笛吹無残 寄り道編 昔ばなし
旅日和、カンカンの晴天だ。
日が昇った途端、骨の身体がへなへな崩れ落ちてしまったので、いまはわたしがボロ布の塊を引きずりながら二本の足で移動している。ときどき骨の欠片が布からこぼれてしまうので、〈血みどろ星〉のヒトに拾ってもらいながら、川向うへ。
「いやはや、驚くほどに軽い」
美貌の妖精は骨拾いが楽しいみたいだ。肋骨だかなんだかの、ゆるく曲がった長い骨を、両手で抱えて嬉しそうに撫でさすっている。
「妖精の国と異界の狭間に、むかしむかし、竜が住んでいた……という話を聞いたことはありますか、スズラン?」
横に並んだ血みどろ星のヒトが尋ねてくる。首をかしげると金糸のような髪が流れて、そういう仕草もいちいちサマになっている。
「聞いたことないよ。狭間って、夜よりも暗いって本当?」
妖精の国と異界の間には広い広い暗い世界が続いていて、簡単に行き来はできないんだ。そんな、通ることにも一苦労するような暗い世界に住んでいるヒトなんて、いるのかなあ? 血みどろ星のヒトは夢見るような口調で続けている。
「狭間も案外わるい場所ばかりではないんですよ。暗がりは私たちの姿を隠してくれるし、星は夜で見るより鋭く美しい」
「血みどろ星も隠れたいって思うこと、あるの? そんなにきれいな顔をしてるのに?」
「この顔はまがいものなんですよ。……その竜のことなんですが」
もしかして狭間に行ったことがあるとか? それに、きれいな顔がまがいもの? 長生きで物知りな彼にいろいろ訊いてみたかったけれど、血みどろ星は自分の顔のことよりも、暗闇に住んでいる竜の話をしたいようだった。後で、きっと、また話を聞かせてもらおう。
「その竜はありとあらゆる命を毟る歌を知っていました」
身体が勝手に震えた。胸がぎゅっとしめつけられる。妖精の笛吹ならだれでも知っている、怖い話があるのだ。わたしはおそるおそる聞いてみた。
「〈滅びの歌〉のこと?」
「そうそう、やはり笛吹の子は聞いたことがあるのですね。ええ、〈滅びの歌〉のことですよ。滅びの歌は長生きの妖精の笛吹も歌えない、ずるがしこい人間たちも歌えない、禁忌の歌。だれも旋律と歌詞を知らない。でもその竜は知っていた……。いったい誰に教えてもらったんでしょうね」
もしかすると、竜が自分で作ったのかもしれないよ。
と、思いついたけれど、それはとても怖いことのような気がして、口には出せなかった。命の芽を摘んでしまう歌。いったいどれくらいの悲しくてつらいことがあればそんな歌を思いつくんだろう。
「ねえその話、まだ続くの? わたし、怖い話って苦手なんだけど」
「大丈夫、もう少しで終りますから。……ある日、狭間に泥棒が入り込んで、竜の大事な宝物を盗んでいきました。貴重な宝石だったのか、もしかするとさらってきた人間の美しい娘だったのか、宝物がなんだったのかはわかりませんが、嘆き悲しんだ竜は〈滅びの歌〉を歌った。歌を耳にした泥棒は死にました。泥棒だけではありません、歌を乗せた死の風が吹いて、狭間のあたりに暮らしていた者はことごとく死んでしまいました。異界の魔物も、妖精の国の妖精も、それから、歌った竜自身もね。けれど、その竜と泥棒の話を聞いた当時の妖精女王が激怒しましてねえ。女王の力で、死んだ竜は骨だけの魔物になってよみがえったんですよ。誰からも恐れられ、嫌悪され、口もきけない姿になって、悠久の時をさまよう罰を背負ったのです。肉をまとわぬ骨の竜は、永劫の寒さにむしばまれ、震え続けているのです……。めでたしめでたし」
わたしは風の音に耳を澄ませてみた。怖くて悲しい歌が聞こえるかもしれない。笛吹の耳は、ほかのヒトよりも特別いいんだ。晴天の空を駆ける風はそよそよと流れている。何の歌も聞こえてこない。そうだよね。むかし、むかしのことなんだから。
「おっと」
引きずっている布からまた骨がこぼれて、血みどろ星のヒトが拾いに行った。軽すぎて忘れそうになるけれど、わたしはこの獣物さんと一緒に川を越えて、〈三叉の川〉のヒトに熱病を醒ませる魔笛を聞かせに行くんだ。
「いまの話、なんだったの?」
二つの小さな骨を手に戻ってきた血みどろ星に訊いた。彼は骨をコンコンと打ち合わせた。
「知っていますか? 竜の骨はとても軽い造りになっているんですよ。彼らは飛翔するとき多少は風の魔法も使うようですが、やはり体重が軽いにこしたことはない。かの竜も軽かったんでしょうねえ」
「竜って軽いんだ?」
知らなかった。わたしは竜をまだ見たことがないけれど、きっと、身体も翼も大きくて、もちろん見た目通りにとっても重いんだろうなあ、くらいにしか考えたことがなかった。でも、血みどろ星は見たことがあるみたいな口ぶりで話すんだもの。長生きだし、物知りだし、このヒト、じつはすごいヒトなのかなあ。
わたしは〈血みどろ星〉のヒトのきれいな顔をじっと見つめた。血みどろ星のヒトもわたしを見つめ返した。布を引きずるズルズルという音と、山になった骨が崩れるカラカラという音と、わたしたちの足音だけが、しばらく続いた。そのうち、血みどろ星のヒトは困ったなあという感じで首を傾げた。どうしたんだろう。
「どうしたの?」
「いや、なんて言ったらいいのかな……スズラン、きみは、ヒトからちょっと鈍い、とか言われたことがありませんか?」
えっ、そんなことあるかなあ? 自分では覚えていないのかも。頭の後ろの弟妹に聞いてみる。ねえ、どうかな? 言われてる、言われてる。妹は笑ってる。ええと、弟にも尋ねてみないと。ほんとに? ほんと、ほんと。弟も笑ってる。
言われたこと、あるみたいだね……。いいよ、別に、血みどろ星のヒトは笑ってるけど。別にいいんだもん。
「このヒトが」と言って、血みどろ星はわたしが引きずっている骨の山を指した。「その滅びの竜なのではないかと、私は思っているのですよ」
「どうして?」
「骨だし……軽いから、ですかね」
「理由はそれだけ?」
「ふむふむ。少し前に、幾歳の寒さに耐えかねた古竜が、異界の火口から逃げ出して、女王陛下の慈悲を求めて王宮に転がり込んだ……という噂も聞いたことがありましてね」
「噂にしては具体的ね?」
血みどろ星のヒトはふふっと笑って、空を見上げた。わたしもつられて空を見た。青く透き通るような色味がどこまでも広がっている。空はカラカラに晴れているのに、道を行く風は冷たい。もうじき、本当の冬が訪れる。空を行く妖精たちの羽が凍り、次々に墜落してしまう季節になる。地を行く妖精の足が凍えて砕けてしまう季節になる。夜光貝の王宮にこもって、女王さまのために部屋をあたためる歌を歌い続ける日々がくる。青い空を見上げていると、なんだか胸が切なくなる。
川向うへ行くのは使命のためだけど。
この旅はきっと楽しいものになる。
楽しいものにしたいな。
「おや、あれは……?」
ぼーっと空を見ていたわたしの隣で、血みどろ星が太陽に眼をすがめていた。彼が見ていたのは、太陽の向こう側だ。わたしも真似して太陽をじっと見ていると、遠く光の向こう側から、何かがフラフラとこちらに飛んでくるのがわかった。蛇行するように飛翔して……いや、あれは、ほとんどもう墜落だ! ずっと引きずってきたボロ布を放り出して、わたしは前に走った。落ちてくる姿は見覚えがあった。ああ、なんてことだろう、ウバユリだ。きりもみ回転しながら、ウバユリが天から降ってくる。間に合え、間に合え間に合え間に合え……届いたっ! 間一髪で影の下に滑り込んだわたしは、差し出した両腕の中に、ぐしゃぐしゃのものを受け止めた。冷たくて、ぐしゃぐしゃの、ああ、ウバユリ……なんてひどい……。
ボロ布と骨の山をわたしの代わりに引いてきてくれた血みどろ星が追いついて、ウバユリとウバユリがまき散らした結晶を見て、「これは」と眉をひそめた。ウバユリが腕の中で身じろぎした。少しの動きでも結晶が割れてこぼれて、またウバユリが小さくなってしまう。ウバユリの顔の真黒な穴がパクパク動いた。
「そこに、いるのは、スズランか?」
ああ、眼が見えていないんだ。わたしはウバユリの頬を両手で包んだ。
「ええ、スズランよ」
女王さまのもとを飛び去ったときから、ウバユリはこんなにも小さくなってしまっていた。わたしの腕の中にすっかりおさまってしまうくらいに。
「良かった。ならば、俺の飛行も、無駄ではなかった」
声だけはいつものウバユリだった。いつも冷めてて、つまらなそうな、なんでもなさそうな感じの声。
「俺を刻んだのは、〈三叉の川〉だ。さよなら、スズラン」
「ああ、ウバユリ……」
さっきまでウバユリの声を運んでいた黒い穴から、冷たい水がごぼごぼと吹き出して、穴を中心に、外側にめくれ上がるようにウバユリは崩れ去ってしまった。わたしの手の中には、サラサラの硝子片がいくつかだけ残っていたけれど、それも次に吹いた風が持って行ってしまった。
さよなら、ウバユリ。
さよなら……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます