笛吹無残 中編2 キノコの道
日が落ちて骨の山が起きあがる。
わたしはまた背中に乗せてもらって、悠々、川向うへ。夜光貝の王宮を出てそろそろ一日が過ぎるころ。背骨の上から眺める景色は、野原から草原へ、草原から森の小道へと移り変わってゆく。〈三叉の川〉が暮らす川向うの地域は、森を越えた向こう側にあるんだ。
「獣物さん、獣物さん。あなたが寝てる間に、ツタは枯れて、風に飛ばされちゃったんだけど、どうする? また生やす?」
骨の首が背中の上を振り返る。頭骨のくぼみとわたしの目が合った。
『あれを私が歓迎していたと思うのか?』
「思うけど? だってカワイイし」
『カワイイ……』
と言って、獣物さんは前に向き直った。『うーん』とか『むむむ』とか、顎の下で弟が嬉しそうに震えている。獣物さんが妹の声ばかり使っていたから、実は弟はちょっぴりすねていたんだ。だけど、独り言を拾えて、いまはすっかり機嫌が直ってる。もしかして獣物さんはあんがい気を遣ってくれているのかも。首の骨は悩まし気に左右にゆらゆら揺れている。ツタを生やすかどうかなんて、そんなに難しいことかなあ? どうやらすっかり考え込んでしまったようなので、わたしは獣物さんをしばらく放っておくことにした。
わたしはわたしで、作戦を考えないと。
魔笛は一度にふたりに聴かせなければならない。熱病の妖精と、その相手の人間に。
演奏会にご招待するためのよくある手段は、粘銀の糸の魔法で動けなくするやりかただ。粘銀の糸はなかなか危険な魔法だから、女王さまから授けてもらわないと使えない。けれど威力はてきめんだ。粘銀の糸のねばりはつながったもの同士をなんでもひっつける。よほどの怪力の持ち主でもない限り、糸は朝露で洗われるまでけっしてほどけない。わたしもこの糸を使って、二回だけだけれど、熱病の妖精を捕まえたことがある。
だけどウバユリは砕かれた。
出発前に女王さまから授かったのはわたしもツユクサもウバユリも同じ。ウバユリは当然糸を使ったはずなんだ。あんなにすばやい羽のウバユリでも上手くいかなかった。二本足でのろのろ地面を歩くわたしにできるんだろうか。
「あのさ、〈血みどろ星〉のヒト、聞いてもいい?」
「なんでしょう」
並走して飛んでいた血みどろ星が幅寄せしてくる。
「〈三叉の川〉って怖いヒト?」
いけない。頭の悪そうな訊きかたになってしまった。
「スズランは彼のことを知っているのですか?」
「お話ししたことはないけど。顔は知ってるよ」
「そうですか。私も、同じ程度ですよ。ただ、怖いか怖くないかと訊かれると、怖くはない、ということになりますかね」
どうしてわかるんだろう? と、声には出さなかったけれど、血みどろ星は勝手知ったる顔で答えをくれた。
「彼はね、人間の娘に恋をしたんですよ、スズラン。命短く定められた者、虹よりもはかなく、薄羽よりももろい、弱い生き物に心を奪われた。そんなヒトがどうして怖いはずがありましょう」
そうだね。だけど……
「だけどウバユリを残酷なやりかたで砕いた、ときみは言いたいのでしょうね」
そうだよ。
「相手が妖精ならばまた違ったことになったでしょうが……人間は弱いんですよ。とてもね。熱病に罹った妖精は、弱い恋人を護ろうと張り切り過ぎて、恋人のこと以外はどうでもよくなってしまうんですよ。心に懸けるのはこの世でただひとり。そのひとり以外は、皆、敵になるのです。彼らはもはや妖精国そのものを敵とみなしているのです。たとえ〈魔女〉と〈魔法使い〉を世にばらまかないとしても、女王陛下が熱病を排する理由は、それだけでじゅうぶんなのですよ」
そうなんだ。
だけど、敵をみんなやっつけたとして、この広い広い世界でたった二人きりなんて、それって、寂しすぎやしないかな。
わたしは眼を閉じて考えてみた。夜光貝の王宮にふたりでいるところを考えてみた。女王さまも、取り巻きも、笛吹も、妖精騎士も、おしゃべりな貴婦人も、誰もいない空っぽの王宮を。衛兵が立たない門を抜けて、鹿や兎がいない森を通って、妖精の国の端までふたりで歩いていくところを。嵐の日に緩む世界の境目を越えて、手をつないで人間の世界に行くことを。世界を越えた先では人間たちの町が廃墟になっていて、誰も住んでいない、そういうことを考えた。
わたしはきっと、寂しいなって思うはずだ。
そして、隣にいるヒトに、寂しいねって言うはずなんだ。
隣のヒトは、寂しがっているわたしのために、なにかをしてくれるかな。たとえば、そう、長いしっぽをカラカラ鳴らして、わたしを励ましてくれるかもしれない。
「おや? 頬が赤いですよ、スズラン」
血みどろ星のヒトが身を乗り出して手を伸ばしてきた。ちょっと、ほっぺたをツンツンしないでほしいんだけど。わたしが文句を言うより先に、骨の尻尾が鞭みたいにしなって血みどろ星をはたき落とした。落っこちた先に大きなキノコの傘があったから、血みどろ星はボヨンと跳ね返ってきた。
『汚らしい手で触れるな』
弟の可愛らしい声が怒ってる。なんだか変なかんじ。
「いたた。まったく、ひどいことを」
全然堪えていませんっていう顔で血みどろ星がうそぶいて、わたしは彼の失礼さも忘れて吹き出してしまった。
「そうだよ獣物さん、言いかた、ちょっと良くないよ。血みどろ星は汚くなんかないよ。どっちかっていうと、きらきらして綺麗だよ」
いまならキノコの良い匂いもするし。声が弟のものだから、ついつい生まれて間もない若い妖精を相手にするみたいな物言いになってしまうけど、わたしは悪くないよね?
上目遣いで獣物さんを見上げる。獣物さんはカタカタ歯を鳴らしていた。笑ってる、のかな。でも、なんだろう、なんだか、いやなかんじだ。
「獣物さん」
『血なまぐさい妖精などいない』
すり潰すような声音だった。たったひとことだったのに、空気がぴりぴり震えた。わたしはそっと血みどろ星の様子をうかがった。きれいな顔から表情が抜け落ちて、人形みたいな怖い顔になっている。一瞬、まばたきの間に、キノコの香りを押しのけて、血みどろ星のヒトからむせかえるような悲しい血の匂いがした。
「困ったヒトですねえ、あなたは」
と、血みどろ星はまるで困っていないみたいな口調で言った。
「骨の獣物の分際で妖精の匂いがわかるとでも? あなたこそ、久しぶりの明るい世界にまろびでて、嗅覚が鈍っているのではないですか? 居心地の悪い場所はさぞお辛いでしょうねえ。もといた住処まで、私が手ずから送り届けてさしあげましょうか」
血みどろ星は困っているんじゃない。怒っているんだ。にぶいにぶいとさんざん言われたわたしでも、さすがにわかった。
いつの間にか、獣物さんは足を止めて、地面の低いところに浮いている血みどろ星を睨みつけていた。なんだか嫌な汗が出てきたよ。わたしは慌てて背骨の上から飛び降りて、ふたりの間に割り込んだ。
「あ、あのね、獣物さん。血みどろ星も。ちょっと落ち着いてみない?」
大きな顎がカチカチ打ち鳴らされる。骨の尻尾が巻き付いて、わたしは道の端にぽいっと投げ捨てられた。ちょうど倒れた場所に大きなキノコの傘があってボヨンと……いや、そうじゃなくって。ひどいよ!
『偽りの皮に覆われた肉は偽りの言葉をさえずる』頭蓋の空虚の中で、赤いともしびが爛々と輝いている。『その喉笛、掻き切ってやろうか』
待って、待って。なんでこんな物騒なことになってるの。流血沙汰になるのは困るよ。なんとかしないと。えーっと、えーっと、わたしにできることは……。
ああ、そうだ。
わたしは笛吹スズラン。
笛吹にできることなんてひとつしかないんだ。とりあえず歌ってみよう。わたしは緑の歌を口ずさんだ。そこかしこで生命の息吹が喜んで芽生えだす。足元には名もなき小さな花畑。血みどろ星の額には桃色の薔薇の花冠、おまけにキノコもつけてみよう。そして獣物さんの肋骨の内側はツタでもりもりに埋めてみた。前に生やしたときよりも、なんと二倍に増量だ。弟妹が溺れたみたいな声をあげてるけど、大丈夫、大丈夫。たぶん。
そうだ、ついでに、魔笛も作っちゃおう。足元に生えた花の中から小さな紫色の花を選んで、摘み取って、束に重ねて息を吹きかける。紫色の花がしおれて、縮んで、黒っぽい棒のようなものになる。一息吹けばたとえ千年の恋であっても凍りつかせるのに、わたしの手のひらよりもちっぽけだ。
「スズラン、それが……?」
目ざとく気がついた血みどろ星が覗き込んでくる。よかった、もう怖い顔はしていないみたい。
「魔笛だよ。血みどろ星は、これの音色を聞いてみたいんだよね? いまは熱病のヒトがいないから吹けないけど、触ってみる?」
折れた小枝のような魔笛を差し出すと、血みどろ星は慎重に受け取った。こっちの様子が気になったのか、獣物さんも首を伸ばして上から覗き込んでくる。ツタがこすれ合ってざわざわ言っている。
『小さいな』
「うん。音も小さいよ」
『では離れた場所から聞かせることはできぬのか』
「そうなんだよね。そこが、いま一番どうしようかなあって考えているところなんだ。魔笛は、一度にふたりに聴かせないといけないから。いちおう、女王さまから粘銀の糸の魔法はいただいているんだけどね」
わたしは自分の頭の上を示してみせた。獣物さんの眼窩にも、淡く輝く銀色の糸が冠みたいにかかっているのが見えたはずだ。
『粘銀の糸で捉えて、その隙に魔笛を鳴らすのか』
「そうそう。そういう作戦なの」
モタモタしていると三叉の川のヒトに砕かれるけどね。怖いような気持ちもあるけど、手のひらをにぎって押しつぶす。自分に言い聞かせるんだ。大丈夫、大丈夫。糸を投げるだけなんだから。
『笛吹よ』
ふいに、頭をぽんぽんと叩かれた。顔を上げると獣物さんの大きな頭蓋骨が真正面にある。顎の骨の下のところでぽんぽんしたんだね。
『私が眠っている間に、何かあったのか』
あったんだよ。
ウバユリの最期を思い出す。ウバユリの顔に開いてしまった真っ暗な黒い穴のことを。ウバユリが最期にさよならって言ったことを。
「ウバユリが〈三叉の川〉は手強いぞって教えにきてくれたんだ」
『そうか』
「わたし、頑張るから。獣物さんにも手伝ってほしいんだ。血みどろ星にも」
血みどろ星は頭から生えていたキノコを毟って上着のポケットに入れていた。眼が合うと、照れたようにほほ笑んで、小さな魔笛を差し出してくる。
「もちろん。なりゆきですが、きみの行く先には興味があるんですよ、スズラン」
「ありがとう」
小さな魔笛をぎゅっと握ると、不思議とそこから勇気がわいてくるみたいだ。
「獣物さんも」
『もとよりそのつもりだ、小さな笛吹よ』
うん。獣物さんは最初からそう言ってくれていたんだったね。
「笛吹じゃなくてスズランだってば」
軽すぎる頭蓋骨のほっぺたにパンチする。首はぐらぐら揺れて、弟妹のはしゃぎ声が森の小道にこだまする。ああ、どうしよう。なんだか顔が勝手ににやけちゃうよ……。
なんだかんだ険悪な雰囲気はどうにかなったみたいだったので、わたしは獣物さんにお願いしてまた背骨に乗せてもらって、川向うを目指す旅は再開された。まったく、獣物さんが喉笛を掻っ切るなんて言い出したときは、どうしようかと思ったけどね。
あれ。
あれれ?
そうか、喉笛……。それに、手のひらで握っている小さな小さな魔笛。うん、うん。
「あのね、獣物さん、血みどろ星。聞いてほしいことがあるんだけど」
もしかしてわたしはとても良い作戦を思いついたのかもしれないよ。
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