笛吹無残 中編 旅の道連れ

 女王さまに追いついたのは、石英回廊の奥の奥、先代の女王さまの肖像画が架けられているあたりだった。絵の中の美しき先代さまのお姿と、絵の前に立つ女王さまのお姿は、あんまり似ているようには見えない。なんでだろう。いまの女王さまは、少し疲れているように見えるから、かもしれない。

「女王陛下。三つ子スズランがきましたよ」

 女王さまの隣に控えていたヒトが言う。ツユクサだ。ツユクサの後ろにウバユリの姿も見つけて、ほんの少しがっかりしてしまう。ツユクサもウバユリも、笛吹たちの中ではかなり羽が早いほうだ。

 今回はこの三人なんだ。

 勝つのはウバユリかなあ……。

「笛吹たちよ」女王さまが告げる。「熱病に侵された〈三叉の川〉を鎮めてまいれ」

 わたしとツユクサとウバユリは女王さまの前に並んで一礼した。わたしは顔を伏せたまま、ほかの二人の様子を横目で覗った。ツユクサはいつも通りの穏やかな顔。そしてウバユリは、いつも通りのつまらなさそうな顔をしていた。

 女王さまの白くて優雅な指先が、まずツユクサの頭のてっぺんをちょんちょんした。顔を上げたツユクサはにっこり笑って、「必ずやかの者を鎮めてまいりましょう」と宣誓して、真っ先に王宮から飛び去っていった。女王さまは次にウバユリをちょんちょんした。ウバユリは無言のまま飛び去った。最後に女王さまはわたしに触れた。

「女王陛下、わたし、がんばります」

 わたしの不用意な一言は、最も歳経た最も美しい妖精を悲しげな表情に変えてしまった。わたしは急に恥ずかしくなって、そのお顔を見ていられなくて、きびすを返して回廊を駆け戻った。回廊は芽生えたばかりの草花で埋め尽くされている。わたしの駆け足にわけも分からず踏まれそうになった草花たちが大慌てで道をあけて逃げまどう。ごめんね。でも、急いでるんだ。わたしには羽がないから、二人に追いつくためにも、一刻も早く王宮を出ないといけないんだ。

 女王さまはわたしが〈三叉の川〉のヒトを捕まえることはできないと思ってる。だけど、わたしも笛吹のはしくれだから、こうしてときどき追手に選出して声をかけてくださっている。それがわたしを余計に情けない気持ちにさせた。うつむいたまま、回廊をめちゃくちゃに駆ける。だから、妹が大声で危ない! と叫んだときには、わたしは黒い影に正面から思いっきりぶつかってしまっていた。

「わきゃ!」

 わたしも驚いたけれど、立ちふさがった影のほうもよほど驚いていたようで、影はよろめきながら後じさって尻もちを……って、あれ? こんなのさっきもあったような。倒れていたのは、さっき中庭で会った骨の獣物さんだった。ボロ布をまとった巨大な獣物さんが、尻もちをついた姿勢のまま、恨みがましく炎みたいな赤い眼を燃え上がらせている。そうか、このヒト、とっても軽いから、わたしとぶつかっても、向こうのほうがふっとばされちゃうんだ。

「大丈夫?」と声をかけると、華奢な肋骨の内側で、絡まったツタが震えて『おまえ、中庭の』と言ったような気がした。

「そう、中庭のわたしだよ。でも『おまえ』じゃなくてスズランって呼んでほしいかな」

 ジッと睨んでみる。ツタがざわざわうごめく。なにか反論しようとしているのかもしれないけれど、今度は声を拾えなかった。なんて言っているんだろう?

「なに? なんて言ってるの?」

 ツタがいっそう激しくうねりだす。うわっ。これは。なんていうのか……可愛くない……。妹と弟も同じことを考えたみたいだった。エイエイと小さな声で鳴いたあと、ふたりが頭の後ろからぽんと飛び出した。そのまま獣物さんの顎に押し入って、喉の奥に並んで身を寄せる。

『おまえ熱病の妖精を追うのか』

 途端に可憐な妹の声で言うものだから、ちょっと笑ってしまった。回廊の横幅いっぱいを使って尻もちをついていた獣物さんが起き上がる。カラカラと骨が鳴る。立ち上がった獣物さんは本当に背が高くて、わたしの頭のてっぺんが、ちょうど前脚のひざ下くらい。

「そうよ。かわいそうな〈三叉の川〉のヒトに魔笛を聞かせるわ。だけど、なんであなたがそのことを知っているの?」

『私は耳が良い』今度は弟の声。

「盗み聞きってこと?」

『勝手に聞こえてくるのだ』妹の声。

「ふうん」

『おまえは本当に熱病を追うのか?』また妹の声。

「そうだって言ったよね?」

『だがおまえは小さい』

「妹の声のほうが気に入ったんだね、骨の獣物さん」

 足元がカラカラと鳴った。獣物さんの長い長い尻尾がわたしの周りでとぐろを巻いている。

『おまえは羽がない』

 一巻き、二巻き、三巻き目で尖った骨の先がわたしの背中を突っついた。

『おまえはひとりきょうだいを失くす悲しみをすでに知っている。熱病を追えばまた失うかもしれぬぞ。それでも行くのか?』

 四巻き目で頭の妹と弟のねぐらの少し上、空っぽになったがく片を触られて、そんな場合じゃないと思うけど、ドキドキしてしまった。そこは、ちょっと、初対面のヒトが触っていい場所じゃないと思うんだけどなあ。わたしが顔を赤らめたことに目ざとく気付いた妹が『きゃあきゃあ』と声をあげるけれど、絵面としては巨大な獣物さんが『きゃあきゃあ』と言っているわけで、なんていうか、これはつまり……これは可愛いのでは?

『妖精女王が眷属を死地に向かわせる噂を聞いたことはないか? あの女は歳を重ねそうな者を見つけては片端から異界送りを企てているのだぞ』

「ねえそんなことより、あなたってちょっと可愛いんじゃないかしら。お花を飾ってもいい?」

『そんなことより妖精女王だ』

「そんなことよりカワイイのほうが大事でしょ?」試しに口笛で顎まわりに花を芽吹かせてみる。「あっ、ほらやっぱり可愛い。骨の獣物さん、あなたって赤い色が似合うのね」

『そんなことより私の話を……』

「角も可愛くしてみるね。ここは地色が黒だから、白い花なんかちょうど良さそう。……わぁきれい! もともと色白だもんね。磨けば光るって、こういうことを言うのかしら」

『ええい話を聞けと言っている!』

「きゃあ」

 骨のしっぽがぎゅっと巻き付いて、わたしは上に引っ張り上げられた。ドスンと乱暴に下ろされたのは、高い高い獣物さんの背中の上だ。回廊の天井がぐっと目の前に迫ってくる。普段とはまるで違う高い視点に、ほんのすこしわくわくする。

『なにがおまえをそうさせる? 妖精女王はよほどのものを褒美に寄こすのか?』

「女王さまはお歳をくれるのよ。とはいえ、一番手にならないといけないんだけどね」

 王宮にはたくさんの笛吹がいるけれど、みんなそれぞれ役目を持っているから、熱病の追手に差し向けられる笛吹は三人までと決っている。最初に熱病者のところにたどり着いて、熱病を癒した者には、女王さま直々にご褒美が授けられる。一つ歳をとることができるのだ。だから熱病の者が出たとき、みんなは怖がったり嫌がったりするけれど、笛吹だけは張り切っている。一つ歳をとることは、それだけ常春の国に近づけるということだから。

「今回もきっとウバユリが勝つわ。ウバユリは羽も早いし、もう何回も勝っているもの。ツユクサは、だいたい途中でどこかに行っちゃうんだ。女王さまの前ではいい顔を見せるんだけど、変なの」

『そのツユクサとやらの選択が正しいぞ』

「どうして?」

『熱病にかかった者は誰も治療など望んでいない』

 そういえば、わたしも一番最初に笛吹の役目を教えられたときに、そんな話を聞いたような気がする。

 めったにないことだけれど、ときどき妖精は熱病をわずらってしまう。ほうっておいて治ることもある。徐々に程度がひどくなって、一生治らないこともある。治ったあとも、熱病の狂騒が忘れられず、抜け殻のようになってしまう者もいる。反対に、一生のあいだ熱病と縁がない者もいる。熱病を知らぬまま凍って死んでしまうことを不幸だと呼ぶ者もいる。

 熱病とは恋の病だ。人間と恋に落ちてしまった妖精を指して、わたしたちは熱病に罹った、と言っている。熱病にかかった妖精は、その恋人以外の相手にとても凶暴になってしまうし、なにより彼らは〈魔女〉と〈魔法使い〉を人間の世にばらまいてしまう。〈魔女〉と〈魔法使い〉は、人間の欲望を素直に叶えてしまうことがあるから、知らず知らずのうちに世界の境界を歪め、異界の破滅を呼び込んでしまう。恋の病を癒せるのは、残酷な時の流れと、笛吹が吹く破滅の魔笛の音色だけ。だから熱病の者が出ると女王さまは笛吹を差し向ける。そして熱病の者は愛を守るため笛吹たちを返り討ちにしようと牙を研ぐ。

『笛吹たちは愛の狩人などと自称しているが、狩人ならば、獲物がただ狩られるのを待つ身ではないことくらい知っているだろう。おまえの前に何人の笛吹が倒れたと思う? たった一年、わずかな寿命を積み上げることを餌にどれだけの笛吹が墜落した? 女王の高笑いは聞こえたか? さあその小さな頭で考えてみるがいい』

 骨の獣物さんが言っていることとほとんど同じことを、かつては姉さんも言っていた。わたしと妹と弟は、姉さんの頭の後ろでその話を聞いていた。

 わたしたち四つ子は生まれたときから羽がなかった。何もしなければ千年を待たずに凍ってしまうってわかってた。だから何かしないといけないって、考えて、意見が分かれて、姉さんとけんかをしてしまった。それで姉さんが出ていったから、わたしが長子のスズランになったんだ。

 姉さんは、短い命を燃やしたいと言って、人間の世界に去ってしまった。

「でもわたしたちは千回魔笛を吹いて常春の国へ行くって決めたんだ」

『ならば是非もなし』

 獣物さんは首を振ってのしのし歩きはじめた。あれ?

「ねえ、どこに行くの?」

『熱病の者を追いかける』

「一緒にきてくれるの?」

『おまえには借りが』

「待って。おまえじゃなくてス、ズ、ラ、ン、だって」

『……おまえには借りがある。私に声を貸してくれた。私を温めてくれた。おまえは使命を果たせばいい。私はおまえを守ろう。ウバユリとやらがまだ追いついていなければの話だが』

「ウバユリは羽が早いからね」

 それはそれとしてスズランって呼んでほしいんだけどな。カラカラと回廊を進む骨の獣物さんは何処吹く風で、わたしはなんだかモヤモヤした。

 だけど、王宮の門番に見送られて、〈三叉の川〉のヒトが住んでいる川向うへ出発した途端、なにもかもがどうでもよくなってしまった。羽がないから、わたしはどこへ行くにも二本の足で地面を歩いていた。だから、四つ足のおおきなおおきな獣物さんに跨って駆けていくことは、新しい世界との出会いに等しかったんだ。夜空の星がいつもより近くで瞬いて、道の果てがいつもより遠くまで見通せる。新しく視界に加わった果ての景色がきらきら輝いて、こっちにおいでよとわたしを呼んでいるみたい。王宮を取り囲む見慣れたはずの湖や森の木々たちさえ、不思議とかけがえのないものに思えて、愛しさがこみあげてくる。ああ、高みから睥睨する景色はこんなにも美しい。このままどこまでも駆けていきたい……。

『誰かいる』

 カラカラ鳴っている軽快な足取りが徐々に速度を落としはじめて、わたしは慌てて視線を前方に戻した。本当だ、道の先の四ツ辻に、誰かいる。あれは……あのヒトは、つい最近に、見たことがあるような。

「待っていましたよ、三つ子スズラン」

 足を止めた獣物さんの前で一礼して、〈血みどろ星〉のヒトがほほ笑んだ。血みどろ星。名前はあんななのに、顔の作りと薄羽の透かし模様は、女王さまを除いて一番うつくしい。こんな野辺で突然に遭遇すると違和感を覚えてしまうほどだ。

『誰だおまえは』

「おやおや、そういうあなたこそ、何者ですか? その恐ろしいお姿は、遠い昔に異界から妖精の国に逃げてきた魔物によく似ていますがねえ……いや、噂は噂。悪いお方ではないのでしょう。怖いお顔に似合わぬやさしい声だ」

 だって声はわたしの妹だからね。血みどろ星のきれいな顔にいたずら好きの表情が浮かんでいる。からかっているんだ。声を出すのが恥ずかしくなったのか、獣物さんは尻尾をカラカラ鳴らしたあとは黙り込んでしまった。

「あんまりこのヒトをいじめないであげて」

「いじめる? 私が? 彼のほうがずっと身体がおおきいのに」

「でも軽いの。とっても。たぶん、血みどろ星、あなたより軽いんじゃないかな。それよりわたしになにか用?」

「ええ。スズラン、あなたの追跡の旅に同行をお願いしに参ったのです」

「なぜ?」

「魔笛の音を聞いてみたいのです」

「ウバユリとツユクサは?」

「彼らは羽が早い」

 と言って、血みどろ星は悲しげにほほ笑んだ。わたしは血みどろ星をじっと見つめた。

 熱病に罹った妖精は全身がほんのり薔薇色に染まるからすぐわかる。血みどろ星はそんな感じではなかった。彼は熱病ではない。だけど、もしかすると、眼に見えないくらいのかすかな微熱があるのかも。血みどろ星は先代女王さまのときから王宮にいる、かなりの年寄りだ。彼にも忘れたい、醒めさせてしまいたい古い愛の記憶があるのかもしれない。ほんとうに? 忘れたい熱病なんてあるのかしら。さっき獣物さんは、熱病を癒されたい者などいないと言っていたけれど……。

「いいよ。一緒に行こう」身体の下で背骨が不満そうに軋みをあげたけれど、しょうがないじゃない。

「わたしもあなたに興味がわいちゃったからね。ねえ骨の獣物さん、彼も背中に乗せてくれるかしら」

 歯ぎしりのような音のあと『羽ある者は飛べばよい』と言って、カラカラ鳴る歩みが再開される。わたしはうっかり笑ってしまった。だって獣物さんたら、わざわざ弟の声で言うんだもの。

 なんていうか。

 これは……やっぱり、可愛い、なのかもしれない。

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