十八章 旅の終わり <Ⅳ>二つの月
「それから、もうすこしお話ししたいことがあります」
影法師があたしに語りかけた。
「旅の雲水に身を
「お尋ね者?」
ぴくりと蜷局が緩んだ。
「私の一族と申しますのは、代々栄えてきた豪族でした。都の
「皆殺し?」
蜷局が解けて、大蛇が円い眼を覗かせた。
「後々の遺恨を断つ為でした。血の繋がりのある者は女子どもでも容赦なく斬られました。ところが――。敵の目を逃れて、ただ一人生き残った幼子がいたのです」
「その子が、法師様なんですか?」
あたしはおそるおそる訊いた。
「はい。私です」法師様が頷いた。
「幼名を
そのとき
「母は七番目の皇子の
天を突くような杉木立の参道を、大きな
足元が
「慈しんでくれた人に迷惑は掛けられません。私は、
深山幽谷の地にいくつも僧坊が並び立ち、本堂からは、朝靄を吹き払うかの如く、読経の声が朗々と流れる。その声に背を向け、旅支度の若き雲水は一人山を下る。
笠に隠れた濡れた頬。耳に聞こえる経文を、その唇も口ずさんでいる。
いつのまにか近々と貌を寄せていたシグレが身を震わせた。
「法師様が、そんな辛い思いをされていたなんて」
影法師は、シグレの
「私は過去を胸の内に
「法師様――」
大蛇の双眸から涙が流れた。
「旅に出てより、時雨の宿に泊まった夜ほど安らげたことはなかった。人は皆優しいと信じていた、幼い頃に戻ったようだった」
影法師は、泣きつづけるシグレの首を抱いた。
「重い
「僕だって、あの夜がどんなに嬉しかったか。それなのに――」
シグレが切なげに呟いた。
――それなのに二人は死んでしまった。
「それなのに」と影法師は頬笑んだ。
「それなのに。――お前は私の望みまでも叶えてくれた。私の最期の望みを。いや、私の最期の呪いを果たしてくれた。ながくつらい思いをして――」
影法師は大蛇に合掌した。
「私の望みは成就した。時雨や。ありがとう」
シグレは法師様に向き直った。
「僕は、法師様の望みの鏡です。今も。これからも」
あの日、空と水に在った二つの月のように、影法師と蛇は、互いをいつまでも見つめ合っていた。
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