁ!」
した。
子供のようなハイトーン。それは冷たい風。黒い声。いつのまに。いつのまに。恐ろしい。なんだ。なんだこれは。途端に力が抜け、尻餅をつく。ずるずる体を引きずり後ろになんとか下がろうとするがそれも叶わず、手足だけがアスファルトを擦った。
「ああ驚かせてしまいましたか。これは申し訳ないな」
こわい。こわい。なんだこれは。なんだこれは。なんだこれは。まるで、まるで×じゃないか。これが縁切り寺の正体なのか。これが縁切り寺なのか。これが。これが。こんな、こんな薄ら寒いものが。寒い。寒い。寒い。
「いや、なんというかね。貴方に姿を見られていますから、あの殻を使うわけにもいかなくてね。今後の貴方を考えましても特に私に害はないので、早めに手を打つ事を最優先に考えさせていただきました」
背筋が凍る。腰が抜けて動けない、体が竦んで震えもしない。恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい。これが、これが恐怖か。これが恐怖というものか。ああ、ああ、これが、これが。これが怪異。これが妖怪。これが妖。これが、俺が信じてこなかったもの。
恐ろしい、俺の範疇を超えるもの。
人知を超えた、人知により生まれ落ちた土塊。
俺が無視してきた、俺がなかったことにした、俺が騒ぎ立てた、
俺。
「貴方は断鋏の禁忌を犯そうとしている。––––––ので、先の貴方の為にも」
体が言う事を聞かない。違う。違う。これは体が竦んでいるのではない。腰が抜けているのではない。まるで体が俺のものではないような感覚。支配権がない、そう、俺は今なにをすることも
「《断》たせていただきますね」
ぎち
出社。そして、なんということもなく、毎日が過ぎる。「よう」先輩が肩を叩いた。顔をあげればにこにこへらへら、垂れ目の茶髪が視界を覆う。「っはよざいす」俺の適当な挨拶を微妙に逸らす意図があるのかないのか、先輩は自分の顔を俺の顔にやけに近付ける。気持ち悪いですよと顔を遠ざけようとしたその瞬間に、その目の奥を歪ませた。
「お前断鋏探すのやめたの?」
「たち、ばさみ? なんですかそれ」
俺は首を捻る。「あーそう。ならいいや」先輩はさらりと引いて、会社から出ていった。俺はやっぱり首を捻る。さっき、先輩の目が、紫色に
「………あれ?」
そういやあの先輩、名前なんだっけ。
《断鋏》を追えばどこにも行き着くことなく孤独になる。
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