夢の国からきた

 学び舎の帰り道に声を掛けられて、デニヨは勢いよく振り返ったのだった。麦の穂みたいなおさげ髪が背中を叩く。デニヨは内心「わぁ」とつぶやいた。彼女を呼び止めたのはとてもきれいな女の人だった。細く背が高く、身体のラインにぴったりなエメラルドグリーンのドレスを着ている。学び舎の先生連中の中でとびきり美人なブラーク先生よりも、ずっときれい。形のよい眉はちょっぴり短すぎる気もしたけれど、翡翠色のエキゾチックな瞳と、まっすぐ通った素敵なお鼻と、ピンク色で控えめな唇と、それから妖精めいた先のとがった白くて薄い耳たぶ……舞台から抜け出してきた女優さんみたいだ。プラチナブロンドを丁寧に編み込んで、額にかけてぐるりと回して、まるで王冠みたいにかぶっている。

「あなたはデニヨ・ステップ?」妖精さんは軽やかにそう言った。

 あなたはデニヨ・ステップ、ですって。デニヨ・ステップ。私の名前、こんなに素敵な名前だったかな? デニヨはくすぐったい気持ちを隠して、「そうよ」と頷いた。妖精さんも「そう」と頷いた。

「じゃあ、やっぱりあなたが相続者なのね、デニヨ……」

 妖精さんの目が潤む。デニヨは首を傾げた。……けれど、やおら不安な気持ちがわきあがってきた。デニヨに両親はいない。彼らはずっと昔にいなくなってしまって、他人みたいな、ときどき風のうわさで耳にするみたいな距離の人たちになってしまった。デニヨはずっと遠縁のおばあちゃんの家で暮らしてきた。デニヨはいま十五歳。今朝家を出るときに「いってきます」と声をかけたけど、おばあちゃんは八十四歳だ……。

「デニヨ、よく聞いて」やだ、とデニヨは思ったけれど、凛とした声は弓矢のようによく通った。鼓膜を抜けて、デニヨの頭を揺さぶった。「明日の今頃、マーヤは空の星になる。だから、マーヤの代わりに土地を継ぐ者が必要なの」

 隠しようのない悲しみでさえ、妖精さんのきれいな顔で言われると、お芝居みたいに思える……デニヨは「そうなんだ」と言った。喉よりも唇から声が出てくるみたいだった。遠い人たちの物語を流しの吟遊詩人が語って聞かせてくれたときと同じ気持ちになれるように、もう一度、今度ははっきりと繰り返す。「そうなんだ。大変だね。でも、私のマーヤには関係ないよね?」

「あなたのマーヤの話をしているわ」

 いつの間にか、デニヨは女の人に抱きしめられていた。女の人は、冷たくて、いい匂いがして(たぶんラベンダーだ)、その感触は怖いくらいに軽かった。霞かドレスと抱き合っているみたい……デニヨが耐え切れずに目をつぶって身震いしたとき、突然、声が聞こえてきた。……「ここだ」「ここではないのでは?」「やっぱりここのようだ」「狭いぞ」「家がない」「城もない!」「王冠もないぞ!」「ドラゴンの卵はどうだ?」……デニヨが目を開くと、女の人は消えてしまっていた。デニヨは一人で道端にたたずんでいた。

 最初の呼吸が戻ってきた瞬間、デニヨはわき目もふらずに駆け出した。家に帰りたかった。家に帰って、おばあちゃんの話を聞きたかった。おばあちゃんが話してくれる若かりし日の「マーヤ」の冒険譚を、久しぶりに、眠りに落ちるまで聞いていたかった……。唇をかんで、デニヨは走った。

 その、デニヨの足元。

 小さな小さな妖精の騎士と、妖精の王女と、妖精の女王陛下たちが、わーわー大騒ぎ、押し合いへし合いしながら、ちょこちょこと小走りで、地面に落ちた彼女の影の中を一緒に動いている。ぱらぱら降ってきたしょっぱい水が、一人の妖精騎士の剣を錆びさせて、その日の夜の苦情申し立てから、物語ははじまるのだった。

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