十八章 旅の終わり <Ⅲ>なくした鏡

「どうやって、鏡の間の呪いを解かれたのですか」


 今度は影法師があたしに問いかける。

 

「それは――、えと……」


 水神様から聞いたときは納得したんだけど、改めて訊かれたら答えられない。

 テストのときと同じだ。分かんなくなっちゃった。復習は大事だよね。

 最初から話すしかないだろうか。


「長くなるんですけど……いいですか?」


「はい。是非とも、うかがいたいです」


 あたしは鏡の森の冒険譚を披露した。

 八歳のあたしが主人公で、子猫と出掛けた不思議の国。

 ――入る前と出てきた後の話には触れずにおいた。言い付け口は最低じゃん。


 熱心に聞いてくれた法師様は、最後に「なるほど」と頷いた。


「そうすると、望みの鏡が割れたのは、おそらく日見子様の御加護でしょう」


「ヒミコさまの?」


「鏡はもともと日見子様のものでしたからね。時雨さんを案じる心が鏡に宿っていたのですよ」


「――あたしのために?」


「時雨さんは家へ帰りたいと望むのをお忘れになったでしょう? きっと日見子様が二度と鏡の結界が開かぬように、望みの鏡を割ってくださったのでしょう」


 ――なんだ。そうか。

 あたしはてっきり、あたしのかかとに結界パワーをみなぎらせて、魔魅まみ退散たいさんかかと落としを、一撃蹴り込んでくれたのかと思った。

 シグレが無事で良かった。


「ヒミコさまは、鏡の間と一緒に消えてしまったのかと思っていました」


「親が子を思う心は、やすやすとは消えないものですからね」


 影法師が頬笑む。


 ――最後まで、あたしを守ってくれたんだ。ヒミコさま。ありがとう。


 あの日、いちの鏡を抱きしめた掌が涙に濡れた。

 もしかしたら怖い記憶が消えたのも、ヒミコさまの仕業しわざかも知れない。


「法師様、ありがとう。ヒミコさまが報われていて、本当に良かった」


「お礼を申し上げるのは私です。我が先祖を救っていただいて有難うございました」


 影法師もまた深々と頭を下げる。


「鏡まで壊していただいて、誠にかたじけないことでした」



 すると、それまで化石のように身じろぎせず、風景に溶け込んでいたシグレが、荻の穂を揺らして滑り出てきた。

 影法師が大蛇に両手を差しのべる。


「時雨や。ほんとうに申しわけないことをした。私は時雨を鏡に封じてしまった」


「封じられたわけではありません」


 シグレが強張った声で答えた。


「僕は自分の意志で鏡に留まったのです」


 意固地なこいつが戻ってきた。

 大蛇の瞳には影法師しか映っていなかった。


「あの日からずっと、時雨は鏡の主でいてくれたんだね。私の為に」


 足元をするすると動きつづける大蛇の蜷局とぐろに、影法師は優しく触れた。


「時雨や。鏡は消えてなくなったのだ。これで時雨は自由だ。私のことは忘れてしまいなさい」


 大蛇は動きを止めた。琥珀の瞳から涙が溢れている。


「そんなの嫌です! 僕は法師様を忘れません!」


「ありがとう。だが、忘れなければ、お前にはつらいだけだろう」


「僕が法師様を殺したんです。忘れられるものですか!」


 法師様が息を飲む。


「時雨や、なんということを――」


「僕のせいです。法師様が亡くなったのは!」


 大蛇がむきになって鎌首を立てる。


「私の物語を見てくれたのだろう? 私が死んだのは、私の選んだことだ」


「いいえ。あの日、僕が村に行けば、法師様は御無事でした」


 大蛇は聞き分けのない子どものように叫ぶ。


「ちがう。私が時雨を引き留めた。その後のことは、すべては自ら選んだことだ」


「いいえ。僕は永遠に。絶対に。自分を許しません。どれだけ時が経とうと、己の犯

した罪を忘れるなんて卑怯者です!」




「――そうか。時雨はあれからずっと、そう思ってきたのか」


 法師様の声に、血を流すような傷みが滲んだ。



「時雨や。心を鎮めて聞いておくれ。私はどうしようもない愚か者だった。生けにえを求める魔物など、最初からいなかったと得心がゆけば、みんな喜んでくれるとばかり信じていた。ところが村の人たちは鬼になった。なぜだと思う」


 シグレは身を震わせて答えない。


「私が魔物の噂を打ち消すのに躍起になって、娘を失った家族の悲しみを思い遣ろうとしなかったからだ。あの人たちが、あれほどまでに心を乱したのは、私のせいだ。狂った人たちに時雨が殺されたのも、わたしのせいなのだ」


「法師様は、僕も村人もどちらも救おうとされました。罪などありません」


「私は、どちらも救えなかった」


「ちがう!」


 シグレは叫んだ。


「生け贄を喜んで喰っていたのは僕じゃないか!」


「時雨――」


「あの日だって、法師様の身が案じられるなら、後を追いかければよいものを、僕はいい気になって昼寝していたんだ!」


 それからシグレはかたくなにかおそむけて、法師様を振り返ろうとしなかった。

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