第5話

 休日に渋谷を歩けば10代と間違えられ、「アイドルになりませんか」とスカウトされる田神。童顔が悩みのうちのセンター唯一の新入社員だ。


 晴の局に対し、田神は姫という称号が似合う。中性的な顔立ちの美少年である。


 人事部の人員配置ミスともいえるほど、花形とは、ある意味一線を画す、この最果ての地に送り込まれたことは同情に値する。その田神の表情が暗い、というよりは、青い。


 ナ・ニ?


 声が出せないので、田神に伝わるよう、大きく口を動かす。


「晴さん…どう、しましょう……」


 電話中の晴に申し訳なさそうに、それでいて困っています、助けてくださいとベソをかく顔が余りにも素直すぎて、天を仰ぐ。


 新入社員は宝だ。あまりにも酷い離職率に晴以降、女性がこの部に配属されることは無くなったが、男性にとっても厳しい職場であることに変わりない。


 転けたらすぐに手を差し伸べる。それは先輩としての務めだ。そこから立ち上がるかは本人次第だけど…。いや、立ち上がってもらう。


 痛い腰を伸ばし、目前のパネルの向こうの世界を覗き見る。そこにはいつも通りの、企業戦士の丸い背中が広がっていた。


 田神の電話の外線は点滅し、保留状態になっている。


 誰も捕まらないか…


 昼休憩の直後だ。腹ごしらえをし、各々が持つ一番厄介な案件に取り掛かっているところなのだろう。


 仕方がない。「なるほど。ですが…」と、適当に小野原に相槌を打ちながら、書類を見せるように机の紙を指差し、ジェスチャーで伝える。


 田神からおずおずと差し出された書類を受け取り、事故状況、日時、相手の名前と保険会社、怪我の有無をザッと確認する。


 事故報告書には処理に必要な情報があらかた記入されてあった。


 信号のない交差点。出会い頭の事故。こちら側に停止線あり。


 過失割合は8:2スタートであとは詳しい状況次第というところだろう。相手保険会社も出てきている。


 被害者の担当は以前、晴の案件でもお世話になった、椿つばきすぐる


 受話器越しに聞く椿の低くて甘い声は、一時の癒しと言われるほど、この業界では有名な人物だ。少し色っぽい艶のある声色に、掌で転がされたら…と女子の逞しい妄想を刺激するのだ。


 無茶は言わないが、(言われていても気づいていないだけかもしれないが)椿が担当の事故は示談までが早い。掌で転がされているのかもしれないが、それも交渉を優位に進める技の一つだ。納得できれば、それで良し。


 椿は良心的だ。歩み寄りを許してくれる人でもある。決して毒されて、こう思うわけではないが任せても大丈夫な人だ。


 そんな椿と初めて交渉する田神を、いっそ勉強させてもらえ!と、この場で放り出したとしても何の問題もない。はず…


 だが、田神は「どうしましょう」と目の前で小動物のように震えている。


 田神の「どうしましょう」の意味がわからず、晴が首をかしげると、


「0《ゼロ》主張してます」


 田神は震える手を合わせ、祈るというか、拝むというか、とにかく神様に縋るように全力で晴に助けを乞うてきた。



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