第3話 愚連隊の日常

 聖歴1995年、8月下旬。


レフェリア王都フェルムズ郊外。

 街を見下ろす丘の上の住宅地の一角、俺は生まれ育った我が家を見上げて途方に暮れていた。玄関に足を踏み入れる勇気が湧かない。

 その原因は言うに及ばず、両親に黙って沿岸防衛隊に入った事だ。

当然のように両親は俺が海軍に入ったものと信じているだろう。この帰省中はまだ遠洋航海に出ている親父にバレる心配はないが、母さんにも隠し通せる自信がなかった。

 天然でおっとりした母さんの雰囲気につい油断して、いつの間にか隠し事を話してしまったという事が過去に何度もあるからだ。

 それにこの家には両親よりも更に厄介な存在が待ち構えているはずだ。

だけどここで立っていても埒が開かない、なるようになれだ。


俺は気合いを入れ直し、玄関に向かって1歩を踏み出した。

 玄関のドア開くと、待ちかねてたかのように母さんがパタパタとスリッパを鳴らして迎えてくれる。


 「カイル、おかえりなさい~、遅かったわね~」


 本来なら数ヵ月ぶりの母さんの声にホッとする瞬間なのだが、隠し事がある今の俺には、試合開始のゴングのように思えた。


 「あらあら。二人共、ホントに仲がいいわね~コリーは朝からお兄ちゃんを迎えに行くって出かけて行ったのよね~」


 靴を脱ぎながら、そんな何気ない母さんの言葉にふと違和感を感じる。

 二人共だと?俺は今までずっと独りだったはずだけど……

 ハッとして恐る恐る振り返った俺の背後には、黒いイタリアンローブにグレーのチュチュスカートというモノクロ少女が不気味な笑みを浮かべて佇んでいた。

絹のような光沢をたたえた長い銀色の髪に透けるような白い肌。

 まるで白昼の幽霊みたいなこの少女は俺の2つ年下の妹、ココレット・ハートレイ、通称はコリー。モデル顔負けのスタイルに西洋人形の様に整った目鼻立ち。

 表情の薄い事が見る者に儚げな印象を与える美少女である。

 ……見た目だけは。

コリーの本性を知っている俺にとってその姿は恐怖の対象でしかない。

 小さい頃はまだいつも俺の後ろにくっ付いて来る、どこにでもいる可愛いお兄ちゃん子だった。しかしその行動は小学校、中学校を経ても変わらなかった。

 そして高校2年の春の日、靴箱で見つけた初めてのラブレターに心を躍らせて俺が舞い散る桜の下に行くと、頬を桜色に染めて待っていたのが自分の妹だった時のショックは今も忘れない。

 当然の如く交際を断られたコリーは兄の変質的なストーカーとなった。しかも俺に見つからないようにと、スパイ顔負けの高度な変装とスニーク技術まで身につけている。

 俺は恐る恐る実家に帰る度に投げかけているお馴染みの質問を繰り返す。


 「お、お前……いつから居たんだよ……」


 「えと……電車に乗った時かな……」


 あっけらかんと無表情に答えるコリーの言葉に膝が砕けそうになるのを何とか踏みとどまる。

 乗った時だとっ?二時間も前から付けられていたのか……だけどなぜ乗る駅を知ってるんだ?


 「まさかお前、俺の勤務先を知ってるのか!」


 「……うん。オリオン基地でしょ。沿岸防衛隊の……」


 慌てて振り返ると、幸い母さんは台所に引っ込んでいたことに胸を撫で下ろす。

 こいつに情報が洩れるとしたら士官学校まで一緒だった幼なじみのマットしか居ない。

 昔からコリーにぞっこんだったマットがコリーの頼みを断る事なんか出来ないか。

あれ程秘密は守ると約束したのに……。


 「……マットがね、私の飲み残しのジュースと交換で、教えてくれたの……」


 男と男の約束があまりに安く売り渡された事実に肩を落とすよりも先に大事な事を確認しておかなければならない。

 落ち込むのはその後でいい。


 「お前、その事、親父や母さんには……」


 「うん……まだ言ってないよ……」


 その言葉にカイルはホッと安堵の息を漏らす。 

だが俺のそんな様子を見たコリーがにんまりと妖しい笑みを浮かべた事を気付く余裕はこの時の俺には無かった。


自分の部屋に荷物を置き、母の煎れてくれた紅茶で一服しているとお腹が音をたてる。そう言えばまだ昼食を食べていない事を思い出す。


 「あらカイル、お昼食べてないの~?向こう食べてくると思ってたから何も用意してないわよ?」


 「いいよ、ちょうど買いたい本もあるし、街の本屋に行くついでに適当に食べてくるよ」


 出掛けようと席を立つ俺を見て、コリーが散歩に行くのを期待した子犬みたいに目を輝かせる。


 「お前は来なくていいよ!朝から出かけてたんだからゆっくりしてろ!な?」


電車での往復時間を考えると、こいつは始発に乗って来たはずだ。

 機先を制した俺の言葉に、コリーは鳴きそうな顔でしゅんと俯く。その淋しそうな表情に胸がチリリと痛んだが、こいつに同情は禁物だ。

 案の定、俯いていたはずのコリーがゆっくりと顔を上げ、俺の心を見透かしたようににんまりと微笑む。

 その光景はさながら、子供の人形が殺人鬼と化すホラー映画のワンシーンだ。


 「……なら、私はお母さんにお兄ちゃんを迎えにいった時のお話、してる……」


 きっと秘密を握られた時点で運命は決まっていたのだろう。


 「ああっ!わ、分かった分かった、お前も来い!」


 「……うんっ!」


 心底嬉しそうに頷くコリーの素直な笑顔に、ふと子供の頃を思い出す。

 ああ、昔は無邪気で本当に可愛かったのに……。

 ま、こんな病的なブラコンになると分かっていたらもう少し厳しくしてたけどな。


 「あらあら~二人でデート?ほんとに仲良いわね~コリーが結婚する時は大変ね~」


 そして超天然の母は、娘の痛い程のブラコンも『お兄ちゃんが大好き!』くらいにしか思ってないらしい。

 母の安易な発言に、コリーが俺の耳元にそっと囁く。


 「……お婿さんはお兄ちゃんだから、平気だよ……ふふふ」


 決して冗談で言ってない言葉に、背筋が寒くなった。


家を出た俺達は肩を並べて住宅街の坂道を下ってゆく。

 小高い丘の上ということもあって、商店街や学校のある下の街への行き来には苦労させられたが見晴らしは最高だ。

 眼下には僅かに弧を描く群青色の水平線を背にした、白く輝く王城と、街のシンボルの凱旋門から放射状に広がる王都の町並が一望できる。


 頭上の青空を仰ぐと、遥か高空を十数羽の鳥獣がのんびりと飛んでいた。

 その特徴的な翼は『ルフィール』という大型の草食鳥獣だ。彼等は夏をこの地方で過ごし、南に帰ってゆくのだろう。

 だが穏やかに見えるこの空の遥か上空には強力な帯電域が存在し、有史以来、人間の空への進出を拒み続けている。

 今から百年程前、木と布で飛行機械を作って空を飛んだある兄弟が帯電域からの落雷を受け、火だるまになって墜落した、世に言う『イカロス実験』以来、空を飛ぼうなどと考えるバカはいなかった。

 今も鳥獣たちの楽園である大空には地上とは違った独自の生態系が形成され、草食鳥獣を捕食する肉食鳥獣や空と海を住処にするスカイホエールと呼ばれる空水棲の大型両生獣などが生息している。


 青空は抜けるように高くなり、すっかり秋めいていたが地上はまだまだ日差しが強く、石畳から湧き上がる陽炎に街の景色がゆらめいていた。

 隣を歩くコリーは日射しに目を細めると、汗ばんだ耳元のほつれ髪をそっと掻き上げる。憂いを帯びた顔立ちと相まって、その仕草が妙に大人っぽく見える。

 俺の視線に気が付いたコリーが不思議そうに小首を傾げる。


 「……なあに?お兄ちゃん?」


 子供の頃と何も変わらない無垢な笑顔に懐かしさが込み上げる。


 「いや、お前と歩くのは何年ぶりかなって思ってさ……」


 「……ん、並んで歩くのは4年ぶりかな?……いつもこっそりついて行くだけだから、隣に居られるだけで嬉しい……」


 そう言ってコリーは頬を染めて微かに微笑む。

 どうやら実家に居る時はいつも付けられていたらしい。


 「一緒に連れてってやったんだからその変わりに……、分かってるよな、コリー?」


 ここできっちり俺の任官先の事を口止めをしておかないと後々危険な事になるからな。


 「……うん、分かってる。今夜は……私を好きにして、いいよ……」


 意味不明な事を口走り、コリーは顔を真っ赤にしてモジモジし始めた。


 「はっ?……おまっ、何言ってるんだよっ!」


 混乱している俺を放置して、コリーが恍惚とした表情で甘い吐息を漏らす。


 「……ずっと前から、初めてはお兄ちゃんにあげるって、決めてたから……」


 コリーは潤んだ瞳で真っ直ぐ俺を見上げる。きっとマットなら昇天モノの表情だろう。


 「いらねえよっ!俺が沿岸防衛隊に入った事は母さん達には言うなって事だよ!」


 「……なんだ、そっちかぁ……。やっと求めてくれたと思ったのにまだか……。いつまで待てばいいのかな」


 コリーはガックリと肩を落としてうなだれる。


「いつまで待っても何もねえよ!」


 こいつの病気は年々、酷くなってるらしい。


 やがて続く長い坂道を下り、二人は慣れ親しんだ駅前商店街にたどり着いた。


 「……あ、このお店寄っていい?注文してたクッションが出来てるみたいだから……」


 コリーが指さしたのは昔からある小さな洋裁店だ。子供の頃、ここのおばさんが俺達兄妹にお揃いの小物を作ってくれたな。

 それにクッションなんて可愛いじゃないか。偏執的な所はあるけど、やっぱりコリーも普通の女の子なんだな。


 俺は先に本屋に行く旨を告げ、コリーと別れると馴染みの書店に向かった。

 書店に入ると、慣れ親しんだ独特の本の匂いに懐かしい記憶が蘇る。

 小学校時代はコミック、中学では初めてのエロ本、高校ではギャルゲーム専門誌と、いつも大人への道を示してくれた店だった。

 無意識に俺の足はゲーム関係コーナーへと向いていた。染み付いたゲーマーの習性というやつだ。

 馴染みのギャルゲーム専門誌を手に取り、パラパラとめくってゆく。

 う~ん……。最近、妹モノが多くないか?……このキャラは可愛いけど、やはり妹モノだ。

 絵は良いけどこの設定がなぁ。実の妹とのマジ恋愛なんてありえねえ。鬼畜ルートまであるのか……。


 「……お兄ちゃん、お待たせ……」


 突然の背後からのコリーの声に心臓が縮み上がる。

 本に夢中になっててコリーと来ていた事を完全に忘れていた。

 ……何としても絶対にバレる訳にはいかない。

 妹に妹萌えエロゲームに興味があると思われる事に比べれば、親にエロ本が見つかる事など可愛いもんだ。

 慌てて読んでいたページに指を挟んで本を閉じると、ごく自然な素振りを装いつつ振り向く。

 勘の鋭いコリーに怪しまれたらそこで終わりだ。


 「は、早かったな。俺はもう少し掛かるから、どこかで時間潰してきなさ……」


 振り返って俺が話しかけたのは、もう一人の自分だった。

 まるで鏡を見ているみたいに、そこには士官学校の制服を着た俺が立っている。

 これが噂に聞くドッペルゲンガー!?俺死ぬの?


 「……なあに?よく聞こえないよ……」


 と、もう一人の俺の背後からコリーが顔を出した。しかもコリーは制服姿の俺をぎゅっと抱き抱えている。

 なんとそれは俺の写真がプリントされた等身大の抱き枕だった。


 「なんだこれはっ!これが注文してたクッションなのかよっ!」


 「……うん、今夜からはずっとお兄ちゃんと一緒。……お兄ちゃんの制服姿……あふぅ、たまんない」


 コリーが鼻息を荒げながら抱き枕を更に強く抱きしめて頬ずりしている。

 よりによって近所の店になんてモノを注文するんだよ……。

 全身の力が抜け、ガックリと脱力した俺の手からバサリと何かが床に落ちた。

……あ。

後ろ手に持っていたエロゲー情報誌が落ち、指で挟んでいたページが床の上で開いていた。

 『妹が大好きなお兄ちゃん達へ!妹モノ特集!』

とポップな文字が踊り、縛られたスク水姿の妹、目隠しされ、上半身だけセーラー服を着せられた妹や、逆に妹に責められているCG画像が力一杯掲載されていた。


 「……お、お兄ちゃん……」


 顔を上げたコリーの顔は真っ赤に紅潮し、その唇は微かに震えている。これはさすがにコリーでも引いたのだろう。

 俺は妹からの失望と軽蔑の言葉を覚悟した。

 そしてためらいがちにコリーの震える唇が言葉を紡いでゆく。


 「……お、お兄ちゃんって……こういうのが好みだったんだ……。ごめんね、今まで気づいてあげられなくて。私、頑張るからっ……」


 そう言ってコリーは何かを決意したかのように力強く頷く。

 一番悪い方に勘違いしやがったぁっっ!!


 「……でも縛るのには慣れてないから、今からこの『夜のお兄ちゃん』で練習するね」


 力強く俺を見上げ、コリーは最高に素敵な笑顔で微笑む。


 「練習せんでいい!そんな名前付けるなっ!いいからそれ、棄ててきなさいっ!」


 本屋に居たことを忘れて大声で叫んでしまった俺に、本棚の影からツインテールの小柄な女の子が迷惑そうに怒鳴りつけてきた。

 「ちょっと!アンタ、静かにしてくんない!私が世間のルールってやつを教えて……」


「あっ!プルムじゃないか!」


「って!カイルじゃん!こっちに帰ってたんだっ!」


 だがその一瞬後、俺の隣に並んだ抱き枕を見てその子が悲鳴を上げた。


 「ひぃっっ!カ、カイルが二人いるっ!何これ!ドッペルゲンガー?あ、それはもう一人の自分か……いやそんな事言ってる場合じゃなくてっ!」


 かなり混乱しているようだが、この光景をみれば仕方ないだろう。当の本人も驚いたくらいだからな。


 「それは等身大写真。本物の俺はこっちだぞプルム!」


 俺が声を掛けてやると、ようやくその子も気がつく。


 「もう……ビックリしたぁ……でもこれ、すごく良くできてるわね……」


 物珍しそうに抱き枕を見上げるこの小柄なツインテ女子はプルム・シルヴァンティエ。

 俺がリリィを見た時に思い出した、例の幼なじみのベルク人だ。

 年齢は俺の一つ下の19歳でコリーの一つ年上だが、コリーより年上とは誰も思うまい。胸もペッタンコな上に、水玉模様のリボンで結わえたツインテール、ピンクのショートジャケットにお揃いのショートパンツという相変わらずの子供ファッション。見た目は未だに中学生という奇跡の童顔。

 プルムを見ていると、成績や運動神経は悪くないのに士官学校を落とされたのも仕方ないと思えてくる。

 今は身長基準の無い法律関係の仕事を目指しているらしい。

 プルムはコリーが抱えている抱き枕に近づき、まじまじと眺めている。


 「制服姿のカイルの抱き枕か……、ちょっといいかも……」


 手を延ばして抱き枕を触ろうとするプルムを威嚇するようにコリーが睨みつける。


 「……ちょっとあなた、私の『夜のお兄ちゃん』に近づかないでちょうだい……」


 「なんだ、アンタ居たの?じゃあこれ、アンタの?」


 「……あらあなた、コレが羨ましいのかしら?家族だからお兄ちゃんのこんなレアな写真も手に入れられるのよ……。ああ、凛々しくてステキなお兄ちゃん……」


 兄そっくりの抱き枕に頬ずりしながら悶えている妹の姿に、俺の心が『妹はもう手遅れかもしれない』という絶望感に満たされてゆく。


 「べ、別に羨ましい訳ないでしょ!……ってかさ、実の兄の抱き枕に萌える妹って、ちょっとおかしいんじゃない~?」


 プルムは腕を組み、軽蔑するようにあざ笑う。

なぜかこの二人は仲が悪い訳じゃないのに、昔から何かにつけて張り合っているのだ。

 それも一つの『仲良し』の形なのかもしれないけど。


 「……ベッドの中ではいつも好きな男と居たいっていう大人の女心は、あなたには到底、理解出来ないでしょうね……?」


 「ちょっ!それってどういう意味よっ!」


 「……中学生にはまだ早いって事よ。ラブレターの書き方から勉強してきなさいよ……」


 「ア、アンタね、年上の私に向かって何言っちゃってくれんのよっ!」


 「……年上?男は年が若い娘の方が好きなのよ。それにあなたの幼児体型じゃ猿も欲情しないでしょうけどね……」


 コリーのクリティカルヒットにいつもならここでプルムが掴みかかる所だが、


 「ふふっ……、アンタがそう言っていられるのも今のうちだけよ……」


 プルムは余裕の笑みを浮かべてコリーを一瞥すると、真面目な面持ちで俺に向き直る。


 「実は私ね、目指してた仕事に就けたからさ、今日の夕方にはこの街を出るの……」


 それだけ言うと、プルムは力無く微笑みながら寂しそうに目を伏せる。


 「そっか、おめでとう。俺の方こそ突然帰って来ちゃってごめんな……。事前に知らせておけばゆっくり会えたのにな……」


 マットにプルム、コリー……。子供の頃はずっと一緒だと信じていたが、海軍に進んだマットは訓練で帰れないらしいし、今度はプルムもこの街から出てゆく。

 一抹の寂しさが胸をよぎる。これが大人になるって事なんだろう。


 「アンタもあんまりカイルを困らせるんじゃないわよ……」


 珍しく年上らしいプルムの言葉に、コリーは拗ねたように抱き枕で顔を隠す。


 「あ、もう行かなくちゃ。カイル、きっとまたすぐに会えるよ……。少しだけ、バイバイ!」


 そう言って小さく手を振ると、プルムは本屋から出て行く。

 ショーウインドウの向こうを掛けて行くプルムは涙をぬぐっていた。

 そしてまたコリーもまた隣でしょんぼりと肩を落としている。

コイツもなんだかんだ言ってプルムが居なくなるのが寂しいのだろう……。


 その日の夕食は母さんが腕によりをかけた俺の好物が並ぶ。ローストビーフ、クリームシチュー、そして一番の好物の鶏肉のケチャップ煮……。

 次々と料理を平らげてゆく俺を優しく見守る母さんに隠し事をしていることがひどく後ろめたくなってくる。


 「……今年はカイルは学生じゃないのよね。なんだか実感沸かないわ~」


 口一杯に料理を頬張る俺を眺めながらしんみりとつぶやく。


 「まだ子供みたいに見えるって事?もう俺は社会人なんだよ」


 「そうね、コリーも来年には高校卒業して、就職するって決めたみたいだし。もうみんな、大人なのね……」


 そう言って母さんは少し寂しそうに我が子を交互に眺める。

 どうやらコリーも自分の将来を決めているらしい。来年はコリーも社会人か。

 成績抜群なのに進学しないって事は、きっとこいつなりにやりたい事を見つけたんだろう。


 「……二人共、もうそんな年頃なのね……」


 自分に言い聞かせるようにつぶやく母は、今までとは別の意味で寂しそうに見えた。

 懐かしい母の手料理を堪能した後、自分の部屋に戻って本屋で買った例のエロゲーム専門誌を読む。

 どうしても読みたい注目の記事(決して妹モノではない)が載っていたのでこっそり買ってきたのだ。

 だが間が悪い事に、部屋にコリーが訪ねてきたので慌てて危険な本を閉じる。


 「お兄ちゃん、お風呂沸いたよ……。一緒に入ろう……。あ、またえっちな本。見てるぅ……」


 着替えのパジャマとバスタオルを抱えたコリーが難なく本の中身を言い当てる。なんで表紙だけで分かるんだ?


 「エ、エッチな本じゃありません!これはゲーム情報誌ですからっ!」


 「……あ、言葉が足らなかった。お兄ちゃんの趣味の、えっちなゲームの情報が書かれた本。その表紙は昨日発売した今月号……」


  ぐっ……、なぜ俺の趣味が……。


 「今は妹萌えブームだから……、チャンス……」


 返す言葉を失って押し黙った俺をよそに、コリーはぐっと拳を握りしめてガッツポーズ。市場の傾向まで把握してやがる。


 「わ、訳の分かんない事いってないで、先にさっさと風呂に行ってこい!一人でな!」


 コリーは口を尖らせながらも部屋を出て行こうとする。

あっけない程に素直すぎる態度がなんか気になる……。


 「ああっ!ちょっと待てっ!」


 もしやと思い、コリー抱えていたバスタオルを奪い取って広げると、そこには俺の顔写真が大きくプリントされていた。

 また得体の知れないグッズの登場だ。


 「ああん……、ダメっ!お兄ちゃん、私のお兄ちゃんを返してっ……」


 妹が何を言ってるのさっぱり分からない。


 「俺の顔をバスタオルにプリントして一体何がしたいんだお前はっ!」


 「……何言ってるの?バスタオルなんだから身体を拭くに決まってるじゃない……。お兄ちゃんの顔が私の濡れた全身を這い回って、恥ずかしいところまでやさしく拭いてくれるの……。拭いても拭いても濡れちゃう不思議……」


 熱い吐息を漏らし、焦点の定まらない視線を宙に彷徨わせながらバスタオルを掻き抱いて身体をくねらせるコリー……。

 もうダメだ……。

抱き枕の事といい、コイツの病気を治すには荒療治が必要だ。

 こうなったら最終手段に打って出るしかない。

 最終奥義、親バレの刑だ!

 俺は腹を括ると階段を駆け下り、キッチンで洗い物をしていた母さんの目の前にタオルを突きつけた。


 「ちょっと母さん!コリーはこんなタオル使ってるんだよ、何とか言ってやってよ!」


 母さんは俺の顔がプリントされたタオルを手に取って広げ、驚いたようにそれをまじまじと見つめる。


 「あら……こ、これは!……可愛いわね~!本当にコリーはお兄ちゃん子なのね~」


 ああああっ!母さん、どうしてそう解釈するんだ?おかしいのは俺なのかっ?

 もうこうなったらあの抱き枕も見せてやろう!あれなら娘がイケナイ道に足を踏み入れた事も気づくだろう。

 街からの帰り道、あの抱き枕を大事そうに抱きしめたコリーを連れて歩く自分を見る人々の視線といったら……。

 半ばヤケになってリビングから飛び出し、コリーの部屋を目指す。俺の意図に気づいたコリーが慌てて後を追って来る。


 「……お兄ちゃん、ダメっ……。やめてっ……」


 ふふふ、もう遅いっ!

 コリーの部屋のドアを開けて飛び込む。


――その部屋の中の光景を見て全てを悟った。

 もう遅かったのだ……、何もかも。

 コリーの部屋の壁全てに俺の等身大ポスターが貼られ、俺の顔がプリントされたマグカップ、俺の顔がプリントされた枕に俺の全身がプリントされたシーツ、などなど……。

 ベッドに横たわる例の抱き枕が目立たない程に、所狭しと俺グッズが並んでいた。

 燃えていた俺の心が一瞬にして凍りつく。


 「ハァ、ハァ……。お兄ちゃん……、恥ずかしいから、ダメって言ったのに……」


 背後では追いついてきたコリーがモジモジと照れている。

 やがて乙女が意を決して秘密を打ち明けるかのように、コリーは思いの丈をとつとつと語り始めた。


 「……私ね、もうお兄ちゃんの事しか考えられないんだよ?いつもお兄ちゃんと一緒に居たい、一つになりたいの。だからほら、見て……」


 そう言ってクローゼットの引き出しの中から丸められた布を広げて見せる。

 それはちょうど股間に当たる部分に俺の後頭部がプリントされたパンティーだった。

 これくらいの物はあるとは思ったが、なぜ後頭部?


 「これを履いてね、上から中を覗くと……、お兄ちゃんの顔が私の恥ずかしい所にうずもれてるのっ……。あはぅ!」


 俺の顔はパンティーの内側にプリントされていた。

 現実はいつも予想の斜め上を行くものだ。だがしかし俺の顔はこんな風に使われる為に存在してるんじゃない……。

 両手で自らの肩を掻き抱き、火照った顔で甘い吐息を漏らしている手遅れの妹を残したまま、俺はおぼつかない足取りで部屋を出る。


 「……これ履くとすぐ汚しちゃって……。お兄ちゃんがこんなイケナイ娘にしたんだよ……、ねえ、責任とってよぉ……」


 どうやら部屋ではまだコリーが盛り上がっているようだった……。


 こうして実家での日々は母さんに任官先がばれないように気をつけながら、病気の妹との戦いで過ぎてゆく。

 というより、壊れそうになる自分の心との戦いだったかもしれない。

 俺が朝起きるとベッドには全裸のコリーが潜り込んでいるし、風呂には必ず一緒に入ろうとするし、脱いだ俺の下着はもれなく消えている始末。

 そして毎日、夜更けになるとメイド服やチャイナドレス、セーラー服やスク水といった不自然な格好で夜這いを掛けてくるのだ。

 下手に知識を付け、しかも俺のツボを心得ているだけに厄介な存在だった。


 心も身体もクタクタになって、ようやく迎えた帰省の最終日。

 この日はなぜかコリーの攻撃がピタリと止み、それどころか朝からずっと部屋に閉じ籠もったままだった。

 食事にも姿を見せず、心配した母さんが様子を見に行くも、母さんはなぜかはニコニコと呑気に笑って戻って来た。


 「あの子もわたしに似て純情で一途なのね~。何も心配ないわよ~」


 天然な母のポジティブな言葉ほど不安な事はない。

 結局、コリーは夕方まで部屋から出てこなかった。

 家を出る時間になり、仕方なくコリーの部屋のドアの前で声を掛ける。


 「コリー。……じゃあ俺は帰るからな。いろいろあったけど、まあ退屈せずに済んだよ。来年はお前も就職してるから会えないかもしれないな……」


 あんなに身体を張って色仕掛けをしたのにことごとく無視され、きっと拗ねているんだろう。

 最後までコリーの部屋からは返事が返って来る事は無く、俺は実家を後にして母さんの運転する車で駅に向かった。

 駅の改札を挟み、母さんと別れの言葉を交わす。


 「カイル、身体に気をつけるのよ……。それに仕事でも、気をつけてね!」


 母さんが心配そうな表情で何度も同じ言葉を繰り返す。


 「心配ないって!戦争に行く訳でもないのにさ……。電車が来たからそろそろ行くよ」


 歩き出そうとする俺の背中に、意を決したように母さんが叫ぶ。


 「カイル!誰がなんと言おうと、胸を張って自分が選んだ道を精一杯歩みなさいっ!母さんはいつでもあなたの味方よ!」


 驚いて振り返った俺に、母さんは優しい笑顔で大きく頷く。

 もしかして母さんは全てを知っているのかもしれない。

 俺が問いかけようとしたその時、


 「お兄ちゃんっ!」


 一日ぶりのコリーの声が飛び込んで来た。

 勢いよく掛け込んできたコリーは改札の柵に手をつき、肩で息をする。家から自転車で追いかけてきたらしい。


 「あら~、間に合ってよかったわね、コリー……」


 母はやさしくコリーの背中を撫でる。


 「はぁ、はぁ……お兄ちゃん……これ……。冬になったら送ろうと思ってたけど、やっぱり直接渡したくて徹夜で頑張って仕上げたの……、私だと思って、使って……」


 コリーは息を切らせながら、大事そうに胸に抱いていた可愛い包みを差し出す。

 受け取ると柔らかい手触り。

 中身はマフラーだろう。きっと冬の海での勤務に備えて作ってくれたのだ。

 徹夜までして、こんなギリギリまでかかって、駅まで必死に走って。

 コリーの奴……。


 「ありがとうな、コリー。大切に使うよ……」


 俺が頭を撫でてやると、コリーは心から幸せそうにふにゃぁと表情を緩ませる。

 その姿に久しく忘れていた暖かい気持ちが込み上げてくる。

 ストーカー化するまでは成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗、何より純真に兄を慕う奥ゆかしいコリーは自慢の妹だった……。


 俺は二人に別れを告げて電車に乗り込む。

 動きだした車窓を、夕日を浴びる母さんと目を潤ませて見つめるコリーの姿が流れてゆく。

 泣き虫のお兄ちゃん子なのは今も変わっていないらしい……。

 やがて、心地よい電車の揺れに身を任せているうちに俺はいつしか深い眠りに落ちていった――


 明くる日、久しぶり宿舎のベッドで目を醒ます。夏期休暇は今日を入れてあと二日残っていた。

 実は実家では決してプレイできないジャンルのゲームを買いに行き、今日からじっくりやり込む予定で早々に帰って来たのだ。

 昨日は寝ぼけ眼で宿舎に着き、少し休もうと横になるとそのまま朝まで眠ってしまったからスタミナ十分。

24時間戦えますよ! 

俺は逸る気持ちを抑えつつ服を着替えて駅に向かう。

 昨日の夕食を食べてないせいか腹の虫がかなり騒いでいる。ゲームを買いに行くついでに街で食べてくればいいか。

 海沿いを走るレトロな電車に三十分ほど揺られ、貿易都市ウィーニートに着く。


 駅を出ると、目の前は電気店が建ち並ぶ華やかな大通りだ。

 この街は国内だけでなく海外からの観光客も多く訪れるレフェリア有数の電気街で、家電量販店はもとよりゲーム・ホビーショップ、コミック専門店、他にもコスプレをした女の子が店員の喫茶店なんかもあって、まさにサブカルチャーの聖地とも言える場所だった。

 早速、コミックショップを皮切りに、ホビー、ゲームショップを何軒か巡った後、予約をしてあったエロゲームの専門店に向かった。

 店に足を踏み入れた瞬間、壁を覆うポスターによって形成された魅惑の桃色空間が俺を出迎える。

ああ、男たちの魂の故郷……。

 幾重にも積み上げられたエロゲームと、客同士は決して意識しあわないという暗黙のルールに護られた安心感が心地良い。

 新作情報コーナーでめぼしい作品をチェックした後、店内を一通り見回ってレジで予約の品を受け取る。

 満足感に満たされて店を出ると、駅前の繁華街に移動して手頃な飲食店を探すことにする。

 夢中で聖地を巡るうちに空はすっかり赤く染まり、ちらほらとネオンが瞬き始めていた。

 俺は近道するために細い路地が入りくんだ裏通りに入る。


 そこにはパソコンや無線部品、海外ゲーム専門店、同人誌に同人ゲーム専門店などの玄人向けの店舗が軒を連ねていた。

 その中のとあるBL同人誌専門店を通りかかると、数人の女の子達が騒ぎながら出くる。

 どうやら何かのイベントをやっているらしく、店内はかなりの賑わいを見せていた。


 「バロン先生、初めて見ちゃった!すっごーいっ!まさにアニキって感じだよね~」


 「今度の新作、絶対リアル入ってるよっ!相手は年下の上官でしょ?王道かと思いきや、リバしてオヤジ受けもあるなんて……。ヤッバーイ!」


 どうやら有名な同人作家が来店してるらしく、きゃいきゃいと興奮した面持ちの女の子達が意味不明な事を捲し立てている。

 こんなに女の子達を夢中にさせる作品をどんな人が書いているのか興味が沸き、恐る恐る店内に足を踏み入れる。

 店内に居るのは女性ばかりで、自分が凄く場違いな場所に来ているような気分になる。

 そっと店の奥を伺い見ると、群がった女の子達の輪の中心に飛び出た浅黒い坊主頭が見えた。

 かなりでかい……

 取り囲む女の子達の本にサインをしていたその坊主頭が顔を上げる。浅黒く日焼けしたスキンヘッドに口ひげ。

 ドリーじゃねえかよ!もしかして人気BL同人作家ってドリーのことなのか?

 元海賊がBL作家に転身するとは神ですら予想出来ないだろう。だが趣味と実益を兼ねた天職とも言える。

 相変わらずの無表情でファンの女の子達のサインや握手に応じている光景は異様だけど……。

 その時、目を輝かせた女の子の一人が耳を疑うような質問を投げかけた。


 「バロン先生!次の巻では新キャラのヘタレ部下と年下上官との絡みやオヤジキャラとの三角関係なんかもありですか?」


 ドリーにとって年下の上官といえばカイルしかいない。新キャラのヘタレ部下とはチップの事だろう。

 絡み?三角関係だと?うおおっ、想像したくねえ……。

 ドリーがボソボソとその質問に答えた瞬間、女の子の輪から悲鳴にも似た黄色い歓声があがった。


 「キャー!下克上ヘタレ攻めっ!超ツボなんですけどっー!」


 「でもでもっ!部下のショタの輪姦に上官強気受けってのも良いよね~」


 ああ……、これ以上ここに居ちゃあいけねえ。

 押し潰されそうになる心を庇いながら、俺はヨロヨロと逃げるように店を出たのだった。


 しばらくして我に返ると、いつの間にか駅前に辿り着いていた。

 どうやら精神的ショックから心を守る為に意識が自動的にシャットダウンしていたらしい。

 俺は見知らぬ女の子達の頭の中で、一体俺はどんな事になっているんだ……。

 なんだか食欲も無くなってきたし、適当に軽く食べて帰ろう。

 俺は忌まわしい想像を振り払い、駅前の飲食街に向かった。


 飲食街の通りには庶民的な飲み屋から洒落たダイニングバー、高級レストランまで幅広い業態の店が集まっている。

 ちょうど蒸し暑い夕暮れ時、どこの店も『仕事のあとの一杯』を求めるサラリーマンや船乗り達で溢れていた。

 極彩色のネオンサインが掲げられた雑居ビルが建ち並ぶ雑路を歩くと、一層賑わっている一軒の酒場を見つけた。

 「マストトップ・トニー」と書かれた赤い屋根の店は広いオープンテラスになったビヤホールらしい。

 どうやら船乗りの溜まり場らしく、テーブル替わりに並べられた大きな樽の周りでは既に出来上がったガラの悪いオヤジ達がやかましくビールやラム酒を酌み交わしている。

 ここはとてもじゃないが俺一人で入れる場所じゃないな……。

 さっさと通り過ぎようと足を早めた時、ふと一組の男女が人目を避けるように店の間の狭い路地に入ってゆくのが目に止まった。親しいカップルという雰囲気ではない、

 違和感が気になってよく見ると、レザージャンパーにショートパンツの黒髪の女は間違いなくレイラだ。

 男の方には見覚えが無いが、見た感じガラの悪い船乗りといった風体だ。もしかすると海賊かもしれない。

 二人はビルの間の狭い路地で立ったままで何やら話し込んでいるようたが、その表情からは楽しい話をしているようには見えなかった。

 やがてレイラはポケットから丸めた紙幣の束を取り出し、男に手渡す。

 男はそれを受け取ると卑下た笑みを浮かべ、レイラに紙切れを渡すと路地の暗闇に消えていった。

 それを険しい表情で睨み付けていたレイラが神妙な面持ちで路地から出てくる。

 俺は見てはいけないものを見た気がしてとっさに背を向ける。

 レイラは俺に気づくこと無く、店内に戻ると何事も無かったように飲み仲間らしき酔っぱらいのオヤジ達と楽しそうに騒ぎ始めた。

 以前、ローディ中佐が言った言葉が蘇る。


 『今も昔の仲間と内通し、我々の捜査情報や警備動向を流している可能性もある。彼女に不審な行動があるようなら直ちに報告してくれ……』


 だけど情報を漏らしていたなら相手に金を渡しているのは明らかに変だ……。

 とりあえず今はこの事は胸にしまっておこうと心に決め、その場を後にした。


 2日後、今日から暦は9月に入る。

 目が覚めて部屋のカーテンを開けると、眩しい朝日が休み明けの気怠い目を容赦なく貫く。

 ウィーニートから戻ってからというもの、夜通しエロゲームに興じて朝日が昇る前に就寝、夕方に起きてたら調子も狂うはずだ。

 だがこれも全て、あのエロゲームが悪いのだ!

 あんな感動のラストだなんて、ヒロインに本気で惚れてしまいそうだったぜ……。

 俺は手早く朝食を済ませ、久しぶりの制服に袖を通して宿舎を出ると、指令船フレイヤの影に身を潜めている200号に向った。

 甲板に居たドリーとチップがカイルに気が付き、挨拶で出迎えてくれる。


 「……おはよう」


 「あ、カイルさんっ!久しぶりッス~」


 例のBL小説の登場人物を目の当たりにすると、あれ以来頭から離れない悪夢がよりリアルに俺の脳裏で再生される。

 あれはドリーの書いたフィクションの世界だ!現実ではない……。

 と、自分に言い聞かせながら、一番の懸案事項をチップに尋ねる。


 「なあチップ、どうせ船長はまだ寝てるんだろ?」


 「それがですね、ここ二、三日は自分で起きてるみたいですよ」


 レイラが自分で起きている、というチップの言葉に耳を疑った。

 というのも、いつの頃からか俺の朝一番の仕事はレイラを起こす事だった。

 これがかなりの大仕事で、いくら呼んでも起きないくせに、近づこうものなら鉄拳や蹴りが飛んで来る。

 二日酔いの朝などは更に酷い事になるから、いつもは彼女が寝るまで監視し、酒の量を制限している程なのだ。

 俺が居ないのをいい事に深酒したのだろうと思いきや、


 「おう~カイルじゃないか!ママのおっぱいは旨かったかぁ~」


 と、ラム酒を片手に朝からご機嫌なレイラが廊下から顔を出す。

 ちゃんと起きてはいたが、この顔は完全に出来上がってる。

 そんなおぼつかないレイラの足元に丸くて白い毛玉がにゅっと現れて、「ぷ~ぅ」と一声愛くるしい鳴き声をあげた。

 黒い大きな目のぬいぐるみのような真っ白な毛玉はどこかで見た気がする。

 まじまじと眺める俺を白い毛玉もくりくりとした丸い目で見上げ、不思議そうに小首を傾げた。

 あ、そう言えばこの子はアケロン号から救出したアザラシの子供じゃないか。


 「船長!なんでこいつがここに居るんですか!仲間の所に連れて行ったはずなのに!」


 あの後、わざわざアザラシの群が居る島まで行って海に帰したはずだ。何度も振り向きながら群れに戻っていったモコモコのうしろ姿を思い出す。


 「私が恋しくて、ここを探して戻って来たんだよな~。ほんと、プーコは可愛いなぁ~」


 もう名前までつけてるよ……。

 プーコと呼ばれた毛玉は嬉しそうにレイラの足の周りをコロコロと転がっているが、その顔がほんのり赤い。


 「船長!まさかコイツに酒飲ましたんですか!」


 「ああ、試しに飲ませたらかなり気に入ってな、今朝もベッドに来て飲ませろってうるさいんだよ~。おいプーコ!飲み過ぎはよくないぞ!」


 あなたが言えた義理では無い。

どうやらレイラを起こしていたのはこいつだったらしい。


 「あっ!そうだ、カイル……、今日は月初めの定例会議だから諸々よろしく頼むぞ~。私が酔っ払って行っちゃマズイだろ!」


 理由にならない事を堂々と言うと、手をひらひら振りながらレイラは船内に戻っていった。

 俺は再び救われぬ日常に戻った事を実感しつつ、住み慣れた蒸し暑い執務室(食料庫)に向かう。

 俺は自分が居ない間の、当然のように真っ白な提出書類の処理を終わらせると、火器装備点検に取り掛かった。

 適当な沿岸防衛隊であっても武器の使用や弾薬の管理は厳しく、弾一発まで数えて毎月定例会議で報告する事になっている。

 俺は火器点検簿を持って武器庫のドアをノックする。


 「は~い!ちょっとまってくださいね!今開けます~」


 やはり今日も銃の手入れをしていたらしく、顔に機械油を付けたエイミーがまるで武器庫の住人のように顔を出した。


 「あ、カイルさんお帰りなさい~!」


 そう言って輝くような笑顔で迎えてくれたエイミーに点検表を見せて中にいれてもらう。今日もまたポニーテールの髪型がキュートだ。

 そういえばエイミーは夏休みはどうしたんだろう?


 「なあ、エイミーも夏休みは実家に帰ったの?それとも避暑地の別荘とか?」


 ローズウェル家のお嬢様だし、きっとエレガントな休暇だったのだろうと何気なく尋ねた質問に、ふっとエイミーの笑顔に影が差した。


 「……私は、ずっとここで、この子達と居ましたから……」


 弱々しい笑みを浮かべたままそれだけ答えると、エイミーは点検の準備を続ける。


 「……数年前にお父様が再婚して、新しいお母様と二人のお姉様ができたんです。だから家には居づらくて……。私はこの子達と一緒に居る方が、楽しいですから……」


 手を止めずに高揚の無い声でとつとつと話す後ろ姿はどこか寂しげだった


 「……はいっ!支給されている銃器の弾はこれだけです。他の子達と一緒にいつも整備してますので特に問題はないですよ~!」


 それ以上話したくないかのように、明るい声で話を切り替える。


 「ああ……ありがとう。じゃあ全て問題無しでチェックしておくよ……そう言えばさ、前に俺達を助けてくれた時に撃ってた大砲ってどうしたの?」


 「あれはレイラ船長が昔のツテで手に入れた物なんです。実はこの奥にあるんですよ。いつもは格納してますが、撃つときは甲板に上げられようになってるんです!凄いでしょ!」


 家族の話題から一転して、エイミーは目をキラキラと輝かせて誇らしげに話す。前に恥ずかしがって見せてくれなかった鉄扉にはあの大砲が格納してあったらしい。

 レイラのツテ、つまり海賊からの横流し品の大砲を配属されたばかりの俺に見せるのは確かに勇気がいるよな。

 ご禁制の物だが、あの大砲が無ければ今俺はここに居ない。

 言うなれば命の恩砲?と言えるだろう。


 「カイルさんには私の恥ずかしい秘密も知られちゃったし、お見せしますねっ!」


 エイミーが奥の鉄扉を開くと、二畳ほどのスペース一杯に黒光りする大砲が鎮座していた。

 それは海賊がよく使う、取り回しの良い75mm砲だ。


 「ここの天井の扉が開いて上甲板まで上昇するようになってるんです。ちゃんと整備してますからいざと言う時でも完璧ですよ。いつもぉ……磨いてるからぁ……、フフッ!この子を撃つとみんなバラバラになるんだよぉ~!うふふふふふっ!見たいぃ?」


 まずい!大砲を触っているうちにエイミーがビースト化し始めている。


 「も、もう分かったからさっ!点検は終了!さあ、上でお茶でも飲もうか!」


 大砲に縋り付いて頬ずりしているエイミーを引っぺがし、なんとか事なきを得る。

 あのままエイミーがビースト化していたら大惨事だ……。

 こうして提出書類を片付けると、俺は飲んだくれてるレイラの代わりに定例会議のある警備部棟へと向かった。

 日常的な虚偽報告に文書偽造、不正装備の隠蔽に服務規程違反の放置という罪を背負って……。

 爽やかな朝の日差しの中をトボトボと岸壁を歩きながら、俺は救われない日常が再び戻ってきた事を実感していた。


 カイルが定例会議に出席している調度その頃、タラップを渡り200号の甲板には制服姿の小柄な女性士官が降り立った。

 その胸には法務執行官の証である交差したペンと天秤をデザインした真新しいバッジが朝日を受けて輝いている。

 テーブルを囲んでコーヒーを飲んでいた200号の面々がその子を振り返る。


 「あらあら、可愛いお客さんですね~」


エイミーが席を立ち、笑顔で迎える。


 「おはようございます~。あの~、ご用件はなんでしょ~?」


 すると幼い容姿の女性士官は一同を見回すと、カッと踵を揃え、


 「本日、第二海上警備隊所属200号艇の法務執行官に着任しました、プルム・シルヴァンティエ法務少尉です!よろしくお願いしますっ!」


 ツインテールを揺らしてビシッと凛々しく最敬礼。


 「か、可愛いっ~!」


 マスコットキャラクターに会った子供みたいに、目を輝かせたエイミーがプルムをギュムッと抱きしめる。


 「へぶっ!……ちょっ!いきなり何するんですかっ!」


 突然の抱擁に目を白黒させ、プルムはじたばたとエイミーの豊満な胸から逃れようともがく。

その光景を呆気にとられて見ていたチップがレイラを振り返る。


 「船長……うちに法務官が配属される予定だったんですか……?」


 腕を組んで空を見上げるレイラ。しばしの沈黙の後、


 「んん~~?……………………ああ、そういえばそんな通知が来てたかも!」


 ――そんな事になっているとはつゆ知らず、会議を終えた俺は200号への道を急いでいた。

 早く戻らないとドリーの美味しいお昼ご飯を食べ損ねてしまう。

 そう言えば、家庭的で最も手料理が似合いそうなエイミーが料理を作ったってのは聞いた事がない。

 エイミーの手料理かぁ……、食べてみたいな。

レイラには……まあ、期待するだけ無駄だろう。

 そんな妄想を巡らせながら、200号の停泊している埠頭まで戻って来ると美味しそうな香りが漂ってきた。

 どこからか漂う料理のにおい。

ちょうどそれは昼時の住宅街の匂いに似ている。

 指令船フレイヤの前に着いたとき、エイミーのいつもと変わらぬ食事の合図が聞こえた。


 「みなさ~ん、ご飯ですよ~」


 どうやら昼食にはぎりぎり間に合ったようだ。

 急いで200号に向かうと、既に全員が席についていた。

 はれ?俺がまだ座ってないのに席が全部埋まっている。確かに席は四席あるはずなのに?

 改めてよく見ると、席に着いている面々の中には一人見慣れぬ……、いや、子供の頃から見慣れた顔があった。


 「プ、プルムっ!おまっ!ここで何やってんだ!それにその制服って、ええっ?」


 「だから、すぐ会えるって言ったじゃない!」


 プルムは当然のようにぶっきらぼうに答える。

 ツインテールの髪型に、ニーソックス&ロリ体型のプルムでは法務士官の制服も中学生の制服に見える。

 目指していた法律系の仕事というのは法務執行官の事だったらしい。

 兵士として士官学校に入るには身体基準をクリアしなければならないが、技術職である法務執行官なら身長制限ない。


 「法務執行官って合格率一桁だろ……凄いじゃないか!配属はどこなんだ?」


 興奮気味に問いかける俺を、プルムは不機嫌そうに睨みつけてくる。


 「何言ってんのよ、この船だからここに居るんでしょ!どうやら私はお邪魔だったみたいだけどねっ!」


 なぜかプルムは不機嫌らしい。さっぱり意味が分からない。


 「おいっ!私は腹が減ってんだっ!早く食おうぜっ!」


 食事をお預けされているレイラが空腹のあまり苛ついているらしい。


 「あの……、ところで俺の席は?俺の昼飯は?」


 「あっ~、私ったらごめんなさいっ!一人増えてたんでした!すぐ御用意しますね」


 慌てて立ち上がるエイミーをしれっとした顔でプルムが引き留める。


 「エイミーさんいいんですよ、カイルなんかその辺で魚でも捕って食べますからっ!」


 あら、プルムさんたら随分と優しいお言葉……。

テーブルは四人掛けなので、俺は一番スペースのあるコンパクトなプルムの隣に座る。

 席も飯も無く、泣きそうな俺に優しいエイミーが食事を用意してくれて、どうにか食事にありつくことができた。

 食事中も始終不機嫌なプルムとは一言も話すことなく、気まずい雰囲気のまま食事を終える。

 エイミーが煎れてくれた食後のコーヒーを飲んでいると、プルムと俺の様子をずっと観察していたチップが無邪気に尋ねてきた。


 「二人は幼なじみだって聞きましたけど、もしかして仲悪いんですか~?」


 なんでそれを聞くかねえ……、本当に空気の読めないヤツなのだ。

 俺が睨みつけてもチップは全く意に介した様子が無い。

 ここまでくればある意味無敵だ。

 対して、俺達の真向かいに座るレイラはラム酒のグラスを傾けながら、俺がどう答えるのかをほくそ笑みながら楽しそうに眺めている。


 「べ、別に……、仲が悪い訳じゃないよ。普通だよ……、なあプルム?」


 俺の問いかけを無視して、プルムは平然とコーヒーをすする。

 プルムさんよぉ、少しはフォローしてくれよな……

 不自然な俺達の様子にチップはさらに首を傾げ、エイミーは気まずそうに苦笑する。


 「そ、それよりさ、お前は夏休み中は何やってたんだよっ?」


 変な雰囲気を変えるために、逆にチップに話しを振る。


 「ふふん!僕はですね~北ロンダムまで行って、廃線が決まったクレイリバーラインに乗ってきましたよ!写真にバッチリ納めてきましたので後でカイルさんにも見せてあげますね。その後はですね、操車場のあるマリーウッズまで足を延ばして……」


 実はチップは超が付く程の鉄道ヲタクだ。

 こいつのヲタトークはいつもは鬱陶しいのだが、今回は話題を逸らすことができて助かった。

どうやらチップは夏期休暇を使って鉄道巡りの旅をしてたらしい。

 レイラはどうせ街の酒場で飲んだくれてたんだろうし、ドリーはBL作家としての営業活動。

 だが両家のお嬢様であるエイミーはたった独りであんな薄暗い武器庫に引き籠もっていたと言ってた。

 継母や姉が出来て家に居づらいらしいが、父親は血の繋がった実の娘に何も言って来ないのだろうか?

 そう思ってそっと覗うと、思い詰めたような表情のエイミーと目が合った。

 するとエイミーは拳をギュッと握り締めて、意を決したように口を開いた。


 「あのっ!……カイルさんは!その、ご実家でどんな風に過ごしてたんですかっ?」


 そこまで気張る程の質問ではないはずだが、エイミーは不安そうな表情で俺の答えを待っている。


 「たいした事はしてないけど、まあ地元の友達と会おうにもみんなと休みが合わなくてさ。都合よく……、いや運悪く親父も居ないから妹や母さんと出掛けて、後は家でゴロゴロしてたかな」


 最後の二日間は、まあその、思春期男子の秘密だ。


 「お父様の居ないお家でお母様や妹さんと一緒にって……、やっぱりカイルさんはそういう趣味の……」


 エイミーは顔を真っ赤にしてぶつぶつとつぶやき、今にも泣きそうな表情で顔を上げた。


 「その……、家族ですし……、仲が良いのは羨ましいです……。だけど、やっぱりそういうのはよくないと思いますっ……」


 エイミーの声は徐々に尻すぼみになり、最後はよく聞き取れない。聞き返しても要領を得ないし、エイミーが何が言いたいのかさっぱり分からない。

 拗ねたようにそっぽを向いているプルムと、目に涙を浮かべて見つめてくるエイミーに挟まれて困惑する俺。

そんな俺を見ていたレイラは、


 「ぷっ……クククッ!あはははは!」


 堪えきれなくなったように吹き出して笑っていた。


 やがてコーヒーを飲み終えた面々がそれぞれの持ち場に戻り、プルムと俺だけがテーブルにとり残される。

 話したいから残ったくせに、隣に座るプルムは黙りこくったまま空になったコーヒーカップを弄っている。

 沈黙に耐えられずに俺が先に口を開く。


 「で、どうしてお前はそんなに機嫌が悪いんだよ……。まあ、ゴーストナンバーに配属されて笑える訳はないとは思うけどな……。突然お前が来てビックリだったけど、その……、嬉しかったから、さ……」


 自分で言った言葉になんだか恥ずかしくなってきた。

 カップを弄っていたプルムの指が止まる。


 「私だって!……あっ、違くてっ!その、私は、どうせなら知り合いが居る所の方がいいかなって思っただけなんだけど……。法務官なら身長制限もなかったし……」


 オタオタしながら言い訳する姿に、試験に落ちて泣いていたプルムの姿が重なる。


 「あははっ、そういえば士官学校はそれで落ちたんだったな!」


 「ちょっ!思い出させないでよ!バカッ!」


 ぷっとプルムが頬を膨らませる。


 「マットからカイルが海軍じゃなくて沿岸防衛隊を志願したって聞いて、それから必死で勉強してさ、やっとの事で合格して来てみたら……」


 そう言って目を伏せるプルムは怒ってるような、悲しいような表情だった。

 プルムが頑張って追いかけて来てくれたのは心底嬉しかったが、未だにどうして不機嫌なのかがさっぱり分からない。

 それにエイミーやレイラの様子も変だし。


 「その……、カイルってさ、レイラ船長のペッ、ペットで、毎日夜を共にしてるんでしょ……。あとエイミーさんとも。それにっ!ドリーさんとまでっ……、お、大人の関係に……」


 プルムは頭から湯気がでそうな程に顔を真っ赤にして再び俯いてしまった。


 「ちょっと待て!待て!お前の中で俺はいったいどんな事になってるんだよっ!」


 どうしてそんな事態になってるのかさっぱり分からない。

 俺はどうにかプルムを落ち着かせると、どんな経緯でそんなとんでもない勘違いをしたのか話を聞く事にした。


その事件が起こったのは会議で留守だった午前中。

 着任早々、エイミーの熱烈なハグから逃れたプルムはみんなと一緒にお茶をしたらしい。問題はそこでの会話だった。


 『あら~?レイラ船長。今日も二日酔いなんですか~?』


 『ああ……、昨日の夜もカイルが居なかったからな……。つい飲んじまうんだよ。それに朝はアイツに起こして貰わんと……。どうも調子が出ないんだ……ふぅ』


 『ふふっ、レイラ船長は夜も朝もカイルさんが居ないとダメな体になっちゃったんですね~。カイルさんが来てまだ三ヶ月ですけど、いろいろありましたもん。私もカイルさんに恥ずかしいところも見られちゃったし……。ぽっ』


 そんなエイミーとレイラの会話を聞いて、プルムは慌てて二人に問いただしたらしい。


 『船長さん、エイミーさん!ちょっといいですかっ?夜も朝も一緒って、カイルって船長さんの……。何なんですか?それにエイミーさんの、えっと、恥ずかしい所って……』


 『何かと言われれば……、そうだなぁ、私のペットだなっ!』


 『えっ!そのぉ~恥ずかしくて説明出来ないですよ~。私ってアノ時は乱れちゃっうっていうか、かなり大胆になっちゃうみたいで……。きゃっ~』


 その後、二人の言葉をどうしても信じられないプルムは厨房に戻ったドリーにもう一度確認したらしい。


 『ドリーさん、さっき船長さんやエイミーさんが言ってた事って本当なんですか?』


 『……ああ。間違いなく事実だ。カイルは船長のモノ。だから俺はアイツから身を引いた。だが、今でもこの想いはいつか叶うって俺は信じて、アイツを待ってるんだ……』


 その時のドリーはとても切なそうに遠い目をして語ったそうだ。

 俺はプルムの話を聞いているうちにどっと疲れてきた。

 ドリーは一途だなあっ!まだ諦めてなかったのか……!

 それにレイラにとって俺はペットだったのかよ。扱いは確かにそんな感じだが、改めて聞くと悲しくなってくる。

 話を聞く限り、こんな会話を聞けばプルムが変な誤解を受けても仕方ないだろう。

 考えてみればこんな非常識な状況をおかしいと思わなくなっている俺って、ゴーストナンバーズとして馴染んだ証拠なんだろうな。嬉しいんだか、悲しいんだか……。

 それから俺は自分が置かれている状況を半泣きになりながらプルムに必死に訴えた。


 「まあ、そういう事なら……、納得してあげてもいいけどさ……」


 プルムは恩着せがましくつぶやきながらも、一応誤解は解いてくれたようだ。


 「……さ~て!午後から私は法務研修だからさ、もう行かなくちゃ!」


 ようやくいつもの調子に戻ったプルムが元気よく席を立つと、軽やかにタラップを駆け上がって行く。

 ふと思い出したように足を止めて振り返ると、


 「あ、そうそう。あのね、その会話の後、ムカついたからカイルは毎晩妹の裸の抱き枕と寝て、家ではママや妹と一緒にお風呂に入ってるシスコン&マザコン野郎って言っちゃったの~!ごめんね☆」


 きゅぴん!と可愛くウインクを残して去って行くプルムの背中に向かって力の限り叫ぶ。


 「俺の社会生活を破綻させるつもりか!それ聞いて引き籠もりたくなったよっ!」


 再び頭を抱え込む。レイラやエイミーのおかしな態度の原因はこれだったのだ。

 このあと、夕方になって法務研修から戻ったプルムを伴い全員の誤解を解いて回るのに夜までかかってしまった。

 幼なじみの女の子に自分の性癖を説明してもらうなんて、どんな羞恥プレイだよ……。

 プルムの登場で俺が望む平和で穏やかな毎日は更に遠ざかってゆくのだった――

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