第4話『練習試合をしよう!』

 エリオは艦橋から、破局を、ただ呆然として見下ろしていた。

 グライファでは最も被弾面積の大きい方向――真横から、パンパンと断続的に砂煙を上げ、赤い死神が撥ね飛んでくる。

 ――車雷タンブリッツ

 1トンもの炸薬を抱えた自走地雷。一撃で戦艦ブルガン・グライファすら撃破しうる、駆逐艦ツェアシュテーラの切り札。

 その軌跡が九条。

 それはフライヤの進路と未来位置で、明らかに交わろうとしている。

 エリオは、何も出来ず、ただ呆然と、その破局をもたらすものを見つめていた。


**********


「指揮の神髄とは、つまるところ、常に堂々としていること!」


 ネーベルブルーメとの練習試合の前日、部室の黒板に、エーファはカッカッとチョークも折れ飛ぶ勢いで「堂々」と書いた。

 向かい側にコジマと並んで座らせられたエリオは、髪の毛に付いたチョークの欠片を払いながら、困惑してエーファを見上げる。

 これは心構えでなく形容詞なんではなかろうか?


「でもさ、指揮官同士って、なんというか……裏の読み合いとか、心理戦とか、そんなことするんじゃないの?」

「冷静な計算、俯瞰的な判断……コジマもそう言う話をよく耳にします」

「軍事モノの小説でも、そういった指揮官の頭脳戦がウリだったりするよな」


 「おもしろそうだ」の一言で入り込んでいたロリスも、胡散臭げに頬杖をつき直す。


「百年はやいっっ!!!」


 変なスイッチが入ってるらしい。エーファがとんでもない怒鳴り声を上げる。

 コジマが椅子ごと後ろに倒れかかり、エリオが慌てて支える。


「……どうせ、出来ないでしょ? 経験不足で。

 そ・ん・な・こ・と・よ・り!」


 「堂々としてることっ!」と、エーファはもう一度言った。大事な事らしい。

 そして黒板に向き直り、ぐるっと大きく円を描くと、円周上に等しく離れ向かい合った三つの三角形を描く。


「この、一番下の三角形が自艦だとする。残り二つは敵。

 エリオ、どっちの敵から倒す?」

「自艦からすると、どちらも同じ距離、同じ角度ですね」

「片方には生き別れの兄が乗ってるとか?」


 好き勝手話すコジマとロリス。

 エリオは黒板を凝視するが、解らない。


「……どっちでも良いんじゃ?」

「正解っ!」

「「「え?」」」


 生徒役の三人の声がハモる。


「つ・ま・り・だ!

 戦場で指揮官が決めることは、八割九割、『どうでもいいこと』だ!」

「はぁ」


 ますます訳が解らなくなるエリオである。


「指揮官の仕事は、次に何をするか、迷い無く決めること!

 そして、それを配下に確実に知らせること!

 更に、配下が不安にならないように堂々としていること!

 それに尽きる!」

「そ……そんないい加減なので良いの?

 ちゃんと状況を他の乗員に説明して……」

「だ・か・ら、そんなたいそうな判断は、ほぼほぼ必要ない!

 でも、だからこそ、誰かがそれを決めなきゃいけない!

 ……解んないかなぁ」


 エーファはいつものごとく、赤毛をガリガリ掻いた。

 一方、なんか騙されてるような気がしているエリオたちである。


「良いから、明日はとにかく堂々としてろ!

 そして、思いつきで良いから即座に命令を下せ!

 ……後は、あたしがなんとかする」


**********


 明けて翌日。

 エリオたち三人にはすっかりお馴染みとなった学校所有の射撃演習場に、ネーベルブルーメ校の一個車雷タンブリッツ・戦隊ゲシュヴェーター、エリオたち国都立第二の巡戦ブルガン・クロイツァフライヤ、そして、グラウの旗艦プリンツェッシェン・モーリッツが、ずらりと舳先を並べた。

 それら巨大な艦影を背景に、エリオたち三人と、相手校の選手、審判役のグラウ、そしてついでに「おもしろそう」と付いてきたロリスが整列している。


「お、お招きいただき、ありがとうございます。

 ネーベルブルーメの部長、ウェーバーです」


 グラウの紹介で顔合わせをした対戦校の部長は、国都立士官学校の名に緊張しているのか、エーファと握手を交わした時もガチガチだった。


「本日は、遠いところをお越し頂き、有り難うございます。

 今回お相手するのは、お聞き及びと思いますが『大学』ウニテートの留学生の所属する親善チームですわ。

 異国の方々の後学の為、我が校の一軍ではない、特別編成のチームである事を、予めお詫び申し上げておきます」


 「い、いえ……そんな」とおどおどする相手部長の手を「お手柔らかに」と、グラウは花のような笑顔で握りしめた。

 若干赤くなったウェーバー部長は、それでもようやく落ち着いたようで、エーファ、エリオ、コジマの方に、初めてしっかり視線を向けた。


「……思ったより大した事ない相手かな? なんか場慣れしてないみたい……」

「向こうも間違いなくそう思ってる」


 小声で話し掛けたエリオに、エーファが釘を刺す。


「こっちも、お前とコジマが初試合なんだぞ」

「しかも、負けたら第二戦艦部は産声も上げられずにお取りつぶしです。

 心配事はこっちの方が多いのですよ、と補足します」


 うわぁ……言葉にするとやっぱ、おおごとだなぁ、とエリオは首をすくめた。

 どうもさっきから、足下がふわふわして心許ない。

 凄く楽しいような、凄く恐ろしいような、訳の解らない気分。


「一同、礼っ!」


 威厳たっぷりなグラウの号令に合わせ、第二戦艦部とネーベルブルーメの選手が一斉に頭を下げる。

 そして、顔を上げしな、エリオはビクッとしてしまった。ネーベルブルーメの部長と目が合ってしまったのだ。

 鋭い……とは言えない。しかし、圧を感じる、強力で、熱い視線。

 真剣な眼、戦おうとしている眼、勝ちたいと思っている眼。

 その眼にエリオは怯んだ。

 ――そういえば、と、エリオは改めて思った。

 こういった、その場限りで全てが決する『一発勝負』という経験が、今までの人生で、一度も無い。

 『大学』ウニテートの銀盤技術とは、コツコツ積み上げる類のモノで、『課題』全体に一気呵成にぶち当たった事など、生まれてこのかた一度も無い。

 あ……あれ? ボクは何をすればいいんだ?

 エリオは急に足下が崩れ去る様な不安に襲われた。


「試合開始は一時間後です。

 各校、グライファを初期位置に移動させて、ブリーフィングを開始して下さいまし」

「エリオ、がんばれよ……って、どうしたのお前? 顔色悪いぞ?」

「ポンポン痛いですか? と心配してみます」


 エリオの顔をロリスとコジマがのぞき込んでいた。

 いつの間にか、各校の選手は散らばり、錨を上げ、舫いを解いてグライファの移動準備にかかっている。


「あ……うん、なんでもない」


 エリオは自分の口が何でもないように返事をするのを、人ごとのように眺めていた。

 そして、そんなエリオをエーファは黙って見つめていた。


**********


 東西南北にほぼ正方形の演習場、その東辺のど真ん中にある桟橋と射爆壕。

 エリオたち第二戦艦部の進発位置である。

 第二戦艦部の三人プラス冷かし一人は、フライヤの後甲板に積んできたコンテナハウスをそこに下ろすと、その中で即座に直前ブリーフィングを開始した。


 先ずは参加艦艇の再確認である。


 <国都立第二>

 旗艦 装甲巡洋艦パンツァ・クロイツァ巡戦ブルガン・クロイツァ)フライヤ


  常備重量 二万四千トン

  全長 二百十五メートル

  最大速力 三十二ノット

  十六インチ砲 連装二基 四門

  六インチ砲 単装四基 連装二基 八門

  三・五インチ対騎速射砲 単装四基 

  対騎機銃 三連装四基



 <ネーベルブルーメ>

 旗艦 嚮導巡航艦コマンド・クロイツァゴトメアッツ


  常備重量 五千五百トン

  全長 百六十二メートル

  最大速力 三十五ノット

  六インチ砲 単装七基

  三・五インチ対騎速射砲 単装二基

  対騎機銃 連装二基

  四連装車雷発射橋 二基 艦首方向


 駆逐隊 駆逐艦ツェアシュテーラシュネシュトーム級

  三隻 × 四隊 計十二隻


  一隻当たり

  常備重量 千九百八十トン

  全長 百十八・五メートル

  最大速力 三十七ノット

  五インチ砲 連装三基 六門

  対騎機銃 単装二基

  五連装車雷発射橋 二基 艦首方向

  三連装車雷発射橋 一基 艦尾旋回式


「参加艦艇について、両校ともに変更はありません」


 コジマが手元の書類を読み上げる。


「ということは、基本方針も変わりなしね。

 先ずは、相手に統制雷撃させて、車雷タンブリッツを射ち尽くさせる」

「避けるべきは、相手の駆逐艦ツェアシュテーラ車雷タンブリッツを温存したまま乱戦になってしまうこと、ですね」


 エーファとコジマが、前もって決定していたプランを再度口に出して確認する。

 エリオもどうにか、その言葉を脳内に刻み込もうとする。


「でもさ、先に射たせるつっても、

 統制……雷撃? じゃ艦首の車雷タンブリッツしか射たないんだよな?」


 ロリスが相手校の艦諸元を眺めながら口を挟む。

 今日に備え、ある程度、予習はしてきたらしい。


「艦尾の旋回式は予備みたいなモンだから、運動戦を続ける限りそんなに怖いものじゃない」


 「注意しとくに越したことはないけどね」と一応、エーファは付け加える。

 艦の持つ速度ベクトルと同じ方向に射ち出される艦首の車雷タンブリッツと違い、艦尾のそれは真横に射ち出す。

 複数の複雑なベクトルの影響を受ける艦尾の車雷タンブリッツを運動中に発射しても、まず当たらない。大戦中には何かの拍子に自艦に戻ってきた例まで報告されている。

 元々は、車雷タンブリッツが出現した当初、つまり、高速の運動戦での使用など想定もされていなかった頃に、艦を停止させた上での待ち伏せや、通商破壊戦で停船させた商船相手に使うことを前提として装備されていたモノであり、近年では廃止している艦級も多い。


「……まぁ、相手は学生だから、調子に乗って『タナカ・マギ』の再現を狙うかも知れないけど……」

「『タナカ・マギ』?」


 自分も学生である事をどこかに置いてきた、上から目線のエーファのセリフ、その中の面白そうちゅうにびょうてきな言葉にロリスが喰い付く。

 それには「あぁ、」とエリオが答えた。戦記で散々取り上げられている題材であり、軍艦マニアのエリオにとっては自家薬籠中のネタである。


「戦中にブリッツ・タナカ提督がランガの夜戦で使った車雷戦術……というよりは奇策の類だよ。艦尾発射橋を有効活用した、ね。

 ただ、初見ならともかく、「相手はこういう手を使うぞ」と情報が広まったら、殆ど意味を成さない感じ。だから奇策」


 得意分野を同級生に説明しているうちに、なんとか平常心を取り戻せたような気がするエリオだった。


「よし、エリオ、コジマ、そろそろ時間だ。行くぞ」

「エリオ、んじゃ、俺は生徒会長の旗艦で見物するわ。

 まぁ、しっかりやんな」


 エーファはガタンと音を立てて立ち上がると、素早くエリオの耳元に囁いた。


「『即座に決めて、後は開き直って』な。

 ……なに、失敗しても、有名無実だった部が一つ無くなるだけ。気にするな」


**********


 地平線は意外と近い。だいたい四~五キロメートル先にすぎない。

 戦艦ブルガン・グライファの艦橋の高さ、二十メートル前後から見渡しても、見える範囲は二十キロに満たない。

 だから、八十キロ四方の広さを持つこの演習場の、東西両端から進発したネーベルブルーメ校の車雷タンブリッツ・戦隊ゲシュヴェーターとエリオたちの巡戦ブルガン・クロイツァフライヤは、相手の視界に入る前にどのようにでも進路を変えられる。


「ネーベルブルーメの選手はさほど練度が高くない。

 面倒な運動はしてこないだろう。

 つまり、統制雷撃での命中率が最大になるように、真横から現れる」

「北か、南か、だね」


 エリオは、支配下の人形プーペ十体全部を左右両舷の見張りに充てていた。十二センチの大口径双眼鏡が地平線近くを隈無く監視する。

 フライヤは自身は、そもそも相手に投雷させたいので、特になんのヒネリもなく東から西へ一直線に進んでいる。速度も遅めの第二戦速である。

 機関は安定した唸りを上げている。地面状況は良好で、艦の動揺もゆりかごのように、やけに心地良い。

 エリオは艦橋の窓枠上に吊された時計を、意図せず何度もちらちら見やる。

 時計の針の進みが、やけにゆっくり感じる。

 今の処、艦影は見えない。

 ただ、機関と履帯すいしんきが、リズミカルな音を立てている。

 ともすれば睡魔に襲われそうな明るい日差しの下で、エリオはゴリゴリと精神のすり減る音を聞く。

 ……と、右弦見張りの一人の視界にマストらしい縦棒が現れた――様な気がした。

 エリオは、その人形プーペの視界に意識を集中し、右弦の見張り方位盤もそちらに向ける。

 ゆらゆらと滲んだ、染みのような影がどんどんその高さを増し、その中途に十字を描くかのように左右に突き出したヤードまでが地平線から飛び出す。


「て、敵艦! 敵艦見ゆ!!」

「どっち?」


 エーファが落ち着いたな声で聞き返しながら、フライヤを加速する。


「あ……と、右弦! 北!」

「北ね……了解」


 エリオの覗く双眼鏡の中では会話の間にも、マストの根元から艦橋構造が生え、主砲が生え、艦体が生え……四本の煙突と、幅広い履帯すいしんきを持つ、スマートでいかにも俊敏そうな巡航艦クロイツァが地平線を跨いで全身を顕す。

 その後方に、二列に並ぶ駆逐艦ツェアシュテーラ

 ネーベルブルーメの練度はさほど高くないとは言われていたが、コピーしたような艦容がほぼピッタリ重なるよう並びながらも左右に微妙にうねり、それが二列四群、綺麗に巡航艦クロイツァに追従する様は、正面から見ると巨大な蛇のようにも見える。

 刹那、その蛇の頭が、ピカリと光った。


「へ?」


 エリオは、何が起こったか理屈では解っていた。しかし、意識が付いてこない。

 フライヤからたっぷり一キロ以上離れた処に、天を突くような爆煙の柱が屹立し、それがばらけて砂煙に戻る頃、ようやく叫ぶ。


「う、撃って来た! 撃って来た! 撃って来た!」


 そら撃ってくるだろう、試合なんだし。エリオの頭の中の冷静な部分がそう嘯くが、相変わらずその意識は状況に付いていっていない。

 その頃にはフライヤは、数秒おきに沸き立つ土砂と硝煙の柱に囲まれている。

 ネーベルブルーメの艦列は、その胴体からも光を放っている。駆逐艦ツェアシュテーラも撃ち始めたようだ。


「射程に入ったか。

 気にするな、当たらないから」


 「当たっても豆鉄砲だし」とエーファが付け加える。しかし、目の前で間断なく現れては消え、現れては消えする弾着の心理的衝撃を、エリオから拭い去ってはくれない。


「撃ち、撃ち返そう! け、牽制ににに! 

 こっ、コジマ!!」


 なにか、しなきゃ。なにか決めなきゃ。エリオはコジマに砲撃を下令しようとする。

 真横だから、主砲はダメだ。副砲なら……


「待て。連中は艦首発射橋を開いてるか?

 雷撃準備が完成する前に撃って、相手が散開したら元も子もないぞ」


 発射橋? 発射橋ってなんだっけ? エリオは必死に記憶をたぐる。

 双眼鏡の中で巡航艦クロイツァ駆逐艦ツェアシュテーラの左右舷側に、まるでひな鳥が初めて飛び立とうとする時のように、ゆっくりとトラス状の骨組みが広がっていくのが見える。その下にちょんちょんと小さな赤い円筒がぶら下がっている。


「は、発射橋の展開を確認! 車雷タンブリッツだ! 車雷タンブリッツを射とうとしてる!」


 そうだ、車雷タンブリッツだ、そうだった。撥ね飛んでくるドラム状の赤い破滅。

 コレを……どうするんだっけ? エリオはもどかしげに双眼鏡に集中する。一生懸命見つめれば、何か答えが見つかるかも知れない。

 と、ダハプリズム越しの青みがかった風景の中で、それまで明確な輪郭を描いていた車雷タンブリッツが、突然、ブレるようにぼやける。

 なんだっけ? これ? エリオは必死に双眼鏡を覗く。


車雷タンブリッツの動力回転を確認!!」


 タービンから分派されたドライブシャフトが、車雷タンブリッツを猛烈な勢いで回転させ始めていた。雷撃の最終シークェンスだ。

 いつの間にか砲撃は止んでいた。

 立ちこめる爆煙に遮られ、正確な投雷が出来ない事を嫌ったのだろうか? 確かに、練度は高くはない。

 確かに、高くはないが……エリオはどうでも良い思索に捕らわれる。

 確かに、練度は高くはないが、自分たちがやれる事、やる事はしっかりと把握していて、それを確実に実行しようとしている!

 ……ひょっとして、割と手強いんじゃないだろうか?

 モック・カンプってのは、想像よりも、ずっとずっと厳しいんではなかろうか?


車雷タンブリッツの回転が安定したら、投下される。

 投下されたら教えろ」


 エーファの声に、エリオはハッと我に返る。

 何度目だ、しっかりしろ。

 決めなきゃ。即断即決……指示を出さなきゃ……!!

 車雷タンブリッツ・戦隊ゲシュヴェーターの統制雷撃への対処法は……対処法は……確か、射線に舳先を向けて投影面積を最小に……

 と、敵艦の左右に広がるトラスの骨組みから、赤い円筒がポロリと落ちるのが、双眼鏡越しに見えた。

 エリオは、無意識に叫ぶ。


「お、面舵いっぱい!」


**********


 連邦国都立士官学校の第一戦艦部、旗艦プリンツェッシェン・モーリッツ。

 十六インチ砲を四連装四基も搭載する巨大戦艦だけに、その前檣楼マストの頂部近くに置かれた昼戦艦橋の位置も高く、演習場の北端に位置しながらも、試合の様子が綺麗に見て取れた。


「エリオたちも、わりとまともに戦えてるみたいですねぇ」


 グラウと並んで巨大な双眼鏡を覗き込んでいるロリスが、呑気に呟く。

 双方ともインファイトを得意とするチームだからなのか、はたまた、双方とも練度があまり高くないためか、戦闘領域は既に一万メートル四方を割り込み、素人のロリスにも状況が把握しやすい。

 右弦からの突撃を受け、撃たれっぱなしになっているフライヤは、しかし、最小の機動でうまく躱しており、まだ一発も直撃を受けていない。


「お! なんか骨組みっぽいのが開いた。

 ……あれが車雷タンブリッツの発射橋ですか。

 でも、この分じゃ、アレも躱されそうですねぇ」

「もちろん、躱すと思いますわ」


 グラウが自信たっぷりに断言した。


「もちろん、躱します。あの程度の統制雷撃。

 元ウチのエースですから。

 ……でも」


 そこでグラウは、双眼鏡から目を離し、ロリスに向かって悪戯っぽく笑う。


「躱したからって終わりじゃありませんのよ?」


**********


「しまった!!」


 司令塔の床は三十度以上、右弦に傾いている。

 そして、エーファ(の人形プーペ)の手の中の舵輪は、未だに右回りの慣性を残し、カラカラと回っている。

 フライヤは履帯すいしんきの上に跨がった巨体を大きく右に倒し、ギャリギャリと左舷に石礫をはね飛ばし続ける単列の履帯で遠心力に抗しつつ、最小半径での右旋回を開始していた。

 エーファは自分の迂闊さを、体中の血を使って演習場一杯に呪詛を書き連ねたい程の勢いで呪った。いや、確かに、これをやったら呪う相手は確実に死ぬが。

 一個車雷タンブリッツ・戦隊ゲシュヴェーターの放つ、百二十八発の車雷タンブリッツ

 これを躱すための操舵、機関、注排水、その他諸々のタイミングを、頭の中で何回も検討しつつ、エリオが「車雷タンブリッツが投下された!」と叫ぶのを待っていた。

 そこに、予想外に下された「面舵いっぱい!」の号令。

 エーファは反射的に、それに反応して舵を切ってしまった。

 ちくしょう、エリオが指揮の素人なんて解りきってたことなのに! 初めての実戦でテンパりまくってたのは解ってたのに! それをフォロー出来ると思っていたのに!

 エーファは、自分の不甲斐なさに歯噛みする。

 フライヤは既に、限界ギリギリのバランスで猛烈に右旋回中。

 ある程度曲がりきるまで、成せる操作は少ない。そして、いまさら進路の変更は出来ない。

 確かに、これでも全弾躱しきる……躱しきるが……


「馬鹿野郎! エリオ!

 見え見えの『タナカ・マギ』じゃねーか!」

「た……『タナカ・マギ』……?」


 脳内に、スコンと投げ込まれたその言葉が、夢の中のようにふわふわしていたエリオの足下を、一瞬で冷たい鉄板に戻した。


 ――『タナカ・マギ』―― 限定状況でのみ有効な、戦術とも言えない奇策。

 それは統制雷撃に対する典型的な回避運動を逆手に取ったものだ。

 通常、雷撃に対しては、自艦を射線に正対させて被弾面積を最小にするとともに、艦尾の起動輪を守る。

 つまり、襲撃された目標は、水雷戦隊とも正対することになり、車雷タンブリッツ・戦隊ゲシュヴェーターがそのまま直進すると、高速ですれ違うこととなる。

 そのすれ違いざま、ほとんど停止するほどに速度を落とし、目標の横腹目がけて艦尾発射橋から投雷するのが『タナカ・マギ』である。

 目標は、雷撃を躱した安心感から、また、大きく舵を切った直後の物理的制約から、この雷撃を躱すことが困難である――

 というわけだが「こういう戦術がある」と広まれば、回避するのは容易い。本来は、大敗北や大勝利の前後など、一つ上のレイヤーに有る要因により、相手の精神的余裕がない場合にのみ有効な戦術である。

 なんのしがらみもない、純粋な会戦のみであるモック・カンプでは『受け狙いの大技』くらいの扱いでしかない。


「そんなアホなモノに、モロに引っかかるなんて!」


 冷水の如き事実を浴びせかけられたエリオは、一気に目が覚めた。

 が、しかし、それでも、この現状を、彼はどうにも出来ない。

 左弦、二千メートルを割り込んだ至近距離に駆逐艦ツェアシュテーラが次々と急停止、艦尾発射橋から車雷タンブリッツを放つ。

 その時、コジマの平板な声が響いた。


「全部、撃ち落とします。

 エーファお姉さま、左弦を下げて下さい。副砲の俯角が足りません」


 艦尾発射橋を持たない嚮導巡航艦コマンド・クロイツァと制動し損なった一個駆逐隊はそのままフライヤの後方へ走り抜け、二個駆逐隊は過大な相対速度に進路を間違え右弦のとんでもない方向で隊列を乱し、二回目の投雷に成功したネーベルブルーメの駆逐艦ツェアシュテーラは、結局、一個駆逐隊、その数わずか三隻。


「無茶言うな、まだ面舵中だ、転覆する!」


 それでも、二千メートル弱の至近距離。

 投下された車雷タンブリッツ九発の射線は、全て確実な衝突コース。


「エーファお姉さまは、転覆なんて無様なマネは晒しません」

「あああ! どうなっても知らんぞ!」


 エーファは右舷に傾き旋回中の艦体を、振り子のように左舷へふり直す。

 同時に艦首右弦の錨二つを共に投下。失った向心力を無理矢理取り戻す。


「撃ちます」


 コジマの荒い息づかいが、早すぎて最早土砂降り雨のような連続音にしか聞こえないその打鍵音が、人形プーペとの接続中、感覚が切断されている筈の本体を通してエリオの脳に届く。

 左舷に向けられる火砲全て――副砲四門、対騎速射砲二門、対騎機銃二基。

 それらが同時にウニウニ動くと、それぞれ違う目標を指向し――その全てを撃ち抜く。

 八つの強烈な光、爆煙。

 しかし、それでもまだ、その中を突っ切って、車雷タンブリッツの軌跡が一条、迫り来る。

 次発装填は間に合わない。


「こなくそ!」


 エーファが、錨を支えていたキャプスタンのクラッチを二つとも切る。

 艦の自重に数倍する力にビンビンに張り詰めていた錨鎖が、火花を散らしながらジャラジャラと凄まじい速度で流れ出す。

 エーファは注排水機構を駆使して必死にバランスを取る。

 向心力を失った艦首は左舷側へ大きく振り出され、艦尾は逆に右舷側へ後退、フライヤは大きく弧を描きながら、今度はその場で左へ九十度向きを変えた。

 その艦尾側――今では左舷側――ギリギリを、最後の車雷タンブリッツが走り去る。


「か……躱した?

 ……全部、躱した?」


 エリオが艦橋の床にへたり込む。

 その顔を、凄まじい閃光が白く塗りつぶす。

 続いて沸き上がる紅蓮の炎、衝撃波。


「残り二」


 コジマの平板な声がインカム越しにエリオに届く。

 エリオは今更ながらに気付いた。

 二度目の投雷に成功した駆逐艦ツェアシュテーラは、『タナカ・マギ』を完遂した技倆優秀な駆逐艦ツェアシュテーラは、今、間抜けにも、フライヤの主砲の目と鼻の先で横腹を晒して停止している。

 そして、その数は既に一つ足りない。


「次弾装填中」


 先程、最初の駆逐艦ツェアシュテーラを轟沈させたときには、流石のコジマもオーバーワーク直後、照準に自信が無かったらしく主砲四門全てを斉射したようだった。

 (それでも、最低二発は当たったっぽいので、大したものだとエリオは思ったが)

 主砲の装弾が終わるまで数十秒、しばし沈黙が支配する。

 ネーベルブルーメの駆逐艦ツェアシュテーラも、その隙に再発進すれば良さそうなものだが、凍り付いたように動かない。


「撃ちます」


 次の射撃は、A砲塔アントンB砲塔ベルタ、それぞれが別目標を狙った一発ずつの『狙撃』に戻っていた。

 二隻の駆逐艦ツェアシュテーラは、ブリキのようなペラペラな外板を、充分以上な運動エネルギーを持つ十六インチ砲弾に爆砕され、ほぼ同時に火球へ変わる。


「そこまで!」


 広域無線で、グラウの朗々たる声が響き渡った。

 ……気付けば、ネーベルブルーメの嚮導巡航艦コマンド・クロイツァが白旗を揚げ、残りの駆逐艦ツェアシュテーラと共に機関を停止していた。

 エリオは肺を空にするほどの、長い長い溜息をつく。


 艦首の車雷タンブリッツを射耗した車雷タンブリッツ・戦隊ゲシュヴェーターは、確かに、大型艦への決め手は欠く。

 しかし、砲力はまだ健在であり、残り九隻の火力を糾合して反復攻撃を加えれば、巡戦ブルガン・クロイツァの戦闘力を奪うことは決して不可能ではない。厚い装甲に鎧われたバイタル・パートは抜かれなくとも、観測機材を破壊され尽くしたら、射撃が出来なくなる。

 それなのに、白旗を揚げてくれたか……エリオは艦橋の天井を這い回るパイプを何ともなしに眼で追った。

 今さっきの、三隻連続撃沈が、彼らの心をへし折ったのかも知れない……と彼は思った。

 何故なら、プラスマイナスの方向は逆ながら、エーファとコジマの神業に、エリオも十分衝撃を受けていたから。


**********


「何が起こったのかよく解んなかったなー

 なんか、あいつらの艦の周りで爆発が連続したと思ったら、いつの間にか相手校の旗艦が白旗上げちまった」


 第一戦艦部の旗艦モーリッツの昼戦艦橋である。

 「おもしろいとこ見逃したかなー」と、ロリスは多少不満げにこぼしている。

 その横で、珍しくゲストに応えるでもなく、グラウがじっと、勝敗が決したばかりの戦場を見つめていた。

 その口元に聖女のような笑みをたたえ、娼婦のように唇を舐めながら。


**********


「反省会やりまーす!」

「はい」

「……はい」


 練習試合の翌日、演習港近くの、第二御用達の街カフェである。

 引退した老夫婦が趣味でやっているような店で、メニューは少なく、味も普通。ただ、演習港の端にある部室からは、学校の中央部にある学食よりも遙かに近いし、さほど流行ってもいないので、長居しても嫌な顔をされないし、あと、値段も安い。

 ノリはほぼ、幼年学校の裏門辺りに店を構える駄菓子屋に近い。


「先ずは、あたし。エーファ二号生徒!

 頑張ったよ! あたし! エライ!

 というか、昨日、戦闘中、ほとんど横滑りドリフトしかしてないよ!

 アンカーターンなんて、生まれて初めてやったよ!

 履帯や転輪すっ飛ばさなかっただけでも、万金に値するよね!

 はい、拍手!!」


 コジマが「お~っ」と、相変わらず起伏のない声を発しつつパチパチと手を叩く。

 エリオはどんよりと下を向いたまま、力一杯拍手する。


「次、コジマ三号生徒!

 化け物か、君は!

 艦体が斜めに横滑りしてる状態で、八個の極小目標を同時に狙撃とか、普通出来ない!

 しかも、人形プーペ越しじゃない、キーボード手入力!

 はい、拍手!」


 コジマの鉄面皮から、「えへへ」と棒読みの笑いが流れ出る。

 エリオは「あああ」と更に頭を落としながら、ヤケクソ気味に拍手する。


「……えー、まぁ、…………

 ……それ…………でだ……」


 エーファが言葉に迷い、先程の喧騒が嘘の様に、音がパタリと途切れた。

 三人の間に漂っていた豆茶の白い湯気が、折からのそよ風にさぁっと吹き散らされる。


「え、エリオ四号生徒は……ほら、そもそもフライヤの改装を主導してくれたし!」

「そ、そう、そうです。コジマの為に素敵な射撃指揮装置も作ってくれましたと補足します」


 腫れ物に触るような二人の言葉が、エリオの胸に逆に刺さった。暖かいだけに重たい。うん、なんか、もう、このまま、風に吹かれて消えてしまいたい。

 エリオは顔も上げず、テーブルに置かれたカップから直にズズズっと豆茶をすすると、覚悟を決めたようにすぅと息を吸い込んだ。


「すいません、すいません、まともな指揮が出来なくてすいません。度胸がなくてすいません。堂々と出来なくてすいません。頭でっかちですいません。グライファ乗ってすいません。士官学校なんかに入学してすいません。『中原』ミットラントに来ちゃってすいません。そもそも生まれてきてすいません……」


 そして、溝の飛んだレコードのように、息継ぎもせず、謝罪を延々垂れ流し続ける。


「……あー」

「重傷です」


 どうしたものだか?

 鬱々と自傷し続けるエリオを前に、エーファとコジマは苦笑いを浮かべながら固まった。困ったことに二人とも、素で鋼メンタルなので、こういう時の対処法が逆に解らない。


「はい、そんなあなた方に素敵なお知らせですわ」


 カッカッとヒールの音を響かせ、まったく空気を読まない朗らかな声がグラマラスでファビュラスな本体と共に、反省会のテーブルへ近づいてきた。


「グラウ! 良い処に……

 ……いや、何の用? ……お知らせ?」

「第二戦艦部の設立認可は既に貰ってます。返しませんよ」


 一瞬、「助かった!」と思ってしまったエーファだが、すぐに思い直した。グラウが機嫌が良いときは、より大きなトラブルも同行する。

 コジマは、さっと、両手で平らな胸元を覆い隠す。


「あらあら、そんなに警戒なさらずとも。

 今回は、そちらに何かしらやって頂きましょう、というお話しではありませんわ」


 言いながらグラウは、体積比にしてコジマのそれの数百倍はあろうかという胸元に手を差し込み、封書を一通取り出すと茶卓の真ん中へふわりと乗せた。染み込んでいた華やかな香水の香りがぱぁっと広がり、豆茶の香りを圧倒する。


「招待状ですわ。

 次の第一戦艦部の練習試合の観戦に、お三方をご招待致します」


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