第5話 愚連隊、化ける!

ここはレフェリア国内でも有数の三つ星高級ホテルのスイートルーム。


 「あの……、カイルさん……。この格好、似合ってますか……?」


 上目遣いに見つめるエイミーの潤んだ大きな瞳に俺の姿が映り込む。

 その目元にはピンクのラメがキラキラと輝き、一層キュートな印象を引き立たせている。

 ほんのりと上気した頬、リップグロスがひかれたぷるんと柔らかそうな唇が痺れる程の大人の色香を放っていた。

 ハーフアップの髪の間からは白いうなじが覗き、耳元ではシルバーのイヤリングからキラキラと光の粒が砕ける。

 胸元の大きく開いたフォーマルなドレスから見える雪のような白い肌とこぼれそうな二つの柔らかそうな膨らみに、俺は暴走しそうな自分をぐっと押さえ込む。

 頭のネジが今にも飛びそうだ。

 慌ててそらした俺の視線の先には、メイド服に身を包んだプルムがモジモジしながら俺達を窺っていた。


 「ねえ……、カイルぅ……。私……変じゃない、かな……」


 腰に大きなリボンがついたヒラヒラのメイド服に白のニーソックスのプルムは絶対領域もバッチリ完備。

 実年齢マイナス十歳の体型に、デフォルトでツインテールが装備されているプルムはきっと特定のマニアには絶大な支持を得そうだ。


 「う~ん、どうも下がスースーして落ち着かねえなあ……」


 ぼやきと共に、今度は赤いチャイナ服に身を包んだレイラが奥の扉から姿を現す。

 長身でスレンダーなレイラとチャイナ服とは破壊的なコンボだ。

 流れるような美しい黒髪に細くくびれたウエストから続く魅惑的なヒップライン、深いサイドスリットからは網タイツに包まれた長い脚が覗く。

 まさに美の神が与えた奇跡の黄金率がそこに存在していた。

 視線に気づいたレイラは青いアイシャドーが引かれた切れ長の目を細め、妖艶な笑みを浮かべてゆっくりと近づいてくる。


 「ふふ、カイルぅ、そんなにスリットの中に興味あるのか……後でゆっくり探検させてやってもいいぞぉ……」


 レイラの熱い吐息が耳元をくすぐり、赤い口紅をさした唇が淫靡にうごめく。

 くらくらしそうな程の大人の色香にごくりと生唾を飲む。

 エイミーにもレイラにも、よりによってプルムにさえも欲情してしまうなんて……、俺はどれだけ飢えてるんだよ……。

 真っ赤になって硬直している俺にプリムが頬を膨らませ、エイミーも泣きそうな顔で抗議してくる。


 「カ、カイルっ!何で船長ばかりいやらしい目で見てるのよっ!」


 「そうですよ~カイルさん酷いですっ!船長さんばっかりそんなえっちな目で見てっ!私だって頑張ったのに~」


 「ちょっと!エイミーまで何言ってるのよ!……カッ、カイルはね!私の格好が一番好みなんだからぁ!幼なじみだから分かるもん!」


 「おい!俺はロリコン属性はないぞ!シスコンとマザコンに続き、これ以上新たな属性を付け足すんじゃない!」


 それを聞いたエイミーは拳を握りしめて、プルムを『むーっ!』っと睨む。


 「もう騙されませんよ、プルムさん!だったらカイルさん自身に誰が一番なのか選んでもらいましょうよ!」


 「そうね!この際白黒ハッキリさせようじゃない!カイル、誰が一番なのか選んで!」


 いつものように俺を放置して勝手に話が進んでゆき、プルムがずいっと詰め寄る。

 エイミーも後ろ手に黒光りする(銃らしき)物を握りしめ、レイラまでも横目で答えを待っていた。

 まるでエロゲーにありがちなシチュエーションだが、全然嬉しくない。

 じっと見つめるプルム、エイミー、レイラ。

 俺の脳裏にエロゲーにありがちなルート分岐の選択肢が現れた。


 [レイラ を選ぶ]

 [エイミーを選ぶ]

[プルム を選ぶ]

[ドリー を選ぶ]


 四つ目は無いだろっ!だけど、どれを選んでもデッドエンド直行の予感がする……

 俺は一体どこで分岐を間違えたのだろう……


 ことの起こりは一週間前――

 この日、ゴーストナンバーズの全員が警備部棟の会議室に呼び出された。

 出頭命令に従い、ゴーストナンバーズは全員揃って警備部棟までの道のりを歩く。


 「みんなでこうやって揃って歩くのって初めてですよね~」


 エイミーに言われてみれば確かにそうだ。


 「そうだなぁ……、確かに初めてかもしれねえな~。ふぁ~~あ」


 あくびをしながら歩くレイラが生返事を返す。

 昼食の後にこの陽気。いつもならラム酒の瓶を抱えて昼寝をしてる頃だろう。

 気ままな猫みたいな人だけど、近頃は表情やしぐさで何を考えてるかだんだん分かるようになってきた。

 するとエイミーが自分の人差し指をほっぺに当て、考え込むように小首を傾げる。


 「今日の特別任務って何でしょうねぇ……」


 今日の出頭命令書には特別任務の作戦説明としか書かれていなかった。


 「そういやカイル達が来てから特別任務は初めてだったな。今までは何度かあったんだけどよ、アポロン基地との合同訓練や観閲式での演習の海賊役とか海に流出した油をすくい続ける仕事とか……。そんなくだらねえもんばっかりだったけどなっ!」


 思い出したようにレイラが歯がみしている。余程つまんなかったんだろう。


 「特に観閲式なんてよぉ、海賊役の私達は必ず負けなきゃならねえんだぜ!ヤラセだよ、ヤラセ!あんなぬるい連中に負ける訳ねえってのっ!」


 元海賊のレイラからすれば納得いかないのだろうが、レフェリア王臨席の演習で海賊役が海軍と防衛隊を全滅させたとなれば海軍大臣と沿岸防衛隊総司令の首が飛ぶよな。


 「どーせまた今回もくっだらねぇ任務だよっ……。私達がゴーストナンバーだからって雑用は全部押しつけてきやがるんだ!」


 俺達はご機嫌下り坂のレイラをなだめながら警備部棟の会議室に入る。

そこでは調度、ルース少佐が一人で会議の準備をしていた。


 「おっ!ちゃんと間に合ったみたいだな!出頭命令書をカイル君宛に送って正解だったよ。レイラなら間違いなく遅刻だろうからなっ!」


 さすが直属の上司、よく分かってらっしゃる。


 「……私宛てだったらこんなとこにゃ来ねえよっ!」


 ご機嫌斜めのレイラが吐き捨てるように言う。


 「……で、今回はなんだ?またくだらねえ汚れ仕事なんだろ!」


 「まあそれは、司令が来てから説明するさ!」


 「何!爺さんも来んのかっ!?」


 司令も来ると聞き、レイラが急にそわそわしだした。

 宝探しの一件以来、司令と会うのは初めてだ。

 どうやら父子としての距離感が掴めずに戸惑っているらしい。


 「……お腹痛くなってきた……。帰ってもいいか?そういえばプーコの餌もやってなかったしよ~」


 レイラは気まずそうに何だかんだと言い訳を並べ始める。

 するとそこに、笑みを浮かべたエイミーがわざと核心をついた質問をぶつける。


 「あら~船長~。お父さんと会うのが恥ずかしいんですかぁ~?」


 「何で私が、は、恥ずかしいとかっ!あ、ある訳ないじゃないかっ!」


 わたわたと慌てて否定してるけどレイラの声は明らかに裏返っていた。

 それにしても、警備艇一隻だけの作戦会議に司令が出席するなんて普通はありえない事だ。


 「司令がおいでになるぞ!起立っ!」


 そこに慌ただしくローディ中佐が入って来て、全員に号令をかける。

 レイラへの言葉責めを中断させられたエイミーも慌てて席に戻り、中途半端に放置されたレイラが、


 「あうぅ……!カイルぅ、俺どうしたらいいんだよっ……!」


 と、自信なさそうに袖を掴んで小声で訴えかけてくる。

 もはやなりふり構っていられないらしい。


 「どうもしなくていいですよ。今までのまんまで……」


 「……うん……」


 不安そうにコクンと素直に頷くレイラ。

 素直なんだか意地っ張りなんだか……。

 すぐに会議室の扉が開き、ロジャー司令が入って来た。

 司令に続いて情報課と海上犯罪対策課の課長、その課員らしき数人の情報士官の中にはリリィの姿もあった。いつもの略装ではなく上衣にネクタイを締め、ノーフレームの眼鏡を掛けたリリィの姿はなかなか新鮮だ。

 他にも背広姿の二人の男性が入って来ると、ようやく会議室の扉が閉められる。

 全員が椅子に腰を下ろすと、ローディ中佐の進行で会議が始まった。


 「それではこれより『特233号捜査計画』の捜査会議を始めます。尚、十七日付けをもって『特233号捜査計画案』は総司令部より正式捜査計画として承認されました。捜査要員はオリオン基地所属第2海上警備隊、隊長以下六名。海上犯罪対策課……」


 ローディ中佐の説明が続く中、ルース少佐が仰々しく[極秘]とか[持ち出し厳禁]の朱印のある捜査資料を全員に配っていく。

 どうやらこの作戦には地元警察や王立公安捜査局、海軍情報部まで参加するらしい。


 「……それでは捜査の概要を説明する……」


 ローディ中佐の説明によると、今回の任務は大規模な潜入捜査らしい。

 場所は隣街ウィーニート郊外の屋敷でクリスマスイヴに開催される、この地方の知事や政治家、企業家、政府機関、軍関係の大物が集まる極秘パーティだ。

 捜査対象は中堅の水産会社「南ロンダム水産」社長のエステバンという男。

 実はこの男、海賊ゾルタン・ペス・ドラードの表の顔らしい。

 こともあろうに、エステバンことゾルタンは次の州議会議員選挙に立候補するため、このパーティで有力者達に票集めの根回しを行うとの事だった。

 海賊が陸に上がってここまで派手にやるとは、やはり大企業や政治家、海軍高官と繋がっているのは噂ではなく事実なのだろう。

 このパーティーの主催者はレフェリア王国でも有数の大企業である「レフェリア海洋開発」。この会社は海運業はもとより、海底油田にガス田採掘、水産資源開発から島嶼・沿岸地区の観光開発まで、海洋関係事業のほぼ全てを手掛けている。

 公安や警察、海上犯罪対策課の内偵ではゾルタンと最も密接に繋がっているとされる巨大複合企業だった。

 つまりゾルタンが「バンピーロ海賊団」を使って他の会社の海洋事業進出を妨害し、「レフェリア海洋開発」が政治的なコネで警察や防衛隊の捜査からゾルタンを守る。

 両者は海で生きる者同士持ちつ持たれつ、ずぶずぶの関係という訳だ。


 今回のゴーストナンバーズの任務はこのパーティに潜入し、ゾルタンと繋がっている有力者の特定と、ゾルタンに発信器を取付けての海賊団本拠地の発見。

 そして可能ならば並み居る公衆の面前で奴の化け皮を剥がし、ゾルタンと企業や政治家、軍人との繋がりを断ち切る事だ。

 エステバンが海賊ゾルタンであることが公になれば、誰も表だった支援は出来ないだろうし、繋がっていた人間も手を引くだろう。

 そしてなんと、任務には司令自身も招待客として参加するらしい。


 しかし、これ程重要な任務にどうして俺達みたいな厄介者の幽霊部隊が選ばれたんだろう?

 そんな疑問はローディ中佐の最後の言葉でようやく氷解した。


 「……尚、万が一作戦が失敗した場合、警察当局及び沿岸防衛隊司令部は一切の関与を否定する。潜入要員はそのつもりで捜査にあたって欲しい……」


 政財界の大物や海軍高官の痛い腹を探る訳だから、失敗したら関係者の首が飛ぶどころでは済まない。組織にとって危険な任務だからこそ、捕まっても足のつかない人員でなければならないのだ。

 存在を抹消されたゴーストナンバーズはまさに適役と言える。


ローディ中佐の捜査説明が終わり、海上犯罪対策課と情報課から現場の状況説明、招待客の写真と略歴が書かれたリストが配られる。

 この地方の知事を始め、大企業の社長や政治家、軍高官などの有力者の名前が並ぶ。

どうやら俺の役はその中のとある製薬会社の御曹司らしい。

 エイミーの父親である知事の協力で、欠席する知事の代役として娘とそのフィアンセが出席する、という名目で堂々と正面から潜入する手筈になっていた。だから俺は怪しまれないように、社交界の話題や作法を身につけなければならないらしい。

 それも大変だが他のメンバーに比べればまだまだマシな方かもしれない。

 レイラとドリー、チップはパーティの余興を行うマジシャン役。

 プルムはホール内のメイドに扮して、ゾルタンに小型発信器を取り付ける役目を負っていた。

 それに海上犯罪対策課のリリィもメイドとして現場に潜入する。リリィの役目は参加者の中からゾルタンと繋がっている人間を特定する事だ。

 なんとリリィはマークしている人間を含めた招待客全員の顔と名前を暗記しているらしい。

 今年入隊したばかりで何よりベルク人である彼女がこんな重要な任務に抜擢されたのはその優秀さ故であろう。

 そして会議の最後には二人のスーツの男、地元警察と公安の担当者から警察との協力態勢の説明があり、捜査会議は終了となった。

 警察と公安の担当者が出て行くのを見計らって、ロジャー司令がレイラにそっと近づいて来る。

 気配を感じたレイラは身体を強ばらせ、目を伏せる。


 「久しぶりじゃな、レイラ……。あれからお前とゆっくり話したいと思ってはいたが、今回の件で忙しくてな。すまない……」


 レイラは黙ったまま机の一点を見つめ、膝の上で拳を握りしめている。


 「……何も変えんでいい。ワシを父親とは思わなくていいんじゃ。今まで父親らしい事は何もしてないのじゃからな。じゃが今回の任務はお前でなくては実行できん。これはお前との約束、ゾルタンを捕らえ、真実を明かす為に強行した作戦なんじゃ。しかしワシはそれを後悔しておる。危険すぎるんじゃ……。実行するかどうかの判断はお前に任せる……」


 司令はしばし答えを待ったが、それが返ってくる事はなかった。

 やがて穏やかな笑顔をレイラに向けると、それ以上何も言わず、ゆっくりとした足取りで司令は会議室を後にした。


 「……船長……、やっぱり許せないですか?お父さんを……」


 「……母様はな、たった一人で私を育て……、そして一人で死んでいったんだぞ……」


 俯いたまま消え入りそうな声で呟くレイラの華奢な背中はとても小さく、儚げに見えた。


 その日の夕食時、全員が席についた所でレイラが潜入捜査の話を切り出した。


 「ルースがこの任務をやるかどうかの返事を明日しろってよ。私の調べではレフェリア海洋開発が使ってる私兵や警備を担当してるのはゾルタンの部下である海賊達だ。それに現場は郊外での秘密パーティ会場。捕らえられても助けはない。これは私達の安月給には釣り合わない任務という事だ。だが金と権力をも味方につけたゾルタンを捕らえるには、この方法しかない……」


 レイラは真剣な表情で全員の顔を見回す。

 昔と違って表に出ない海賊団の親玉を海賊行為の現行犯で捕まえる事は事実上不可能だろう。

 化けの皮を剥がし、海賊の本拠地を突き止め、ヤツがその場に居る時を押さえるしかないのだ。


 「……この任務は私との約束の為に爺さんが強行したものだ。そして私とドリーの私闘でもある。お前らは無関係の人間だ。私はもう海賊船の船長じゃねえ。こんな無謀な命令はできない……。お前達自身の意思で決めてくれ……」


 強く下唇を噛みしめているレイラには心の葛藤が見て取れる。

 レイラはきっと、誰よりこの機会を待ち望んでいたはずだ。

 そんなレイラの心に届くように静かに語りかける。


 「俺にとって船長は上官である前に大切な仲間です……。ただ俺は仲間の願いを叶えてあげたい……、そう思ってますよ」


 「カイル……」


 ハッとしたように俺を見つめるレイラだが、まだその瞳は戸惑いに揺れていた。


 「命令なんて、必要ないんですよ船長。あなたは独りじゃない。助けてあげたいと思っている仲間は他にも居るはずです。困った時は、仲間を頼ってみたらどうですか?」


 少し逡巡したあと、レイラははにかむような笑顔を浮かべる。


 「……ああ、そうだったな……」


 そしてゆっくりと立ち上がると、全員の顔を見渡す。


 「……私は母様を陥れ、利用して殺したヤツをずっと探してきた。ゾルタンが動いていた事までは突き止めたが、そこからヤツに近づくことはできなかった。私はどうしてもあの時の真実を知りたいんだ……、みんな、力を貸してくれ!頼む……」


 レイラは噛みしめるように心の内に抱えてきた想いを言葉に紡いでいく。

 海賊の娘として生まれ、十歳の少女が受けた過酷な運命。

 それから12年。彼女の心はずっと忌まわしい過去の呪縛に捕らわれ続け、復讐の為だけに生きてきたのだ。

 レイラの言葉にみんなは顔を見合わせ、微笑み合う。


 「最初からそれを言ってくださいよぉ~、いまさら水くさいですよ~」


 エイミーがやれやれといった表情でやさしく微笑みかける。


 「そうですよ~いつもみたいに遠慮なく言ってくださいよ!それに僕達にしかできない、この任務を成功させて、海軍の連中に一泡吹かせてやりましょう!」


 チップもやる気満々のようだ。


 「そうよっ!あの連中もムカツクけど……、海賊団の親玉が政治家になるだなんて許せない!ゾルタンにも、ヤツを利用してる連中にも法の裁きを受けさせてやるんだからっ!」


 そう言ってプルムは忌々しそうに歯がみして拳を振り上げる。

 人一倍正義感が強いプルムは案外、法務執行官という仕事が向いているのだろう。


 作戦決行が決まり、翌日からは極秘の潜入訓練が始まった。

 訓練には公安から派遣された潜入捜査専門の教官が担当してくれる。

 特に俺は招待客役として、社交パーティでの立ち振る舞いやマナーの習熟が必要だった。

 何より重要なのは、他の招待客に話題が合わせられるように昨今の国際政治や経済情勢、各業界の話題、特に製薬会社の御曹司という役柄上、医療や製薬業界の話題は熟知しておく必要がある。

 薬害訴訟やリコール問題、生産性と安全性の両立、薬事法の改正や新しい認可基準に海外からの参入企業の情報等々……。

 一方、本物のお嬢様であるエイミーは社交界デビューも済ましているので完璧だったが、いたって庶民派の俺は一から勉強しなければならない。

 マナー教室のおばちゃん、といった感じの担当教官から厳しい指導が続く。

 「……ちょっとぎこちないですわね!二人は将来を誓い合った恋人同士なのよ!それじゃあ不自然に見えますわね~ハイッ!ちゃんと密着して!ホラッ!腕を組んで!」

 教官が俺とエイミーを更にぐっと密着させる。

 エイミーの体温で揮発したばかりの香水の香りに鼓動が早まる。

 寄り添うエイミーもまた頬を赤らめ、照れながらも肩にそっと頭を預けてくる。

 ずっとこの訓練が続けばいいのに……。

 そんな幸せの絶頂の俺には般若の形相をしたプルムが射抜かんばかりの視線で睨んでいる事など気づくはずもなかった。

 そんなプルムにメイドの訓練を担当する初老の教官が深いため息をついている。


 「プルムさん……、あなたは奉仕の天使なんですよ。笑顔で相手を癒す事も立派な仕事なんです。口元は笑ってても、あなたの目は笑ってませんよ……。視線で人を殺す気ですか!」


 その時プルムが片手に持ったトレーがバランスを崩して床に落ち、グラスや皿が耳障りな音をたてた。


 「あ~!もうっ、なんで私がメイドなんかやんなくちゃいけないのよっ!客でいいじゃん!ちょっとカイルっ!人が苦労してんのにデレデレしてんじゃないわよっ!バカーーーっ!」


 お転婆なプルムとは対照的にリリィは給仕の作法や立ち振る舞い、笑顔までも完璧だった。

 メイド服を着ていたならば誰もが本物のメイドだと信じて疑わないだろう。


一方、マジック組のレイラ達もプロマジシャンを招いての猛特訓中だった。

 メインでマジックを披露するのはチップ、レイラとドリーはその助手役に扮している。

 本番ではメイクと変装で子供のマジシャン役を演じるチップはマジックの他に演技指導も受けていた。

 主役であるチップはカードを使ったファイアーマジックの特訓中だったのだが、


 「熱いっ!もう、怖いよぉ~っ!」「痛っ!カードで指切ったぁ~~!もう無理だよ~」


 ヘタレっぷり全開だったが、


 「いいわねっ!素晴らしい演技よ~あなた才能あるわね!」


 と、何故か演技指導の教官からは絶賛されていた。

 演技をしてるんじゃなくて、それが素なんだが……。

 そういう意味でも的確な人選なのかもしれない。

 たった一週間の練習では本格的なマジックを習得するのはまず不可能だ。

 大人のマジシャンが格式あるパーティでありきたりなマジックをしたら不自然だが、子供がやるならそれは一つの演目として違和感はなくなるし、多少失敗しても許されるからな。


 ――こうして一週間みっちりと朝から晩まで厳しい訓練が続き、危ういながらもそれぞれの役柄を一通りこなせるようになった。

 作戦の前日から俺達はパーティ会場近くのアジトとなるホテルに移動していた。

 そして次の日、準備室となっている部屋でそれぞれの役柄の衣装に着替える事となり、冒頭の選択肢に戻る訳だ。


俺はいったい誰を選べば助かるんだろう……。

 答えを待つレイラ、エイミー、プルムを順番に見回しながら必死に頭を働かせる。


 「わたしじゃ……、ダメですかっ、カイルさん……」


 悲しそうにエイミーが目を伏せる。

 そんな顔されたら……、エイミーを選ぶべきか?

 腕を組み、ジト目でカイルの反応を伺っているレイラはドリーの鎖を握ってる訳だし、ここは自分の貞操を守る為にも!


 「カイルっ!誰を選ぶべきか、分かってるわよね……」


 腰に両手を当てて、プルムは睨みをきかせている。

 こいつは俺の両親と繋がりがあるからな。他の女の子が良いなんて言ったら親父に秘密バラしてここに居られなくされそうだし……。

 「みんな可愛いよ」、なんて答えじゃ納得してくれないだろう……、もういっそ逃げるか……。

 と、本気で考え始めたその時――


 「まあまあ~そうムキにならないで。プルムさんも七五三みたいで可愛いですよ~」


 ナイスタイミングで空気が読めないチップの一言が炸裂した。

 言い終えた瞬間、無防備なチップの笑顔にプルムの肘がめり込み、続く強烈な回し蹴りによってその身体は宙を舞って三回転半。

 見事にトリプルアクセルがキマった。


 「アンタの意見なんか聞いてないっ!七五三ってどういう意味なのよ!」


 服を直しながら、忌々しそうにプルムがつぶやく。


 「全く……、服が汚れたじゃないのよっ……」


 タキシードのズボンをサスペンダーで吊し、蝶ネクタイのコミカルな格好のチップはとても笑えない状態で床に転がっていた。

 俺は生死の境をさまよっているチップに手を合わせながら、追求がうやむやになったことにホッと胸をなで下ろした。


 「ちょっと!時間ないんですから遊んでないで準備してくださいっ!」


 そんな俺達を呆れた様に眺めていたリリィがため息をつく。

 作戦前だというのに緊張感が全く無いのもゴーストナンバーズらしさって事で。

 メイド服姿のリリィはプルムとは対照的にデキるメイドといった雰囲気だ。とても同じ服を着てるとは思えない。メイド服って着る人によってこうも違うのか。


 「リリィ、メイド服とても可愛いよ!」


 素直にそう言うと、リリィは耳まで真っ赤にしてオロオロと目を泳がせる。


 「これは任務なんだから別に、可愛いとか、そんなの関係ないし……。でも、その、一応……、ありがと……」


 リリィの予想外の反応に、服装が与える心理的影響について思いを巡らせる。

 リリィがこんなにも従順になるとは。メイド服、恐るべし。

 波乱の着替えを終えると作戦本部となっている部屋に移り、司令の訓辞を受ける。


 「この潜入作戦はゾルタン逮捕の第一歩じゃ。ヤツの力は今や政界、経済界にまで深く食い込んでおる。ヤツが政治家になればおいそれと手は出せなくなる。これが最後のチャンスじゃ。その為、十分な支援もできん危険な任務にお前達を送り出す事になってしもうた。十年前、ヤツを取り逃がしたワシらのツケをお前達に背負わせてしまったな。もし失敗したとしても絶対に捕まるでない……。どんな手段を使ってでも逃げきるんじゃ。何もしてやれんワシをゆるしてくれ……」


 そう言って司令は全員に頭を下げた。

 そうすることしか出来ない程、ゾルタンの力は強大なのだろう。

 そんな沈んだ空気を払拭するようにレイラが威勢の良い掛け声をあげる。


 「よ~しっ!今こそ俺達の本領発揮だっ!ゴーストらしく化けてやろうぜっ!」


 その一言でみんなの意気が上がる。

 それはきっと不器用なレイラなりの司令への気遣いなのかもしれない。


 「ははっ!確かにこの任務は俺達ゴーストにしか出来ないなっ!」


 「ゴーストは怖いけど、自分がゴーストなら何も怖くないですねっ!」


 仲間達と笑い合うレイラをロジャー司令は優しいまなざしで見つめていた。


 その後、地下の駐車場からレイラとドリー、チップの三人はサーカス団のロゴが入った偽装ワゴン車に。俺とエイミーはリムジンにそれぞれ分乗してパーティ会場に向けて出発した。

 俺とエイミーが乗った車はクリスマスイヴの街を郊外に向かってひた走る。

 リムジンの窓には煌びやかな夜の街並の風景が流れ去ってゆく。街路のイルミネーションの下では幸せそうな恋人達が寄り添いながら歩き、一つ一つの窓の灯りの下では家族の平和なクリスマスの夜が過ぎてゆく。

 しかし俺達ゴーストナンバーズは引き返す事のできない戦いに向ってゆく。

 それは成功しても失敗しても、決して誰の目にも触れることのない戦いだった。


 「……そういえば今日はクリスマスイヴだったんですよね……」


 窓の外を見つめていたエイミーが誰に言うとでもなくぽつりとつぶやいた。家には居場所がない、と言っていたエイミーの言葉をふと思い出す。

 もしかしたらエイミーは毎年のクリスマスもたった独りで薄暗い武器庫で過ごしているのだろうか……。

 憂いを帯びたような彼女の横顔が色とりどりの街の明かりに照らされ、その姿はどこか幻想的でさえあった。

 やがて車は繁華街を走り抜け、郊外に出る。

 洒落た街灯が灯る別荘地となっている森林地帯に入ると、木々の間から幾つもの屋敷の灯りがポツポツと漏れてくる。

 きっとこの灯りの中では豪華な社交パーティが催されているのだろう。

 車は森を抜けると湖のほとりに建つ大きな屋敷の前に停車した。

 目的地のパーティ会場であるこの屋敷は周囲の他の屋敷よりも広大で、御影石造りの重厚な建物だった。

 恐らくここがゾルタンとレイラにとって運命の場所となるのだろう。

 飾り付けされた正面の車寄せにはタシキード姿の男性や極彩色のドレスを纏ったけばけばしい女性達が眩しい玄関に次々と吸い込まれていく。

 それはまるで権力という灯りに集まる蛾を思わせる。

 俺とエイミーは目立たぬよう入場者の多い時間帯に入る手筈になっていたが、余興のマジシャン役のレイラ達は裏口から既に会場入りしている頃だろう。


 「……そろそろ時間ですわね……、では参りましょうか。カイル様、エスコート、よろしくお願いしますわね!」


 エイミーはまるで本当にクリスマスパーティに出かけるかのような明るい笑顔で微笑み、俺の腕に手を回してピッタリと密着する。

 腕には温かでぽやぽやのマシュマロに似た感触が伝わってくる……。

 練習で慣れたつもりだが、薄いドレス越しのエイミーの胸の威力は破壊的だ。

 そんな俺もまた髪をオールバックにして、タキシード姿でビシッとキメている。


 「カイル様……、とても素敵です……」


 寄り添うエイミーがカイルを熱っぽい瞳で見上げ、そっと耳元で囁く。

 それが恋人同士を装う演技なのか、はたまた本心だったのかは分からなかった。

 上気したエイミーの白いうなじからは仄かな香水の香りが立ち昇る。その香りにカッと顔が熱く火照り、心臓が高鳴る。

 い、今は作戦中だ。冷静にならないと……。

 冷静さを取り戻す為に腕時計で潜入開始時刻を確認して屋敷の敷地内に向かう。

 豪奢な作りの玄関に近づくと、黒服のドアマンが金メッキが施された大きな扉を開けてくれた。

 エントランスの広間には大きなシャンデリアが吊され、大理石張りの床にひかれた赤い絨毯は正面の広い階段に真っ直ぐ伸びている。

 広いエントランスには談笑する招待客らしい男女の他に、いたる所に厳つい黒服の男達が立って周囲に目を光らせている。

 さすがにこれだけのVIPが集まる会場、警備は厳重だ。

 この屋敷内には招待客のボディーガードやSPすら立ち入る事は許されない。

 つまり黒服達は全て主催者側の警備ということになる。

 黒服達は海賊というより『訓練された戦闘のプロ』といった感じだ。

 俺達は金属探知機のゲートをくぐり、正面の階段の前に進むと黒服を従えた初老の男が近づいてくる。

 にこやかな笑みを浮かべていたが、決して視線を逸らす事なくこちらの動きを観察していた。


 「ようこそおいでくださいました。招待状はお持ちでしょうか?」


 「ええ、もちろんですわ」


 エイミーが笑顔で応じ、赤いポーチから金色の舵輪がデザインされた招待状を渡すと、その男は鋭い目で招待状の書面をじっと見つめる。

 エイミーの父親に届いた本物の招待状だからバレる心配はないのだが、やはり緊張する。


 「これは失礼致しました、ローズウェル様。ではごゆっくりお楽しみください……」


 その男がうやうやしく頭を下げるのを見てホッと息をついた。

 一方、そんな素振りも見せず自然な笑顔で応じるエイミーの堂々とした振る舞い、さすが本物のお嬢様だけの事はある。

 赤い絨毯を踏みしめながら階段を登った先には木製の重厚な扉があり、中は広いパーティホールとなっていた。

 ワインレッドの上品なカーテンで飾られたパーティホールには真っ白なシルクのテーブルクロスがかけられた丸いテーブルが幾つも並び、色とりどりの花が飾られている。

 中央には何十種類もの高級料理やフルーツが並べられた長テーブルがあり、調理服を着た給仕が次々と肉を切り分け皿に盛りつける。

 最奥には劇場の様な立派なステージ、そして天井には光の粒が煌めく大きなシャンデリア。

 まさに映画やドラマの中にあるような光景が目の前に広がっていた。

 その華やかさに圧倒されつつも、俺はどうにか平素を装って会場に足を踏み入れる。

 ホールの隅にはバーカウンターまであり、酒に詳しくない俺でも聞いた事があるような高級銘柄の瓶がワゴンセールの如くズラリと並んでいた。

 きっとレイラなら小躍りする光景だろう。

 バーカウンターのバーテンダーが作るカラフルなカクテルをメイド服を着た女性達が招待客に配ってゆく。

 その中にはメイドに扮したプルムとリリィの姿もあった。

 訓練の成果なのか、プルムは今のところ上手くやっているようだ。


やがて時が経つにつれ、ホール内がタキシードやドレス姿の招待客で埋め尽くされていく。

 ロジャー司令も所定の立ち位置につき、間もなくパーティの開宴時間となる。

 するとその時、いかにも社長といった風体の男がエイミーを見つけて話しかけてきた。

 ポマードで七三に撫でつけられた髪に脂ぎった顔。確かこの顔は地元商工会の会長だった気がする。


 「これはエミリアお嬢様っ!お久しぶりでございます!更にお美しくなられましたなっ!本日はお父様のお姿が見えませんが……」


 満面の作り笑顔に猫なで声。

 こんな絵に描いた様なゴマすりっぷりはそう見られるものではないが、エイミーは慣れたように上手くあしらっている。

 エイミーが父親の代理である事を話して俺を紹介すると、お愛想の矛先がこちらに向いてきたのでボロが出る前に早々に切り上げる。 

 会話をエイミーに任せてそれとなく周囲を観察すると、ここにもかなりの黒服達が配置されていた。

 あの腰回りの膨らみはおそらく警棒か小型拳銃だ。

 ホール内の黒服は二十人程、エントランス周辺にも十人は居たはずだ。交替要員が奥にも控えているだろうから、六十人程度は居ると考えておいたほうがいい。


正面のステージに登場した司会の女性がパーティの開宴を告げると大きな拍手がまき起こり、続いて主催者であるレフェリア海洋開発会長の挨拶が始まった。

 見た目は七十代の老人だが、海賊を使ってライバルを蹴落としてきた人だけあってその眼光は鋭く、全身には精気がみなぎっていた。

 短い挨拶が終わるとプログラムに従って次々に来賓の挨拶が続く。


 『……では続きまして、当パーティ開催にあたり、多大なご支援を頂いたロンダム水産社長、エステバン様よりご挨拶を頂きます!』


 司会の紹介で、にこやかに笑顔を振りまく中年の男がステージに昇る。似合ってない口ひげを生やし、青い目と左頬の大きな傷跡が特徴的な大柄な男だ。

 この男がエステバンこと、ゾルタン・ペス・ドラード。

 ローズを殺し、レイラの全てを奪った男なのだ。

 人の良さそうな笑顔を浮かべるエステバンの正体を知らなければ誰も海賊の頭目ゾルタンとは思わないだろう。

 既にほろ酔い気味のゾルタンは饒舌に州議会議員に立候補するにあたっての意気込みや公約などをステージ上でまくし立てている。

 凶悪な海賊団の親玉が軍や警察幹部、そして沿岸防衛隊基地司令の前で堂々と演説してるんだから随分なめられたもんだ……。

 やがて演説を終えてステージから降りたゾルタンは上機嫌で支援者達と談笑していた。

 エイミーと共にさりげなくゾルタンの近くに移動し、メイドのプルムにウインクして行動準備完了の合図を送る。

 するとカクテルをトレーに載せたプルムがゾルタンの背後から派手にぶつかった。


 「きゃああああぁぁっっ!」


 その声に周囲の視線が集まる。

 わざとらしく悲鳴をあげて倒れたプルムは持っていたカクテルを浴びてベソをかき始めた。


 「何をする!この野郎っ!」


 酔ったゾルタンは顔を真っ赤にしてプルムを怒鳴りつける。


 「ご、ごめんなさいっっっ……!ふぇえぇぇぇっっっ……」


 ゾルタンの睨みに怯えるプルムにすぐさまエイミーが駆け寄って優しく助け起こす。

 人の目があるこの状況で善人ぶっているゾルタンはそれ以上責める事が出来ず、


 「ああ……お嬢ちゃん大丈夫かい?ごめんね……」


 などと引きつった笑顔で声を掛けている。

 他のメイドやボーイが駆け付けその場を収めると、去り際のプルムが俺に向かって小さくウインクした。

 どうやら首尾良くゾルタンに小型発信器を取り付けられたらしい。


 その後、ステージでは数名の政治家や実業家の挨拶が済み、いよいよ余興が始まる。

 ゴーストナンバーズにとって一世一代のショーの始まりだった。

 まず最初に登場したのはアジアの雑伎団。二番目は北欧からのパフォーマンス集団だ。

 どちらも世界的に有名な団体だけあって息を呑むほど見事だ。

 次はいよいよレイラ達の番となり、司会の女性が大声で演目を告げた。


 『続いては僅か8歳の少年が魅せる、見事なマジックの数々ですっ!』


 大袈裟な効果音と共にコミカルなダンスを踊るチップと、黒い台を押したドリーがステージに登場してきた。

 8歳の設定かよ!だが全く違和感を感じさせない事自体が既にマジックだな。

 招待客達もそんな小さな子供がどんなマジックを披露するのか注目しているようだ。

 掴みはバッチリだな。

 チップはペコリと頭を下げ、ドリーが押してきた黒い台から手品の小道具を取り出すと音楽に合わせて次々とカードマジックを披露していく。

 ぎこちない所が逆にハラハラ感を誘い、誰もがステージに釘付けになる。

 そして危ういながらもマジックを成功させる度に大きな拍手が巻き起こる。

 細かなマジックが終わると、アシスタント役のドリーが舞台袖から大きな箱を持ってきた。

 その箱の前面の蓋を開けると中には椅子があり、人が入って蓋を閉めると首から上だけが出た状態となる仕掛けになっている。

 人を入れて箱の外から剣を指すというよくある串刺しマジックだ。

 その箱にドリーを入れようとして大きすぎて入らない、というおどけた芝居で笑いを誘い、チップが会場から中に入る協力者を指名するといった趣向だ。


 「ん~と、じゃあそこのおじちゃんお願いします~!」


 チップは少し悩んだ後、自然にゾルタンことエステバンを指名した。


 「いやぁ~、どうもっ、参りましたな~がはははっ!」


 指名された赤ら顔のゾルタンは客達に手を振りながらステージに上がる。

 裏の顔を隠して陽気な善人を装い、名前を売る為に目立とうとしているゾルタンを見ているとだんだん腹が立ってきた。

 ゾルタンが箱に収まると蓋が閉められる。

 ドリーが剣立てから模造のサーベルを取り静かに構える。

巨漢のハゲマッチョがサーベルを構える迫力ある姿に会場からはどよめきが挙がった。


 「ん~、このおじちゃんが怖がってるので~。綺麗なお姉さんに変えてあげます~!」


 そんなチップの提案に会場は更に盛り上がりをみせる。

 チップはドリーを別の大きな箱に押し込めると扉を閉め、ステッキで箱を叩きながら、


 「じゃあ、いきますっ~!ワン、ツー、スリーッ、ハイッ!」


 合図と共にポンッ!とドリーが入った箱から白煙が上がる。

 チップが扉を開けるとその箱からはドリーに替わって妖艶なチャイナドレス姿のレイラが現れた。

 野獣を美女に変えたチップに会場から大きな拍手喝采が巻き起こる。

 ゾルタンの位置からは斜め後ろに居るレイラの姿は見えていないが、その注目のただ中に居るゾルタンは満足そうにおどけた表情を作っている。

 レイラは無駄の無い動きで剣立ての一番端、鍔に薔薇のデザインが施されたサーベルを手に取るとゆっくりゾルタンに歩み寄り、そして静かに剣を構えた。

 レイラの凛とした美しさと、只ならぬ殺気に会場がしんと静まりかえる。

 その異変に気付いたゾルタンが首を巡らせてレイラを見上げた。


その瞬間――


 ゾルタンは目を大きく見開き、驚愕の表情を浮かべる。

 赤ら顔が一瞬にして、幽霊でも見たかのように蒼白に変わり、荒い呼吸を繰り返す。

 レイラは無表情に見下ろしたまま、剣先をゆっくりとゾルタンのこめかみに突きつける。


 「うわあぁぁぁぁっっっっっっっ!!!」


 静まりかえった会場にゾルタンの絶叫が響き渡った。

 ゾルタンは悲鳴をあげながら箱から転がり出るとステージにへたり込み、目の前にあった剣立てから模造サーベルを取ってレイラに切っ先を向ける。

 そんなゾルタンの様子にどっと会場中から笑いが巻き起こった。

 どうやら客達はレイラに剣を向けられたエステバンが怖くなって飛び出したとでも勘違いしてるらしい。


 「はははっ!なかなか趣向を凝らした余興ですな~」


 「いや、あのエステバン氏の表情は本気で怯えてる表情ですよ!」


 普通のマジックを見慣れた彼等にはさぞ見物だろう。

 会場中の注目が集まるステージ上ではレイラとゾルタンは剣を向け合い微動だにせず睨み合っている。

 威厳さえ感じる堂々としたレイラの凛々しい立ち姿は写真で見た若かりし頃のローズそのものだった。

 ゾルタンには殺したはずのローズが蘇ったように思っただろう。


 「うぅ……!まさかっ……、そんな、ありえん……」


 ゾルタンの持った剣の先が小刻みに震えている。レイラが一歩近づくと、


 「うわぁぁ!く、来るなっ!!」


 怯えきったゾルタンが闇雲に剣を振り回す。

 酔っているせいで完全に冷静さを失い、レイラをローズだと信じているようだ。

 レイラは突き出される剣先を最小の動きでかわしてゾルタンの剣をサーベルで払い飛ばすと、顔色ひとつ変えず再びゾルタンの額に剣先を向ける。

 そしてその剣先がゆっくりとヤツの額から顔をなぞり、大きな古傷のある左頬で止まる。

 ゾルタンの目がレイラのサーベルの鍔の薔薇を捉えた。


 「黒薔薇の刻印、その剣はっ!…ル・ノワール・ローズ……!」


 それを聞いたレイラは冷たい微笑みを浮かべ、小さく囁く。


 「ふふ……。ゾルタン、今度は外さないわよ……」


 その直後、ゾルタンの脂ぎった顔が恐怖に歪み、逃げるように後ずさるもそこは既にステージの端。

 逃げ場を失ったゾルタンはさらに取り乱して叫ぶ。


 「バカな……、あの時、確かに死んだはずだ!お前が生きてるワケがないっ!」


 「ええ、そうよ。もう一度あなたに会いたくてね、寒くて暗い世界から戻って来たわ……」


 レイラは凍えるような冷たい微笑みを浮かべる。


 「ひぃっ!な、ならもう一度お前をあの世に送ってやる!お、お前達っ!こ、殺せっ!コイツはローズだぞっ!海賊のローズ・ベリーなんだぞ!!」


 冷静さを失ったゾルタンの命令で会場内にいた二十人近い黒服がステージに駆け上がり、チップとレイラを取り囲んだ。

 そこでようやく異変に気付いた客達もざわめき始め、手下に助け起こされたゾルタンは戸惑う客達に向かって取り繕うように叫ぶ。


 「ご安心ください!この不届きな海賊達は直ちに取り押さえ、排除いたしますっ!何もご心配には及びません!」


 それでもざわめきは収まらず、ゾルタンの表情に焦りの色が浮かんだ。


 「おいっ!このままではまずい、早く取り押さえろっ!」


 ステージを取り囲んだ黒服達にゾルタンが命じた時、


 「エステバン殿!ちょっとお待ちなさいっっっ!!!」


 貫くような鋭い声に誰もが動きを止め、一瞬で会場が静まりかえる中、客達の間から声の主であるロジャー司令がゆっくりとステージの前に進み出る。


 「少しよろしいかな?エステバン殿……」


 穏やかな口調だが、有無を言わさぬ雰囲気に会場中の視線がロジャー司令に集まる。


 「あなたは先程この者が、かの大海賊ローズ・ベリーだと、そして同時に『死んだはずだ』とも仰いましたな。私もあの海賊狩りの時、防衛隊指揮官としてローズの死亡は確認しています。しかし彼女の死は海軍でさえ公の記録に残さなかった極秘事項のはず。なぜ一介の会社社長であるあなたがご存じなのですかな?もしや軍から情報が漏れた、という事でしょうか……?どうですかな?スクーナー少将どの?」


 そう言ってロジャー司令は細身で背の高い紳士を振り返る。

 それはついさっきまでゾルタンと談笑していた男の一人、南ロンダム海軍基地司令のスクーナー少将だった。


 「な、何をおっしゃるのですか!海軍から情報が漏れるような事はありえません。いやはや、私もどのようにエステバン氏が情報を得たのか理解に苦しみますな……」


 突然の指摘にうろたえた様子で答えるスクーナー少将の背後では数人の招待客がさりげなくパーティホールを出て行く。

 きっと同じようにゾルタンと繋がりのある連中だろう。

 扉の脇に立つリリィがその顔をしっかりと記憶している。


 「そうですか……、となると知る事ができたのはローズが死んだ時、その場所に居た人間という事になりますな。エステバン殿、先程のあなたの発言について詳しくお話を伺えますかな!」


 人々も違和感に気づき、会場がざわめきに包まれ始める。


 (そういえばそうだ……。確かローズは行方不明と聞いていたぞ……)


 (ああ、それに彼は『もう一度あの世に送ってやる』と言ってたよな……)


 会場中からの疑惑の視線を浴びたゾルタンがたじろき、壁際に立っているレフェリア海洋開発会長に助けを求める視線を向けるも、会長は背を向けてパーティーホールから姿を消した。

 最大の後ろ盾を失った事を悟ったゾルタンはついに本性を露わにする。


 「くぅぅぅっ!うるさい、うるさいっ!こいつらは海賊なんだぞっ!構わんっ、撃ち殺せっ!」


 黒服達が懐から拳銃を抜いて構えると、客達から悲鳴があがる。

 その次の瞬間、レイラが登場した大きな箱の中から両手にマシンガンを持ったドリーが現れた。

 同時にレイラとチップが床に伏せるとドリーのマシンガンが轟いた。

 殺傷能力のない硬質ゴムの銃弾とはいえ、近距離で撃ち込まれればただでは済まない。

 ホール中にけたたましい銃声が響き渡り、取り囲んでいた黒服達が次々と撃ち倒されて床に沈む。

 混乱する羊の群れのように客達は我先に逃げ出し、会場内は悲鳴に包まれる。

 人々はテーブルをひっくり返し、他人を押しのけ出口に殺到する。怒号や悲鳴、銃声が交差する中、俺とエイミーは司令の脇を固め、プルムとリリィが招待客達を出口から逃がしてゆく。

 ステージ上ではレイラが太もものホルダーから拳銃を抜き、箱や台を盾に黒服達に応戦している。

 チップは予想通り箱の影で頭を抱えて悲鳴をあげていた。

 そこにまた脇の扉から二十人程の黒服達が応援に駆けつけてきた。

 周囲を取り囲まれ、八方から浴びせられる銃弾の嵐にレイラ達は応戦もままならない。

 援護したくても民間人に扮しているカイル達は銃を持ち込んでいない。

 公衆の面前でゾルタンがここまでの凶行に及ぶとは予想外だった……。レイラ達が危ないというのに、ただ見ているしか出来ないなんて……。

 すると突然、隣に居たはずのエイミーがステージに向かって猛スピードで掛けてゆく。

 なぜかその両手にはあるはずのない二丁の拳銃を握りしめている。

 ハッとして振り返ると、いたずらっ子のようにウインクを返すロジャー司令の姿があった。


 「沿岸防衛隊司令が銃を持っていても不思議ではなかろう?」


 その仕草はレイラと同じだ。間違いなく親子だな。

 あっという間にビーストモードに移行したエイミーは甲高い笑い声をあげながら銃弾をかいくぐり、的確な射撃で次々と周囲の黒服を撃ち倒していく。


 「きゃははははっ!死ね死ね死ねっっっっっっっ!!!」


 エイミーは狂喜乱舞しながら常人離れした動きで黒服達を翻弄しつつステージに迫る。


 「な、なんだこのヤバイ女はっ!ひぃぃ!く、来るなっ!」


 その奇怪な動きに、屈強な黒服達も動揺している。

 恐るべし、ビーストエイミー……。

 この時とばかりに応戦してくるレイラ達と禍々しいオーラを纏って迫り来るエイミーの迫力に黒服達の包囲の輪が解けた。


 「よし!今だっ!つっ走れっっっ!」


 その隙を逃さずレイラが遮蔽物から飛び出し、ドリーとチップも後に続く。

 先頭を走るレイラが立ちはだかる黒服達をサーベルの柄で殴り倒し、道を切り開きながら舞台脇の扉を目指して突進する。

 その途中でドリーは銃を撃ちまくっているブッ飛んだエイミーをすれ違いざまにランニング・エルボーの要領で回収していく。


 「へぶぎゅっぅ!」


 潰されたカエルみたいな悲鳴を発して、エイミーはドリーの腕の中でぐったりしてしまった。

 今のエルボーは見事にキマってたぞ……。

 ロジャー司令とリリィを玄関から脱出させ、ゴーストナンバーズである俺とプルムはレイラ達に合流して調理室から裏口を目指して走る。

 背後からは銃声と足音が迫り、建物の外からは微かにサイレンの音が聞こえてくる。

 申し合わせ通りのタイミングで警官隊が到着したらしい。

 俺達は追っ手を牽制しつつ屋敷の裏口から飛び出すと、そこに待っていたサーカス団の偽装ワゴン車に飛び込む。

 全員が乗り込むと、タイヤを軋ませてバンが急発進。

 かなり危なかったが、どうにか全員無事に脱出できたようだ。

 車は路地を抜けて通りに戻ると屋敷の正面を走り抜ける。

 屋敷は何十台ものパトカーや特殊部隊の車両に物々しく取り囲まれ、地元警察の特殊部隊が突入していく。

 まるでアクション映画に出てくるようなあの騒ぎの中心に自分が居た事が嘘のように感じる。

 警官隊から逃げたとしてもゾルタンはバンピーロ海賊団の本拠地に戻るしかない。

 そしてヤツに仕掛けた発信器がその位置を知らせてくれるはずだ。


 無事に任務を終えたゴーストナンバーズを乗せたワゴン車は何台ものパトカーとすれ違いながら街を目指してひた走る。

 やがて時計の針が午前0時を告げる。

 緊張も解け、気怠い疲労感を感じながらクリスマスを迎えた街を眺める。

 今頃、親たちは我が子の枕元にそっとプレゼントを置いているのだろう。

 俺達へのプレゼントは全員が無事に帰ってこれた事だな……。

 しみじみとみんなを見回す俺の視線に、車窓を流れる街の灯りをぼんやり眺めていたレイラが気づいた。

 きっと彼女も同じ事を思っていたのだろう。

 はにかみながらも曇りの無い純粋な微笑みを浮かべたレイラがそっと囁いた。


 「カイル……、メリークリスマス」


 それはクリスマスの奇跡が垣間見せてくれた、レイラの本当の笑顔だったのかもしれない――

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