放課後バトルシップ

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第1話『中原に着いた』

 広大な平原の彼方に日が沈もうとしていた。 

 赤く低い陽の光の中で、その影は黒々と美しい曲線を際立たせている。

 意外と華奢な端から複雑な曲率は徐々に広がり、中央部近くでしっかりとした質量を放つ柔らかな丸みへ繋がる。

 その突端は、慎ましいながらツンと尖り空を見上げ、そこから一旦キュッと絞られたラインはすぅとまろやかに広がり、滑らかな膨らみを維持したまま健やかに伸び、軽い逆スラントをもって終焉を迎える。


「……綺麗なフネ」


 エリオは、素直にそう思った。

 ――そして、その上甲板に立つ彼女。

 肩口で揃えられた赤毛は、赤みの増した落日の光に溶け込みながら、風に軽く舞っているが、すらりとした肢体はぴくりともしない。

 ただただ、そっと手を添えた前檣を見上げている。

 先に遭った時のふてぶてしさ、客気は嘘の様に消え去り、そのままフネに溶け込んで消えてしまいそうな儚さ……いや、危うさのみが感じられた。


「そのフネは……何なの?」


 誰も居ないはずの場所で、思わず発された、答えが有るような無いようなエリオの問いに、しかし、彼女は、訝しがりも怒りもせず、さらりと応える。


「あたしは……このフネを、ちゃんと、戦わせたい」


 それは、エリオの問いへの答えではなかった。あるいはエリオの事などまるで気付かずに口にした、偶然の独り言だったのかも知れない。


 しかし、その言葉は不思議とエリオの腑にするりと落ちた。

 そして、多分、――その時、彼の心は決まった。


**********


 煉瓦造りの城壁は、左右どちらにも、見渡す限りに広がっていた。

 その端は遙かに霞み、エリオの視界から消えている。

 高さはさほど高くない。火砲の時代に入り、衝撃吸収型の斜堤堡塁に改造されたのだろう。それでも優に彼の身長に倍する。


「……」


 エリオは言葉を失っていた。

 もちろん、銀盤技術を持たぬ『向こう側』アンダレンが人海――労力の集約で、ある意味、力任せに、自分たちと変わらぬレベルの文明社会を築いていることは、知識としては知っていた。なにせ彼は国費交換留学生なのだから。

 しかし、人間は、単純に巨大なモノに、理屈抜きで感銘を受けてしまうものらしい…… 流石に連邦国都だけあって綺麗に普請されてはいるが、その広大な壁面にはいくつもの補修跡が見受けられる。

 恐らく、というか、間違いなく巨大な砲弾――彼の感覚から言えば荒々しく非合理的な方法、化学反応により放り投げられた鉄塊――に依るものだろう。

 なにせ、この国は、ついこの間まで、都市国家同士が激しく覇を争っていたのだ。連邦国家として統一されて、十数年である。

 しかし……なんて回りくどい。

 何かを破壊したいなら、相応の出力をもつトーア銀盤タングラムを使って「壊れろ」と命令してやれば済む事なのに。

 エリオはそう思いつつ、その回りくどさ、その面倒さを、馬鹿正直に正確に綿密に丁寧に実行した、この『中原』ミットラントの人間の根性に身震いする。

 他に方法が無いと思い込んだら、人間、ここまでやってしまうモノなのだ。

 その結果が、都市を丸ごとぐるりと囲ってしまったという、馬鹿馬鹿しいまでに巨大なこの城壁なのだ。


『中原』ミットラントだ……本当に……

 来たんだ……

 『中原』ミットラントに来たんだ……!!」


 人間、感極まると、案外、何も考えられなくなるものらしい。

 エリオは馬鹿みたいに同じ言葉を口の端から垂れ流す。

 なにせ彼は、この、荒々しい、力任せ、巨大な、海向こうの文明に魅せられて、国費留学生の決して多くはない枠の一つを勝ち取ったのだから。


『大学』ウニテート留学生の皆様、お待たせしました。

 こちらのお車に……」


 エリオ達を引率してきた、連邦の役人が、大型の車に誘おうと声をかける。もちろんその車は銀盤仕掛けではなく、内燃機関が低く太く唸っている。

 特徴的な角帽と黒いローブに身を包んだエリオを含む十数人の留学生が、あちらこちらに興奮気味の視線を向けたまま、もそもそと集まってきた。と――


 ボォオォオオオオ――


 その役人の声をかき消すように、低く唸るような巨大な笛の音が被さる。

 汽笛、と呼ばれるものだ。

 言葉を遮られた役人は、若干忌々しそうな顔で、その音源にチラと目線を向けただけだったが、エリオをはじめとした『大学』ウニテートの留学生は度肝を抜かれたように、身体ごとそちらを向いた。


 決して、近くはない。

 おおよそ一里は離れた港から、巨大な灰色の塊がゆるゆると抜け出そうとしている。

 それは、平たい手桶の上に、巨大な尖塔をを一つ二つそびえさせ、その前後に鋼鉄の塊を削り出したような鉄箱を数個列べている。

 しかし――でかい。

 ともすれば港への距離を勘違いしそうになるほど、それは、圧倒的な存在感と、濛々たる土煙を辺りに振りまいていた。

 つや消しの鼠色に塗られているはずなのに、そのエッジは陽光を受けて眩しいまでに煌めき、尖塔に張り巡らされた足場の一つ一つまで、そこで忙しげに動き回る人間達でさえすぐそこにあるように感じるが、その姿は延々と続く城壁に断ち切られており、つまりはその向こう側にある。


 ――戦艦ブルガン・グライファ


 それは、分厚い装甲に鎧われ、無数の砲を持ち、巨大な履帯で大地を駆ける、『中原』ミットラントの戦乱の主役にして最強の機動兵器だった。


 そして――


「ボクは、あれを見に来た……!」


 エリオは昂ぶりに真っ赤なままながら、先程までの呆けたそれとは違う、強い意志を顔中に浮かべ、その巨体を見詰め続けた。


**********


 『中原』ミットラント『大学』ウニテートは大海に隔てられた二つの大陸で、それぞれまったく違う文化、文明を積み上げてきた。

 二つの大陸の間の海には巨大で獰猛な海獣が棲み、また、気象的にも不安定なため、その交流はほぼ断絶されていた。

 もちろん、遭難者、逃亡者などが運良く流れ着くことは希にあり、お互い、海の向こうに同じくらいの文明がある事は解っていたが、『中原』ミットラントは百年近く、数多の都市国家が覇を競っていたし、『大学』ウニテートはそもそも国家、集権という概念が薄く、力を持つ者は引きこもりの銀盤研究者ばかりであったため、海向こうと交流をもとうという機運がまったく盛り上がらなかったのだ。


 変化が起きたのは、ほんの十数年ほど前だ。

 『中原』ミットラントでの長き戦乱が二人の女傑により終わりを告げ、都市国家群はひとまず連邦という名の下に一つにまとまり、平和な世の中になった。

 ここで初めて、 『中原』ミットラントは、航路開拓を兼ねた使節団を北の諸島経由で『向こうの』大陸に送り出し、『大学』ウニテートと公式に接触した。

 内乱直後であり、未だ帝国主義的な気風を色濃く残す連邦が、征服を目的とした遠征軍でなく交流使節団を派遣したのは、ひとえに、もう戦争を行うだけの金が無かったこと、そして、むしろ『大学』ウニテートに対する怯えがあった――戦中、『大学』ウニテートからの漂着者が伝えたいくつかの銀盤技術は、その異質さから超絶的な秘密兵器として使われ、それは戦乱の終結にある程度貢献していた――からだと言われている。

 そして、使節団の語る『中原』ミットラントの文化、風俗に「面白い」と喰い付く若者がある程度居たのも、学者肌な国民性をもつ『大学』ウニテートでは、また、自然なことだった。


「ボクは、『中原』ミットラントの『集積』に惹かれました。

 知識や技術を高めるために、大勢の人間が集まり……集まれるようにするため、巨大な建物や市場、学校、街を作り、そしてそれらがまた、より巨大なものを作る

 ……この繰り返しに、目がくらみます。ここで現物を眼にすると、より一層」


 こうして、数年にわたる外交ルートと安全な航路の構築作業の結果、『大学』ウニテートの第一次交換留学生の一人として選ばれたエリオは、留学生の歓迎レセプションの行われている、ここ、国都王城の迎賓の間で柑橘系の香りのするカクテルを片手に興奮を隠しきれないでいる。

 見渡す限り精緻な彫刻で飾られ、巨大なガラスを幾重にも連ねた重たげな照明が幾つもぶら下がったこの石造りの大広間自体でさえ、今現在、エリオの興奮を加速し続けている。


「うふふ、わたくしどもには当たり前すぎて、ピンときませんですわ。

 まぁ、これから数年、ここで暮らすのですから、お好きなだけご覧下さいまし」


 「わたくしも『大学』ウニテートの文化についてまだまだピンと来なくて」と、薄緑の瞳にキラキラと強い意志を煌めかせているのは、グロリアス・タルミ・ホーホという、豪奢な金髪の少女だ。

 上背は高く、すらりとしながらもどこか骨太で、軍服に準じた礼服の胸は凶悪に盛り上がっている。立ち居振る舞いは自信と覇気に満ちあふれ、力強い美を全開で解き放つ。エリオが当分学舎とする、国都立士官学校の生徒会長だ。


 「グロリアス、と言う名前は世襲ですが、あまり気に入ってませんの。短くグラウ、とお呼び下さいまし。」と、レセプションの始まりで気さくに笑いかけてきたのだった。

 母親は『中原』ミットラントに覇を称えた女傑の片割れにして、連邦の盟主たるヴァッサトゥルム候フュリアス女王その人で、つまりは、お姫様と言うことになるのだろうか?

 エリオは、当初、流石この母親にしてこの娘ありと思っていたのだが、先ほど拝謁賜った女王様は、年齢不詳のふわふわポワポワした嫋やかで優しげな人で、この遺伝子はどこから来たのだろうと軽く頭を抱えたくなった。


「……そういえば、エリオ様は、戦艦ブルガン・グライファについて学びたいとのことでしたわね?」

「あ、はい!

 戦艦ブルガン・グライファは、この国の『集積』の象徴と思います。

 わざわざ巨大な砲を巨大な台車に積み、それを巨大な動力機械で力任せに動かす。

 ……そこで使われている技術の積み重ねと、摺り合わせを考えると――底の見えない崖下をのぞき込んだ気分になります。」

「あら……なるほど。」


 ふふっ、と薄く笑った後、グラウは、その眼力の強い瞳を思案ありげに眇める。


「それならば、ぴったりの部活がありますわ!」

「部活?」


 馴染みの無い言葉に、エリオは、道中で読んだ士官学校の手引きを脳内でめくり直す。 『部活動』――たしか、課外でスポーツや文化活動などを自主的に行う――で良かったはず。


「銀盤技術は、先の大戦中から、『艦艇』グライファの艤装として様々な使い道を模索されています。

 しかし、なにぶん、これまでは偶然漂着した方々の雑多な技術の継ぎ接ぎですので、有効とは言えず……エリオ様が『艦艇』グライファに興味を持たれるなら、こちらとしても願ったり叶ったりですわ。」


 グラウは悪戯っぽく笑う。


「明日の放課後、第二グラウンドの演習用の港にお越し下さいまし」


**********


 レセプションの翌日は、これから始まる学校生活について諸々の手続やガイダンスだけに終わり、エリオ達、『大学』ウニテートの留学生は早めに暇になった。

 勝手のわからない土地ではあるし、何より意味深に『ぴったり』と言われたのだ。エリオは寄り道もせず、素直に広大なグラウンドの隅にある港湾施設に向かった。

 因みに、操艦演習にも使われるらしいグラウンドは、本当にシャレにならないほど広く、校舎から港までは軽便鉄道で移動した。そしてもちろん、その原始的な蒸気レシプロ機関にもエリオは大いに萌えた。


「練習艦……にしては数が多いような……」


 港には巨大な戦艦ブルガン・グライファをはじめとして巡航艦クロイツァ騎兵母艦トレガァ駆逐艦ツェアシュテーラ、など、数個の任務群を組めるだけの艦艇グライファがたむろしていた。

 煙突から立ち上る薄い煙が、何条もすうと青空へと吸い込まれている。殆どの艦か缶を焚いている――実働待機をしているようだ。

 そして、それらは一様に真新しい。

 通常、学生の演習に使われるのは、艦歴を経て後進に現役を譲った艦であるのが普通である。『大学』ウニテートの人間とはいえ、留学生になる前から、艦艇グライファについての資料を読み漁っていたエリオは、その程度の事は知っていた。

 だが、エリオの目の前で、飛びかかるネコさながらに静かに力を蓄えながら横たわっている艨艟たちは、明らかに、質、量ともに、学生の操艦演習に使われるものではない。


「グラウさんは……?」


 エリオは港をきょろきょろと見回してみるが、艤装品の製造や整備を行うのか、見上げるほどの巨大な倉庫が連なっている通りにも、小型艦が目刺しで係留されている桟橋にも誰も居ない。

 早く来すぎたか? 今日はまともな授業も無かったが、エリオを始めとして異国の留学生を十人ほど受け入れるのだ。生徒会長としては色々やる事があるのかも知れない。


「……仕方ないよね。これは、見物させて貰っても良いよね?」


 誰にともなく尋ねるエリオのその足は、既に桟橋に向かっている。

 なにせ、『艦艇』グライファの実物をこんな近くで見るのは初めてなのだ。ネコまっしぐら状態である。ヨダレを垂らさないだけ自制しているとも言えよう。


「なんてデカい……ヘタをすると校舎よりでかい

 写真で見るのとは随分違うなぁ、うん。のっぺりしてると思ってた艦腹にも、ジャッキステイやスカッパーや電路が細かく張り付いてて……」


 ヨダレの代わりに、うわずり気味の独り言が、ダラダラとその口から垂れ流されているわけだが。


「……この外板の凹みが、俗に言う痩馬って奴か。コレばっかりは実物を近くで見ないと解らないなぁ。それにしても檣楼や上構のあちこちに、ちゃんと人間用の手すりやラッタルが張り巡らされてて……当たり前か、人間が乗るんだものな……ああ、窓ガラスにも一枚一枚サッシや……ワイパー?付いてるんだなぁ、電灯にも一つ一つ電路が繋がってて……当たり前か。それにしても、よく解らないパイプや電路が結構剥き出しであちこちに付いてるな……檣楼や上構も装甲されてない部分が結構多いし。これ、戦闘中は大丈夫なんだろうか? 戦う度に、壊れたあれやこれやを付け直すのかな? 気が遠くなりそうだ……砲眼と砲身の間って、結構隙間があるな……というより直接照準器用の窓かな?砲塔の前盾って、結構でかい穴が沢山空いてるモノなんだな……」


 今まで何年もの間、興味の対象に間接的にしか触れられなかったエアマニアが、初めてその実物を目の当たりにしたのである。端から見て多少気持ち悪いのは仕方がない。


「うるさい。黙れ」


 と、ブツブツ呟きながら桟橋を渡り歩いていたエリオの背後から、不機嫌そうな声が聞こえた。

 我に返ったエリオが辺りを見回すと、既にそこは港の端だった。

 軽便鉄道の駅があった中央部に比べると、倉庫も少なく閑散としている。心なしかその倉庫自体も補修跡が目立つ。

 奥の、並びから外れた桟橋には細身で薄汚れたフネが係留されている。

 かなり変わった艦容で、そこから新旧を推し量ることが出来ないほどだった。

 しかし、外板や艤装のくたびれ具合から見ると、間違いなく先の大戦中に就役したロートル艦だろう。もしかしたら、賠償艦としてやりとりされた艦かも知れない。砲塔を始めとした武装は全て下ろされていて履帯すいしんきのサスペンションが伸びきっており、舷側が高い。

 どうにもうらびれた姿だが、その細く優美な曲線を描く艦体に、エリオは、なんとはなしに惹かれるものがあった。


 その桟橋の根元、恐らくは恒常的に張られていて雨風に薄汚れたテントの下の、電気装置の塊の中に填まり込むように、一人の少女がいた。

 燃えるような赤毛を肩口でばっさり揃え、恐らくは学校指定の作業着なのだろう、ぶっきらぼうな口調に似合ったヨレヨレのツナギを身につけている。

 ぶかぶかのツナギの下は細く引き締まっているようだが、しゃがみ込んで内側から張り詰めた尻は意外と綺麗な曲線を描いていた。

 なにに使うのか解らないが、その傍らには等身大の木製人形ひとがたが乱雑に積んである。顔などはのっぺらぼうだが、各関節は細かく可動式になっているらしく、それが力無く横たわっている姿は人間の死体の様で、若干気味が悪い。


「こちとら、ひと月後の練習試合に向けて、吶喊作業中なの。邪魔すんな」

「試合?」


 機械の隙間で、なにやら付けたり外したり測ったりしている少女は、面倒くさそうに、ようやくエリオに目を向けた。


「……あんた、その格好、銀盤士?」


 銀盤士とは、『中原』ミットラントにおける『大学』ウニテートの人間の俗称であり、銀盤をある程度整備、開発出来る事を期待されている。この国に流れてきた『大学』ウニテートの人間は、知っている限りの銀盤技術を披露する事でしか糧を得られなかったのだ。


「……まぁ、そうだけど……なにをしてるんですか?」


 少女が彼の銀盤技術に興味を示した事は、さすがに解った。しかし、彼女の取り組んでいる機械は、『中原』ミットラントの技術、電気回路の塊のように見える。


人形プーペの制御系のオーバーホール。これ、何年も使われてなかった奴だから。

 ……あたし、銀盤系はちんぷんかんぷんなのな」

「銀盤器なの! それ!?」


 驚愕の事実に、思わずぞんざいな口調になってしまうエリオである。

 興味を惹かれ。ひょいと、少女の手元をのぞき込む。


「あ、ホントだ。トーア法莢ショーテも入ってる。

 でも……」


 一言で言えば、グチャグチャだった。

 エリオが見慣れた銀盤器の構成部品も確かに見受けられるが、それらは幾重にも重なった電気回路基板と、所構わずうねうねと繋がっている信号線の隙間に、脈絡も無くちりばめてあるだけのように見えた。


「というか、当たり前のように空中線が飛び回っているんだけど……

 『中原』ミットラントの電気装置としても、これ、酷い設計だよね? 多分」


 銀盤器は基本的に、異世界から純粋な力を引き出すトーアと、その力を目的に合わせて変質、制御する銀盤タングラムの二つに分けられる。

 銀盤タングラムはごく単純なタスクをこなすだけの銀色の小片で、これを書式に従い立体的に列べることで、タスクをどんどん複雑化することが出来る。この書式が崩れないようにガラスに封入したものを法莢ショーテと呼ぶ。

 掌に収まるほどの宝玉――トーアの周りに法莢ショーテを差し込むことの出来るラッチ付きの穴を開けた銀枠を填めこんだものが、通常、銀盤器と呼ばれるものであり、法莢ショーテの差し込み部は規格化されていて、状況に応じて差し替えて使う。


「しかし、これは……なんで銀盤器からの出力が、電気回路のスイッチをこんな頻度で押してる? あー、こっちでメジャーな電気信号に変換してるのか……で、次の銀盤器の法莢ショーテに繋がって……こことか、ループしてない? あ、増幅してるんだ……すげぇ、力業……」


 エリオは少女の横に並んで座り、裏蓋を開けた機械の中を本腰を入れてのぞき込む。

 そして、それが、彼の知る銀盤器の常識から逸脱し、『中原』ミットラントの電気装置のように見える理由をおぼろげながら理解した。

 今現在、『中原』ミットラントで使われている銀盤技術は、偶然たどり着いた『大学』ウニテートの漂着者がもたらしたものだ。

 ――ところが、『大学』ウニテートの人間の大半は銀盤を『使える』だけであり、開発まで行える技術者の数は『中原』ミットラントにおける工学技術者の比率にほぼ等しい。つまり、ごく少数である。

 ――なので、異国で糧を得るのに必死な、銀盤技術者でない漂着者の手になる銀盤装置は、手持ちの既成品をいじくりまわし、あるいは『中原』ミットラントの技術に無理矢理組み合わせて、どうにか『神秘の異国技術!!』の体裁を整えたものが大半なのだ。

 制御系と呼ばれるものが、原始的な電気回路か、精緻ながら全て物理運動に頼った機械式しか存在しないこちらでは、それでも便利なモノだったのだろう。

 おそらく、この装置も、そういった『素人の力業』の類だ。


「これ、すっごい旧型で、もう使われてなかったのを、只で貰ってきた奴なんだよね」

「……そ、そうですか」


 エリオにしてみれば、新型、旧型という問題ではなく『理不尽』としか表現しようがなかったが。

 因みに彼は、流石に『交換』留学生だというだけあって、かなり高度な開発まで行える銀盤技術者ではあった。


「解る?」

「ボクは、電気回路の方について、そんなに詳しくないから……」

「……使えねぇな」

「いや、昨日、『中原』ミットラントに着いたばっかりなんですけど!」

「あー、そういや、『向こう側』アンダレンからの留学生の話とかあったな……」


 エリオと赤毛の少女の間にどんよりした空気が漂う。


「で、コレ、結局、なにする機械なの?

 同じ機能のモノを一から全部銀盤で作り直した方が早いよ、多分」

「一から! そんなことできるの!」

「まぁ、一応、それがウリで『中原』ミットラントに来たんで」

「すごい! 結婚して!」

「……ヤだよ」


 冗談じゃない、そもそも、名前も知らない相手なのだ。しかも口が悪い。

 あんまり面倒くさいタスクじゃなきゃいいなーと思いつつ、しかし、出来ない事は無いだろうとも思っているエリオである。なにせ、この装置は無駄だらけだ。サイズに比して大した事が出来るとは思わない。


「これは、人形プーペを制御する機械。

 モック・カンプ用の」

「もんのすんごく説明、はしょってるよね、それ!!」

「ちっ、めんどくせーな、ガイジン……」


 彼女は吊り目がちの大きな瞳をわざとらしく伏せて、大きな溜息をついた。


「モック・カンプってのは、簡単に言えば、戦艦ブルガン・グライファを使ったガチの撃ち合いだ。モノホンの艦隊戦だ。

 ただ、人が乗ってちゃ、当然、死人が出る。だから、乗員は、木製の人形ひとがただ。乗員は人形プーペに憑依して、それで艦を操作する」


 エリオの心臓が一際高く高鳴る。

 戦艦ブルガン・グライファに乗れる。

 しかも、操れる!

 あまつさえ、撃ち合いまで出来る!!

 かてて加えて、危険度ゼロ!!!

 しかし――


「なんのため、そんなことするの?」


 素朴な疑問がエリオの口から零れた。


「それが『部活』なんですわ。

 スポーツの一種だと思って下さいまし」


 二人の頭上に巨大な影が差した。

 声はお姫様生徒会長グラウのものだが、気配が人一人のサイズではない。


「カイチョーか……

 変化トランスの上、フル装備かよ。

 ウチみたいな弱小部を脅して楽しいか?」


 赤毛の少女が嫌そうに、その巨大な影に声をかける。

 彼女に比して二~三倍の重量感。頭の天辺から細くくびれた腰までは昨晩のグラウのままなれど、そこから下はフルサイズの軍馬。馬の首の代わりにグラウの上半身が乗っかっているような形である。しかも、その全身は板金鎧に覆われている。艦隊が狭い地域に密集したときに起きる、移乗白兵戦ボーディングで使われるものだ。


「いえいえ、今日は遠い異国からいらしたお客様に、わが部の活動をご紹介しようと、ワザワザ試合用の装備を引っ張り出して来ただけですわ」


 変化トランス後の人馬族――しかもヤる気満々のフル装備――の放つあまりな迫力に目を白黒させているエリオを悪戯っぽい目つきで眺め、グラウはすまして答える。


「そ、そう言えば、グラウさん、というかフュリアス女王の一族……ヴァッサトルムの人達は、獣人ヴェア・メンシェ、人馬族でしたね……」


 戦艦ブルガン・グライファに勝るとも劣らない、『中原』ミットラント名物、それが獣人の存在である。

 獣人は人間態と獣化態を自由に変化させることが出来、大抵の場合、獣化態の方が身体能力が向上する。人馬以外にも、人虎、人狼、あるいは蛇や蜘蛛など動物でない生物の身体を持つ者もいる。

 エリオは、もちろん、資料でその存在を知ってはいたが、昨晩知り合ったばかりの女の子が、体積にして三倍以上に膨れあがったのを目の当たりにするのは、また別の話であった。

 素でも異様な迫力に満ちていたゴージャス美人は、人馬化プラス全身鎧の圧倒的破壊力で、この場を全て持っていってしまっている。


「そうですわ。

 まぁ、ウチに限らず『中原』ミットラントの住民の三分の一は、なんらかの生物に獣化出来る獣人ヴェア・メンシェですけれども」


 「そんなに珍しい事じゃなくてよ?」とこともなげにグラウが笑う。多少手順が違ったとは言え、エリオを驚かせられた事で少し機嫌が良さそうだ。

 一方、赤毛の少女は面倒くさそうに、そんな二人に向けて、しっしっ、と手を振った。


「お前ら、邪魔だ。

 カイチョーもそこのガイジンも、トットとどっか行け」

「あ……でも、その銀盤装置……」

「いーよ、いーよ、

 つか、お前、カイチョーの客なんだろ?

 あんま関わりたくないから、とっとと消えてくれ」


 そういえば、グラウが現れてから、この少女は一度も彼女と視線を合わせていない。今更ながら、エリオは気付く。


「エーファさん――」

「名で呼ぶな。そんな親しくない」


 少し昂揚した気分のままに呼びかけてしまったグラウを、ぴしゃりと食い気味に遮る赤毛の少女。

 というか、エーファって名前なのか。エリオはとりあえず憶えておくことにする。


「……タオゼ二号生徒、貴方は優秀な操艦手スキッパーです。

 我が第一戦艦部としては、是非とも戻ってきて貰いたいのですが……

 貴方が乗るべきフネも用意出来ています」

「その話は、あたしが『第二』を立ち上げたときに散々した」

「たった二人、たった二人と武装も解除された、古い巡戦ブルガン・クロイツァのドンガラ一ハイで、なにが出来るおつもり?」

「クドい。とっとと消えてくれ」


 グラウがそれまでの余裕を少し無くして声を高めかけるが、それに応じて赤毛の少女――エーファは、いっそう感情を殺し、冷え冷えとした声で拒絶する。事情のわからないエリオは、大変いたたまれない。


「……エリオ様、お騒がせ致しました。

 我が第一戦艦部の誇る艨艟とそれを操る精鋭生徒たちを紹介させて頂きますわ。

 参りましょう」


 グラウは多少気落ちはしたのだろうが、登場時と変わらぬ笑顔を完全に作り直し、エリオに向き直った。そのまま、強引に手を引き、港駅のある桟橋の中央部へ歩き出す。


「エーファさんも、ご機嫌よう。

 ……あのお約束をお忘れなく」


 背後から返事は無かった。


**********


 グラウ生徒会長が部長を務める第一戦艦部で大歓迎を受け、多数の保有艦艇をゆっくりと見て回り、備品の銀盤装置(流石にエーファの物程、酷い作りでは無かった)をちょいちょいと調整し――エリオが、港中央の部室に充てられている巨大格納庫を辞したのは、もう陽も落ちようかという時間だった。


 寮まで送りましょうというグラウの申し出を断り、エリオは夕焼けの埠頭を歩く。

 目的も無く……というのは誰に向けたとも知れない口実で、実際は、昼過ぎに偶然出会った、あの赤毛の少女のことが、妙に気がかりだったからだ。

 妙にぶっきらぼうで、妙にはしゃぐ、張り詰めた何かを隠すかのような態度。かと思えばグラウ……というよりは現実に対して、妙に冷え冷えとしたあの態度。

 そして、得体の知れないながら、なにか興味を惹かれる、あのフネ。


「グラウは、心配してくれてるのよ。うん、それは解ってる。

 でも、こっっちにも意地がある」


 オレンジ色の光をその輪郭に纏わせながら、今のエーファはなんの気負いも無く、ただ静かな調子で言う。

 スマートな謎艦の甲板にじっと佇む彼女をエリオが見つけ、思わず声をかけた結果である。もしかしたら、こっちが彼女の地なのだろうか。

 あるいは、埠頭に立つエリオと甲板のエーファの距離――この艦の舷側高さ数メートルが、彼女に虚勢を張る必要を認めなかったか。


「意地?」

「先の大戦中、都市国家まちさえ持ててなかったウチの氏族が、当時の宗主に言われて、血の滲むような努力の結果建造したのが、このフネ。

 ……でも、爪に火をともすように作った費用を無駄にしまいと、設計を懲りすぎてね……他のフネと艦隊行動がとれないような特異なモンになっちゃって。

 それでも、使い勝手が良ければ、護衛任務にでも駆り出されたんだろうけど、ムチャクチャ癖があってね。腕利きじゃ無ければ操艦出来ない」

「そらまた、難儀な……」


 エリオでも解った。乗員リソースのコスパが最悪である。


「結局、大戦中は出番無しで、武装は陸揚げされて陣地防御に転用。

 船体は――当初、予備宿舎に使われてたらしいけど……なんと居住性も悪くてさ」

「……普通に失敗作だよな、その話だと」


 エーファはふふっと自嘲する。


「結局、あたしらの血と汗と涙の結晶は、一度も会戦に参加することなく、大戦の間、ずーっとエルデリヒト――あ、これ、当時の宗主の都市国家まちね――の港に繋げられっぱなしだったわけ

 しかも、宗主の方でも、ウチのフネなんかに何の期待もしてなくて、どっちかというと、他の属国の手前、ウチの種族だけ何もさせないわけにもいかないから、形だけでも艦の供出を命じた、みたいな。そんな命令に、哀れな弱小氏族が、勘違いしちゃってヘタに張り切っちゃった、みたいな。

 ……結果はお話しの通り」

「うん……なんつーか、割と締まらない話だな」

「でしょ?

 でもね、あたしはこのフネの素性を知ってる。

 扱うべき人間が、扱うべき戦場で操れば、立派に活躍出来ることを知ってる。

 そして、今、モック・カンプという、舞台がある」


 「だったら、このフネで戦いたいじゃない?」と、エーファは、この時初めてエリオの瞳を真っ正面から見詰めた。

 その瞳の奥底に、ごうごうと渦巻く光、それは、今、エーファがぽつりぽつりと零した話、それよりも、もっと更に複雑に見えた。


「……ボクも力になれるかな?」


 しかし、今のエリオには、今の話だけでも十分だった。

 エーファの氏族への同情なのか、未知のフネに対する好奇心なのか、それとも、何か解らない感情の熾火を抱えたエーファへの興味なのか……それは、彼自身にも解らなかったが、ただ、このフネで戦いたいと、この時、間違いなく思った。


「力……ねぇ。

 あんた、さっき、大言壮語だけ吐いて逃げちゃったけど、

 銀盤士としての腕は確かなんでしょうね?」


 昼間のような蓮っ葉な態度に戻ったエーファが、わざとらしく疑わしげな視線をエリオに向ける。


「逃げたって……あれは、君が追っ払ったんじゃないか!」

「そうだっけ? ま、ちゃんとした銀盤士なら、仕事はいくらでもあるよ」

「舐めんな! 本場の力、見せつけてやるよ!

 すごいよ? ホントだよ? ビビるなよ!!

 眼から感涙吹くぞ?!!」

「あー、ハイハイハイ。

 じゃあ、…………そいや、あんた、名前なんての?

 どーでも良いから、聞いてなかったわ」

「やっぱ、色々酷いな、君……

 ……エリオ。エリオ・ベルンツィマー」

「エリオ君ね。

 エリオ・ベルンツィマー四号生徒、第二戦艦部部長として、君を正式に我が部に迎え入れる。明日の放課後から、必ずここにきて部活に参加すること! いいね?」

了解ですヤヴォール部長カピタン! 

 ……で、良いのかな?」

「上出来」


 そして、彼女は屈託無く笑った。

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