第2話『戦艦を修理しよう!』

「モック・カンプが開催される理由は二つあります。

 『経済』と『政治』です」


 留学生活第一日目の放課後、第一戦艦部の部室で、そもそも『戦艦部』とはなんぞや? という話を、グラウが語って聞かせてくれた時の言葉である。


 ――士官学校生活、二日目。実技教練の時間。

 そもそも、教育としての運動をしたことが無い『大学』ウニテートの留学生達は、まず、走り込みをやらされた。

 身体作りとしての運動は、競技と違い、脳みそをまったく使わない。

 昨日のことをぼんやりと思い出しつつ、身体の方が勝手に動く感覚は、エリオにとって新鮮であった。


「先ずは『経済』。

 百年近く続いた都市国家同士の戦国時代が、先の大戦でようやく終わりを告げたわけで、各くには戦時経済から通常経済へ移行したのですが……」


 「失業者が増えました」と、グラウは端的に言った。

 戦地から復員した兵隊はもとより、銃後で軍事関係の開発をしていた技術者も暇になった。


「もちろん、荒れた国土の再開発はありますが……職能というものがありまして……もちろん、強制も出来ません。また、技術は断絶すると途端に衰退します。

 なので軍を大きく縮小したり、軍関係の開発業務をいきなり減らすわけにもいかないのです」


 『中原』ミットラントの戦国時代は百年近く続いただけあって、全期間戦乱に明け暮れ続けたわけではない。

 休戦、軍縮という過程を踏んだ期間も幾度か有ったが、一時的に失業者が増え、景気が下向き、それが景気向上のための戦争を求める世論を醸し出す、という悪循環さえあったそうだ。


 ――さて、そもそも『大学』ウニテートでは、幼年期を除き義務としての学習という習慣が無い。ノルマとして身体を動かすなど、エリオをはじめとする留学生たちにとっては初めての経験だった。

 しかし、熱い。

 砂漠外周の広大な草原地帯である 『中原』ミットラントは乾期に近いせいもあり、汗はすぐ乾いてしまうが、純粋に陽光が熱い。暑いではなく、熱い。

 ぼぉっとした頭の中にグラウの声が響く。


「次に『政治』。

 統一を成し遂げたとは言え、連邦の名のとおり、各くにの自治に広い裁量権を認めています。これは、今のヴァッサトゥルム王家のキャパシティの問題でもありますし、各くにへの配慮でもあります」


 先の大戦は、領土の取り合いを国是とした帝国主義が、主に人口と技術的スケールの問題で完全に破綻した事を各国首脳部に知らしめた。云うなれば、統一による協調的発展は、戦中にいつの間にか各国共通の願いとなったわけだ。

 そして、その願いをくみ上げる貧乏くじを引かされたのが、戦勝陣営の盟主、ヴァッサトゥルム王家だったとも云える。

 しかし、国家運営をこなした者にしか、その感覚は解らない。

 つまり、「もう一回やれば、勝てるんじゃね?」と思っている人間は各方面の上層部に、決して少なくない数で存在する。

 これは戦勝陣営でも同じで「うまみが少なすぎる。もう一回やって、あいつらからケツの毛までむしったほうがよくね?」という気分が少なからずある。

 それを抑えるための『平和な緊張状態』として『学生に最新鋭艦を与え、競技として戦わせる』モック・カンプが誕生したというわけだった。


「しかし、割とシャレになってない理由だった……」

「え……エリオ……

 ここは……俺に任せて……先に行……け……」

「……なんだよ、ロリス、

 早速こっちの本の影響受けてんのかよ……」


 息も絶え絶えに訳の解らないことを言ってきたのは、同級、同郷の留学生、ロリス・ツェーレンベルクだ。女の子と見間違うばかりの線の細い身体は上気し、潤んだ大きな瞳と相まって変に危なげだが、中身はなんにでもすぐ影響されるただのバカである。

 読書家……と言えば聞こえが良いが、彼が読むのは、理論書や専門書ではなく、とにかく、物語、フィクションだ。

 昨日も暇になった途端、学校の図書館に直行したらしい。『大学』ウニテートでは珍しい、娯楽の専門家を目指す銀盤技術者だ。


「つーか、こっちの本って、紙なんだよな。しかもやたら無駄に着飾らしてあって重いし……なんだよ革張りって。おかげで、今日は既に朝から筋肉痛で……」

『大学』ウニテートにだって、紙の本はあっただろうが! 読書で体力使い果たすって、どんなだよ!?」


 エリオは呆れるが、銀盤技術者の体力などこんなものである。情報の共有に物理的距離の制約を受けない銀盤文化は、引きこもりを助長する。ロリスとて、好奇心に惹かれ研究室を出て海を渡ったのだから、まだマシな方だったりする。


「いや、冗談だ。まだ、どーにか走れるけどな。

 さっきのは、昨日読んだ本のクライマックスの決めセリフなんだわ。

 戦艦ブルガン・グライファで射ち合って王者を決める、『戦射王』って架空の武道があって、しかもそれは女の子の嗜み……」

「まて、その話はヤバい。

 ……てか、それと似たような部活、ホントにあるよ。

 昨日、生徒会長に誘われて見てきた」


 さすがに、その日のうちにその部活の、しかもダメな方に進んで入ったとは言わないエリオだった。理由は無いが、なにか恥ずかしい。


「モック・カンプだろ?

 『戦射王』もそれが元ネタなんだろうな。普通にモック・カンプを題材にした物語もあったんで読んだぞ。割と歴史は浅いらしいな。

 戦後に、しかもわりと強引に競技化されてるみたいだった」

「そりゃあ、なぁ……なんか政治とか経済とか絡んでるらしい。

 昨日、その部の部長に、色々と話、聞かされた。

 こっちの『集積』原則に基づいた政経の話だから、あんまり意味、解んなかったけど」


 それでも、落ち着いて考えれば、戦艦ブルガン・グライファ一隻の建造で、中堅どころの都市国家の年間予算の三分の一近くを食いつぶす。学生の単なる娯楽に許される金額ではない。

 因みにその価格は先の大戦中からある程度下がりつつあって、その理由は人形プーペの実用化による、単純作業の廉価化だったりする。熟練工一人で単純作業をする人形プーペを二~三十体はコントロール出来るという。

 人形プーペによる艦艇グライファの遠隔操縦の話を聞いた時、エリオは、たかだか部活のために結構なモノを開発してるなぁと思っていたが、むしろ、モック・カンプでの乗員用途の方が余技であった。

 ついでに、この省力化により、たかだか部活動中の学生如きが、自チームの最新鋭艦艇グライファを整備出来るわけでもある。


「ところでさ、ロリス」

「あん?」

「あと何周走るんだっけか?」

「え? お前、数えてなかったの?

 俺は昨日読んだ本を、脳内で読み返しながら、適当に皆に合わせてただけだし」

「あー、それそれ、それある。

 ボクも、なんか、勝手に身体が動くのが変に気持ちよくなってきて、ぼーっと別のこと考えてた」

「……成る程、コレが有名なランナーズハイって奴か。身体動かしても出るモンなんだな、脳内麻薬……」

「て云うかさ、ウチの連中……強制運動とか初めてじゃん……」

「……あー、他の連中も……惰性で……」


 因みにエリオもロリスも、後半は意図せず倒れ込みながらの会話である。

 あ……なんか、地面が近い。

 よく解んないけど、トサって……ドサって音が……土煙も……

 彼らは、なんとなく幸せな気分のまま、気付くと空を見上げていた。


 あまりにも運動慣れしていない銀盤士連中に、士官学校の実技教官は頭を抱えたという。

 ――因みに走った距離は一里にも満たない。


**********


「……ったく、準備運動でぶっ倒れた挙げ句、初日から部活休むって、どんだけ虚弱なんだよ、あんたら」


 『大学』ウニテート留学生の宿舎に充てられた学生寮、エリオの部屋のベッドの脇で、赤毛の少女が呆れかえっていた。

 午後の授業、実技教練の時間に揃って脱水症状で倒れた留学生達は、特に治療が必要ということもなかったので、塩と蜂蜜を溶かしたレモン水を多量にのまされた後、寮に戻されている。


「そもそも、ボクら、生まれてこのかた、走った事自体があんまりないからね」


 自慢にもならないことを、力無く横たわりながら何故か得意げに話すエリオであった。

 しかも、これは事実である。走り込みの最初で、足をもつれさせたり、手足の出す順序に悩んで転けた留学生も数人居たほどである。

 しかし、これは、不健康とは直結しない。そもそも、ある程度歳を経た人間は、普通、走る機会も必要も無いのだ。仕事や趣味でもない限り。

 しかし、『市民兵』を擁する軍事国家である連邦では、走る事が仕事のウチである数少ない職――兵隊という特殊な職業を、殆どの国民が体験する。つまり徴兵制が敷かれている。なので、運動という概念も広く広まっている……

 エリオはそういう言い訳を頭の中でこねくり回していたが、流石に口には出さなかった。口に出したら、まず間違いなく殴られそうだったからである。


「しかし、どうしよーかなー……人形プーペの制御系もだが、そもそもフライヤを戦力化しないと、どうしようもないんだよね」

「フライヤ?」

「あ、言ってなかったっけ? ウチの持ちブネ」

「あーあの、謎艦……」

「謎艦言うな。

 装甲巡洋艦パンツァ・クロイツァ『フライヤ』って立派な名前があるの!」

「……装甲巡洋艦パンツァ・クロイツァ!? 今更だけど、大丈夫なの? えっらい古い艦種区分だけど」

「安心しろ。命名した族長の頭が古かっただけだ。

 中身は巡戦ブルガン・クロイツァ規格で出来てる……はず」


 今一語尾が怪しいエーファだったが、ここで突っ込んでも話が進まなそうだったのでエリオは黙ったままでいた。


「……で、そのフライヤなんだけどね。

 昨日言ったとおり、武装全部下ろしてるから……

 下ろした砲とか方位盤とかは返して貰ってるけど」

「設備は学校のを借りれるんだよね?

 難しいところは、本職さんも手伝ってくれるって話だし」


 下ろしてあるなら、積み直せばいい。

 労働量としては大きいが、タスクとしては、そう難しくもなさそうだが、とエリオは怪訝な顔をする。


「いや、だから、一回陸揚げしてるんだって……

 ……て、あーそうか、お前、ただのオタクガイジンだったな……

 実際にグライファ見たのも、昨日が初めてとか」

「そうだけど……」


 エーファは、赤毛をガリガリ掻きながら「めんどくせぇなぁ」と呟く。

 『オタク』とは何か解らないが、あまり良い意味ではなさそうだった。聞いてみようかと思ったが、またしても黙ったままでいるエリオである。彼は和を尊ぶのだ。


「あのな、簡単に言えば、設計しなきゃいかんのよ」

「何を?」

「主砲塔。

 戦艦ブルガン・グライファ巡戦ブルガン・クロイツァの砲ってのは、デカすぎるから、砲塔に後から填めこむわけじゃないんだ。砲鞍に砲を据えてから、装甲で囲う。

 砲が下ろされてるってのは、砲塔を一回バラしてあるって事なんよ」


 成る程! エリオの脳内でようやく事情が明確化した。

 同時に、資料では解らない事――というより、資料を読んでいる自分が無意識に無視してる事って、案外あるモノだと、少し気分が引き締まる。

 流石は現地ミットラントの現場。ゲンババンザイ。


「……因みに、その、バラした砲塔の装甲版は?」

「戦艦主砲塔の装甲版だぞ? 極上、極厚。

 戦時中に流用されまくって、とっくに散りじり。

 ま、代用素材は貰えるんだけど」


 それで、設計からか……

 銀盤文化で育ったエリオは、各オブジェクト自体のコストやバリューはピンと来るが、それらの組み合わせ、摺り合わせは、意識しないと忘れてしまう。

 銀盤を組む上では、どんな巨大なタスクもコールするだけ。銀盤自体が爪の先程のサイズなので、実際の配列も数ミリ、数センチ単位。指先一つで済んでしまう。


「副砲はケースメイトだから、まだ嵌めるだけなんだが……対騎機銃も」

「うーん、でもこの際だから、ついでに砲塔式にしようか?

 ボクが線図ひいてみるよ、オリジナルの設計図とかある?」

「ある事はあるけど……」


 戦艦ブルガン・グライファのエアマニアとして、『大学』ウニテートで手に入るだけの艦艇線図、設計、機械工学に関する事前学習はそれなりにしているエリオである。

 実際の運用面に詳しいっぽいエーファに添削して貰えれば、それほど無謀な話でもないだろう、と思った。というか、戦艦の線図が引けるとか、そんな美味しい話を逃したくなかった。

 一方、エーファは、銀盤『技術者』というエリオの肩書きから、設計自体への不安はさほど無いらしい。微妙な誤解だが、やはりエリオは、それを口には出さなかった。世の中、言わない方が平和なことも有る。


「ある事はあるけど……どのみち、あんたが回復しないと線図室にも行けないし。

 ガイジンさんは、今日はおとなしく寝てな」

「いや、今からここでやる。

 とりあえず、あのフネの設計図を、ありったけ持ってきて貰えると助かるんだけど」

「ここで? ふぅん?

 ……あれか、人外さんお得意の銀盤の魔法ってやつ?」

「まぁ、そんな感じ……って、今、『ガイジン』より酷いこと言わなかった!?」

「気のせい。やっぱ、まだ体調が戻ってないんだ?」


 やるべき事が決まったせいか、エーファもエンジンがかかったようだった。

 ニヤつきながら、ベット脇から立ち上がる。あと、相変わらず口が悪い。


「設計図は、すぐに持ってくる……持ってくるのはあたしじゃないかも知れないけど。あたしはゲンブツ見ながら、再武装について必要な項目を、も一回はっきり洗い出してみるわ。

 ――んじゃね!」


 扉がバタンと元気に閉じられた。


**********


「これはまた……難儀な」

「難儀です……と」


 ベットの周りに浮かんだ半透明の設計図、主だったモノ数十枚を、クルクル回しながら、エリオは唸る。非実体の設計図はエリオの手の動きに従い、寝台の上で起き上がっている彼を中心に、半球状にスルスルと滑る。

 とりあえず、持ち込まれたフライヤの設計図数百枚を銀盤器でスキャンし、トーアの向こうにまとめて放り込んだ。こうしておけば、実世界の物理法則に支配されないトーアの向こうの空間で、編集や複製、やり直しのし放題になる。

 エリオの周りに飛び交っている設計図が半透明なのは、向こうの世界から投影された虚像だからだ。

 ――それは、いい。それは良いが、しかし……


「どうやって使うんだ、こんなモン」

「使えない……と」


 そう、装甲巡洋艦パンツァ・クロイツァフライヤは、ある意味、実にタイトな設計だった。

 まず、グライファの土台となる主船体と履帯すいしんき。この配置が変だ。

 通常の大型艦は安定性向上と被弾面積の拡大を嫌って、低く、広く構える。具体的に言うと平たい船体の両側に履帯すいしんきを配する。

 ところがフライヤは、船体の中央、首尾線上に履帯すいしんきを置き、それに主船体が跨がるように被さる『サドル式』という世にも珍しい配置なのだ。

 安定性よりも戦術機動力を重視した配置で駆逐艦ツェアシュテーラなどの小型艦では偶に見られる形式ではある……あるのだが。


「何故、戦艦ブルガン・グライファにコレを使う……」

「使っちゃダメ……と」


 砲戦型巡航艦以上の大型艦に求められるのは、大型砲の運用に耐えられる安定性であり、サドル式配置はまるで適さない。そもそもバランスを崩しやすいようにすることで機動性を得ているからだ。

 しかも、船体のど真ん中に上下からかち合うように履帯すいしんきと主砲塔、缶室がある。これで船体は上下に伸び、重心が上がってますますバランスは悪くなり、ついでに被弾面積も増える。まぁ、こういう配置であるから横幅がさほど大きくならないのがせめてもの救いだが。

 駆逐艦ツェアシュテーラでのサドル配置の採用が問題にならないのは、通常、五インチ以下であるその主砲が十分小さく、甲板の上に乗っかっているだけで砲塔形式ではないからだ。

 もっと言えば履帯すいしんきが単列であるため、ドライブシャフトがかなり短い。猛烈なトルクで回転するドライブシャフトはジャイロ効果により、安定性に寄与するが、当然、長いほど効果が上がる。


「これ、横に斉射したら、転けるぞ、多分」

「転けますよ……と」

「転けるね、絶対。

 だって、この船体なのに主砲が十六インチなんだもん」


 加えて、満載重量三万トンにも満たない、中型のサドル式配置船体。

 なんとこれに、現代の最新鋭艦の標準とも言える、四十五口径十六インチ砲を積んでいるのだ。

 しかも……たったの四門。

 内訳は艦首方向のA砲塔アントン 連装、同背負い式のB砲塔ベルタ 単装、艦尾方向のC砲塔ツェーザー 単装。

 何をどう考えてこの配置にしたのか。恐らく、設計者は砲術の素人で、とにかく破壊力の大きい砲を積みたかったのだろう。命中率とか考えもせずに。

 結果が重量制限によるたった四門。しかも、前方火力を重視したいが、後方に向ける砲も無いと不安と言わんばかりの中途半端な三・一配置。


「こりゃ、砲塔残ってなくて、却ってラッキーだったかもなぁ」

「却ってラッキー……と」

「あのさ、どうでも良いボクの独り言まで記録しなくて良いから」

「いえ、書記兼会計ですから」


 エリオは、先程から無表情な声で復唱しつつ、律儀にメモを取っている傍らの少女をウンザリとしたように眺めた。

 エーファが埠頭でフライヤの現物チェックに忙しいので、代わりに設計図を持ってきた、第二戦艦部の自称『書記兼会計』。

 コジマと名乗っていたが、姓か名か悩むところである。艶やかで真っ黒な黒髪を短く揃え、同じく黒く太いセルロイドの眼鏡をかけた、小柄でスリムな……と言えば聞こえが良いが、要は凹凸の少ないお子様体形フラッシュデッカーで、ついでに鉄面皮である。

 たった二人しか居ない(現在はエリオも入れて三人だが)部で、内訳が『部長』と『書記兼会計』って……今まで何やってたんだろうなぁ、とエリオはぼんやり考える。


「コジマはお船に詳しくないので、せめて部の運営のお役に立ちたいと会計と記録に頑張ってきました」

「あ……なんか、すいません」


 心を読むのは止めて欲しい、そう思うエリオである。


「読んでませんよ。コジマは人の表情を読む術に長けているだけです」

「読んでるだろ! やっぱ!」

「何を仰いますやら。

 コジマはジンガイさんみたいな魔法使いじゃありませんよ?」

「人外を、ボクのあだ名にしないで欲しい!」

「何騒いでんのさ?」


 いつの間にか開いていたドアの隙間から、エーファが呆れたように顔を出していた。


**********


「それで、第二の方はどんな具合ですの?」


 グラウは、香茶のカップをまず鼻先まで持ち上げると、その香りを存分に楽しんだ。


「例の留学生の部屋で再整備に必要な設計作業を始めようとしています」

「あら、昨日の今日で随分速いこと?」


 第一戦艦部の旗艦、『プリンツェッセン・モーリッツ』の司令部会議室である。

 無愛想な鉄地剥き出しに、送風や送電、水管などがゴチャゴチャと這い回る天井とは対照的に、重厚なオーク材のテーブルには真っ白なテーブルクロスが張られ、ティーセットが並ぶ。

 「ところが」と当番副官の二号生徒が、言葉を続ける。軍ほど規律に煩くない学生の部活なので、彼も同じテーブルに着き、香茶の相伴に預かっている。


「相手があのフネですから、さしもの銀盤士も頭を抱えているようで」

「あら、盗み聞きでもしましたの? ダメですよ、学生といえど、気品と節度は守りませんと」

「いえ……エリオ四号生徒の嘆き声が、校庭からも聞こえましたので」

「まぁ、うふふふ」


 グラウは楽しそうに笑った。


「……あの、部長?」

「なんですの?」

「よろしかったのですか?」

「なにがですの?」

「エリオ四号生徒ですよ! 『艦艇』グライファに興味を持つ貴重な銀盤士です! それを第二なんかに渡してしまって……」

「わたくしはね……」


 「期待しておりますの」と、今までティーカップに落としていた視線を、グラウはすうと上げた。その意外な鋭さに副官は身じろぐ。


「エーファと素人のコジマ、たった二人では、流石にどうしようもなかった。

 でも、銀盤士のエリオ様はジョーカーです。

 あの組み合わせは『有り』ですわ」


 グラウは、音を立てずにティーカップをソーサーに下ろす。


「わたくしは、期待しておりますの。

 あのフネとあの三人、その取り合わせに」


 と、グラウは一転してひまわりのような笑顔を浮かべた。


「ただ、期限はあとひと月。間に合いますかしら?」


**********


「あのさ、悪いニュースとバッドニュースのどっちを聞きたい?」


 弱冠疲れた顔でエリオの部屋に入って来たエーファは、まず当然のように、サイドボードに乗せてあった水差しから、エリオのレモン水を直にゴクゴク飲んだ。


「……良いニュースが聞きたいな、ボクは」

「コジマが今日も相変わらず可愛い、とか、いかがですか?」

「わりと図々しいな! 君!」


 わざとらしくキョトンと首をかしげたコジマは小鳥か人形のようで、それを一瞬、ホントに可愛いと思ってしまったエリオである。悔しい。

 彼はなんかもう色々面倒くさくなって、寝台に身体を乱暴に投げだした。


「コジマ、ガイジンさんをあんま、からかってやるな。

 文化が違うんだから」

「はぁ。コジマは俊秀ですが、ジンガイのセンスは未習得ですね」

「で、悪いニュースって、なに?」


 もう突っ込まないぞと、エリオは無視して先を促す。

 ああ、と、赤毛を乱暴にガリガリ掻きながら――彼女の癖らしい――エーファが手元の手書きメモに目を落とす。


「……まず、浮揚器がダメ。あと、兵装下ろしたときに、ついでに外されてたバルジが見つからない」

「浮揚器? アレって、言うなれば石の塊だろ?

 ほっといたら壊れるモノなの?」


 浮揚器とは、『中原』ミットラント中央部の砂漠地帯にそびえる岩山、いや、正確に言えば『浮いている』巨大岩塊から切り出された石塊の事である。

 その巨大岩塊自体は、『妖精の煙突』カミンフォンフィーと言われる天然石塔群の上に、ちょうど『座礁した』形で留まっているが、そこから切り出された石は『宙に浮く』。

 原理は不明ながら、自質量の三百%ほどの決まった浮力を半永久的に発するこの物質は、戦艦ブルガン・グライファがそう呼ばれる前――人力や獣力で牽引される攻城兵器の台車であった頃――から、推進機の接地圧軽減、要は車輪や履帯が地面にめり込んで動きがとれなくなるのを防ぐ為に使われてきた。

 これがなければ、そもそも数万トンに及ぶ鉄の塊が大地を駆けることは不可能であり、地味ながら艦艇グライファというシステムの存在に欠かせない要素である。


「ああ……言い方が悪かったね。浮揚器自体は問題無い。

 ただ、注排水システムの配管が腐ってる。張り替えないと。ポンプもダメ」

「配管かぁ……細かい水管って言ったら、缶の方は?」

「缶はモスポール時にグリコール水を満たされてたから問題無い。

 ただ、浮揚器の注排水区画は忘れられてたみたいだな。」


 左右舷のバランスを取りつつ最大の浮力を発生させる為には、浮揚器を船体の外舷に配するのが最も理想的である。

 しかし、船体の外側と言うことは、同時に、被弾で破損する可能性が高い。

 そのため、浮揚器は細かく区切られた水密区画に収められ、破損した場合には、反対舷の水密区画に注水し、バランスを取る。これも原理的には不明だが、浮揚器は水没するとその浮力を失うのだ。

 ただし、これは自重が増すことでもあるので、なるべく浮揚器が破壊されないに越したことはない。なので、通常、浮揚器の水密区画は舷側装甲と防御甲板の間に設けられており、ついでに間隙装甲としての機能も期待されている。


「……で、バルジ……ってのは『三胴船体』トリマランの揺動船体みたいな奴?」

「いや、あんな良いもんじゃない。主船体との間にサスペンションも、自前の動力輪もない、ただの補助輪みたいなモン」

「あー、あのフネ、転けやすそうと思ってたら、そんなモノまで付けてたのか……」


 エリオは溜息をついた。どうにも厄介なフネである。


「こっちもなぁ……

 ……主砲をさ」

「ん、なに?」

「主砲四門を、ついでだから全部前方に集中しようと思うんだ。

 連装二基にして。命中率が格段に上がる」

「後方射界がないと、ちょい不安ね」

「先の大戦の記録を見ると、後方に主砲がなくて困った例は一つもないんだ。射程と機動力の増大によるモノだろうけど」

「ふぅん……」

「ところが、艦首側のA砲塔アントン とB砲塔ベルタのバーベット径が違うんだよ! B砲塔ベルタのバーベットに連装砲塔乗らないの!

 一緒で良いじゃん! なんで、そんなどーでも良い処に凝るんだよ……」

「少しでも軽くしたかったのではないかと、コジマは愚考します」

「意味無いんだよなぁ……どっちみちシダテルの形は変わんないんだし。」


 シダテルとは艦内の重要区画を囲う、鉄箱のような二次装甲のことである。

 「少し、問題を整理しよう」と、エーファが手元のメモに、何やらガリガリと描き込み始めた。


「先ずは工数の増大。

 砲塔の製作に加えて、水密区画の再整備が必要になった」 


 ふんふん、と少し冷静になったエリオと相変わらず無表情なコジマが頷く。


「次に、改装の落とし処の問題。

 旧主砲配置は問題……なんだよね?

 だから、前方に主砲を全て集中したい、だが、基本構造がそれを許さない」

 あと、バルジがないので転覆の不安がある……と」

「それで間違いないと思うよ」

「このうち、バルジについてはどうにかなる」

「というと?」


 尋ねるエリオに、何故かコジマが自慢げに薄い胸を反らす。


「エーファお姉さまの操艦技術なら、そんなモノは要りません。

 凄かったですよ。去年の大会でのお姉さまの無双!」


 若干興奮気味の声で、何故かコジマが自慢げに真っ平らな胸を張る。ちなみに、顔は無表情のままだ。「コジマ……」とエーファは若干照れたように慌てる。


「そうなの?」

「まぁ、なんとかなると思う。

 あたしがあのフネの素性を知ってるって言ったのは、機動力についてだし。

 あたしが……というか、あたしの氏族タオゼの人間が操れば、駆逐艦並みに動かせると思う」

「へぇ……」


 この時、エリオの頭に一つの考えが浮かんだ。かなり非常識だが、なんとかいけそうだ。


**********


「こうきましたか」


 グラウは、呆れたような、しかし、楽しげな表情で、第二戦艦部の桟橋に横付けされたスリムな艦体を見上げた。

 エリオの部屋でフライヤの改装について話し合われて半月後、装甲巡洋艦パンツァ・クロイツァフライヤは、様変わりしていた。

 エーファから聞いた第一戦艦部との約束を聞いたエリオは、突貫で線図をまとめ上げ、工事自体は学校を通じて本職の王立造兵工廠に丸投げした。流石に工法習熟をしつつエリオたち三人がこなせる量と期間ではなかったからだ。膨らんだ工費については、グラウの好意で、一旦学校持ちと言うことになっている。

 その甲斐あって、真新しい塗料の臭いを放つフライヤは、新造艦さながらにピカピカだ。

 ――しかし、その艦容の異様さは、以前より増していた。


「素材の並外れた機動力がコンセプトの軸になりました。

 この艦は公算射撃ではなく、初弾必中の『狙撃』を目指します」


 公算射撃とは確率論での射撃法である。この範囲にこれだけの砲弾を落とせば、いつかは一~二発は命中するだろう、という射撃法だ。

 対してフライヤは、その機動力で水平射撃の行える至近距離まで突撃し、必中の一撃を放つ事を目的としている――まるで駆逐艦ツェアシュテーラの様な運用を想定する艦へ改装されていた。


「遠距離砲戦は捨てているため、前檣マストは低く、また、そこに搭載されていた機材や艦橋も、司令塔を中心に再構成し、ある程度装甲化た上構に移設しています」


 高い三脚鐘がそびえ立っていたフライヤの中央部は、重装甲の司令塔を盾にするように作られたすっきりした箱型の上構に換えられ、ファイティングトップすら撤去されたシンプルな単檣が申し訳程度に添えられている。

 間延びした以前とは違い、低く構えたその艦容は、獲物に襲いかかる寸前の猛獣のような凶暴な雰囲気を放つ。


「注排水区画の配管を作り直す必要があったのが、逆に幸いしました。サドル配置式の船体と併せ、被弾時の傾斜復元だけでなく、運動時にも注排水を行い故意に左右のバランスを崩します。

 エーファの操艦能力ならば使いこなせると判断しました。

 これで二万トン級の大型艦としては信じられないほどの旋回能力を手に入れています」


 ついでに遠距離砲戦用の機材を撤去した等の各所の軽量化により、パワーウェイトレシオが向上した為、加速能力も向上している。

 グラウはエーファにちらりと目をやる。エーファは若干のドヤ顔で返す。横のコジマは相変わらず無表情だが、意味ありげな視線をグラウに向けていた。


「斯様な運用を想定したため、主砲の旋回能力があまり必要なくなりました。バーベット径の小さいB砲塔ベルタにも連装砲塔を積めたのはそのためです。

 かなり構造を簡易化した砲塔とは呼べないモノを敢えて積んでいます」


 フライヤの前部主砲群は、シンプルで、だからこそ頑丈そうな菱形の連装砲塔二基に変わっていた。一砲塔あたり二門の主砲は、まるで一本の砲身のようにくっつけて配されている。そして、艦砲にしては珍しい事に、通常より大きな砲眼を覆うように分厚い防盾がその二門に跨がって装着されていた。


「公算射撃――交互射撃による観測射は必要ないので別個に動かす必要は無く、結果、砲身は二門ひと組で同じ砲鞍に乗せています。

 また、この砲鞍は特別製で、上下だけではなく、ある程度左右にも動かせます。照準の高速化を狙ってのことです。その代わり、砲塔自体は旋回できません」

「真正面以外は撃つ気が無い、と言うことですか……」

「そもそも、このフネ、真横に向けて斉射したら、間違いなく転覆しますしね」


 グラウ以外の第一戦艦部の部員は、あんぐりと口を開けている。


「『ボクの考えた最強の戦艦』ですわね。

 第一戦艦部で提案したら、その人の正気が疑われる事でしょう」

「……ボクは、『中原』《ミットラント》の人間じゃないですから……これが、無茶苦茶な事はなんとなく認めますが……」

「あら、エリオ様、わたくしは褒めていますのよ?

 第一では、こんな思い切ったコンセプトのフネは作れませんわ」


 耐えかねたように、とうとうグラウはコロコロと笑い転げる。


「面白い、本当に面白い! 面白いですわ!

 ……さてと」


「エーファさん」と、グラウは真顔に戻り、エーファに向き直る。

 エーファも剣呑な視線で応じる。


「これでお約束の半分、と言う処ですわね?

 半月後の練習試合、このフネで見事勝利をおさめてご覧下さいまし。

 以前からのお約束通り、それで、正式に第二戦艦部の創設を正式に認可致しましょう」


**********


「どうにかなったなぁ……」


 グラウの視察を終えたエリオは、ふうっとへたり込んだ。

 どうにか第一関門を突破できた、そのささやかなお祝いとして、演習港近くの街カフェでケーキを囲んでいる第二戦艦部の三人である。


「しかし、練習試合で勝利して、初めて認可される部だったなんて……ていうか、まだちゃんとした部じゃなかったなんて……」

「しかも、ひと月以内に、廃船同様のフネを整備して練習試合に勝てとか、無理難題も良い処なのです、とコジマは改めて憤慨します」


 アイスティーをちゅーちゅーやっているコジマだが、相変わらずの無表情、というより仏頂面に見える。


「コジマもよくやってくれた、ボク一人じゃ線図、間に合わなかったよ」


 書記兼会計と言うだけあって、コジマの計算能力は群を抜いていた。彼女愛用のティーガーの手回し計算機のシャーシャーカチャカチャ云う音は、徹夜続きの製図作業の中でたいそう心強く響いたものだ。

 しかも彼女は工廠との折衝に抜群の伝達、交渉能力を発揮し、こちらの現場に全くの素人なエリオは、おかげで設計に集中できた。


「しかし、グラウさんは機嫌良さそうだったな。

 中間試験はパスって事かな?」

「あの女が機嫌良いってのはねぇ……」


 生クリームの山を掘り進みつつ、エーファが嫌そうにボソッと呟く。


「あれ? エーファはグラウさんの事、嫌ってはなかったと思ってたんだけど……」

「嫌ってはない……ていうか、お前、部長は呼び捨てて、グラウは『さん』付けとか良い度胸ね」


 エーファに反応して、コジマがそっと影のように動き「当ててんのよ」と意味不明な言葉を呟きながら、エリオの首筋にフォークを当てていた。


「……いや、ぶ、部長殿……あの、グラウさんが機嫌良いとどうだっての?」

「あの女は、良い人だが、同時にドSだ。

 ……なんせ『首切り姫』フロイライン・アクストの娘だから」


 エリオはイチゴをコジマと取り合いながら(もちろん、エリオのケーキの、だ)、呑気に返す。


「またまたぁ……って、『首切り姫』フロイライン・アクストの……娘?

 え? フュリアス女王が『首切り姫』フロイライン・アクスト? え? 

 あのほわほわした優しそうな人が? またまたぁ……」

「ホントだってば。公式記録には載ってないだろうけどね」


「ま、それは置いといて」とエーファは、視線をケーキから上げる。


「グラウが機嫌良かったのは、彼女の中であたしたちが『手加減なしに遊べるオモチャ』に格上げされたから。

 ……覚悟しといた方が良いと思うよ」


 今一実感は湧かないモノの、エーファのマジさ加減に、なんとなくエリオも納得した。

 はぁ、と見上げた空には、港の端に泊められたフライヤの前檣の端っこが辛うじて引っかかっている。

 

「なんにせよ、フライヤが組み上がったから、次は公試と慣熟訓練だ。それでやっと試合に出れる」

「まだまだ、前途多難ってわけか」


 と、エリオはまた溜息をついた。

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