十九章 忘れない <Ⅱ>傍にいる

 シグレの言葉が終わらぬうちに、忽然と黄色い小袖の背中が現れた。


 黒髪をうなじでくくった、小さい女の子。

 紅潮した横顔が、あたしを振り向く。

 シグレと出会った日の、幼いリンだ。――ビスクドールじゃない。


「リン? でも、どうして?」


 ビックリしすぎて転びかけたあたしの手を、リンがぎゅっと握る。


「時雨さん。ごめんなさい。ボクのしろが壊れたとき、泣いていた時雨さんの瞳に、鏡みたいに自分の顔が映って、それでボク――宿ってしまったんです」



 ――なんだってー!



「今までずっと? ここに?」


 思わず指が、上と下の目蓋まぶたを広げる。


「あたしのコンタクトに?」


 リンが勢いこんでうなずくと、結んだ髪がぴょこんと跳ねた。


「だから、全部見てました!」


 リンは、シグレに向き直る。


「シグレ様――」


 花のような唇がふるえて、涙がポタポタと、小袖の胸元を濡らした。


「リンも見たか。慈慧じけい法師様を」


 シグレがリンに頬笑みかけた。


「はい。ボクも見ました」


 リンは泣きながら、精一杯の笑顔を作ろうとしていた。


「そうか。見ていてくれたか」


 ――おい。ここは謝らなくていいのか。


「よかったです。シグレ様。――これでもう、旅は終わりですね」


 リンの瞳から、涙がとめどなく流れていた。


「これで、ほんとうに、お別れですね」



 シグレは片膝を落としてリンの前に屈むと、その小さな両肩に掌を添えた。

 同じ目の高さから、リンをまっすぐに見つめる。


「次は、リンを捜す旅に出るつもりだった」


「え」


 リンが黒目がちな瞳を見開いて、シグレを見つめる。


「――ボクを?」


 シグレが頷いた。


「リンの気配が消えていなかった。――はじめは気の迷いだと思った。今まで、いつもそばにいたから、いつまでも同じように感じるかと思った。だが、時が経っても、リンの気配はいっそう鮮明になるばかりだった。きっと近くにいると思った」


 シグレの横顔が、薔薇色に染まる。


「今度こそ、未来みらい永劫えいごうちりになろうと傍にいる」


「どうして……?」


 リンのふるえる声が問いかける。


「それが、僕の望みだからだ」




 真っ赤になったリンが、シグレを力一杯、突き飛ばした。

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