《禁》:奪
彼女の小指にはたこがある。彼女自身も気付かないたこだ。
携帯を片手で操作しながら、もう片方の手で髪をくるくると巻きつける。巻きつけて、するりと下へ垂らす。彼女の長く艶やかな黒髪が重力に従って流れた。その長い睫毛と尖った唇は傾城に違いない。上等の見目形をしていながら自身はそれに全く気がつかず、子供のように癇癪を持ち、しかしそれを傲慢の内に押し隠して試すように微笑む。舐め上げる視線を真っ直ぐに見つめることのできる人間が如何程この世にいるだろうか。孤立とは違う、孤高。すっと伸びた背をそのままに、首を傾げて手元の小さな機械を丁寧に、丁寧に触る。足は組まない。揃えて甲を見せるように、斜めに立てかけて控える。あくまでも優等生、彼女は孤高の鷹だ。他の有象無象よりも高い場所で遍く全てを見下ろす。
美しい。
美、というのは。麗、というのは。
彼女の為に出来たもの、彼女の為だけに生まれたもの。この世界全てが、彼女の為だけにある。
この額縁越しに見える全てが彼女の為だけにある。
私はそれが、なにより嬉しい。
彼女がふと視線をあげる。彼女の虹彩が私の方へ動く。私は目を逸らした。彼女と私しかいない放課後の教室。夕焼けの赤。
カンカンカンカン、カンカンカンカン。
ばつん
「あの子、死ぬの」
「死にませんよ」
会話。会話。会話。会話が聞こえる。冷たい。目の前にあるのはカンカンカンカンカンカンカンカン耳鳴りが耳鳴りが耳鳴り耳鳴り耳鳴耳耳耳耳耳鳴耳鳴鳴鳴鳴カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン癇癇癇かんカンかんかんカンカンカンカンカンカンカンカン。。。。。。。。まる。まる。おわる、終点終点終点終点。人生の終点。カンカンカンカンカンカンカンカン、甲高い甲高い甲高い音。警報。警報。サイレン。サイレン。サイレン。
彼女、が、見下ろしている。私、を、見ている。その、隣、に、黒い、黒い、衣装。それ、そいつ、が、彼女に、てを、伸ばす。
だめ。だめだ。だめ。
私はそれの足にしがみついた。だめ。だめ。だめ。
「だめ、だめ、だめ。こわさないで」
見下す目。彼女が私を見ている。いつも、いつも私なんて見なかった彼女が私を見ている。カンカンカンカンカンカンカンカン鳴り鳴り鳴鳴鳴響響響い響いている???、!。
「かのじょ、ささきさん、ころす、だめ、こわす、かのじょ、だめ」
黒い法会のそれは見下して嗤う。気持ち悪い。気持ち悪い。悪い。悪い。お前なんて、お前なんて、お前なんて、お前なんて、お前なんて、お前なんて、お前なんて、お前なんて、お前なんて、お前なんて、お前なんて、お前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんてお前なんて
彼女に触るな
ばつん。
「いらっしゃい」
顔に布のかかった人が目の前にいた。
「え」
にこ、と微笑している。とても綺麗な笑い方だ。手本のように形が確立されている。作り物かと見紛うほどその笑みには揺らぎがない。
そうじゃない。さっき私は死んだ、ような、気がしている、のだけれど。というかここはどこなのだろう。本棚にきちんと並べられた本たち。橙色の照明は百合の花を模していて、本たちに向けて綻んでいる。
「こ、こんにちは」
いきなり私はさっき死んだんです、などと世迷言を言っても首を傾げ阿呆らしいと言われるのが落ちだ。世間話でもしようと思ったのだが、ここで私の人見知りが発動してちっとも言葉が出てこない。というかこういう、麗しい人と言葉を交わすことすら私には前代未聞なのであって。
「ところで」
彼女は口を開いた。彼女、であっているのだろうか。いや、よく見れば男物の着物だ。ということは男の方、彼、だろう。彼の隣から人物が現れる。彼はそのにこやかな微笑みを微塵も崩さず私に問いかけた。
「貴方、こういう者に出会いませんでしたか?」
黒い法会にざんばら頭、闇を食ったような瞳。禅僧の形をしたそれは、
「似てる」
ついさっき、私を殺した、殺そうとした人に、酷似していた。
私は、生きてると、思う。多分。
ですよねえ、と。法会の彼は溜息をついた。眉間を押さえ深く息を吐く。顔布の彼は全く表情を変えていなかったが、しかし喜ばしく思っていないようでほんの少し、ほんの一瞬、口角が引きつった。それから彼はまた、その優しい控えめな声色で私に聞く。
「先程似ている、と仰いましたが。どこか此奴と違うところがあったということですか?」
変な質問をする人だ。質問の意図が全く汲み取れないけれど、なんとなく逆らったら拙いような雰囲気がした。素直に答える。
「なんとなく」
「何と無く、ですか」
「あっ、ええと、顔がよく見えなくて、黒い、その法会っていうのかな、それと、袈裟が」
「いえ、いいんですよ。貴方が《なんとなく》わかるのであれば、私達もわかるでしょうから」
さすがになんとなくはないだろう、と思い直して必死に答えを探したのだが、優しくフォローされた。ん? 今微妙にフォローではなかったような。
さて、と、顔布の彼は手を斜めになったカウンターの上に置いた。
「ついさっき貴方は殺されそうになりました」
やっぱり。なぜかは知らないが納得した。やはり私は死ぬ寸前だったんだ。別に死んでもよかったんだけどなあ。彼女は無事だろうか。
「そこでタイミングを見計らい、《此方》に引っ張りこみ貴方は一命を取り留めました」
九死に一生というやつだろうか。
「十八死に一生くらいの可能性でした」
かなり危険だった。
「むしろ九十九死に一生くらいでした」
だいぶ危険だった。
一パーセントじゃないか。手術前のしますかしませんかみたいな成功確率か。それよりたちが悪い。
「そこで貴方に選択肢があります–––––」
顔布の彼は声のテンポをゆっくりとさせた。耳に馴染む。
「一つは、貴方の信奉する彼女のことも何もかも忘れて、縁を断って、新しい生活を始める事。一つは、対価を払って彼に縁切りの依頼をする事」
「縁、切り」
「そう、縁切り。彼女さんと貴方の縁を切るのではなく、彼女さんと黒い法会、貴方を殺そうとした奴の縁を切る縁切りです。その場合貴方と黒い法会の彼との縁は切れません、そしてその縁を私共が利用させていただくことになります––––––命の保証はできません」
「対価、というのは」
かれは。わらった。
香の匂。これは白檀?
「さあ。しかしこれは禁の一つ。縁切りには対価を払わなければならない、できなくても何かしらを奪われることになっていますから」
ああ、うつくしい。
彼女が傾城ならこの彼はなんだろう。人知を超えたもの。人ならざるもの。遠い存在。神ではない、もっと禍々しくも涼やかな、そうだこれは紙の匂い、古書の匂い。
口をついて出た言葉。
「何を、支払えば」
彼は。
その束ねた長い髪を橙に輝かせた。
「お名前は?」
戻れないのだとしても。
「
学ランの襟が、何故だか締まったような気がした。
禁、《断鋏》に願をかけ、叶った者はその身を速やかに差し出す。できない者は、奪われる。
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