第6話


 そうきたか…


 0主張とは、自分には過失がなく、責任の全ては相手にあると主張すること。


 全部の情報が出揃ったわけではない。そう主張する理由は明白ではないが、現場での態度の悪さが尾を引くこともある。


 何にしても、相手がそう言うのであれば仕方がない。過失が0ということは、賠償金を支払う必要がないということ。つまりそう言われた保険会社は示談交渉を行うことができない。相手方である椿は出てこれないのだから諦めてうちが被害者と直接交渉するほかない。これも基本中の基本。


 それでも、ここまできても、田神の「どうしましょう」がまだ解明されない。


 可愛い顔をしているが、今時の若者にしては礼儀正しく、一度説明したことは必ずメモを取って覚えている。吸収力もあり、応用も利く。教えがいのある骨のある新人だ田神の「どうしましょう」。


 責められればパニックにもなる。失念することもあるだろうけど?


 忘れたのだと決めてかかった晴は被害者欄の名前を指差し、続いて固定電話を指す。そしてメモ帳代わりに使用していた紙に、直接交渉、と大きく書いて田神に見せる。勘の良い田神なら、これだけで伝わるはずだ。


 が、田神は力なく首を横に振る。


「晴さん、違うんです。そうじゃなくて、うちの契約者が0主張なんです!」


 て、こっち!?


 ふざけたことを…


 理不尽なことや相手に対する思いやりや配慮に欠ける人を見ると、どうにも我慢できなくなる晴。


 自分の価値基準で何でもかんでも当てはめてはいけないことも、客観的に、理性的に判断できる能力がこの仕事には必要なこともわかってはいる。が…


 階段を駆け上がるように、一気に頭に血が上る。


 0主張なんて…


 否がない、過失がない事故とは、小野原のような追突事故や赤信号無視、センターラインオーバーなど自分では避けようもないものに限られる。


 凶器にもなる鉄の塊を乗り回しておいて、私は悪くありませんなんて、それも今回はこちら側に過失が大きい件で、よくそんなことが言えたものだ。


「…いただけない」


 自分の置かれている状況なんて吹っ飛んだ。


 親身になって話が聞ける、人間味あふれる晴。晴が愛される理由にもなっている部分ではあるが、無論、大きな欠点でもあった。


『いただけない、ですか?』


 田神には聞こえないほどボソッと漏らした一言でも、集音器よろしく、晴の声だけをよく拾う受話器の向こうの人には届く。


 笑いを噛み殺す声に、サッと血の気が引いた。



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